第5話
――カーンッ! カーンッ! カーンッ! カーンッ!
大聖堂の鐘が都中に鳴り響いている。
式が無事遂行されたことを告げているのだ。
――カツカツカツかツッ、カツカツカツかツッ……!
――タッタッタッタッ、タッタッタッタッ……!
「マリアン、大丈夫か?」
「はい……ハアハア……」
イサクの背中を一生懸命、追いかけた。
「ハアハア……あれだ!」
「…………!」
――ワアアアアーッ!
――パチパチパチパチーッ!
鳩が大空へ解き放たれていく。
大勢の人々がフランとウェディグドレス姿の女性にライスシャワーを浴びせている。
2人の笑顔が鐘の音と共に喜びに輝いていく。
何度もキスを交わすフランと花嫁。
2人の姿がだんだんと掠れていき視界から遠ざかる。
わたしの目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「マリアン……大丈夫か?」
「……フラン……おお……フラン……!」
イサクの胸に泣き崩れ、愛しい男の名を呼び続けた。
これは夢か?
悪夢の続きなのか?
あれがフランで無いなら、いったい誰だというのだろう。
他人の空似にしてはあまりに似すぎている。
あの場所にいるのは本来わたしのはずだ。
いますぐ飛んでいって花嫁からフランを奪い去りたい!
烈情の波に呑まれながら、わたしの意識は遠のいていった。
◇ ◇ ◇ ◇
気を失ったわたしを、イサクが王城へ連れ帰ってくれた。
気がつくと自室の寝台に寝かされていて、モニカが心配そうに覗き込んでいた。
「マリアン……わたしが付いているからゆっくりと休むといいわ。仕事は他の者に頼むから、心配しないで」
「モニカ……」
「イサクさまから事情は聞いたわ。今は何も考えずに眠りなさい」
「モニカ……どうもありがとう」
その夜はモニカに付き添われ眠りに就いた。
何も考えられない。
考えたくない。
このまま夢の世界に入り込み、2度と現実世界に戻りたくなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
翌日、寝ているわたしの元へイサクがやってきた。
彼はフランについて詳しい事情を調べてきてくれた。
「わかったぞ! 彼はフランシス・ベネディクトではなく、シャルルという謎の男だ。シャルルは今年の頭に突然王都に現れた記憶喪失の青年だ。リュゥフワ大公が旅先で保護したそうだ。彼が身につけていた物から、王家の人間だとわかった。それも、相当身分の高い人物のオトシダネらしい。シャルルはリュゥフワ大公の娘の婿になった……」
「大公……そんなすごい人の娘とフランは……。フランは本当は王族だった……」
わたしの両目から、再び涙がこぼれはじめた。
フランが見つかった。
本当は王家の出身で大公の娘を妻に迎えた。
愛するフランが生きていた。
それだけで、満足しなければいけないはずなのに――わたしの心は泣き叫んでいる。
なぜ?
なんでなの?
なんで、わたしばかりが辛い目に会わなくてはいけないの?
フランは王族としての復帰を果たし大公の妻を娶った。
一方わたしは、両親、婚約者、財産をいっぺんに失い、労働と屈辱にまみれた人生を送ってきた。
にくい!
自分の運命が憎くてたまらない!
憎しみはフランの妻へと向かっていく。
何食わぬ顔でフランと腕を組み、幸せそうに聖堂の階段を降りてきたあの女へと。
人を憎んだり運命を呪うのは悪いことだ。
だが、憎しみを止めることがどうしても出来なかった。
「マリアン、フランシス・ベネディクトについて、国に正式に問い合わせをしておいたよ」
「イサク……どうもありがとう」
不幸のどん底のなかでイサクのやさしさに触れた。
彼はブルーの瞳にあたたかい光を宿しながら、わたしをはげましてくれた。
痛む心はそのままに仕事に没頭しながら、調査結果を待つことにした。
◇ ◇ ◇ ◇
フランの結婚から一ヶ月近くが経過した。
わたしは王城から1歩も出ずに侍女の仕事に専念していた。
昼間は仕事があるからよいが、夜は寝台の中でまんじりともせずに涙を流していた。
毎晩、悪夢を見た。
それは、いつも決まって幸せだった婚約式から始まり、先日のフランの結婚式で終わる。
天国から地獄の底に突き落とされた辛い出来事を、いつまでもループし続けているのだ。
まるで輪舞のようだ。
いつ寝たのかもわからないほど、毎日フランのことで頭がいっぱいだった。
フランの調査は難航していた。
イサクがまいにち様子を見にきて何時間も話しを聞いてくれた。
