第30話
――トントン!
「はい……」
夕方になり、マスクの男がやってきた。
いつかのように2人分の食事を盆に載せて持ってきた。
――カチャッ。
「どうもありがとう……」
「…………」
――カチャカチャ……。
小さなテーブルに向かい合わせになり、無言で夕食をいただいた。
食べながら考えた。
この男はいったいどういう了見でわたしを助けてくれるのか。
わたしを先王のオトシダネに仕立ててまでフランに復讐しようとしている意図がわからない。
フランとの間にいったい何があったというのか。
――ガタンッ!
「…………」
「ねえ…… 男爵。踊ってくださらない?」
「…………」
わたしは椅子から立ち上がると片手を差し出した。
これは賭けだ。
わたしの一世一代の。
――ガタッ!
男爵は立ち上がりわたしの手を取る。
2人はゆっくりと輪舞を踊りはじめた。
――コツコツコツコツ……。
――コツコツコツコツ……。
静かな部屋の中を2人のステップを踏む音だけが響きわたる。
それはしばらく続いた。
「ねえ……男爵。フランに復讐したいの。協力してくださる?」
「…………」
「ただとは言わないわ。あなたの望みのモノを差し出すわ。それはなに……?」
もしもフランから政権を奪還できれば、目の前の彼に欲しい褒美はなんでも渡せるはずだ。
――ガッ!
「…………!」
マスクの男が突然わたしを抱きしめる。
そういうことか。
「いいわ。わたしをあげる……。その代わり……わたしと一緒に命をかけるのよ! 復讐のために……」
「…………っ!」
男爵は答えの代わりにわたしに熱烈なキスを寄こした。
――フッ……。
ロウソクの灯かりが消える。
月のない真っ暗闇だ。
夜のしじまに2人の息遣いだけが聞こえてくる。
――トサッ!
男のたくましい腕に抱きかかえられ寝台に寝かされる。
マスクの男の目をはじめてみた。
ブルーの瞳。
イサクを思い出した。
――ギシッ!
暗闇に光るアポロンの視線。
今宵わたしは復讐の鬼へと変身を遂げる。
◇ ◇ ◇ ◇
――チチチチッ! ピピッ! チュンッ、チュンッ!
「…………朝ね……」
見知らぬ男に抱かれようと、わたしはわたしだった。
横を見たが誰もいない。
冷たい敷布を確かめてから身を起こした。
枕元に人物名を書いたリストと指示書が置いてあった。
手に取り読んでみる。
これなら上手くいきそうだ!
わたしは顔を上げ窓の外を見た。
青空のひろがっている。
良いお天気だ、今日も晴れるだろう。
「今日がはじまりだわ。復讐をはじめよう……」
◇ ◇ ◇ ◇
夕方、調査官がやってきた。
――トントン! カチャッ!
わたしはベールを被り、彼を迎え入れた。
「オオッ! レディM! よくぞご無事で……!」
「あなたこそ……」
「仲間や部下はだいぶやられました……。命からがらなんとか逃げ出し領地にもどり、偽のレディMを作り上げておきました」
「偽のレディM……?」
「はい。影武者です。これから各地へ偽のレディMを配置していく策略です。あなたのようにいつも黒いベールを被せておけば誰もニセモノだとは気づきません」
「そうですか……わたしはいつもベールを被っているから、皆はそれを信じることでしょう。では……ここらで、わたしはベールを脱ぐことにします」
「えっ? ベールを? 素顔を晒すのですか? それは……!」
おもむろに頭のベールを取った!
