第二章 第二話
周囲を見回して他に狼が居ない事を確認する。
視界内には居ないが隠れているかも知れないと思い、息を殺して気配を探るが特に音もしない。
それでもたっぷり三十秒を数えてから大きく溜息を吐き出す。
右足にぶら下がったままの狼の重量に顔をしかめながら痛みが無いかを確かめる。
「痛みは無いから刺さってない、か」
漆で固めたとは言え所詮は革だ。
穴は開かなくても漆が割れているかも知れない。
修理をするとまた半年は使えない事を考えると憂鬱になってしまう。
リュックのポケットから折り畳んで携行していた使い古したタオルを取り出して刀身の血脂を拭ってから鞘に納める。
念の為、鯉口を切ったままにしておく事も忘れない。
未だにぶら下がったままの狼の顎をこじ開けて脚を抜くと脛当てに触れて損傷具合を確かめる。
暗視装置越しでは傷は見分けがつかないが、大きく欠損はしていない様で安心する。
「疲れた……」
そう一言零すと最初に屠った狼が毛皮に変じる。
リュックを卸して最初の五頭の毛皮を巻いて収めた。
次に三頭、少し経ってから最後の四頭の毛皮も回収する。
「一度に十二頭か、新記録と言うかそうそう有って欲しくない展開だよ」
そうぼやいてリュックを背負い直し、刀を抜いて出口へと向かって歩き出す。
視界が自然光で色彩を取り戻す。
明るさに目を細めながら安全圏に戻って来た事に安堵を覚える。
迷宮は氾濫の時以外にはモンスターが出て来る事は無い事が確認されている。
迷宮の外は本当の意味で安全地帯だ。
刀を拭ってから鞘に納めて深く溜息を吐く。
棗と綵が居た時にはもっと深くまで進めたが、一人ではあまり進めない様だ。
処理速度、体力、集中力、おまけに毛皮を回収出来る数にも限りが有る。
投擲武器も重さや嵩を考えるとあまり多くは持ち込めない。
かなり手前を限界と定めて迷宮に入る事にする。
迷宮脇の買い取り所に立ち寄って今日回収した毛皮を全部売り払う。
改めて数えてみると二十五枚、買い取り額は三万五千円と一人の稼ぎとしてはかなり良い金額だ。
午前中だけでこれだけ稼げれば十分では有る。
時間が半端では有るが、最後の戦闘でそれなりに体力も使ったし、もう一度迷宮に入る気力も無い。
これからも徐々に力は付いて行くだろうし、怪我さえしなければ収入は増やしていける。
装甲パーツも少し傷が付いただけで交換や補修は必要無さそうで良かった。
安堵の溜息を漏らしながら更衣室で装甲パーツを外して服を着替える。
ツナギの中は汗で酷い事に成っていた。
帰って綺麗にしないと臭い的な意味で大変な事に成る。
今日の所は切り上げて明日の準備をして休む事にする。
装甲パーツとツナギを入れたリュックと刀ケースを携えて帰宅する。
アパートに帰宅して急いでツナギの内側を濡れ布巾で汗を拭いて裏返しにして部屋干しをする。
シャワーで汗を流してからPCと鼻背デバイスを繋いで映像ログの確認作業を行う。
午前中の迷宮での行動を動画として検証するとやはり自分の行動の粗が見えてくる。
時折独り言を喋る自分の声に顔を顰めながら要点を纏めて行く。
箇条書きにすると、
・ソロの処理能力をきちんと計算出来ていなかった事。
・攻撃手段に投擲を考えていなかった事。
・回収能力との兼ね合いを考えていなかった事。
「トライ・アンド・エラーとは言え、ちょっと考え無し過ぎた」
そこからは車で和金物店に行き、四寸--約十二㎝の階折釘を五本購入して帰宅する。
手首の装甲パーツとツナギの間に三本ほど仕込んでみたが、特に支障も無く持ち歩けそうだ。
これで牽制や遠距離攻撃が出来る様に成る。
重量や用途を考えて和釘を選んだが、どんどんと現代から離れて行くのは何故だろう?
