第二章 第十話
一つ前に登場人物紹介を挟んでおります。
まだお読みでない方は、是非ご一読ください。
その剣呑な声の響きに思わず腰を落として振り返る。
そこには件の男が拳を振りかぶって立っているのが視界に入る。
咄嗟に顔を下に向けて首に力を入れると額と首に衝撃が走る。
「ぐっ!」
短い呻き声が響き、同時に強烈な衝撃に後ろに二、三歩下がる。脳を揺さぶられて視界がぼやける。瞬きを繰り返して視界を落ち着かせながら男の方を身体ごと向くと右手を抑える姿が見えた。
咄嗟に額と言うよりも鉄兜で受けた為に、拳か手首を痛めたらしい。
現代具足は漆塗りの光沢をしている為、強化プラスチックだと思っていたのかも知れない。
兜だけは鉄で出来た物を焼き漆した物で、こちらも勘違いしたのかも知れない。
鼻背デバイスを操作してその場で警察に通報をする。
周囲を見回して男の仲間が向かって来ないかを確認するが側には居ない様だ。
「こちら警視庁です、事件ですか? 事故ですか?」
繋がった電話の先で警察官の声に答える。
「事件です、傷害事件です。シーカーで武器を所持しています、一方的に殴られました、動画で記録映像も有ります」
「今どちらでしょうか?」
「東京迷宮、買い取り所の窓口の前です」
「今すぐ警察官を向かわせます、お怪我は有りませんか?」
「いきなり殴りかかられて、首を痛めました」
「救急車も手配します、相手はまだ近くに居ますか?」
「はい、目の前に居ます」
「相手は一人ですか? 複数ですか?」
「仲間が側に居るかは分かりません」
「では安全な場所に逃げて身を守ってください」
「分かりました、出来るだけ早くお願いします」
前回、警察に相談した時から念の為通報した時の段取りをイメージトレーニングしていて正解だった。
自覚出来る位に声が上ずっているのは、やはり緊張していたからだろう。
相手も買い取り窓口の目の前での凶行を及ぶほど頭に血が上っているのだろう。
まともな判断も出来ないらしい。
目撃者が大量に居るし、役所同様に監視カメラの有る所で傷害事件を起こす短絡的な思考に呆れて言葉も出ない。
ましてや、こちらは刀を持っていると言うのに、だ。
つまりは剣術を学んでいる可能性が高い。
現代に残る剣術は同時に柔術も伝えている所も多い。
素手でもそれなりに組手が出来る、そんな人間も多いとは考えないらしい。
眼下で手を抑えて唸りながらこちらを睨んでくる男は、どうやらこちらの力量は測れないらしい。
伊達や酔狂で刀を腰に帯びている訳では無い。
油断無く男を見詰めているとタックルのつもりなのか体当たりを仕掛けてくる。後ろに一歩飛び退いて、無防備に晒された頭部に鉄槌を叩き込む。頭を殴られ、顔から床に叩き付けられて弱々しい呻き声を上げている。
改めて周囲を警戒すると窓口の職員のざわめきと、男の仲間らしき人影が離れた所でこちらを窺っているのが見える。
それらも動画に記録して襲撃が収まったらしい事を悟る。
数分してサイレンが聞こえ、サイレンの音が止んだ所で慌ただしく走ってくる足音が聞こえた。
「通報した方はどこですか?」
プロテクターを装備した三人の警察官が周囲に声を掛ける。
「通報者で被害者は僕です」
そう言って左手を上げると警察官に囲まれた。
警察に囲まれると悪い事をしていないのに威圧感を感じてしまう。
「お怪我は有りませんか?」
「いきなり殴られたので首が痛いです」
「この蹲っている人は?」
「僕に襲い掛かってきた人です、通報した直後に再度攻撃をしてきたので抵抗しました」
そう言うと若い警察官は困った顔をして改めて僕の全身を見て溜息を吐いた。
「何をやったんです?」
「体当たりを躱して一撃、拳で」
尋ねられた事に素直に答える。
