第16話
「マリアン! どういうことだ!」
「イサク殿、待ってくれ! これには事情が……!」
「事情? 事情だと! 既婚者と婚約者のいる女性が暗闇で密会する事情とはなんだ!」
「イサク! 決して疚しいことは……あなたこそ……」
「いいから! その男と離れて早くこっちに来い!」
「きゃっ! イサク!」
「マリアン!」
「おい、シャルル! その名は呼ぶな! 永遠に! こんなもの!」
「あっ!」
イサクはわたしの肩に掛けられていたフランの上着を地面に投げ捨てると、無理矢理わたしの手を引きその場を離れた。
そして、例のバラ園に連れていった。
――サアー……ッ!
風に散らされた雲の合間から月光が差し、枯れたバラの棘を明るく照らしはじめる。
「どういうことだ! また浮気か!」
「浮気ってなに? わたしは1度もしたことないわよ! あなたこそ!」
「おれ? おれがどうした?」
「どうして……ルイーズと一緒にいたの?」
「彼女が教えてくれたんだ! 君とやつのことを!」
「わたしとフラン? なんのこと?」
「しらばっくれるな! ミサのときに送ってもらったそうじゃないか!」
「それは……」
わたしをクロと決めつけてくるイサクにいまさら何を言っても無駄のようだ。
だんだんと冷静になったわたしは反論するのをやめた。
「何も言わないってことは……やつとの仲を認めたってことだな!」
「あきらめたわ……何を言っても信じてくれそうにないから……」
「なんだと! どこまでシラを切り通すつもりだ!」
「なんですって!」
しらばってくれているのはイサクのほうなのに!
フツフツと怒りが湧き上がってきた。
「話はそれだけなの? わたし、帰るわ!」
「なんだと? 話は終わってない! 結婚をどうするつもりなんだ!」
「どういうこと? 婚約を……解消するつもり? そんなの卑怯だわ!」
「そんなこと言ってないだろう! おれの正室になるのか、それともあいつの側室になるのかどっちなんだ!」
「なんですって? フランの……側室?」
「やつにはすでに側室が1人いるようだが、側室なら何人でも持てる。やつは王族だ。おれの正室になるより、やつの側室になったほうが良い暮らしができるぞ!」
「どういこと……? わたしに……フランの側室になるよう勧めているわけ?」
「いーや! 君の意に沿うと言っているだけだ!」
「わたしの……? わたしはあなたの婚約者よ! フランは関係ないでしょ!」
「らちがあかないな……今日はいったん帰ろう。お互い頭を冷やしたほうがいいようだ……」
「……わかったわ。もう遅いから、そうしましょう」
わたしはイサクに部屋まで送られた。
楽しいだけのはずの婚約時代がこんなことになってしまうなんて。
それもこれも、わたしとイサクがすぐに結婚できなかったせいだ。
怒りが収まらないまま朝を迎えた。
◇ ◇ ◇ ◇
「マリアン! イサクさまがいらしてるよ!」
「はい……」
翌日の午後になりイサクが訪ねてきた。
「元気がないね。どうしたんだい?」
「モニカ……なんでもないわ……」
「マリッジブルーかい? わたしもあったよ! 結婚すれば、ウソのようにすべて解消するよ。もう少しの辛抱だ」
その結婚事態が暗礁に乗り上げているのだ。
万が一イサクに婚約破棄されたら、わたしはその後どうやって生きていけばよいのか。
恐くてイサクのことはモニカにも相談することができない。
「マリアン」
「イサク……」
「会いたくないって顔だな……。そんなにあいつが好きなのか?」
「イサク……絶対にそんなことはないわ!」
「……まあ、いい。おれは君の意向に沿うと決めた。男に二言はない」
「…………」
イサクの疑いの目はなんとしても消えないようだ。
このあとわたしとイサクは、嫌味を言い合い小さなケンカをくり返すようになっていった。
それはネイサンの前でも同じだった。
「イサク、やめろよ! 結婚前からこんなんじゃ先が思いやられるぞ」
「うるさいぞ、ネイサン! ほっといてくれ!」
「あっ! イサク!」
イサクはプリプリと怒って足を踏み鳴らし、行ってしまった。
わたしはネイサンと2人だけで置いていかれた。
「マリアン……あいつ、婚約前の性格にすっかりもどっちまったな……。どうしたんだ?」
「ネイサン……誤解があって……。イサクはどうしてもわたしの話を信じてくれないの。わたしはいったい、どうしたらいいのか……」
「イサクは頑固だからな。もう少し様子を見よう。そのうち頭を冷やして、あいつから謝ってくるさ」
「……だといいけど」
それから2週間あまりイサクとは口を利かなかった。
たまにすれちがっても知らん振りだ。
イサクがこれほどまでに意固地な性格だとは思わなかった。
フランとルイーズにはあれきり会っていない。
姿を見ることもなかった。
イサクとの諍いで頭がいっぱいで、彼らのことを考える余裕もなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
ある日、例のバラ園でひとりで考え事をしていた。
イサクのこと。
イサクの女性のこと。
これからの自分のこと。
――カサッ!
