第22話
「う……んんっ……えっ……?」
寒さに目を覚ましたわたしは、見知らぬ寝台で眠っていた。
しかも、見知らぬ男に抱きしめられていた!
なんとわたしは服を着ていないではないか!
「な、なに? なんなの!」
あたりは真っ暗だ。
必死で暴れた!
――ガバッ!
「うっ……!」
男がわたしにくちづけをしてきた!
パニックに陥ったわたしは、必死に男の背中を叩き抵抗した!
「ンッ……いや! いや……クンッ……」
男が口に含んだ何かをわたしに飲ませた。
「ハアハア……なに……?」
とたんにカラダの力が抜け気が遠のいていく。
薄れ行く意識のなかで、男の顔に大きな傷を発見した!
◇ ◇ ◇ ◇
「えっ……?」
次に目を覚ましたとき、わたしは男物の寝巻きを着て寝台に横になっていた。
汗をびっしょり掻いていたはずだったのに、からだは妙にさっぱりとして気持ちがいい。
シーツも替えてあるようだ。
――チチチチーッ! ピッピッ!
小鳥たちが鳴いている。
朝なのだろう。
いいお天気だ。
――ガチャッ!
「あの……」
いそいで振り向いた。
扉を開け、大柄な男が入ってきた。
黒いマントを羽織り、頭までスッポリとフードを被っている。
手に乗せた盆には、湯気を上げるおいしそうなスープが載っていた。
――カチャカチャッ……。
男はそれをわたしに押し付けた。
身震いしながらそれを受け取る。
一瞬、顔が見えた。
「…………!」
男は、鼻の下まで覆う黒いマスクをつけていた!
――ガチャッ!
男が黙って出ていく。
「ふー……」
寝台に腰を降ろした。
男に悪意はないようだ。
「このスープは……大丈夫かしら……?」
空腹に耐え切れず、スプーンでスープを一杯すくった。
おそるおそるスプーンに口を付ける。
ゴクン。
「おいしい……」
玉ねぎだけの粗末なスープだったが、農場で労働のあとに飲んだときのようにおいしかった。
夢中でそれを飲み干した。
また眠気が襲ってきた。
スープに何か入っていたわけではない。
安心して、あらためてひどい疲労感が襲ってきたのだ。
再び寝台に横になり深い眠りに就いた。
――トンッ……。
「う……んぅ……?」
あたりは真っ暗闇だ。
例の男が寝台に入ってきた音で目が覚めたようだ。
一日寝ていたみたいだ。
――ギシッ!
「…………!」
男がわたしを抱きしめた!
あらがったが、男の強い力にいつしかあきらめ身をゆだねた。
もう、どうでもよかった。
それに、男はイサクと同じような身体つきをしていた。
イサクに抱きしめられているような感覚に陥った。
彼がたまらなく恋しい。
気がつくと、男に抱きしめられたまま朝を迎えていた。
――チチチチッ! ピピッ! チュンッ、チュンッ!
「う……んっ……」
明るい光が窓から射し込んでいる。
わたしは眩しさに目を開けた。
「あら……?」
男はいなかった。
枕元の台にパンやチーズが置かれている。
新鮮なミルクもある。
起き上がり、寝巻きのまま寝台でそれらを食べた。
「ここは……?」
食事を終え落ち着いてきたら、まわりの様子が見えてきた。
使われていない木こり小屋のようだった。
そばの椅子に男物の服が掛けてある。
その服を着て目の前の扉を開けた。
――カチャッ!
扉の鍵は開いていた。
大男は小屋のなかにはいないようだった。
――キイッ!
玄関を開けて外へ出た。
――チチチチッ! ピピッ! チュンッ、チュンッ!
深い森に囲まれた山奥の一軒屋だった。
――ザーッ……ザーッ……。
「水の音だわ!」
音のする方向へ進んだ。
しばらく行くと視界が開け、川が見えた。
近づいていって顔を洗った。
「ここは……」
遥か上に滝が見える。
では、川に落ちたわたしは下流まで流され、あのマントの大男に助けられたのか?
顔に傷のある大男――フランの伯父ベネディクトだろうか?
