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第1話

「フランシスー! フランー!」

「マリアンヌ! マリアン、わざわざ見送りに?」

「ええっ!」


 16歳のわたしマリアンヌ・ジュブワは、グリーンの瞳を輝かせ栗色の巻毛をたなびかせながら頬を上気させていた。

 屋敷の前に佇む金髪碧眼の貴公子、愛する婚約者フランシス・ベネディクトを見つけて走りよると、思い切り抱きついた!


――ドンッ!


「マリアン!」

「フラン……!」 

「マリアン……朝早いから見送りはいいと言ったのに……」

「フラン! いつ迎えにきてくださるの?」

「2週間後だよ」

「帰ってきたら結婚式ね! 待ち遠しいわ!」

「ハハハハ! あっという間さ! 君におみやげを買ってきてあげよう。なにがいい?」

「指輪! 結婚指輪がいいわ!」

「おやおや……では、とびきり大きい宝石の付いた物にしようね?」

「まあ……本当に? うれしい……うれしいわ、フラン!」


 あまりのよろこびに、わたしはフランにギュッと抱きついた。

 幸せの絶頂だった。

 目をつむり踵を上げて背の高いフランに唇を差し出す。

 初めてのキスを待ちわびるわたしは、胸がドキドキしてはちきれそうなぐらい緊張していた。

 でも、フランは――。


――チュッ!


 オデコに軽くキスをしただけで、離れていってしまった。


「マリアン……離れがたくなってしまうよ。キスは結婚式までおあずけだ。いいね?」

「……はい。あっ! そうだわ!」


 わたしは首に下げていたネックレスを取り出した。

 紐の先には美しい銀製の十字架が付いている。

 小さな宝石が散りばめられた、たいへん高価な品物だ。

 

「これをあなたにお返しします。神のご加護がありますように。わたしもたくさんのご加護をいただきましたから」

「マリアン……どうもありがとう」

「フラン……どうかお気をつけて。あなたの無事を、神と共にずっと祈っています……」

「ぼくもだよ。君の幸せをずっと祈ってる」

「フラン……愛してるわ!」

「ぼくもだよ……ぼくのマリアン!」


 わたしはフランと手を取りあい、目を見つめ別れを惜しんだ。


――パカッパカッパカッパカッ。


「おやおや! マリアン! 永久トワの別れじゃあるまいし……フランを放してあげなさい。彼の伯父や家臣たちは先に出発した。すぐに追いかけなくてはいけない」

「お父さま……」


 馬に乗り、お父さまがやってきた。

 栗色の髪に恰幅のよい身体つきのジュブワ男爵だ。

 グリーンの瞳の奥には常に、わたしたちに対する愛と慈しみの心があふれている。

 これからフランの村へ、婚約者の父としてあいさつに向かう。

 フランの村へは、わたしの住むこの村から馬で五日ほど掛かる。


「では、マリアン……名残惜しいがぼくは行くよ。どうか、元気でいてくれ」

「フラン! どうかご無事で! 銀の十字架があなたを守ってくださいますように!」


 フランは白馬に乗ると、なごり惜しげにわたしに手を振った。


――パカッパカッパカッパカッ……! 

――パカッパカッパカッパカッ……! 


 フランとお父さまが出発した。

 2人が見えなくなるまで手を振り続けた。

 愛する人との別れに自然と涙がこぼれ落ちる。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 10年前、王都で両親に怒られ宿泊先の宿屋を飛び出したわたしは、近くの公園の草むらでシクシクと泣いていた。

 そのとき現れたのがフランだ。

 サラサラの金髪、美しいブルーの瞳のハンサムな少年。

 王都から遠く離れた村に住む男爵令嬢のわたしには、おとぎばなしから抜け出した本物の王子さまのように感じられた。

 フランは泣いているわたしを抱き起こすと、やさしく慰めてくれた。


「怒られたのかい? ぼくなんか、しょっちゅうさ!」

「…………」

「知ってる? 王都ではいま、こんな喜劇が流行っているんだよ」


 フランはそう言うと、面白おかしく喜劇俳優のモノマネをしはじめた。 

 実物を知らないわたしにとっても、それは実にユニークでたのしい即興劇だった。

 フランはとても明るく快活な少年で、他にも王都で起きたいろいろな話をしてくれた。


 わたしはお返しに田舎で流行りの輪舞ロンドを教えてあげた。

 手を繋ぎ輪になって面白おかしく陽気に踊る舞踊で、相手が次々に交代していく。

 フランは輪舞ロンドをとても気に入り、日が暮れるまで2人で踊った。

 わたしはドレスを汚して両親に怒られたこともすっかり忘れ、クルクル回りながらフランの美しいブルーの瞳に魅入られていった。


「君の瞳は……なんと美しいんだろう」

「わたしの茶色の瞳なんて、この栗色の髪の毛と同じぐらい平凡だわ。それよりも、あなたの髪と瞳の色……。昨日、お父さまたちと見たお城の肖像画にそっくりよ!」

「そうかい? ぼくは、きみほどチャーミングな女の子に会ったことがないけどな……あっ! そろそろ行かなくちゃ! あしたもまた、ここに来れるかい?」

「いいわよ! 約束!」

「ああ、約束だ……まいにち、ここで会おうよ!」

「ええ! いいわ!」

 

