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第6話

 月日はわたしにやさしかった。

 わたしは次第にフランの傷を忘れていった。

 日々の仕事、美しい王城と王都の喧騒。

 そしてイサク。

 イサクの存在がわたしを満たしてくれた。


 2人の婚約は公のものとなっていた。

 イサクはまいにち会いにきて、わたしに貴族の心得や勉学を教え込んだ。

 2人で街中マチナカへ繰り出しては、おいしい物をいっぱい食べた。

 観劇や歌劇などの娯楽や芸術鑑賞、社交の場へも同伴してくれた。 

 過去3年間つらい出来事に打ちのめされていたわたしの心は、忙しくたのしい毎日に徐々に癒されていった。


「マリアン!」

「イサク! ちょっと待ってね。もう少しだけ仕事があるのよ」

「婚約者がきたんだぞ! 休憩しろよ!」

「まあっ! イサクったら! 横柄ね? 朝の鍛錬のときに会ったじゃないの」

「一緒に散歩するぐらい、いいだろう!」


 イサクが頬をふくらませてすねている。

 

「部下の前じゃ、あんなに素っ気無いのに」

「仕方がないだろう! あいつら、おれをからかってばかりいるんだから!」

「まあ! ウフフフ……!」

「笑いごとじゃないぞ! 隊長としての威厳がなくなったらどうするんだ! ネイサンが裏で糸を引いているにちがいない! あいつはまったく……あることないことベラベラしゃべりやがって!」

「イサク、ちゃっかりマリアンと婚約なんかしやがって! おまえのことだから、指輪も花束も誓いの言葉も、何もなかったのだろう?」


 ウワサをすればなんとやらで、王城を見回り中のネイサンがやってきた。


「ネイサン! おまえってヤツは……ほんっとにいやなヤツだな! どっかで見てたのか?」

「……図星かよ。マリアン、この無愛想な男に手を焼いてないか? おや? 真っ赤なバラの髪飾りだ……まさかイサクが?」

「はい……ネイサンが選んだそうですが……」

「はあっ? わたしが? イサク! 恥ずかしいからって、わたしをダシに使うなよ!」

「うるさい!」

「それにしても……こりゃ、たまげたな! 恋は魔物、野暮な男を紳士に変えるってほんとだな?」

「おい! 野暮ってなんだよ!」

「ネイサン、イサクはわたしを救ってくれたのよ。婚約はいわば、友情の証ね」

「おや、マリアン……そんな風に思っていたのか? この男に限って、それはないね! 同情や義務で結婚するような人間じゃないよ。それはわたしが保証する! じゃあ、イサクはなんのために婚約したかって? 古今東西こたえはひとつさ! なあ? 我が友よ!」

「おまえってヤツは……ネイサン! サッサと奥方のところへ帰れよ!」

「残念ながら……家内はただいま里帰り中だ。毎日マリアンに会えるおまえがうらやましいよ!」

「まったく……油売ってないで、はやく仕事にもどれ!」

「まあ! ウフフフ……」

「マリアン……元気になってよかったよ……」

「ネイサン……どうもありがとう」


 ネイサンのいうとおり、イサクと婚約してからわたしは元気をとりもどした。

 気がつくとイサクに微笑んでいる。

 彼は無愛想な顔をゆるめ、わたしに笑顔を返す。

 イサクのブルーの瞳を見つめていると、わたしの心の中にはあたたかいものが広がっていく。


 フランのことはまったく思い出さなくなった。

 悪夢も見ない。 

 まれにフランを見かけることがあった。

 いずれも遠くからで、彼が妻と仲睦まじく歩いているところを目撃した。

 フランはいまや大公の娘を妻に持つ王族だ。

 恐れ多くてそばには近寄れない。

 夢か幻のように遠い世界の住人だ。

 わたしの記憶からフランは薄れつつあった。


「じゃあ、わたしはそろそろ行くよ! イサクの邪魔をすると、のちのちまで恨まれそうだからな! わたしたちの子供の代まで文句を言われたらたまらない! マリアン! やっかいな男イサクをよろしく!」