その間に窓口の職員に状況を確認して、倒れている男が犯人だと判明した段階で手錠を掛けて連行されていくのを見ている。
「話を伺わせていただきますので、病院の後、署まで同行いただけますね?」
「はい、勿論です、ただ、荷物がまだ更衣室のロッカーで、身分証もそちらなのですが」
そう応えると一人の警察官が荷物を回収してくれると言うので鍵を渡してお願いする。
「腰の物も預かりますが良いですね?」
有無も言わせぬ、確認と言うよりも指示と言う方が正しい言葉に頷いて鞘ごと抜いて渡し、籠手の中に仕込んだ皆折釘も渡す。
「他には有りますか?」
「いえ、もう有りません」
そう応えると兜を脱ぐ様に言われる。
「あの男の仲間が居たら、顔を晒すのは危険だと思います」
そう応えながら顔を男の仲間が潜んでいる方に向ける。
慌てて目の前の警察官はその人影の元に駆け寄って連行して行った。
置いていかれて困っていると荷物を回収してきた別の警察官が戻ってくる。
周囲を見回しているので状況を説明すると建物の外からサイレンがしてパトカーが走り去って行く。
僕の方は既に来ていた救急車で病院に運ばれた。
救急車の中で現代具足を外してリュックに詰めて行く。
病院で首の診断書を書いてもらい、シップとコルセットを付けて診察室を出る。
リュックの中に仕舞っていた普段着に途中で着替えて、会計を終えてパトカーに乗せられて警察署に運ばれる。
警察署の取調室に連れて行かれて、鼻背デバイスの映像データを警察署のPCに表示して状況と証言を確認される。
やましい所も無いので、前回相談した件から発生した事件で有る事を説明する。
ここでも動画の投稿は咎められたが、モザイクと音声も加工してある為に小言で済んだ。
怪我もこちらは兜の額部分で迎え撃った為に首が鞭打ちに成った程度だ。
恐らくあの男は拳が折れているか手首が折れていると思う。
鉄槌は手加減したが、顔から落ちたのでそちらも痛い思いしたはずだが。
今回は傷害の現行犯で逮捕と成った。
前回の投げナイフはやはり暴行罪は取れないらしかった。
シーカーの犯罪が増えた事で、シーカーが犯した場合の罪状は一際重たく成った。
武器を携行し、武器を使い慣れた人間への処罰が重たく成るのは当然だと思う。
現在、シーカーの傷害罪は十七年の懲役もしくは百万円の罰金と成っている。
事情聴取が粗方終わった所で相手に厳罰を求めるかと問われたので肯定して調書は完成した。
刀と皆折釘を受け取り、警察署を後にする。
良く考えると車を置いたままにしてしまったので、迷宮まで戻って車を回収して帰宅する。
時計を見ると午後八時を回っていた。
思いの外時間が掛かった。
部屋に上がると疲労感が押し寄せてきて荷物を投げ出してソファーに倒れ込む。
痛みは大した事無い。
目立った怪我をした訳でも無い。
現代具足の内側に衝撃吸収材を仕込んでいたから。
覚悟はしていたつもりだった。
しかしそれはつもりでしか無かったらしい。
ただ、明確な害意に、それも人からの害意に衝撃を受けた。
警察署で事情聴取されている時から気持ちの悪さで吐きそうだった。
どうするか迷う、示談するかどうかで保留としか答えられなかった。
あの男が改心するとは思えなかった。
投獄されてくれたら安心だが、出所したらその時の僕への憎悪はどれだけの物に成っているだろうか?
そう考えると恐ろしく成った。
頭の中で色々な感情が渦を巻いている様な感覚に陥る。
音を上げる様に僕は棗に電話をした。
「おう、どうした?」
「ごめん、デート中だった?」
「デートってか、一緒に俺の家でゴロゴロしてるだけだ。で? どうした?」
棗の声に少し安心した気がするが、なかなか言葉が出ない。
「言えよ、どうしたんだ?」
「……さっき襲撃された」
絞り出す様に呟くしか出来なかった。




