第13話
「イサク、マリアンの戸籍を取りにいった役人は、まだ見つからないのか?」
「ああ……」
「どうするんだ? このままじゃマリアンがかわいそうだろう!」
「ネイサン……自分で確かめに行きたいのだが、仕事が立て込んでいて……」
「おまえの代わりにわたしがマリアンの村まで行ってこようか?」
「ネイサンはダメだぞ! こどもが生まれたばかりじゃないか! おれと一緒に領地にいたから、ずっと家族に会えなかったじゃないか! 妻やこどもに寂しい想いはさせるな!」
「だけど……中途半端な状態でマリアンを放置しておくのは、醜聞が悪いぞ」
「わかってるよ……」
真夏の太陽が照り返すなか、ネイサンがわたしを心配してくれていた。
「ネイサン! わたしもう二十歳を過ぎたから、いつ結婚しようとかまわないわ!」
「マリアン……そういう問題じゃないんだよ。婚約しているとはいえ……結婚しない状態が長引いたら、どちらかに欠陥があると思われてしまう」
「ネイサン! そんなウワサ話は勝手に流させておけばいいじゃないか! おれは気にしない」
「おまえが気にしなくても、マリアンがかわいそうだよ。イサク、その任務は後回しにできないのか?」
「クーデター先の領地でおかしな話を聞きつけた者がいるんだ。おれはいまその調査のために動いている。特殊任務だから詳しい内容は話せない」
「そうか……だが、約束してくれ。その任務が終わったら、必ずマリアンと結婚すると」
「もちろんだ! 必ず実行するよ! それに……この任務はおれにもおれたちの結婚に関係することかもしれないんだ……。だからどうしても、おれの手で解決したい」
「イサク……危険なことなのか?」
「それは……調べてみないと誰にもわからないんだ。だが、国を揺るがす事態になりかねないことはたしかだ。慎重に動いている」
「わかった。じゃあ……これ以上マリアンとのことにわたしは口出しはしない。イサク……わたしの親友。おまえを信じてるぞ」
「ネイサン、どうもありがとう……! マリアン、君も……おれを信じて待っていてくれるか?」
「イサク……わたしはいつもあなたの味方よ。信じてるわ」
「おお、マリアン……」
イサクがわたしをぎゅっと抱きしめる。
わたしもピッタリと抱きしめ返す。
あの夜以来、2人の結びつきは更に堅固なものとなっていた。
それを見守るネイサンのあたたかいまなざし。
どこにでもいる恋人同士のわたしとイサク。
世間も2人は許婚だと認めている。
幸せの絶頂にいなければいけないわたしの心の中に、暗い陰りが生じはじめていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「えっ? 今、なんと?」
「マリアン、イサクの女が……カフェに待たせている」
「フラン……なぜ、あなたのところに……?」
イサクが領地から帰ってしばらくしたころ、突然フランが仕事場に現れた。
あの水色のドレスの女の件で。
「彼女は、ぼくの妻の遠縁にあたる娘なんだ……。妻は知らない。こっそりぼくに相談にきたんだ。イサク殿が不在だったので、悪いが君のところに連れてきた。マリアンとは1度、会ったことがあると言っていたから……」
「それは……あの……本当のことなのかしら? わたしは信じられないわ! それに……今日イサクは王城にいるはずよ?」
「いや、彼は領地へ行ったと聞かされたよ?」
「それはほんとうのこと? わたし、聞かされてないわ……」
おかしな話だった。
イサクはいつも王都を離れるとき、必ずわたしに知らせてから行く。
それは婚約者として当たり前の行為だった。
「悪いがマリアン……彼女は妊婦だ。暑いさなか待ってもらってる」
「それは、そうだけど……わたし本当に……」
「良家の子女だよ? こんなウソをつくと思うかい? ぼくも同席するから、とにかく来てくれ!」
「フラン……」
仕方なくフランについて王城を出た。
向かった先は前回、女と入ったカフェだった。
女は奥の席に着いて待っていた。
一目でわかった。
あいかわらずふんわりとした水色のドレスを着ていたからだ。
そしてこの前より確実にふっくらとしていた。
女の姿を認めた途端わたしの足はガクガクと強張り、1歩も踏み出すことができなくなってしまった。
「マリアン……」
気づいたフランが背中を支えながら腕を引いてくれた。
お蔭でカフェの奥までなんとか進むことができた。
――ガタンッ!