「まあ! ネイサンったら!」

「まったく! ネイサンのヤツめ……自分に子供が出来たからって、浮かれやがって!」

 

 ネイサンが去ったあと、2人で例のバラの咲き乱れる裏庭に出向いた。

 バラの盛りは過ぎていたが、まだ充分に美しかった。

 花弁に顔を近づけ、思い切り香りを吸い込む。


「バラの香りがそんなに好きかい?」

「ええ! この香りが嫌いな女など、世界中どこにもいないわ!」

「そんなこと言ったら、教会から魔女だと裁判にかけられるぞ!」

「まあ、すてき! だったらあなたも同罪ね? こんな素敵な場所にわたしを連れてきて!」

「言ったな! おれは魔女に呪いをかけられたんだぞ!」

「どんな呪い?」

「それは……」


 急にイサクが真顔で近づいてきた。

 彼はわたしに指1本触れない。

 常にわたしの気持ちをおもんばかってくれている。


 だが、今日はちがうようだ。

 イサクは長い腕を広げ、たくましい胸をさらけだした。

 わたしは素直に彼の胸へと飛び込んだ。

 泣くだけだったイサクの腕の中が、今日は特にあたたかく感じる。

 彼の胸の鼓動が、ドキドキと耳元で大きく打ち鳴らされる。


「マリアン……」

「イサク……」


 わたしはイサクの顔を見上げた。

 それは思ったより近距離にあり、わたしの心臓の鼓動を跳ね上げた。

 震える指で、わたしの顎を持ち上げるイサク。

 わたしも震える足で、思い切り背伸びをする。


 唇が触れる瞬間――2人の未来が見えた。


 その夜は心臓がドキドキして1晩中眠れなかった。

 カラダ中を何かが駆け巡り、夜中に何度も飛び起きては窓から空を眺めた。

 月や星がいつもより輝いている。

 星空の向こうにイサクの笑顔が見えた。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 初めてのキスの翌日から、イサクの顔がまともに見られなかった。

 朝はいつも、水を汲みに行くフリをして訓練中のイサクに会いに行くのだが、今日は出来なかった。

 胸がドキドキして心臓が飛び出しそうだ。

 

 イサクもその日は現れなかった。

 ホッとした反面、わたしに失望したのだろうかとひどく気になった。

 

「マリアン、イサクさまと何かあったのかい?」

「モニカ! な、な、なんで! な、なにもないわよ!」

「なければいいんだけど……。イサクさまがマリアンを訪ねてこないなんて、めずらしいと思ってね」

「そ、そ、そ、そ、そうね」


 イサクがわたしの元を訪れたのは、実にその1週間後だった。

 その間わたしはかなり落ち込んでいた。

 

「マ、マリアン! ご、ごきげんよう!」

「ご、ご、ごきげんよう、イサク! お、おひさしぶり!」」


 2人の会話はぎこちなかった。


「おやおや! 2人とも、どうした? やけによそよそしいな? ケンカか?」

「ネイサン! 邪魔をするな! あっちに行け!」

「やれやれ……ところで、王城の舞踏会には出席するのか?」

「舞踏会? またあるのか? 警備がたいへんだな……」

「まったく、この男は! 警備はおれがやってやるからマリアンと行ってこい! そこで正式にマリアンをお披露目するんだ! そろそろ婚約式の日取りを決めても、いいころじゃないか?」

「ネイサン……そうだな。マリアン……いいか?」

「はい……」


 イサクのブルーの瞳を見つめながら、わたしはしっかりと頷いた。

 わたしの心はすでに決まっている。

 イサクと付き合う内に、無愛想な彼のやさしさや思いやりに触れることができた。

 フランのときのように恋に憧れる乙女ではない。

 しっかりと地に足をつけて相手を見据え、彼との未来を思い描いての返答だ。


 フランのことで頭がいっぱいだったころとちがい、最近ではさまざまなことがハッキリと見え出していた。

 かつてのわたしは、恋に恋する少女だった。

 フランの美しい外観にすっかり舞い上がっていた。

 だが、イサクに対するわたしの気持ちはまったくちがう。

 彼はフランに負けない容姿と魅力がある。

 でも、それだけに惹かれたわけではない。

 