「あなたは……!」
「はい。わたしは亡きイサク・シャルルの妻、マリアンヌです。いままで騙していてごめんなさい……」
「マリアンヌ殿……あなたでしたか……。まったく気づきませんでした。では、封蝋は……?」
「はい。フラン……シャルル大公から預かった十字架に付いていたものです。下の棒の部分が封蝋になっていたんですね……。気づかず、彼に渡しそこねていました。つまり、わたしは先王のオトシダネでもなんでもありません。嘘を吐いていました。もうしわけありませんでした」
「そうでしたか……。この国の王家は代々、自分の子孫に十字架型の封蝋を授けるのです。王家の紋章が捺印できるものです。先王は、このまえ崩御された正后の息子である王のほかに、娼婦にこどもを産ませ十字架方の封蝋を渡しました。ですが秘密裡に処理してしまったため、どこのどんな娼婦だったのか記録がまったく残っていないのです。シャルル大公が持っていた十字架は先王が注文した物に間違いないのですが、肝心の封蝋がはずれていました。では、あなたが持っていたのですね……。2人は幼馴染と言われましたが……詳しくお聞かせ願えますか?」
「はい……」
わたしの過去の出来事と経緯を、調査官にすべて包み隠さず詳しく説明していった。
彼を信じるしか、わたしに残された道はない。
◇ ◇ ◇ ◇
「そうでしたか……それはたいへんなご苦労でした……。さぞかし辛かったでしょう」
「はい……」
復讐のために涙は封印するはずだったのに、調査官のやさしい言葉に自然と目に涙が浮かんでくる。
「たぶん、あなたの苦労の大半はフランシス・ベネディクトなる人物に関わりあったことにあるでしょう。いやはや……ひどい男だ!」
「あの……その件でまだ話していないことが……」
「なんでしょう?」
「その……フランの伯父を演じていたベネディクト男爵でが……。わたしは彼と手を組みました」
「なんですって! どうしてまた!」
「反対はごもっともですが……彼は何度もわたしを助けてくださいました。ここまでこれたのは彼のお蔭です。わたしは彼と協力する運命だったと感じております」
「……マリアンヌ殿がそこまで堅い決意をなされるなら、わたしは何も言えませんね。実際、我々もレディMの登場にどれだけ助けられ勇気をもらったことか……。それがたとえまやかしであったとしてもです! あなたは英雄イサク殿の妻だ。あなたの判断が正しいと信じます」
「罪を被せられたイサクを、あなたは信じてくださるのですか?」
「はい……わたくしもあなたと同じくイサク殿の罪は信じておりません。イサク殿のような立派な騎士がそう簡単に人を裏切るとは思えない」
「今後どうしたらよいのでしょう。男爵もたぶん、考えあぐねているんだと思います」
「その前に……そのベネディクト男爵なる人物についてわたくしの知っている情報をお教え致しましょう」
「はい、ぜひ!」
「ベネディクトなる人物はわたくしの知っている限り、男爵ではありません。伯爵です」
「……伯爵!」
「はい。彼は絵と書に関するたぐいまれな才能の持ち主でした。非常に頭も良く、王家の書類に関するすべてのチェックは彼がやっておりました。だから、あなたの手紙にも無意識に添削がしてあったのですよ。ある日、落馬で顔に大怪我を負いました。それからです。人前に出るのを極端にきらうようになり、ギャンブルにのめりこみ借金で破産しました。公文書を大量に偽造して横領で捕まりそうになり失踪しました」
「失踪……!」
「実際は娼館どおりの裏側にある公園でホームレス生活を送っていたそうです。贋作の絵を売ったり偽造書類を作ったり。彼は他人のサインを真似るのはお手の物でしたからね」
「待ってください! 娼館どおりの裏の公園って……!」
「もしや……あなたがシャルル大公、いやフランなる少年と出会った場所ですか?」
「はい、そうです。では、ベネディクト伯爵はそこに寝泊りしていたということですか?」
「そうか! きっと、こどもだったあなたとフランが仲睦まじくしている様子を見て、あなたたちの会話を盗み聞きしていたんですね。そうにちがいない! あなたはその公園に何日も通い詰めたんですよね?」
「はい」
「だったら、マリアンヌ殿の泊まっていた宿を探すのは容易だったはずだ。あなたのあとを付ければすむ話ですからね。マリアンヌ殿の一家の住所を調べ、あなたたちが王都から去ったあと、あなたの村を訪ねたのでしょう。フランの伯父のフリをして! ベネディクト伯爵に家族や親戚はいません。伯父というのは真っ赤なウソでしょう」