「マリアンヌさま! わたくし……!」
女が突然、立ち上がった。
フランがそれを手で制する。
「ルイーズ! おなかの子に触る! みんなが見るから奥へ行こう。すみません! 個室に通してくれ」
フランが店員に個室へ案内させた。
ルイーズと呼ばれた水色のドレスの女と奥の個室へ入った。
勧められたソファに腰掛け、向かいの長椅子に座った女と対峙した。
「ルイーズ、それで……どうしたいんだい?」
「……前回マリアンヌさまに申し上げた通りです!」
「承知できないわ! イサクと……別れろってことよね?」
「でも……あなたにこどもはいないんでしょ?」
「なんですって! だったらなに? 関係ないでしょ! わたしは婚約者よ!」
怒りが一気に頂点に達した。
わたしは、向かいの女に掴みかからんばかりに興奮していた。
今日の女はフランがいるせいかやけに横柄だ。
この前とはちがい、きちんとメイクして派手な雰囲気をしている。
「ルイーズ……いつごろ生まれるんだ?」
「年末までには……」
「なんですって! 今年中って……ことなの?」
「はい……」
「ほんとに……ほんとうにイサクの子なの? まちがいない?」
「はい……絶対に……」
ルイーズの声はだんだんと弱弱しくなり、とうとう泣き出してしまった。
「泣いてもはじまらないだろう! 問題は、イサク殿がどうするかだ」
「…………」
「…………」
その返事はわたしにもできない。
第一わたしは、ルイーズのこどもの父親がイサクだとはまだ認めていない。
「ルイーズのご両親は知らないのだろう? それにしても……嫁入り前の娘がなんてことを……! 誘惑に負けたきみにも、責任があるんだぞ!」
「はい……わかっております……」
「イサク殿はマリアンとすでに婚約している。人の幸せを壊すのはわたしも忍びない……。ルイーズ! ただ父親が欲しいのか? それとも、イサク殿を手に入れたいのか? はっきり申せ!」
「両親に……なんと言ったらよいのか……。イサクさまとはすでに別れております。わたしは捨てられた身……。父親さえはっきりさせてくだされば、わたしはこの子を出産できます!」
「イサク殿はマリアンを選びおまえを捨てた。イサク殿がマリアンとの婚約を解消したとしても、ルイーズの元へはかえらないだろう。だったらルイーズ……父親さえはっきりしていれば、おまえは出産できるというのだな?」
「はい」
「ちょっと待って! いい加減なこと言わないでよ! イサクはそんな人じゃないわ! わたしはイヤよ! あなたも……あなたのおなかの子も認めないわ!」
「マリアン……なにもイサク殿に認知してくれなんて言ってないよ。ルイーズのおなかの子に、父親を探してやるんだ」
「フラン……それって……こどもを養子に?」
「ああ。もしくはルイーズがパートナーを見つける。万事それで納まる。皆がやっていることだ」
「…………」
生まれてきた子を養子に出したり、母親がこどものために違う父親と結婚することはよくある。
だが、ルイーズのおなかの子が本当にイサクのこどもであったなら、彼の罪はどうなるのか。
イサクの罪を見知らぬ男が被るのか。
「それでいいか? ルイーズ?」
「考えさせて……」
「マリアンは?」
「わたしはまだ信じられないわ! 確たる証拠を見せてちょうだい!」
「そうか、では……わたしからイサク殿に話してみようか?」
「フラン! それはやめて! あなたと会ったと知ったら、イサクがなんて思うか……」
「ではマリアン、どうしたらいい?」
「あの……! わたしが! わたしが直接イサクさまに話しをします!」
「な、なんですって!」
「ああ、そうだな! それがいい! 本人に事実を知らせ、ハッキリさせたほうがいいと思うよ。マリアン! ここはやはり……当事者同士が話し合うほうがいいと思うよ。われわれはいったん手を引こう」
「フラン……でも……」
「ルイーズは妻の遠縁の娘だ。だからぼくは彼女の言い分を信じなければならない。でも、マリアンは嘘だと思うんだろう? こればっかりは当事者にしかわからないことだ。ルイーズが嘘を吐いているのならば、イサク殿に接触できないだろう。もしも本当ならば、イサク殿がルイーズとなんらかの決着をつけるはずだ。マリアン、そういうことでいいかな?」
「フラン……わかったわ」
――ガタンッ。
わたしは2人にあいさつもせず退席した。
怒りと悲しみでどうしていいのかわからなかった。
零れ落ちそうな涙を必死でこらえながら人ごみを走り抜けた。
このままどこかへ消え去りたい!