「…………!」
音のした方向を振り返るとイサクが立っていた。
「マリアン……」
「イサク……」
イサクがわたしのそばまで近づいてきた。
「マリアン、君を無視し続けるなんて……! とても悪いことをした。ひとりになって反省したよ……。騎士にあるまじき行為だ。許して、もらえるかな……?」
「イサク、もちろんだわ! わたしのほうこそ反省しているわ……ごめんなさい。女がむやみに反論するものじゃなかったわ」
「マリアン、ごめんよ」
「イサク……わたしこそ……」
わたしたちはバラ園の中できつく抱き合い、キスをして愛を確かめあった。
大丈夫。
ケンカはしても、わたしとイサクはすぐに仲直りできる。
わたしたちの愛は永遠だ。
そのときはそう思っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
お互いに今までのことは水に流しまた元通りの交際を続けることを約束した。
そんなある日、わたしの元へ見知らぬ男が訪ねてきた。
「イサク殿の婚約者であられるかな?」
男は背が高く細面の顔をした初老の紳士だった。
「はい。何か……?」
「わたくしは一昨年あなたの村へフランシス・ベネディクトという人間の調査に参った者です」
「まあ! ほんとうですの!」
「それで……あなたのお耳に入れておきたいことが……」
「なんですの?」
「あなたのお父上のジュブワ男爵の借金についてです」
「お父さまの……?」
「最近わたくしは、クーデター後の残務整理のため領地に赴きました。書類の整理をしていたところ……偶然あなたのお父上の借入金の証書を見つけたのです」
「いったい……どういうことなのでしょう?」
「ジュブワ男爵が、あんなに遠い領地の者に借金をするのはおかしい。この問題は奥が深いようだ……一昨年あなたの村へ戸籍を取りに行った役人が行方不明になりましたね?」
「はい。いまだ見つからなくて……わたしたちは結婚できなくてたいへん困惑しております。イサクが雪解けを待ち捜索隊に加わると意気込んでおります」
「実は……わたくしはその役人に、内密にある調査を依頼しておりました」
「調査? なんの調査ですか?」
「今は申し上げられません。わたくしに、あなたのお父上の借入金の証書を預からせていただけませんか。イサク殿には内密で」
「イサクに秘密で……ですか? それはまた、どうして?」
「敵を欺くにはまず味方からです。奥さまのお父上のために黙っておいてください」
「父のため……はい、わかりました。よろしくお願い致します」
「では、また……」
男は去っていった。
「あっ! いけない。名前を聞くのを忘れたわ! でも……フランの調査をしてくれた人なら、調べればすぐにわかるわね。それよりも……」
お父さまの借金には何か裏があるのかもしれない。
どう考えても我が家が借金まみれだったはずがない。
背筋がゾッとした。
我がジュブワ家を付け狙う何者かがこの世に存在しているとしたら。
だが、お父さまは善良な田舎の男爵だった。
恨みを買うような人物ではない。
「だとしたら……単純にお金目的ではないかしら? 我が家の財産は相当な額になっていたはず……」
現金や宝石こそないが、ジュブワ家の肥沃な領地は農民ごと買い上げればかなりの価値があったはずだ。
「ジュブワ家の財産が何者かに狙われていた……。でも、お父さまはフランの目の前で川に落ちて死んだはず……。そういえば……お父さまの死体を村まで運んできたのは、フランのお付きの人たちだった。フランの伯父はいなかったわ。では……フランはお父さまと一緒に殺されかけ、記憶を失い一命を取り止めたあとリュゥフワ大公にぐうぜん発見された……。これなら辻褄が合うわ! だとしたら……怪しいのはフランの伯父だわ!」
すぐにでもフランに連絡を取りたかった。
だが、せっかくイサクと仲直りしたばかりだ。
あらぬ誤解は受けたくない。
もんもんとしたまま時間だけが過ぎていき、遂に春の雪解けの季節を迎えた。