だったらわたしの素性がわかったら危険だ。
あの男はなんのために看病してくれているのか。
単なる親切心だと助かるのだが。
それにしても――このまま逃げようにも方向がわからない。
森で迷うのがおちだ。
助けを呼ぼうにも人の気配がまったくしない。
仕方なく小屋にもどった。
玄関前で男が待っていた。
フードとマスクで顔は見えない。
男に近づいていった。
「ごちそうさまでした。いろいろとどうもありがとうございました。なんとお礼を言っていいか……」
――パサッ! ズズッ……。キイッ……。
大男はマントを翻し小屋の中へ入っていった。
「…………!」
怪我をしているのか元々か、男は片足をひきずっていた。
仕方なくあとに従った。
男は中央のテーブルで紙に何か書いていた。
左手で不器用そうにペンを動かしている。
もしかしたら右手が不自由なのかもしれない。
男がその紙を差し出した。
口が利けないようだ。
そこには――『出かけてくる。食料は倉庫にある。おまえは命を狙われているから小屋の外には絶対でるな。十日ほどでもどる』
そう書かれていた。
「命を狙われている? なぜなの?」
――キイッ! ズズッ……ズズッ……。
男はそれには答えず、玄関の鍵の閉め方だけ身振りで教えると長いマントを翻し去っていった。
わたしの手にナイフを握らせて。
窓から男が深い森の中へ消えていく様子を見守った。
「どうしよう……どうしたら……」
突然の出来事に唖然としてしまった。
怪しい男だがわたしの命を救ってくれた。
いまはあの男に従うしかない。
ぼんやりとした頭の中に、馬車で滝に落ちた瞬間のことが甦ってきた。
あれから何日経ったのだろう。
あのときわたしたちを狙った人物がまだこの辺りにいるとしたら。
「そういえば……フラン!」
フランはどうなったのだろう。
もし彼が行方不明ならば、王都が大掛かりな捜索をするだろう。
その過程でわたしのことも見つけてくれないだろうか。
でなければ、わたしはこの深い森のなかであの大男と2人だけで暮らすはめになってしまう。
不安だらけのまま。わたしは山小屋で1人助けを待った。
◇ ◇ ◇ ◇
王都からの助けはこなかった。
マスクの男は二週間近く経つと宣言どおり帰ってきた。
夜はさすがに寂しかったが、大量に食料が置いてあったので不自由はなかった。
――キイッ!
「おかえりなさい、あの……」
――バッ!
男が麻の袋を差し出した。
干し肉や小麦粉、野菜などの食料品が入っていた。
「ありがとうございます……」
「…………」
男はもう1つ袋を床に置くとクルリと背を向け、外へ出て行き薪を割りはじめた。
「…………」
床に置いた袋からは女物の服や下着が出てきた。
それに着替えると、パンを焼いて干し肉と野菜のスープを作ろうと小麦粉を捏ねはじめた。
いまさらいろいろ考えてもはじまらない。
男は悪い人では無さそうだ。
彼に従うしか、いまのわたしに生きる道はなかった。
お父さまが破産して、さんざん思い知らされてきた。
命が危機に瀕したとき人間は生きるためならなんでもする。
それがいやなら死ぬしかない。
わたしはまだ死ぬわけにはいかない。
お父さま、イサク、そしてわたしの命を狙った姿の見えない憎き敵!
彼らに復讐するまでは、決して死ぬわけにはいかないのだ!
◇ ◇ ◇ ◇
一ヶ月近くが過ぎた。
男は何度も出かけていった。
食料を持ち帰ることもあれば、ボロボロになって疲れきってもどってくるときもあった。
もしかして盗賊なのかとも思ったが、金貨をたくさん持っていてそれを使っていた。
食料はどう見ても正当に手に入れたものばかりだった。
わたしは毎日、男のために家事をこなした。
夜は男と同じ寝台で寝た。
なんの感情もなく、ただ流されるままの惰性の日々を生きていた。
ある日、男が大きな麻袋を持ってやってきた。
「まあ……」
そこには女性用の旅の衣装が入っていた。
絹製の高価なものだった。
「これを、わたしに? では……王都にもどれるのですか?」
男はマスクの下で無言で頷くと荷物をまとめはじめた。
わたしもすぐに旅支度に着替え部屋を片付けると、食料を袋に詰め込みはじめた。
「そういえば……わたしのカバンは川に流されてしまったのね……」
たいした物は入っていなかったが、フランに子供の頃にもらった銀の筒があったはず。
「そうだわ!」
そうだった。
その銀の筒はフランに返そうと思い、グリーンのリボンと供にポケットに入れておいたのだ!