結局、殺す事の合理性を追求すると銃を除くとこう言った物に偏るのかも知れない。
日本刀の形状が良い例かも知れない。
人間の肩の構造上、円運動に成る為に日本刀特有の浅い反りが最適と成る訳だ。
斬ると言う概念を形にした物が日本刀、そう結論に至った。
「なんと言うか、昔の日本人って実も蓋も無い……」
尖り過ぎた昔の日本人の拘り方に現代日本人としては苦笑しか出て来ない。
現代で言うと銃弾の開発に近いだろうか。
そんな事を考えているとPCに繋いだ鼻背デバイスからCALL音が響く。
慌ててデバイスを装着すると網膜画面には棗からの着信と表示される。
「もしもし? どうしたの?」
「おう、今朝家に来たんだって? 新装備でのソロの様子も気になったし、な」
棗の明るい口調の中に気遣いの色を感じて表情が緩む気がする。
掻い摘んで今日有った事を話しながら対策を合わせて話しておく。
「おい、狼が仲間を呼ぶとか聞いた事無いぞ?」
「僕も無いさ、少なくとも群れ二つが来ていたみたいだから、陣取りが出来なかったら危なかったね」
「なあ奉、俺も潜るか?」
「いや、大丈夫。今日進んだ所を境界線に定めたから」
「お前、なんでそこまでするんだ?」
棗の気遣いで出来た踏み込んだ言葉に何て答えるか迷ったが、素直な気持ちを口にする。
「剣術の技術を使える場だから」
「それは前にも聞いた、なんでそんなに剣術に拘るんだよ」
「好きだから?」
「なんで疑問形なんだよ! 第一、普通剣術に行く前に剣道だろ?」
期待通りのツッコミを寄越す棗に当時の状況を笑わない様に淡々と語る。
「通ってた学校に剣道部が無かったから?」
「無かったから剣術に直結ってお前」
「剣道の動画を見てたら居合の動画が有って、調べたら剣術の道場もそれなりの数有ったし?」
「で? それなりに有った剣術道場を見付けてどうしたんだよ?」
「片っ端から見学して回って、一番ドキドキした道場に通う事にした?」
「ドキドキって」
「だって木刀で、寸止めで、しかも二刀流だったし?」
「二刀流にドキドキってガキかよ」
「仕方が無い、子供心純度百%の小五だったし?」
「で、なんで剣道に興味持ったんだ?」
「偶然読んだ剣道漫画が面白かったから?」
「結局漫画かよ!」
棗の呆れ混じりのツッコミを面白がりつつ、思いつく理屈を並べてみる。
「漫画と言うが、世界が注目する日本の新文化だよ? サッカーアニメが好きでプロに成った選手だって居る時代だよ?」
「いや、その選手もう引退したから」
棗とのポンポンと弾むラリーの様な会話に我慢出来ずに笑い声を上げてしまう。
一人暮らしで大学では就職活動の時期と成るとあまり会話する相手にも困る為か、棗とのやり取りが楽しくて仕方が無い。
綵と話す機会も有るが、周囲から誤解されるのもお互いに困るのでキャンパス内ではあまりつるまない事にしている。
一回生の時には露払い役をして誤解されたのは苦い記憶である。
それからは卒論のテーマやら色々と話し込んで良い時間になったので電話を切る。
「全く……、ありがたい奴だよ」
棗は世話焼きで面倒見の良い、好青年を絵に描いた様なヤツだ。
他のシーカーグループに参加すると言う気が湧かないのは、背中を預けられる棗と言う相棒が居たからだ。
実際はそう言ってはいられないのだが、組みたいと思える連中が出来る気がしない。
ただ、そんな親友に心配を掛け続けるのも変な話だ。
割り切って、SNSで東京近郊のシーカーグループを調べてコンタクトを取る。
変遷で狼が出る様に成った事で激減したシーカーの中でも活動を続けていたいくつかのグループと連絡を取る。
体力的な物も有る為か、二十代がメインの層に成っているだろう。
となると週末シーカーが半分以上だと思う。
結局東京のシーカーだけが後追いに成るのは仕方が無い。
迷宮が発生して数年が経過しているが、未だにモンスターの出現を止められたと言う情報は無い。
迷宮は今日も謎のままだ。
世界規模で同時に多発する事象を五年や十年で研究が終わるとは思えない。
海外ではどうか分からないが、日本国内で迷宮を研究する所すら有るか怪しい。
日本の学者が迷宮に入って狼と戦って調査するはずも無い。
シーカーに対してのアンケートに数千万円を研究費で使い切って終わるのが関の山だ。
海外の研究者の論文を引用した物とアンケートを組み合わせた借り物で語る学者が大半だろう。
人類が迷宮と折り合いを付けるのが早いか、迷宮の究明が早いか。
根本的に日本人と言う人種は発見より応用発展のほうが得意と来ている。
根拠は無いが、潮流に流されて折り合いを付ける方が早い気がする。
極端な話、僕自身が博士論文を書き上げて研究者第一号に成った方が早い気もする。
ただ、自身が研究に没頭する種類の人間では無い自覚が有る為、その道は進路として考えてはいない。
ゼミで相談すれば教授も知恵は貸してくれそうでは有るが、
新しい学問、新しい学術として認められるのは早くても十年は先な気がする。
院に進むつもりも無いし、進んでもやる事はシーカー活動とそのデータ収集だけと成ると気が進まない。
実際問題として院に進んで学びたい分野も特に無く、院にも迷宮に関する学部が有る訳でも無い。
そんな中で誰に教わり、どこに提出し、誰が査定して学位を得るのか見当も付かない。
結局迷宮研究をするなら外部から論文を書く道しか無い。
そう結論付けて、インターンで行った商社に卒業後は就職する事に決意を改めて固める。
眠気を感じた所で他のシーカーグループからの返信等に対応してからベッドに潜り込む。
来週の週末、一度合流してシーカー活動をしてみる事に成った。
明日は取り敢えずソロで動く事に成り、少しだけ安心する。
最近成った極々軽度の対人恐怖症は今日の明日合流を恐れていたらしい。
肉体的にも精神的にも疲労が溜まっていたらしく血流と共に一気に脱力していく。
微かな寂しさを感じながらゆっくりと睡魔に意識を侵食されていく。