「では、わたしが王都で会ったシャルルという男の子はいったいどこに住んでいたのでしょう? フランではなかったのですか?」
「さあ……それは……フランかベネディクト伯爵に聞いてみないと。その少年はまいにち公園にいたのでしょう?」
「はい、いつ行っても公園にいました」
「もしかしたらホームレスの少年だった可能性もありますね。だったら、フランとベネディクト伯爵はホームレス仲間だったのでしょうか……? いずれにしても……あなたと手紙のやりとりをしていたのはすべてベネディクト伯爵ですよ」
「そんな! では……わたしは十年もベネディクト伯爵と文通を?」
「間違いないでしょう」
「いったい……なんのために?」
「しょうらい金になると思ったのでしょう。あなたの書いた手紙の封筒の裏にあったメモ書きには、ベネディクト伯爵にはわからない細かい疑問点が書き出されていました。たとえば十字架をネックレスにしたとか……。マリアンヌ殿の話と手紙の内容が辻褄が合うように警戒していたのでしょう。ベネディクト伯爵はあちこちでそんな詐欺まがいなことをしていた。すべてはギャンブルの金欲しさにです。彼は偽造書類のプロです。マリアンヌ殿の家の資産を調べ、いつかあなたの家を乗っ取ろうとしていたはずです。その機会が6年前にきたのでしょう。ところでフランですが、公園の少年にそんなに似ているのですか?」
「こどものころに公園で会ったきりで……再会したときはすっかり舞い上がっていて、彼だと信じて疑いませんでした。金髪碧眼でしたが顔立ちまでは……もうしわけありません」
「人間の思い込みほど恐ろしいものはない。特に若い女性は情熱的ですからね。正しい判断をしろというほうが無理というものだ」
「以前イサクにも言われました。感情的にならないようにと……理性を失った娘は、詐欺師たちにとってさぞや滑稽だったことでしょう」
「詐欺師とはそういうものです。我々がわき目もふらずに一生懸命はたらいているところへやってきて、横から何もかも掻っ攫っていく。あなたが悪いんじゃない。詐欺を働く方が悪いんです! それに、フランは本物のシャルルかもしれませんしね。あなたの村で婚約式を終えたフランは仲間とあなたの父親を殺し記憶喪失を装って失踪。あらかじめ婚約式の最中にベネディクト伯爵がマリアンヌ殿の家の書類を偽造して借金だらけにしておいた。あの男の手にかかればそれぐらいのことはお茶の子さいさい、半日あればできる作業です。あなたはそんな男と手を組んだ。この事実に耐えられますか?」
「……憎んでも憎みきれない行為です。でも、いまさらお金は返ってきません。未練があるのは財産ではなく人です。お父さまやイサクを殺した人間を絶対に許せない! 復讐してやる!」
「そこまでの決意があるのならよろしいです。ベネディクト伯爵と手を組むのもいまだけですからね。割り切りましょう。わたくしも協力を惜しみません」
「記憶喪失のフランが発見された経緯をご存知ですか?」
「それですが……たぶん、イサク殿はその件で秘密裡に動いていたようです。さきごろ亡くなった王の命令で」
「ほんとうですか? ネイサンが言うには、イサクが特殊任務に就いていた形跡はなかったと……」
「今回クーデターが起きていろいろなことが明るみに出ました。特殊任務について暴露する家臣も出てきましてね……。イサク殿は去年のクーデーターのさいに領地に赴き、兵士が下町で聞いてきたおかしな話に疑問を抱きました。それは……シャルル大公、フランによく似た男がむかし領地の下町に住んでいたというものでした」
「領地にフランが?」
「はい。そこでイサク殿は秘密裡に王都にもどり王に進言して特殊任務を命ぜられました」
「そのときね……わたしがイサクを見かけたのは! ネイサンの話ともあってるわ」
「領地と王都を往復していろいろと調査していたようです。そこでわかったことは、フランは3年前、領地の質屋に十字架を預けようとしたことで、王家の人間として発見されました。質屋は十字架を見てすぐに王家の物だと判断したまたま領地へ視察に来ていたリュゥフワ大公に相談したのです。すぐにフランが王族だと証明されました。欲を出したリュゥフワ大公が娘の婿に迎え入れたのです」
「では……王家の人間として発見されたのは本当に偶然だったのですね。フランは元々領地に住んでいた……」
「ええ。それを聞きつけたイサク殿が調査をはじめたのです。何かおかしいと思ったのでしょう」
