「冬の朝」<エンドリア物語外伝87>
桃海亭には魔術師が3人いる。
桃海亭のあるエンドリア王国は魔術師が少ない。魔力の強い魔術師は数人しかいない。2年前までは魔法協会の位で20位より上だったのは、ひとりだけ。ニダウ在住のロイドさんしかいなかった。
そして、今。桃海亭に居住する3人は、ロイドさんより位が上だったりする。
「はぁ………」
オレは息を吐いた。
「これこれ、ため息をつくと幸せが逃げるぞ」
リュンハ帝国前皇帝、ハニマン爺さんが言った。
「そうです。店長、僕たちを信じてください」
桃海亭の店員、シュデルが言った。
「任せるしゅ」
桃海亭の居候、ムーが言った。
オレは首を横に振った。
「何もしなくていい」
「わしを信じればよいだけだ」
「そうです。僕に任せてください」
「ボクしゃんがやるしゅ!」
オレはいま、横たわっている。
場所は、オレの部屋のオレのベッドの上。
つまり、
「店長、風邪を甘く見てはいけません」
シュデルが強く言った。
病気なのだ。
今朝、目覚めたときから鼻水が止まらない。試しに体温を計ったら摂氏40℃だった。
原因はわかっている。飢えと過労と寒さだ。
店を開けようと頑張ったが、歩くのもおぼつかない。しかたなく、店をシュデルに任せて部屋で寝ることにした。
オレが横になって1時間もしないうちに、爺さんとシュデルとムーが部屋に押し掛けてきた。
全員『オレの治療をしたい』という。
3人とも魔術師としては超一流だが、残念なことに医療系魔術は使えない。爺さんは黒魔法専門、シュデルは死霊魔術専門、ムーは多種多様の魔術を使えるが、魔力が多すぎて、繊細な魔力調節がいる医療系魔術だけは使うことが難しい。
つまり、医療魔法を使えない3人が、オレの治療をしたいと言っているのだ。
オレは力を振り絞って、訴えた。
「頼む。眠らせてくれ」
熱が高いせいか、頭がガンガンする。
「わしは黒魔法をきわめておる。毒草はわしの研究テーマの一つだ。薬草とは毒草のこと。いま、わしがよく効く薬を作ってやるぞ」
爺さんが出て行った。
「魔法道具に治療系の道具がいくつかあります。持ってきますね」
シュデルが出て行った。
「いま、とっておきの『風邪さん飛んでけ』魔法をかけてあげるしゅ」
ムーの指が奇妙な印を結んだ。
とっさにドアに飛びつき、廊下に転がった。
ポンと軽い音がした。
オレが寝ていた場所を見ると、ベッドがなくなっていた。部屋の床全体がプツプツと泡だっている。
「………ムー、頼む。オレは……」
「へんだしゅ。成功するはずだしゅ」
ムーがブツブツ言いながら、階段を降りていった。
オレは廊下の床に寝た。
寒い。
が、掛けるものはない。
「店長、これを……ベッドはどうしましたか?」
シュデルが戻ってきた。
手に何か道具を持っている。
「……ムー」
「また、ムーさんですか。困ったものです。僕のでよければ使っていない寝具をお貸ししましょうか?」
「頼む」
シュデルの父親が大量に送りつけてくる寝具は一級品だ。ベッドはないが、ふわふわの布団で眠れる。
「それで、これなのですが」
笑顔のシュデルが、手の持っている道具を差し出した。
見覚えがある。
巻いた包帯のような形状。
「………切り傷専用の修復加速包帯にみえるんだが……」
「はい、ホウポンが店長の治療に挑戦してみたいそうです」
「それで、オレが治ると思うか?」
「ホウポンがやってみたいというのです。ホウポンの気持ちを無視することなど僕にはできません」
シュデルの笑顔が固まっている。
包帯の為に、絶対に引かないぞという意志を前面に押し出している。
「わかった。とりあえず、布団をくれ」
「布団の前に、ホウポンの治療を受けてください」
痛む頭で考えた。
3日前、足を滑らせ、襲撃者の湾刀で切られた。