 イサクといるとすべてが輝いて見える。

 彼とおしゃべりしていると、ついつい時間を忘れてしまう。

 ふいに触れそうになるイサクの手に、心臓がドキドキと脈打つ。

 もう手遅れだ。

 わたしはイサクと恋に落ちていた。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇


――ザワザワザワザワ……。


「おしゃべり孔雀どもは気にするな。今日もあんなに着飾りやがって!」

「女は着飾るのが仕事なのよ? わたしも今日は真っ赤なドレスなんか着ちゃって……」

「マリアンは似合うからいい!」

「まあ! うふふふ……」


 ここは宮殿の大広間。

 わたしはイサクと舞踏会に来ていた。

 イサクが腕を組んだまま、あさっての方角を向きながらそう言い放つ。

 

「イサクはほんとに素直じゃないな。あんなに洋品店に注文をつけたくせに!」

「なんだと、ネイサン! おまえ……おれを付けているのか?」

「……またまた図星か。おまえってほんと、わかりやすい男だな!」

「イサク! 輪舞ロンドだわ! 早く踊りましょう!」

「マリアン! 君は本当に輪舞ロンドが好きだな? もしかして……おれよりもか?」

「まあ! どうしてわかったの?」

「なんだとー! こいつー!」

「ハハハハ! 2人とも! はしゃぎ過ぎて転ぶなよ!」


 わたしたちは輪になって輪舞ロンドを踊った。

 うれし過ぎて気がつかなかった。

 その輪のなかに、フランがいたことに。


「マドモアゼル……真っ赤なバラの髪飾りが、あなたのようにお綺麗ですね」

「えっ……?」

 

 いつの間にかフランと向かい合わせになっていた。

 彼に手を取られるのは、実に3年半ぶりだ。

 フランを目の前にしても冷静な自分にビックリしていた。

 彼はすでにわたしのなかで、完全に過去の遺物となっていた。


 3年ぶりに間近で見たフランは、大人の男へと成長していた。

 背もイサクと同じぐらいの高さになっていた。

 スラリと伸びた体躯と長い手足。

 短く刈られたサラサラの金髪。

 青い瞳。

 そのどれもが、わたしのかつての婚約者フランシス・ベネディクトだと証明していた。


「バラの精のようにお美しい……どちらのお嬢さんですか?」

「あの……」


 フランの正面に顔を向けた。

 彼はわたしのことがわからないようだった。

 記憶喪失は本当のことらしい。

 今しか聞けないと思い質問してみることにした。


「あの……シャルルさまは……記憶喪失だとか? こちらに来られる前は……どちらにいらしたのですか?」

「ああ、その話は百万遍も聞かれて、たいへん困っているんですよ」

「そ、それはたいへん失礼いたしました……! あの……わたくしも知り合いが行方不明で……それで……!」

「ああ、そうでしたか? お嬢さんの探し人はいったい……」


 そこで初めて、フランがこちらに屈み込みわたしの顔を覗き込んだ。

 懐かしいブルーの瞳。

 美しい金髪が大広間の灯かりを反射してキラキラと光り輝く。

 王家という後ろ盾を得たフランは、3年前よりもはるかに気高く壮麗な雰囲気を身につけていた。


 フランが急に、非常に困った顔をしはじめた。

 手が震え、繋いでいたわたしの指先にもその動揺は伝わってきた。


「あの……」

「すまない、気分が……! 王都より前の記憶は、まったくありません! あなたもあきらめたほうがいい! 過去にとらわれるな!」

「あっ……!」


 フランはわたしの手をむりやり引き離し、輪舞ロンドの輪からはずれていった。

 