すっかり忘れていた。
「あの……すみません! わたしが最初に着ていた服はどこですか? ポケットに大事な物が……」
男のうしろから声を掛けた。
彼は無言で暖炉を指差した。
「焼いたってことね……」
暖炉は何度か掃除したが、銀の筒らしきものはなかった。
「いまごろ滝底ね……フランに会ったら謝らないと……。手紙だけでも調査官に預けてよかったわ」
――バッ!
わたしの独り言に男が反応してこちらを振り返った。
「あ、あの……なんでもありません!」
いそいで誤魔化し、旅支度を続けた。
男はしばらくこちらをいぶかしげに見ていた。
やはり彼はフランの伯父のベネディクト男爵なのだろうか。
だから手紙に反応した?
だとしたら、わたしがマリアンヌ・ジュブワだとわかっている?
どちらにせよ、用心に越したことはなさそうだ。
それにしても――リボンも銀の筒も残念なことをした。
楽しかった思い出として取っておきたかったのに。
もう、わたしの持ち物はすべて無くなってしまった。
悲しい想いで荷物をまとめた。
◇ ◇ ◇ ◇
――キイッ……。
男のあとから荷物を持って小屋を出た。
彼について深い森へと入っていった。
「え……っ……」
意外なことに、森に入り小一時間も歩くと細い山道に出た。
そこを三十分ほど下ると大通りに出た。
馬車が用意されていた。
わたしは男に指示され馬車に乗り込んだ。
彼が御者台に乗り馬車を発車させた。
――ガラガラガラガラッ! ガラガラガラガラッ……。
王都を出てからどれぐらい経ったのだろう。
やっと文明に戻ってこられたことにホッとしていた。
男はいったい、わたしをどこへ連れていくつもりだろう。
◇ ◇ ◇ ◇
「ここは……わたしの村だわ……!」
そこには、焼け焦げた村の残骸があった。
男に連れてこられたのはかつてのわたしの村だったのだ!
「これが……わが故郷……!」
ここで洗礼を受け生まれ育った。
春にはカーニバルが開かれあちこちに賑やかな市が立った。
夏は川で泳ぎ魚を追いかけ、秋の収穫祭は皆でロンドを踊った。
冬の寒さに耐えながら、村人みんなで力を合わせてやってきたのに。
「ううっ……ひどい……!」
「…………」
大地に泣き崩れた!
これほどまでとは。
村は火にはとても気をつけていた。
もしや付け火ではないだろうか。
惨状を目の当たりにしてそんな風に思った。
「そうだわ……お父さま! お母さま!」
――ダダッ!
いそいで教会の裏へ走っていった!
「これは……ひどい……ひどすぎる!」
墓地は更に悲惨だった。
調査官の報告どおり、墓石の名前すら読めないほど焼け焦げている。
特に我が家の墓はひどかった。
ジュブワ家に対するなんらかの意図が感じられた。
墓石まで焼けているとは!
やはり、付け火ではないだろうか?
それにしても――ずっと整備されることなく、わたしの村はこの状態で放置されていたのか。
幸い死者や怪我人は出なかったと聞いているが、村人の苦労を思うと胸が痛んだ。
「あんなに美しかった村が……ああっ……!」
わたしは再び焼け焦げた大地に体を投げ出し泣き叫んだ!
――ドンッ! ドンッ! ドンッ!
怒りを込めて拳を大地に打ちつけても、誰も応えてはくれなかった。
死者たちは口を噤んだまま目をつむり、この惨状に耐え抜いてきた。
わたしも耐え続けるしかないのか。
――ガラガラガラガラッ! ガラガラガラガラッ!
