第12話
女はそれきりわたしを訪ねてこなかった。
イサクはとても真面目な人だ。
彼を信じたい。
イサクに限ってわたしに隠し事をするなんて考えられない。
あの夜も、わたしが初めてだと打ち明けてくれたではないか。
あの女の話をもっときちんと聞いておけばよかった。
どこの誰だったのか、いまさら確かめようもない。
不安に苛まされるわたしは、フランと出会ったあの公園によく足を運ぶようになっていた。
今日もひとりで公園のベンチに座りあれこれ考えをめぐらしていた。
「あら……いやだ! あの建物は……」
公園の近くにある建物は、イサクとこのまえ泊まった宿屋だった。
「もしかして……」
だとしたら、あの建物は幼い頃にわたしが両親と泊まった宿屋だ。
こんな偶然ってあるのだろうか?
不思議な想いにとらわれた。
「そういえば……」
あのときイサクはこの公園の方角へ帰っていった。
抜け道でもあるのだろうか。
公園の奥は森になっている。
高い木々の間に見え隠れする暗い空間に、ジッと目を凝らした。
◇ ◇ ◇ ◇
「あれはいったい、何かしら?」
思い切って森の中へ入ってみた。
たいして深い森ではなく、すぐに視界が開けた。
公園の裏門があり、柵の向こうに派手な形の家が軒を連ねている。
――コツコツコツコツ……。
裏門を出て家々が建ち並ぶ方角に歩いていった。
「ここは……?」
目の前に薄暗い通りが出現した。
真昼間なのに誰もいない。
両脇に大きな家があるにもかかわらず、道幅がやけに狭い。
なんだか気味が悪くなり、公園へもどることにした。
――ニャオーン……ッ!
「きゃあっ! あー……びっくりした! なんだ……猫ちゃんか……えっ?」
猫が飛び出してきた薄暗い路地から、なんとイサクが出てきた!
知らない女と一緒だ。
2人はコソコソと話し込んでいる。
「なんで……なんで、イサクが、なぜここに……?」
――カランコロン、カランコロンッ!
風に転がるゴミが、とつぜん大きな物音を立てた。
思わず目の前の路地に隠れた。
「…………!」
――カッカッカッカッ……。
イサクは娼婦と抱擁を交わすと、わたしの目の前を通り過ぎていった。
娼婦はしばらくイサクを見送り、路地にもどっていった。
「…………」
足が震えて動けない。
よく見ると周りにある派手な建物はすべて娼館だった。
公園の裏の森で上手くカモフラージュされているが、ここはそういう場所だったのだ!
ガクガクと覚束ない足どりでなんとか王城に戻った。
騎士団に問い合わせると、イサクはまだ領地で勤務中とのことだった。
では、わたしが見たイサクは誰だったのか?
幻だとはとても思えなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「マリアン、それでね……マリアン……?」
「あ……あの、なに? モニカ、何か言った?」
「どうかしたんだい? 顔色が悪いじゃないか! また、痩せたのかい? 仕事がきついのなら、わたしが上に言ってやるよ」
「いいえ! モニカ! 仕事はヒマがありすぎるぐらいよ! とても恵まれているわ!」
「じゃあ……何かまた気掛かりなことでも? なんだい?」
「いいえ! なんでもないの!」
「ほんとうに? 何かあるなら、なんでも相談に乗るよ!」
「あ、あの……ねえ、モニカ……あの……」
「なんだい?」
「あの……公園の森の裏にある娼館なんだけど……」
「なんだって! なんでマリアンがあんなところを知ってるんだい?」
「く、ぐうぜんよ! ぐうぜん見かけただけ! 派手な建物が並んでいたから……あの……殿方はみな、ああいったところへ通っているのかしら……?」
「マリアン……ああいうところは、わたしたちには縁のない場所さ! あんたもあんなとこに寄り付いちゃだめだよ! あそこの通りには娼館だけでなく、ショー劇場や孤児院もあるんだ。よくない通りさ!」
「あの……モニカ……。イサクたちもあの……ああいったところに……」
話の流れでモニカに娼館のことを聞いてみることにした。
「騎士さまたちが行くのかってことかい? うーん……マリアン……。殿方たちのことは詮索しないでおくほうがいいってもんさ! そのほうが幸せだよ」
「では……」
「貴族のたしなみってやつさ! だから、娼婦が王家の子を身籠ることがあるんだよ。オトシダネってやつさ」
「そうね……」
わたしも男爵の娘だ。
その手の話なら聞いたことがある。
「あの……イサクもその……他の女性と……」
「イサクさまがかい? あの人は有名な堅物だ! イサクさまに女がいるなんて聞いたことないよ! 昼夜惜しまぬ努力であそこまでなられた方だ。本当に立派な方だよ」
「そう……そうよね!」
「そうさ! 女なんかにかまってたら、あの若さであそこまで出世なんかできない! 文武両道の素晴らしい騎士さまだ。その方と、実の娘のようなマリアンが……わたしも鼻が高いよ!」
「モニカ、どうもありがとう……。あの……それで、もしも……もしもよ? このさきイサクが側室を望んだとしたら、そのときは……」
「そんなに気になるのかい? 確かに……王都は一夫多妻を認めてるよ。イサクさまだって男だ。結婚してお金や地位が出来て年取ったその先までは、わたしにだって保証はできないよ。お金や地位ができると、男は己のステータスのために側室を持ちたがる。女は自分を飾るアクセサリーみたいなもんだからね。一流の娼婦や女優たちは、それはそれは……美しいからねえー」
「…………」
では、万が一浮気相手に子供ができたら側室もありえるのか。
水色のドレスの女の言い分はとうてい信じられない。
だが、可能性は残しておいたほうがよさそうだ。
楽しいだけのはずの結婚に、暗雲が立ちはじめた。
イサクと女の抱擁シーンはわたしの記憶の中から閉め出すことにした。
相手は娼婦だ。
モニカだけでなく他の女たちにも聞いてみたが、そのようなところへ男が通うのは当然のことだと口をそろえて言っていた。
わたしが大人になって割り切るしかない。
自分にそう言い聞かせながら、もんもんとしながらイサクの帰りを待ちわびた。
◇ ◇ ◇ ◇
「イサクー!」
「マリアン! 愛しのマリアン! そらー!」
「わあっ! イサクったら!」
「ハハハハ……輪舞みたいだろ?」
「ほんとうだわ! フフフフ……!」
季節は春から夏へと変わっていった。
イサクが3ヶ月ぶりに帰ってきた!
手紙のやり取りはしていたが、契りを交わしてから実際に会うのは初めてだ。
会う前はとても気恥ずかしく疑念もあったが、実際に彼を目の当たりにすると、何もかも吹き飛び喜びだけがわたしの心を支配した。
イサクは皆の前でいきなりわたしを抱き上げてクルクルと回りはじめた。
こんなイサクは初めてだ。
まわりに見せつけるようにして――視線の先にフランがいた。
彼は遠巻きにこちらを見ている。
「おれのマリアン! 寂しかったかい……?」
「ええ! もちろんよ! イサク……」
イサクの瞳はいつものごとく澄んでいて、頭の上にひろがる青空のように曇りひとつない。
なのにわたしの心の目には、暗い裏通りで女と抱擁を交わす別人のようなイサクの姿が何度も何度もくりかえし映し出されているのだった。