「どうしておかしいと思ったのかしら? フランはわたしの一家の財産を横取りして、遠く領地に逃げていただけなのに……。それにしても……イサクはフランについて、何か突き止めることができたのかしら?」
「さあ、それは……。いずれにしてもフランにとってイサク殿は邪魔な存在でした。彼が殺された目的はこれでしょう」
「そうかもしれませんね」
「イサク殿は王の命でクーデター後に王城へ帰還してからも、ずっとリュゥフワ大公を見張っていたようです。それが迷路殺人に繋がるのでしょう」
「迷路殺人に? なぜです?」
「ご存知ないですか。迷路殺人に使われた凶器を」
「凶器? 領地の毒が使われたとは聞きましたが……」
「はい。吹き矢の先に使われておりました」
「吹き矢……!」
「そうです。犯人はあなたのおっしゃっていた水色のドレスの女ルイーズでしょう」
「では……!」
「イサク殿はリュゥフワ大公を見張っていて、ぐうぜん殺人現場に居合わせてしまった。驚いたイサク殿が逃げて行くところをルイーズが見かけて悪魔面の男を通報した。ルイーズは悪魔面の男がイサク殿とはその時点で知らなかったと思います」
「息を切らせ面を取っていたイサクとわたしは迷路の外でぐうぜん会った……。それにしても、リボンは? 迷路に落ちていたグリーンのリボンは、わたしがこどもの頃にフランに預けた古いものでした」
「手紙に入れてあったリボンですね。でしたら……その場にベネディクト伯爵もいたのでしょう。偶然リボンを落としたのです」
「ベネディクト伯爵が、ですか? たしかに可能性はありますね……。リュゥフワ大公はなぜ殺されたのですか?」
「リュゥフワ大公はどうやらイサク殿ではなくフランのほうを疑っていたようです。今回イサク殿の横領疑惑の書類を点検してみましたが……イサク殿の立場では触れることのできないような重要書類ばかりでした。でも、フランなら……リュゥフワ大公もそう考え調査していたと思います」
「そうでしたか……。でも、なぜリュゥフワ大公はあの夜、あんな寂しい迷路の中にいたのでしょう?」
「犯人に呼び出されたのだと思いますよ。おそらくシャルルに……旅行の途中で抜け出して会いに行くとでも言われたのでしょう」
「そしてすべてをイサクのせいにしようと……許せないわ!」
「問題はベネディクト伯爵です。彼はどこかの時点でフランと決別した……。あなたの手紙に書き込まれていた文字の筆跡鑑定をしましたが、絵も含めベネディクト伯爵のものでした。いまベネディクト伯爵は口を利かないし手が不自由なんですよね? どうしたものか……」
「彼はたぶん、何をしても絶対に口を割らないでしょう……とても意志が堅い人です」
「ベネディクト伯爵が殺人には関与していないといいのですが……。彼は公園から廃村に拠点を移し強盗団の頭になっていた。そしてマリアンヌ殿の家の財産を乗っ取り3年後に王都へ現れた。おそらくフランに逢いに。その後、役人と共にホワイトクリスマスのなか姿を消した。それから3年後あなたを助けて再び王都へもどってきた……。彼の意図はなんだ?」
「フランに対する復讐としか思えないわ」
「復讐……? 彼とフランに何があったのか……」
「でも、わたしはベネディクト伯爵が殺人までは犯していないと思いながら、ついていくしかありません」
「そうですね……今はそんなことよりも今後どうするかだ。マリアンヌ殿の望みは?」
「このリストの人物を集め、フランの前に連れていってください。わたしと共に……」
――カサッ。
調査官に名前を書いた紙を差し出した。
「これは……!」
「それと……信頼できる人たちをわたしの元へ。王城で暮らすときそばにいて欲しいの。おねがいします。あと……ベネディクト伯爵を王城へ自由に出入りさせてあげてください」
「わかりました。わたくしがクーデターの首謀者だと敵はまだ気づいていません。この方たちをあなたと共に王城へ送り出しましょう!」
「ありがとうございます!」
「この宿もこのままにして我々の拠点にしておきます。マリアンヌ殿はベールを被り引き続きレディMを演じてください。この際、誰がオトシダネだろうと関係ない。これは国のための聖戦なのです!」
「はい、どうぞよろしくおねがい致します!」
「それでは」
――パタン……。
――ダダダダッダダダダッ!
――バンッ!
調査官が出ていったとたん、ドアを開けてマスクの男が現れた!
「……聞いていたのね? これでよかったかしら? 不備はない……?」
男は無言でうなずき、わたしの手を取り踊り出した。
復讐の前の舞い――輪舞を。




