*第六話*
翌日、まだ太陽も昇りきらない朝の10時頃、このマンションの管理人を名乗る人が私の部屋を尋ねてきた。茶色のセーターを着た白髪の老人だったが、彼が説明するところによると、なんでも、最近になって、ここを作家マンションだと嗅ぎ付けた不審者が、隙を見てマンションに侵入するようになり、いたずらで各部屋の呼び鈴が連続で鳴らされたり、ゴミ収集所がひどく荒らされたりするようになり、今日の昼の1時から、各部屋の代表者を集めて対策会議をすることになり、そのことを知らせに来たのだと言う。徹夜明けの人や昼間は部屋を空けている人も多いのに、昼間の1時から開始ということで本当に大丈夫なのか、と尋ねたが、管理人はこういうことはできるだけ早くみんなに知らせたいからと言うことであって時間に関しては譲らなかった。ゴミ荒らしは原稿などが目当てではないらしく、主に女性の作家さんの衣類が狙われる傾向にあるということで、ストーカー行為とも思われ、事は急を要するらしい。私も二日酔いだったので億劫だったが、できるだけ参加しますよ、と前向きな返事をすると、管理人さんは笑って、「皆さん出版界の複雑な事情があるから、仲が良くない人だとか、顔も合わせたくないような、嫌な人もいるんでしょうけど、不快なことがあったら先に抜けてしまっても構わないので、とにかく状況説明への参加だけはぜひお願いします」と、ここの住民の人間関係を知り尽くしたような言葉を置いて去っていった。
中途半端な時間が空いてしまったので、遊ぶことも仕事をすることもできず、コーヒーを飲みながら、とめどない夢想状態でテレビを見ていた。昼間のこの時間はどの放送局もたいしてお金をかけた番組を作らないから、知性の毒にしかならないような番組しかやっていないのだが、たまたま目に入ったドラマに、最近あまり見かけなくなったタレントが出演しているのを見て、自分の心に哀愁が入り混じった喜びを見つけだして、なんとか時間を潰すことができた。
約束の時間が近くなったので、指定された一階のロビーに向かった。すでに数人の男性がいて、煙草を吸いながら、わざわざ建て付けの悪い椅子に腰掛けていたが、私の知っている顔はなかった。私は彼らの後ろ側の壁にもたれ掛かって集会が始まるのを待った。しかし、約束の1時になっても私を含めて5人ほどの人間しか集まらなかったので、管理人もさすがに報告を始めることができず、時折腕時計に目を落としながら、イライラとした様子を見せていた。このマンションには時間をきちんと守って生活している人はほとんどいないから、という言葉で慰めてあげたかったが、こんな状態では余計な話しかけは薮蛇になりかねないので、声をかけるのはやめておいた。1時を15分ほど廻ると、ようやく幾人かの男性がエレベーターや階段を使って降りてきて、ロビーはそこそこの人数になった。言うまでもないことなのだが、その場の雰囲気は非常に悪かった。ちょうど寝起きの人が多い時間なので、どの顔も、何で普段は気を抜きまくっているはずの、こんな時間に呼び出されなきゃならないのか理解に苦しんでいて、他の先生方が参加しないのであれば、まず間違いなく無視したかったイベントなのであろう。皆さん、他の知り合いの先生の動向を見ながら渋々の参加であり、その複雑な胸中を存分に垣間見せてくれていた。女性がストーカーに付け狙われているという話だったのに、鈴又先生を始め、女性陣は誰も来ていなかった。
「お集まりいただきまして……、どうも……、このマンションの管理を委託されている笹本と申します……」
やっと、管理人の説明が始まり、彼の話の中で、先月辺りからゴミ収集所が荒らされるようになった経緯や、この地区全体の治安が不安定になっていることなどがあげられた。
「もう少し様子を見てから、警察に相談したほうがいいんじゃないですか?」
管理人の話を中断させるかのように、後の方で話を聞いていた男性からそのような声があがった。誰かが長い説明をしている最中に、突然こういう極論を言う人は、心からそう思っているわけではなく、早く部屋に帰りたいから、という思いが高ぶる中で口走るケースが多いのだが、彼は果たしてどうだったのだろうか。
「何言ってるんですか。警察はまずいでしょ……。マンションの中は機密情報の巣だから、余計な部分を突かれないとも限らないし……」
私の隣にいたコラムニストと思われる男性が嘲笑混じりにそう答えた。
「とりあえずの対策として、皆さんのゴミを出す時間帯を朝の決まった時間だけに限定していただきたいんですが……。どうですか? 何か他にご意見などありますか?」