そのことで周りから、わたしたちの仲がウワサされるようになった。
イサクはそんなことは気にもせず、足繁くわたしの元へ通ってくれた。
「マリアン、大丈夫か? 元気を出すんだぞ! 調査結果はまだだが……気長に待とう!」
「はい……」
それから1週間後、調査官からフランに関する正式な回答がきた。
イサクが報告書を読み上げてくれた。
「えっ……! いま、なんと? わたしとフランの婚約が証明できない? どうしてなの?」
「マリアンの住んでいた村は火事に遭い消失した。墓石の名もわからなくなるほど焼け爛れていたそうだ。火事が飛び火して隣り村も全焼させた。マリアンの勤めていた農場も消失していた」
「そんな……おお……! 神よ……!」
わたしはここにきて、初めて神の名を口にしてした。
いまさら神に頼りどうしようというのか。
それとも、わたしは無意識に神に罪を着せようとしたのか。
この呪われた運命のすべてを、神のせいだと決め付けて。
「調査官はフランシス・ベネディクトが住んでいたという村も調査した。その村は十年以上前から廃村で、ずっと盗賊の巣窟だったそうだ」
「イサク信じて! わたしは絶対に嘘はついてないわ!」
フランの村の名は何度も手紙の宛名に書いた。
だから、絶対に間違えたりしない。
あの村が十年以上廃村だったのだとしたら、わたしはいったい誰と文通をしていたのだろう。
フランは、川に落ちて記憶を失くし王都に現れるまでの3年間、いったいどこで何をして暮らしていたのか。
わからないことだらけだ。
これではすべてが、わたしの作り話として終わってしまう。
「おれは君を信じてる。だって、おかしいじゃないか? すべてが出来すぎているなんて! でも、タイミングが悪すぎる……。フランはすでに結婚してしまった。マリアンとの婚約の事実があきらかになったとしても、君は正妻にはなれない。フランの記憶がいつ戻るかもわからない。今のところ、マリアンとフランの婚約を証明する記録はどこにもない……。フランシス・ベネディクトという人間は、この世に存在していなかった……」
「そんな……わあああーっ……」
――ドンッ! ドンッ、ドンッ!
「マリアン……」
イサクのたくましい胸を拳でたたいた!
もっと早くに王都に来ていれば!
もっと熱心にフランを捜していれば!
悔やんでも悔やみきれないことばかりだ。
わたしはイサクの腕の中へと泣き崩れた。
わたしの初恋はこうして幕を閉じた。
◇ ◇ ◇ ◇
それからはまいにち泣いて暮らした。
イサクやモニカが遠くからわたしを気遣ってくれた。
気力が落ち、すべてにやる気が無くなった。
食事も手につかない。
悪夢は止まらない。
痩せ細り、眠れぬ日々が続いた。
夢遊病者のようにフランを見失った通りをフラフラとさ迷い歩き、大聖堂で何時間も彼を待ち伏せした。
幸か不幸か、フランにはいちども会えなかった。
決まっていつも、顔を青くしたイサクが心配そうにやってきて連れ戻してくれた。
雨が降ろうが風が吹こうが、その行動は止められなかった。
わたしは不幸のドン底にいた。
通りを歩く人々は、誰も彼もが幸せそうだ。
なぜ、わたしだけが。
その想いだけにとらわれていった。
◇ ◇ ◇ ◇
――ザアアアアーッ……!
ある日の夕暮れどき、降りしきる雨の中でわたしは泣き叫んでいた。
フランを見失った通りには、彼の住むリュゥフワ大公の屋敷があった。
とても立派な屋敷で、その門に取り付きわたしは慟哭した。
「なんで! どうしてなの! なんでわたしだけが! 教えて! 誰か教えてー! フランー! 帰ってきて! わたしの元に! 返して! 返してよ! フランを返してー! あああーっ……!」
「マリアン! 帰ろう!」
うしろから叫び声がした。
振り向くと、びしょ濡れのイサクが立っていた。
――ザアアアアーッ……!
「どうしてなの? なぜわたしだけが不幸な目に遭わなくてはいけないの? あのときどうすればよかった? フランとお父さまと一緒に、付いていけば……」
わたしの心は3年前に止まったままだ。
わたしの人生はあのとき死んだ。
なのにフランは再び目の前に現れた。
わたしを更なる不幸の底へと突き落とすために。
あのころに戻りたい!
夢だけを追って生きていた、あのころに!
幸せのまっただなかに!
それだけを強烈に想った。
わたしの心は全身全霊でそれを望んでいた。
「マリアン……過去はもう忘れろ! 忘れるんだ! 未来だけを追求しろ!」
「では……現在は? 現実世界はどうしたらいいの?」
――ザアアアアーッ……!