どうして、あとからあとからわたしの元へ苦しみがやってくるのだろう。
人生とはそういうものなのか。
2人で困難を乗り越えようと手を差し伸べてくれたその相手に、いま責めさいなまれている。
運命とはなんと皮肉なものだろう。
◇ ◇ ◇ ◇
王城にもどりイサクのことを確認した。
フランの言うとおり領地に出掛けていた。
釈然としないまま仕事にもどった。
ルイーズはイサクにこどもの話をするつもりなのか。
そのときイサクはどうするのか。
わたしにルイーズのことを打ち明けるだろうか。
それとも、隠してどうにかする?
もしくはわたしを捨て、ルイーズとこどもを選ぶかもしれない。
ネイサンにあれほど家族を大切にするよう助言していたイサクだから。
彼には家族がいない。
だから余計に自分のこどもは欲しいであろう。
ルイーズがこのまま連絡を寄こさなければ、妊娠はやはりわたしの思っていた通り作り話だ。
嘘だとしたら――このことがルイーズにとってなんの特になるのか。
ルイーズの妊娠はあきらかだ。
彼女はこどもを産むことができれば、父親は誰でもいいらしい。
だったらなぜ、その相手がイサクでなければならなかったのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇
「マリアンー!」
「イサク!」
わたしとイサクの仲は順調だった。
イサクはますますわたしにやさしく、要所要所で気遣いを示してくれた。
新婚の住居を一緒に探しまわり、ウェディングドレスの採寸などにも付き合ってくれた。
手を繋ぎ街を散策して食事やお茶を楽しんだ。
2人でいろいろなところへあそびに出掛けた。
わたしとイサクの関係はすべてにおいて上手くいっていた。
ルイーズの問題以外は。
彼女からもフランからもその後、連絡はこなかった。
ある暑い夏の日、強烈な陽射しを浴びながら郊外へピクニックに出掛けた。
「イサクー! ウフフフ……!」
「マリアン! こらー! おてんばめー!」
「こっちよ! こっち!」
「ほーら、つかまえた!」
「ウフフフ、フフ……!」
「アハハハ、ハハ……ッ!」
2人で草原を転げまわり、はしゃぎあい走りまわった。
「マリアン……」
「イサク……」
真っ黒に日焼けしたわたしたちは大きな石に腰掛けて、夕陽を見ながらキスを交わした。
身も心も彼でいっぱいで、とても幸せだった。
この世界に、イサクとわたしだけしかいないような気がした。
◇ ◇ ◇ ◇
「フラン……なんですって! イサクとルイーズが今日……会うの?」
「ああ……それで……やっぱり心配で。どうかな? 一緒に行って遠くから2人を見守るというのは……」
「それは……」
ある日フランがやってきた。
ルイーズが遂にイサクと会うことになったと教えるために。
「君も心配じゃないか? 2人だけで会わせるのが?」
「どこで……どこで会うの?」
「この前のカフェだ。個室じゃないから、遠くから様子が伺えるよ」
「でも……そんな覗きみたいなことは……」
「マリアン! 君はこれからイサク殿の妻になるのだろう? いまから未来の夫の行動を、しっかり把握しておくべきだ!」
「でも……フラン、彼らのことは放っておくはずだったのでは?」
「関わらないのと無関心はちがうよ! パートナーの動向はキチンと確認しておくべきだ」
「そうね……それもそうだわ……。わたしの大切な婚約者のことだもの! 確認しておく必要があるわ……。おねがいフラン、わたしを彼らの元へ連れていってちょうだい」
「よし、行こう!」
フランと一緒に例の王城近くのカフェにやってきた。
店のなかは空いていた。
奥のテーブルにルイーズがいる。
彼女の死角になる席にフランと座った。
ここならイサクが来てもわたしたちに気づかないだろう。
席に着いてフランと一緒にイサクを待つ間、ふと思った。
いったいぜんたいわたしは、何をしているのだろう。
娼館の件でイサクの女性関係は黙認しようと決めたはずなのに。
唐突に悪いことをしている気分になった。
いますぐカフェを出よう!
そう決意し立ち上がろうとしたとき、入り口からイサクがやってきた。