「ゴミを出す時間を揃えるったって、そりゃあ無理でしょ。ここに住んでいるのは、全員が全員、朝まで寝ないで活動しているような人達だし、シュレッダーにかけないといけないゴミだっていっぱいあるんですよ。その作業を全部朝までにやるだなんて……。私は明け方が特に忙しいから、毎日同じ時間にゴミを出すなんて、とても無理ですね。他の方々が賛成したとしても、私は無理です。撤回して下さい」
一番手前のテーブルに座っていた白髪の男性がそのような反論を述べた。周りからはそれに併せて「そうだ」「無理だ」など、管理人の提案に対して否定的な声が多く飛んできた。
「しかしですね、最近はどこの自治体でも、ゴミを出す時間帯を限定する傾向にあるんですよ。その方が衛生的にもいいですしね……。そろそろ、うちも世間の常識に合わせていきませんと……」
「余所は余所でしょ? 我々は自分から望んで、そういう一般の生活時間には囚われない仕事をしているわけだからね。最近はこうなったんですよっていう話を聞かされても、すぐに、わかりました、明日からそうします、っていうわけにはいかないんですよ。確かに、我々が不規則な生活を送ることによって、周りに住むある程度の人が不利益を被ったり、軽犯罪に対して隙を見せているかもしれないですよ。だけどね、そんなものに臆病になって、自分の生き方を縛られるようなことを許していたら、芸術家なんてやってられないんですよ。泥棒結構じゃないですか。どんどん入ってもらおうじゃないですか! 我々のゴミ袋になんて、どうせ、ろくな物は入ってないんですから!」
白髪の老人はいきり立ってそう続けたが、さすがにこれは極論に過ぎたようで、参加者の中から反対意見も多く聞かれた。反論の中で、最近は世間の生き方に合わせて、生活時間を整え、清潔な生活をしている作家も多いという話がでて、そういう作家の透き通ったみずみずしい文体の本の方が、道徳的できれい好きな読者層には受けているらしい。それを聞くと、時間や道徳観念に縛られないで書いている我々は、すでに時代遅れなのかと、場はさらにどよめいた。
「今まで通り、好きにやればいいじゃないですか。皆さん、好き勝手やってる部分もあれば、他の作家さんの活動のせいで我慢を強いられている部分もあるでしょう? それでいいじゃないでか。これまで通りにしましょうよ」
白髪の男性は反対意見などに耳を貸さずにそんな乱暴なことを言い出したが、悪い意味で保守的というか、往々にしてこのような意見が出てしまうと、現状維持に賛成せざるを得ないような空気になってくるのだが、幾人かの人がそれでも生活時間をなるべく世間に合わせるようにした方がいいという主張を譲らなかった。管理人もすでに治安の部分については諦めていて、ゴミの収集時間を揃える問題だけでも解決できないかと糸口を探っていた。しかし、強硬な意見が多く、場はかなり沸騰してしまい、この問題の意見だけに留まらず、お互いの生活に対する不満のぶつけ合いが始まってしまい、出口の見えない迷路に入ってしまった。その後、数十分話し合いを続けても結論は出ず、会議は次回に持ち越しとなってしまった。
いつの間にか、私の背後に江尻さんが迫ってきていて、ぽんと肩を叩かれてしまったので、不意をつかれた私は心底驚いてしまった。
「知ってた? あれが演歌作曲家の第一人者、重松権作先生だよ。見てのとおり、相当な堅物なんだよね……」
先程一番熱く議論を交わしていた、というより管理者への反論が一番うるさかった白髪の老人を指差して、彼はそう教えてくれた。
「やれやれ、内容はゴミを早朝の決まった時間に出すってことだけなのに、偏った思考の持ち主がこれだけ集まると、それすら決まらないとは……」
参加者が立ち去った後、私が顔を曇らせ、頭を掻きながらそう言うと、江尻さんも同意して、「ここに住んでいる人達には良い意味で普通の人は全然いないからね。アクの強さだけを売りにして飯を食べている人がほとんどだから、どの人も自分の主張と少しでもズレがあると絶対に引き下がらないと思うよ。マンション内部には職業だけでは単純に計れない、複雑な派閥構成や人間関係があるからね」と説明してくれた。しかし、袴田先生や鈴又先生などは結局姿を見せず、私の頭の中では、こんな真昼間に集まってくれただけでも、ここにいた人達はある程度まともなのだろう、という結論に達するしかなかった。
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