雨に濡れたイサクの顔が悲しみで歪む。
人間は過去や未来についてはいくらでも語れるが、現実世界を変える力は持ち合わせていない。
わたしの両目からは更なる涙があふれ出し、雨粒と共に地面に吸い込まれていく。
わかってる。
どうにもできないことなのだ。
起こってしまった事実を覆すことは、神にだって出来ない。
過去を変えてと願うのは天にツバする行為と一緒。
自分のすべてを否定する発言だ。
わかっているのに受け入れられない。
受け入れなくては前に進めないのに、壁をどうしても乗り越えることができない。
壁を打ち破らなくては前には進めない。
打ち破るには自分が変わらなければならない。
なぜなら、壁の向こうには未来があるからだ。
今の自分とはちがう未来が。
壁の向こうには、13年前に自分が思い描いていた予想図とはまったくちがう未来がある。
考えただけで気が狂い身が引き裂かれそうになる、理想とはかけ離れた未来が。
過去は死んだ。
死んだ物を造りかえることはできない。
わたしに残された選択肢は2つ。
過去の遺物を捨て去るか、死か。
2つに1つの選択を、未来から迫られていた。
「マリアン、まわりを見渡してみろ。何が見える? フランが見えるか? 父親や母親は? 懐かしい村や屋敷が見えるか? ここは田舎の村じゃない。国の中心にある王都だ。おまえの目の前にいるのは誰だ? おれだ! おれしかいない。美しい建物もたくさんあるぞ。それだけあれば、いいじゃないか。マリアン今は、見える物だけ見ればいい。それが本当の現実だ!」
「ほんとうの……現実?」
――ザアアアアーッ……。
まわりを見渡してみた。
ひどいどしゃ降りで、人っ子一人いない夕暮れどきだ。
ここは王都の中心にあるお屋敷街。
今ここにいるのは、己の運命を嘆いて泣き叫ぶビショ濡れの女と、その女を心配してどしゃ降りの中で佇むフランだけ。
「そうだ、これが現実だ。決してして惨めなんかじゃない。現実はいつも目の前にあふれている。傍観すればいい。それはすぐに過去になる。だが、過去は振り返るなよ。過去を美化するな! 過去に夢見た未来も忘れろ! それは頭で思い描いただけで、実際に起きたことじゃない。未来だけを見据えろ!」
「では……楽しい思い出も忘れろと? わたしはこの3年間、両親やフランとの幸せな思い出だけを頼りに生きてきたのよ。未来を思い描く余裕などなかった! フランは死んだと思っていた……けれども彼は生きていた……。これからいったいどうしたら……」
「人は皆、まだ見ぬ未来を夢見て生きている。現実を見据えている人間など、ほとんどいないさ。どうしてかわかるか? 現在を見ようとするのは、絶望して立ち止まっている人間だけだからだ。彼らは過去に生きている。彼らにとっての未来は、受け入れ難いこの現実世界だ。目の前にある現実が受け入れられないんだよ! 自分が過去に思い描いたものとちがうからだ。自分が頭でこさえていた未来こそが現実で、目の前の真実を夢か幻だと思い込もうとする。実際、現実ってヤツは、常に辛くて苦しいもんだ」
「過去を捨て去り、現実を傍観しながら未来を夢見ろと? それで未来はどうなるの? いくら夢見ても、そのときがくればすべてが辛くて苦しいんでしょ? それがわかっているのに、現実世界を乗り切るためだけに、未来を夢見て自分を誤魔化せと? そんな残酷な物言いってないんじゃない?」
「マリアン……何もひとりで夢見ろなんて言ってないぜ。おれと……おれとふたりで未来に歩みださないか? ひとりで進むのが辛いなら、2人で歩きだそう! くじけそうになっても、支え合ってやっていけるさ。たとえ失敗しても、2人ならまた、やりなおせる!」
「イサク……あなた、まさか……」
「ああ、そのまさかだ。マリアン、結婚してくれ。すぐにとは言わない。婚約しよう。君の気が済むまで待つよ」
イサクのブルーの瞳がまっすぐにわたしに向けられた。
それはまるで、婚約式で輪舞を踊るわたしを見下ろしていたアポロンの瞳のように、わたしを貫いた。
いつの間にか雨が上がった。
迫り来る夕闇のなか、濡れた歩道に片膝を付いたイサクが、わたしに手を差し伸べる。
「マリアンと未来を歩みたい……どうか、この手を……」
「イサク……」
さんざん迷ったあげく、わたしはイサクの手にそっと手の平をあわせた。
彼がその手を強く握り返す。
2人の間に何かが走った。
この瞬間、わたしは王宮騎士イサクの婚約者となった。