「マリアン! 大丈夫かい?」

「イサク……」


 心配したイサクが輪舞ロンドの輪からはずれ、かたわらにきてくれた。

 

「マリアン、すまない! シャルル夫妻がいたとは……」

「イサク……フランと少し話したのだけれど……」

「えっ? それで……どうだった? シャルルはフランではなかったのか?」

「いいえ。フランに間違いないわ。記憶を失っていた。だけど……」

「だけど?」

「わたしのことを……憶えているんじゃないかしら? もしくは……わたしの顔を見て何か思い出したとか?」

「それは本当か? もしそうなら……マリアン、君はどうしたい?」

「イサク……」


 イサクを見上げる。

 彼は腰を折り、不安げにわたしの顔を覗き込んでくる。

 チャコールグレーのサラサラの髪が、わたしの頬に掛かる。

 イサクの美しいブルーの瞳が、無言で愛を語りかける。


 3年ぶりに手を繋いだフランのことは、すでにわたしの頭にない。

 それがすべての答えだろう。

 フランのことはもう、何も知りたくない。

 それよりもイサクとの未来のほうが大切だ。

 わたしはイサクの目を見ながら無言でうなずき、彼の手を取ると再び輪舞ロンドの輪に入っていった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 イサクと2人で輪舞ロンドを踊り続けた。

 彼はダンスの合い間に、わたしを正式な婚約者として皆に紹介してくれた。

 

「正式な書類を交わさないとね。君の戸籍を取り寄せよう!」

「火事で消失してしまったから、時間が掛かるわね……」

「仕方がないよ! それが終わったら婚約式だ! 式は来年挙げよう! どうだ? 楽しい未来計画に、胸がワクワクしないか? それとも……喜んでいるのは、おれだけかい?」

「イサクったら……! わたしはいつでも、あなたと同じ気持ちよ」

「そりゃ、よかった! マリアン! 踊り明かそう、輪舞ロンドを!」


 クルクルと回りながら、イサクの瞳を見つめ続けた。

 シャンデリアの灯かりも、それに映し出される見事な天井画に潜むアポロンも、なにもかもが遠ざかっていく。

 2人が回転するたびに過去と未来もクルクル回った。

 イサクはわたしの過去であり、現在であり、そして未来だ。

 将来への希望でふくらむ胸のなかで、何かがハジけた!

 わたしは今、人生最良の日を迎えていた!


 ◇ ◇ ◇ ◇


 どうしよう!

 部屋にもどり寝台に飛び込んだわたしは、夢とよろこびに胸がドキドキして眠れなかった!

 カラダ中がザワザワしている。

 いても立ってもいられないぐらいの歓喜が湧き起こり、今にもカラダがハジけ飛んでしまいそうだ!


 美しい王城での舞踏会。 

 2人で踊る輪舞ロンド

 皆の羨望のまなざしのなか、真っ赤なドレスで舞い踊るわたしと素敵な婚約者イサク。

 なにもかもが夢のように素晴らしかった。

 イサクはわたしが、フランにしてもらいたかった未来を次々と実現してくれる。

 おとぎばなしが再び、現実世界に現れはじめたのだ。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇


 その夢はいつまでも覚めなかった。

 何を見ても何をしていても、幸せだった。

 飛ぶ鳥もそよぐ風も退屈な侍女の仕事すら、すべてが輝いて魅力的に感じた。

 3年間の辛い労働も神への怒りも、何もかもを忘れることができた。

 イサクとの出逢いをもたらしてくれた運命に心から感謝を捧げた。


 モニカや同僚たちからも、わたしとイサクの婚約は祝福されていた。

 ネイサンたちイサクの仲間の騎士たちも、会えば必ずわたしにお祝いの言葉を述べてくれた。

 大きな指輪はなくても、わたしの心は大きな喜びで満たされていた。


 目の前の出来事が信じられなかった。

 人生最高の幸せが、再びわたしに訪れるなんて!