「頼む」
オレは切られた場所、右手の小指の先を、シュデルの前に突き出した。
「小さな傷ですね」
長さ3ミリ、深さ0、5ミリ。
シュデルが不満そうだ。
「オレは、その包帯がこの傷を綺麗に治してくれると信じて、指を差し出したんだ。それとも、その包帯にはこの傷は治せないのか?」
「直せます!ホウポンはとても優秀ですから!」
シュデルは挑発に簡単にのってくれた。持っていた包帯をオレの小指に当てた。包帯がクルクルと巻き付いた。1日経てば、治っているはずだ。
「シュデル、布団をくれ」
「他にも店長の治療をしたいという道具がありますので、それを取ってきます」
「それよりも、布団を………」
シュデルは返事もせず、階段を下りていった。
入れ替わりに階段をあがってきたのは、ハニマン爺さん。
「薬ができたぞ」
オレのマグカップを手に持っている。
「オレ、薬は苦手なので」
「わし特製の風邪薬だ」
コップがオレの顔の側に近づいてくる。
中身が見えた。
粘度の高い濃緑色と紫の液体が、ゆっくりと渦を巻いている。立ち上っている湯気からは硫黄と魚介類の腐臭が混ざった匂いがする。
「オレは大丈夫です。薬は必要ありません」
「遠慮せずに、飲め」
笑顔のハニマン爺さんが、オレの背中に手を入れた。
オレは身体を起こすまいと抵抗した。身体を少しでも起こせば、口に流し込まれそうだ。
「ほれ」
爺さんが、オレの口の上でコップを傾けた。
オレは横に転がった。
廊下の床に液体が落ちた。
ジュゥーーーー…。
落ちたところが溶けている。
「わしのことを信じられないのか」
爺さんが悲しそうな顔をした。
床にこぼれた液体からは、深紅の煙が立ち上っている。
「信じられるか!」
「このようなことはしたくなかったが、しかたあるまい」
いきなりだった。
全身が硬直した。
動けない。
笑顔の爺さんが近づいてくる。
「飲ませてやろう」
「どうかしましたか?」
階段を上ってきたのはシュデル。
手には突起がいくつもついた怪しげな魔法道具を握っている。
「わしが作った特製の風邪薬を飲ませてやろうと思ってな」
「手伝います」
シュデルがオレの頭を持ち上げた。
「ほれ、あーんだ。あーん」
口に流し込もうとしたのだが、幸いなことに爺さんの魔法で、オレの口は堅く閉じられている。
「しもうた」
爺さんが考え込んだ。
階段を誰かが登ってきた。
動けないので、わかるのは足音だけだ。
「おい、店に客が来ている………何をしているんだ?」
賢者ダップだった。
暴力賢者だが、医療系魔術師。
オレの風邪など簡単に治してくれる。その後、法外な請求がくるが。
「おい、爺さん。薬なんて持ってどうしたんだ?」
ダップが爺さんが持っているものを見て『薬』と言った。
暴力三昧の日々でも世界屈指の医療系魔術師。一目でわかったらしい。
「風邪を治してやろうと思うたのだ」
「風邪ならオレ様が治してやるよ」
「いやいや、お主ほどの魔術師に頼むのは申し訳ない」
「餅は餅屋だ」
「ウィルにはお主に払う金がない」
「今回は無料でやってやるよ」
耳を疑った。
守銭奴のダップがオレの治療を無料でやってくれる。
裏がある。絶対に。
「ほら、これでいいだろ」
ダップがオレを指さした。
身体が軽くなった。
頭も痛くない。熱っぽくもない。吐き気も消えた。
ただし、身体は動かない。
「ウィル、客がいるぞ。急げ」
爺さんが不満そうな顔で指を鳴らした。
次の瞬間、身体の硬直が解けた。
「ダップ様ありがとうございました」
階段を下りるとき、ムーとすれ違った。丸めたスクロールを握っていた。
オレは階段を駆け下りると、ダップもついてきた。
「オレ様は、逃げるからな」
「はい?」
「爺さんの薬、傀儡薬だ」
