第19話
「明日はとうとうイサクが出発する日だわ……」
イサクとの仲は平行線のままその日を迎えようとしていた。
行方不明の役人を捜しに行くだけの旅だが、もしもわたしのお父さまが殺されたのだとしたら――とても危険だ。
「そうだ、フラン! イサクが出発する前に、フランに伯父のことを聞いておこう!」
フランがリュゥフワ大公の弔いのためにまいにち大聖堂を訪れているとウワサになっていた。
今にも雨の降りそうな空模様のなか、ひとり大聖堂へ向かった。
◇ ◇ ◇ ◇
「いたわ……」
大聖堂の真ん中で祈りを捧げるフランを見つけた。
そっと近くまで行き話しかける。
「フラン……少しいいかしら?」
「マリアン……久しぶりだね」
「フラン……このたびは……」
「ああ、そのために毎日祈りを捧げているんだ。良い義父だった……ぼくが今日あるのは彼のお蔭だ……。妻もたいへん落ち込んでいてね……」
「……犯人は……まだ……?」
「それが……迷路から出て行く男を見たという人がいてね」
「め、めいろから……出て行く……男?」
迷路から出てきたイサクの姿を誰かが見ていたというのだろうか?
下を向きドキドキしていた。
わたしの姿も見られていたかもしれない。
どうにかして誤魔化さなければ。
そうだ!
わたしはフランを見上げて訴えた。
「あの日は仮面舞踏会だったわ! だ、だれも犯人の顔は見ていないはずよ!」
「たしかに仮面をつけていたそうだ。それも、悪魔の……」
「悪魔……!」
恐怖でワナワナと手が震えてくる。
イサクが迷路から飛び出てきたところを、誰かに見られていたのだ!
わたしは?
わたしの姿も見られていたのだろうか?
「人物の特定は不可能らしいがね……。あの夜は悪魔の仮面がいちばんたくさん出回っていたらしいから。ぼくは義父が殺された日、外国に旅行中で舞踏会には出席できなかった。君は出たんだろう? なにか目撃しなかったかい?」
「し、しらない! 何も見てないわ! あの……ルイーズも旅行に?」
「彼女は同行してないよ。さすがに正妻と側室が一緒に旅行は無理だ。ましてルイーズは生まれたばかりの赤ん坊がいるからね」
「そ、そうよね……さすがに仮面舞踏会は参加できなかったわね……」
「もちろんさ。それにしてもマリアン、殺人現場にはグリーンのリボンが落ちていたんだ。当然、義父の持ち物ではない。不思議な事件だよ……」
「わ、わたしに聞かれても……わ、わからないわ」
手の震えを気づかれないように腕をうしろにまわした。
どうしよう!
グリーンのリボンがイサクの落とした物だったら!
「ところで、マリアンはどうして今日ここに?」
「えっ? いえ、あの……偶然あなたを見かけたから……」
「ありがとう……心配してくれたんだね」
「…………」
とてもフランに伯父のことを聞ける状況ではなかった。
不安で胸が張り裂けそうだ。
フランと別れると、すぐに大聖堂をあとにした。
◇ ◇ ◇ ◇
気がついたら例の公園のベンチに座っていた。
朝だというのに空はどんよりとした雲に覆われていてあたりは薄暗い。
まるで夕方のようだ。
「どうしよう……」
頭がグチャグチャだ。
ことは殺人だ。
もしも、もしもイサクがリュゥフワ大公の死になんらかの関与をしているとしたら――わたしはいったいどうしたらいいのだろう。
ルイーズや彼女の子供の問題もある。
急に森の奥に建つ娼館のことが気になりはじめ、胸に痛みが走る。
両目からこらえきれずに大粒の涙がこぼれる。
――ガサッ……。
「マリアン……」
「えっ?」
とつぜん名前を呼ばれ顔を上げた。
目の前にイサクが立っていた!
「どう……して……?」
「すまない……モニカが、君とフランを大聖堂で見たとおれに知らせにきてくれた。あとをつけてきた……」
「そう……モニカが……」
――ポツポツ、ポツポツッ……。
雨が降りはじめた。
あたりは更に暗くなる。
「なにかおれに……言うことは?」
「ないわ……何を言っても信じてもらえないんでしょう?」
「マリアン……おれは極秘任務中だ。君に言えないことがたくさんある。だが、これだけはわかって欲しい……心から君を愛している。君だけだ」
イサクはひざまずくとわたしの手に唇をよせた。
わたしはただ涙を流し続ける。
雨が激しさを増していく。
「イサク……」
「マリアン、踊ろう……。輪舞を……」
ふたりは雨のなか輪舞を踊った。
それは悲しいステップだった。
いつまでもいつまでも愛してやまないわたしのイサク。
いつまでもいつまでも終わらぬ輪舞。
◇ ◇ ◇ ◇
――ザアアアアーアアーッ……。
「マリアン……雨が止みそうにないな……君は服が乾くまで寝ていなさい」
「いやよ、イサク! お見送りするわ!」
「マリアン……」
昨日、雨でびしょ濡れになったわたしたちは、そのままいつかのホテルに泊まった。
ふたりは寝台のなかで裸で抱き合い別れを惜しんでいた。
イサクと捜索隊は今日、雨のなか出発する。
「マリアン……いい子だからここで……この窓の上から見送ってくれよ。ただの捜索だ。危険なことは何もない」
「恐ろしい殺人事件があったばかりよ。お父さまが亡くなったのも……もしかしたら事故ではないのかもしれない。わたしの戸籍を取りに行った役人だって、雪で遭難して見つからないなんておかしいわ!」
「だから、たしかめに行くんじゃないか。大丈夫! いざとなったら闘う覚悟はできているよ。この捜索にはおれたちの未来がかかっているんだ。マリアンのお父上の死についても調べてくるよ。無事に役人が見つかるよう祈っていておくれ。マリアン、帰ってきたら……こんどこそおれと結婚してくれ!」
「イサク……もちろんよ! 待ってるわ! あなたの帰りを……ずっと待ってる!」
「マリアン……」
「イサク……!」
わたしとイサクは熱い抱擁とキスを何度もくりかえし、いつまでも別れを惜しんだ。
◇ ◇ ◇ ◇
「マリアン、行ってくるよ!」
「イサク……絶対よ、絶対に約束して! 必ず無事にわたしの元に帰ってくると!」
「マリアン、愛してるよ。絶対に君の元に帰るからね。次は結婚式だ! 元気に待っていてくおくれ!」
「どうかご無事で! イサク……待ってるわ。ずっと……ずっと待ってるから!」
――パタンッ……。
すぐに窓辺へ行き、雨に濡れながら去り行くイサクにいつまでも手を振り続けた。
わたしの頬も涙で濡れていく。
悲しく辛い別れだった。
女のこともこどもや殺人事件のことも、もうどうでもよくなった。
イサクが無事に帰ってきてくれるなら、それだけでいい。
何もいらない。
イサクの姿が見えなくなったあとも、2人で踊った公園をいつまでも見つめ続けていた。
――イサクはそのまま行方不明になった。