 生きていて本当によかった。


 イサクは理想の婚約者だ。

 婚約以降、彼のアマノジャクな性格はナリを潜め、ほがらかで明るい青年になった。

 陽気で快活な面も、わたしにたくさん見せてくれた。


「ウフフフ! アハハハ、ハハ……ッ!」

「ほらね! こうやって首をかしげて……こんな台詞を吐くんだぜ!」

「まあ! ほんとに?」


 イサクはよく、喜劇俳優のモノマネをしてくれた。


「イサク! あなた本当は俳優になりたかったんじゃないの?」

「そうか? そんなに演技が上手いか?」

「そっちじゃないわ! ユーモアのセンスがあるってこと! 顔もよ!」

「なんだと? こいつー! でも……喜劇役者には憧れたな。毎年この時期になると、道化師が孤児院の慰問に訪れるんだ。王都一の喜劇役者が演じるんだぞ! かわいそうな子供たちに笑顔を届けてやろうってね? そんなことで空腹はおさまらないけど……。でも、そのあと悪ガキたちと劇場の裏をよく覗きに行ったよ。コメディアンがお客を笑わせている姿を裏側から観ていた。笑っているときは、貴族も孤児も変わらないんだなって思った。みんな、たのしそうな顔をしていたっけ……」

「イサク……」

「喜劇っていいよな? その瞬間、嫌なことがすべて忘れられる! 親がいないことも、お腹が空いてることも全部! マリアン、おれたちの子供には、そんな想いはさせられない! 大事に育てていこうな……」

「イサク……。それにしても……もう、赤ちゃんの心配なの? わたしの戸籍は、まだ出来上がってもいないのに」

「時間が掛かってしまったな……来年、婚約と結婚をいっぺんにやろう! それで、いいかな?」

「まあ! せっかちだわ! だけど……たのしみね? もちろん、賛成よ!」


 わたしは幸せな毎日に酔っていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 そんなある日。

 イサクと街へ買い物に出掛けた。


「…………!」


 雑踏の中にある人物を見つけ、背筋が凍りついた。

 間違いない。

 顔に傷のある大男。

 フランの伯父だ!


――タタタタ、タタッ……。

 

 思わず途中まで追いかけてしまった。

 伯父は黒いマントにフードを被り、フランの屋敷のある方角へ駆け抜けていった。

 フランと伯父はいまでも繋がっているのだろうか?

 言い知れぬ恐怖が湧き起こってきた。

 足が震え、放心状態のまましばらくそこに佇んでいた。

 

「マリアン? どうしたんだ?」


 うしろから声を掛けられ飛び上がった!

 振り返るとイサクが立っていた。


「イサク……あの……」


 イサクが心配そうにわたしの顔をのぞき込む。


「また……フランのところに?」


 イサクの青い瞳に悲しげな色が浮かんだ。


「ちがうわ! な、なんでもないの! ただちょっと……知っている人を見かけたものだから、つい……」

「知ってる人? それは誰だ?」

「フランの伯父よ」

「なんだって! その人に間違いないのかい?」

「ええ。マントを着てフードを被っていたけれど……間違いないわ。顔に大きな傷があったもの……」

「顔に……そうか……。もしもフランが記憶を取り戻していたとしても、それは……彼の問題だ。フランの生まれは所持品から確定している。マリアン……これ以上、彼に……」

「ええ! わかってるわ! ごめんなさい! 気がついたら……追いかけてしまっていたの……」

「寒いから、もう帰ろう。そうだ! カフェでコーヒーを飲もうよ! マリアンの大好物の、でっかいケーキと一緒に! 足りなかったら、おれの分も食べていいぞ?」

「まあ! わたしそんなに食べないわよ! それに、クリスマスのミサに向けてダイエット中なんですからね! これ以上わたしを太らせたら、承知しないわよ!」

「それは、それは……大変だ! ミサに出れなくなるぞ! いまからドレスを、ワンサイズ大きく注文し直したらどうだ?」

「もう! イサクったらー!」

「アハハハ、ハハ……!」


 イサクと追いかけっこをしながらカフェまで走り、楽しいときを過ごした。

 だが、顔に傷のある大男の姿は、いつまでもわたしの頭の中から離れなかった。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇


「マリアン! マリアンヌ……?」

「えっ? あ、あの……イサク……ごめんなさい……」


 ボウッとしていたようだ。

 食事中イサクさに話しかけられても聞こえなかった。


「どうしたの? 久々のミサに緊張しているのかい?」

「そ、そうね……3年ぶりのミサだから……」


 信仰を取り戻しつつあるわたしは、今年はクリスマスのミサに出ることにした。

 イサクは当然ながら警備の仕事がある。

 今年は王家のシャルルが見つかったということで、大勢の貴族がミサに出席する予定らしい。

 フランはそんなにも重要人物なのだろうか。


「ミサはどんなドレスで出席を? 髪飾りを送ろうかと思って……」

「グリーンのドレスよ!」

「グリーンか……おれの大好きな色だ! だったら……グリーンのシルクのリボンを贈ろう! マリアンの栗色の髪に、きっとよく似合うよ」

「イサク……いつももドレスやアクセサリーをプレゼントしていただいて……本当に申しわけないわ……」

「給金の使い道がないから貯まるいっぽうだったんだ! 先人にならい、女性に金を使ってみてもいいんじゃないかと思ってね?」

「イサクったら! それだけの理由なの?」

「もちろん……使うのは君だけさ! マリアン!」

「イサク……ミサがたのしみだわ……」

「マリアン、おれもだよ! 信仰心なんて孤児院の床に投げ捨ててきた、このおれがさ!」


 澄んだブルーの瞳を真摯にわたしに向けてくるイサク。

 わたしもまっすぐに彼を見つめ返す。

 人の気持ちはすべて目に表れる。

 彼の瞳はこの上なく誠実さにあふれていた。

 いまだかつて誰かと、こんなにも目で目で会話したことがあっただろうか。


「マリアン……2人の未来について、具体的に話を進めていかないか?」

「具体的な……? それはどういう……?」

「子供の人数とか、新婚旅行はどこに行くのかとか……」

「まあ! イサクのエッチ!」

「なっ! そ、そういう意味では……!」


 真っ赤になったイサクをからかいながら、レストランから王城まで2人で走った。

 自分の人生に再び暗い影が落ちることなど、微塵ミジンも感じたりせずに。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 ミサは滞りなく終わり、聖歌隊の歌声が大聖堂に響き渡った。

 王自ら司祭と共にフランの洗礼式を行った。

 フランの立場の重要性にあらためて愕然とした。

 彼はいったい、誰の息子なのだろう?


「…………!」


 大聖堂から退出するとき、するどい視線を感じた。

 パッと振り向くとそこには――フードを被った黒いマント姿の大男がいた!


「あっ……!」


 いそいで顔を伏せた!

 あの男だ!

 顔に大きな傷のある大男、フランの伯父ベネディクト男爵。

 カラダ中に鳥肌がたち足が震えた。

 

「マリアン! どうかしたのか?」

「イサク……」


 イサクがやってきた。

 顔を上げると、フランの伯父は跡形もなく消えていた。


「いえ……なんでもないわ……」

「震えているね……寒いのかい? あたたかいコーヒーでも飲みに行こうよ!」

「ええ……!」

 

 イサクに腕を取られ歩きはじめた。

 彼が隣りにいてくれるだけで安心する。

 足の震えもすぐに止まった。

 

 それにしても――フランの伯父はわたしをジッと見つめていた。

 何か言いたいことでもあったのだろうか。

 わたしはすぐにイサクとのおしゃべりに夢中になり、マントの大男のことを忘れた。

 フランの伯父を王都で見たのは、それが最後となった。

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