それだけ言い残して、桃海亭から飛び出していった。
凄い勢いで、店内で石版を見ていた客が驚いた。
オレは息を整えた。
「いらっしゃいませ」
笑顔で客に言った。
「くっそぉーー!」
そう言ったダップは、大ジョッキに入ったビールをあおるようにして一気飲みした。
「次だ。次をよこせ!」
キケール商店街の入り口にあるイルマさんの喫茶店に呼び出された。わざわざイルマさんが店までオレを呼びに来たのだ。
「どうしたんですか?まだ、昼前ですよ」
聞いたオレをダップはジロリと睨んだ。
「なくなったんだよ」
「何がなくなったんですか?」
「オレ様の北の砦が半壊、いや全壊だな」
「へっ?」
ダップが住んでいる北の砦は、元々は軍の砦だったもので、物理的にも強固な建物だ。一度、シュデルと間違えてムーを連れて行ったことがあり、四分の一ほど崩れたが、財力のあるダップはすぐに元通りにしてしまった。その時に、さらに強化したはずだ。
次に運ばれてきた大ジョッキも一息で飲み干した。
「今朝、目が覚めて……」
「はい」
「ドアを開けたら、寝室と宝物庫だけ残っていた」
「他は?」
「清々しいくらい何もなくなっていた」
「宝物庫が残ったのですから良かったじゃないですか」
「オレの為じゃない」
「はい?」
「宝物庫の魔法道具を傷つけたくない奴が、今回の犯人だ」
黒髪の少年が頭に浮かんだ。が、すぐに消した。
桃海亭の財政で、賠償金は払えない。
「勘違いではないでしょうか?ダップ様が考えている人物は、死霊系の魔法しか使えません」
「そいつは従犯だ。主犯は別にいる」
杖をついた年老いた黒魔術師が頭に浮かんだ。
なぜか、Vサインをしている。
慌てて消し去った。
「気のせいだと思います。確かに攻撃魔法を使いますが、一晩うちに桃海亭とダップ様のお屋敷を往復して、魔法で強化されたダップ様の屋敷を消失させるほどの体力はないと思います」
「主犯2がいる」
スクロールを大量に抱えてたチビ魔術師が頭に浮かんだ。
脳内に設置してあるムー消去機能にスイッチを入れると、簡単に消えた。
「魔力の制御ができない魔術師です。あれがダップ様のお屋敷を攻撃したのでしたら、寝室も宝物庫も含め、全部吹き飛んでいるかと思います」
ダップが頬杖をついた。
「わかってないわけがないよな」
「はい?」
「主犯1が主犯2を連れてオレ様の屋敷に到着。持参したのは、一級品の魔法道具と魔法陣を書いた大量のスクロール。魔力はたっぷりある。主犯1が魔法道具を使い、主犯2が魔法陣を発動。道具と魔法陣でできないところは腕のいい主犯1がやったんだろう。化物共の所行だ。時間にして数分だろう」
オレは黙っていた。
「さて、この始末、どうつけるつもりだ?」
ダップに睨まれた。
「何を言っているのかわかりません」
「お前を爺さんから助けたから、こうなったんだ。お前が補償するのが筋だろ」
「わかりました」
ダップがうんうんとうなずいた。
「爺さんとムーとシュデルが犯人だという証拠を持ってきてください。それができたら、払います」
ダップがテーブルをバンと叩いた。
「オレ様にそんな口をきいていいと思っているのかよ!」
「証拠があれば払います。それでは」
オレは立ち上がって、店に向かって駆けだした。後から「こら、逃げるな!」という声が聞こえたが無視した。
ムーとシュデルだけならわからないが、爺さんが主犯なら証拠は残していないはずだ。あのクソ爺、悪知恵に長けている。
オレは店に走りつくと、扉を開いた。
「ただい……ま」
店内に爺さんとシュデルとムーがいた。
3人は、荷物の詰まったオレの背嚢、店内用のほうき、象さん柄のパンツを持っていた。
「おそかったな」
「お帰りなさい」
「おかえりしゅ」
3人はオレに優しい笑顔を向けた。