再び男に馬車に乗せられた。
出口でなつかしい故郷を振り返った。
焼け爛れた廃村に人の気配はまったくない。
自然と涙が流れた。
わたしの帰る場所はもう、ここにはない。
男はわたしを、かつてわたしが働いていた農場のあとにも連れていった。
「ひどいわ……」
馬車の窓から見えるただの荒野と化したかつての農場には、辛い思い出しかないはずなのに妙になつかしく物悲しかった。
白い羊の群れはどこにもいない。
あの辛い日々があったからこそ今日のわたしがいる。
苦労も大事な経験だ。
わたしの記録が思い出と共に消されていく。
わたしの存在と一緒に。
――ガラガラガラガラッ、ガラガラガラガラッ……。
感傷に浸る間もなく馬車が出発した。
◇ ◇ ◇ ◇
――ガラガラガラガラッ、ガラガラガラガラッ……!
途中ナタリー・モロ-の農場あとにも連れていかれた。
初めて来る場所だが、納屋も母屋も全焼してひどく焼け爛れていた。
「ひどいわ……油を撒いたにちがいない。誰がこんなことを……!」
焼け野原を見ているだけで涙が込み上げてくる。
3年前、廃村の前でわたしを馬車に乗せなければ、ナタリーの農場は火事に遭わなかったかもしれない。
責任の重さに胸が苦しくなった。
男はわたしを地元の共同墓地へも連れていった。
教会の裏にあるその場所には真新しい墓石が建っていた。
墓石には『勇敢な騎士とその供の者に捧ぐ』と刻まれていた。
「おおっ……ここにイサクが……イサク……イサク……!」
わたしは墓石にすがりつき泣き崩れた!
涙は枯れ果てたと思っていたのに、いまだにとどまることなく流れ落ちていく。
愛する者を失ったわたしの悲しみも尽きることがない。
おそらく一生つづくであろう。
この憎しみと共に。
◇ ◇ ◇ ◇
――ガラガラガラガラッ、ガラガラガラガラッ!
「王都だわ……!」
懐かしい王都へと辿り着いた。
ここを出てまだ数ヶ月しか経っていないのに、何年も経ったような気がする。
男は旅の間中、御者台にいたのでほとんど接することはなかった。
馬車は表通りから裏通りへ入り、ある路地の前で停まった。
――パサッ……!
馬車から降りるとき、男がわたしに黒いベールを被せた。
これではまるで、夫を亡くしたばかりの未亡人のようだ。
わたしはイサクとの辛い別れを思い出し悲しくなった。
――ズズッ……ズズッ……。
男はわたしの腕を取り一軒の酒場へと近づいていく。
――トントン!
――キイッ!
男が扉をノックすると派手な身なりの老婆が顔を出した。
「おや……? あんたがM嬢かい? こっちだよ」
M嬢?
なんのことだろう。
わたしは男の後ろについて狭い階段を上っていった。
酒場の2階は木賃宿になっていた。
「あんたら夫婦だろ? 一緒の部屋でいいね。今日から客を取るのかい?」
「お客? あの……」
老婆に聞き返そうとするわたしを手で制し、男が黙ってうなずいた。
「じゃあ、一休みしておきよ。夜になったら店を開けるから、適当に声を掛けて呼んであげる!」
老婆は茶のセットだけ置いて行ってしまった。
わたしは男と自分に茶を入れた。
茶を飲みながら、いつもとちがう雰囲気の男にだんだんと不安になる。
茶を飲み終わると男に袋とメモを渡された。
『客が来たらこの袋を渡し、ただハイとだけ答えろ。ベールは絶対に取るな』
「……わかりました」
――バタンッ!
男はカップを置くとすぐに出ていった。
彼が出ていった扉をいつまでも見つめながら、不安になった。
客というのはなんだろう。
わたしにいったい、何ができるというのか。
◇ ◇ ◇ ◇
あっという間に夜がきて、下の酒場から酔っ払いたちの騒ぎ声が聞こえはじめた。
男は帰ってこない。
不安はますます募っていく。
男の残したメモを何度も読み返した。
――トントン!
「はいっ!」
突然のノック音に飛び上がってしまった!
――キイッ!
「レディM、お客さんだよ!」
「はい……」
昼間の老婆が部屋へ男を招き入れようとしている。
ここにいたって、自分のうかつさをとことん後悔した。
客ってまさか!