 その場でフランとは別れ、両親の居る宿屋に戻った。

 ひとりで勝手に宿屋を飛び出たわたしを、両親は怒りすぎたと謝りながら許してくれた。

 翌日から両親の目を盗みフランに会いにいった。

 彼はいつも公園にいて、わたしを待っていてくれた。

 2人でまいにち輪舞ロンドを踊った。

 そしてそれは、わたしが王都に滞在している間中続いた。


 逢瀬をくりかえすうちに幼いふたりには、次第に恋心が芽生えていった。

 彼は自分のことをシャルルと名乗った。

 セカンドネームだった。

 わたしはあえて名乗らなかった。

 両親から知らない人間には絶対に自分のことを教えないようにと厳しく躾けられていたからだ。


 親の目を盗んで見ず知らずの男の子と逢うのは悪いことだと、6歳のわたしは充分わかっていた。

 だからフランはわたしのことをグリーンのリボン姫と呼んだ。

 わたしがいつもグリーンのリボンを結んでいたからだ。


 だが、楽しい日々は続かなかった。

 たちまちわたしが村へ帰る日がやってきた。


 フランとの辛いお別れの日。

 2人で輪舞ロンドを踊ったあと、わたしは栗色の髪からグリーンのリボンを解いてフランに渡した。

 彼は青い瞳に涙を浮かべながら、シルクのリボンにずっと頬ずりをしていた。

 お返しに彼がわたしに託したのが、あの銀の十字架だ。

 紐に通して首に下げ、ずっと大事にしてきた。 

 それはとても重厚な作りをしていた。

 幼いわたしにも一目で高価な物だとわかるほどだった。


「すてき! だけど……こんな立派な物、悪くてもらえないわ」

「それはぼくの大事な物だ。だから、大切な君に持っていて欲しいんだ。だったら……そうだ! 今度会ったときに返してくれ! お互いが一時的に預かることにしよう」

「この十字架とグリーンのリボンを? じゃあ……約束よ?」

「うん! 約束だ!」


 フランは青い瞳を涙で曇らせながら、グリーンのリボンにそれはそれは愛おしそうに頬ずりをした。

 それを見ているわたしの目にも涙が浮かんできて、十字架を持つ手が震えた。

 あのときのフランの切ないブルーの瞳が、いつまもでわたしの心をとらえて離さなかった。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇


――コツ……。


「あら? 何かしら?」


 足先に何かが当たった。

 拾い上げてみると数センチほどの細い銀の棒だった。

 

「もしかして……」


 フランの十字架の先に付いていた物かもしれない。

 

「取り外しが出来たのね……結婚式のときに渡せばいいわ」


 わたしはそれをポケットにしまい込み、それきり忘れてしまった。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇


 お互いに素性を明かさずに別れたわたしとフランがなぜ婚約にまで至ったのか。

 それは、フランの伯父のせいだった。

 王都から村に帰ったわたしの元へ、顔に大きな傷がある大男が訪ねてきた。

 フランの伯父だった。

 彼は黒髪に青い瞳の王都の近くの村を治める男爵で、フランからどうしてもわたしと婚約をしたいと申し出があったと言っていた。

 フランの伯父はツテを使ってあちこち探しまわり、遂にわたしを捜しあてこの辺境の村まで訪ねてきた。


 わたしは、飛び上がってよろこんだ。

 両親も賛成してくれた。

 だが、まずは2人が本当に心を通い合わせることが大切だという話になり、わたしとフランはさっそく文を交わすようになった。

 それは素晴らしい手紙だった。

 8歳の少年とは思えない達筆さで、季節のあいさつからはじまり心を打つ巧みな詩文には、見事な花や鳥の絵まで添えてあった。

 フランとは1度も再会できないままそんな関係が10年続き、ここにきてやっと正式な婚約を結ぶために、彼自らわたしの村を訪ねてきてくれた。

  

 18歳のフランはサラサラの金の長髪を腰までたなびかせ白馬に乗って現れた。

 顔に傷のある大男の伯父と数人の家臣を伴って。

 フランは馬から降りると腰を折ってヒザマズき、美しいブルーの瞳を輝かせながらわたしにプロポーズをした。

 想像通りの素晴らしいその容姿とたたずまいに、わたしはたちまち夢中になった。


 まるで夢の世界にいるみたいだった。

 背も低く平凡な容姿のわたしでも、おとぎばなしのお姫さまになることができた。

 有頂天になったわたしは婚約式の舞踏会でフランと一緒にいつまでも、クルクルと輪舞ロンドを踊り続けた。

 それは夜中過ぎまで続き、さすがに両親も渋い顔をしはじめた。

 両親に気を遣い、フランがわたしに退席を促した。

 だが、もっと踊っていたいとわたしは駄々をこねた。


「マリアン、魔法は真夜中を過ぎると解けてしまうんだよ?」

「まあ、フラン! それは、ねずみが出てくるお話しでしょう? 今は春よ! かぼちゃの収穫はとっくに終わってるわ!」

「フフフフ……かしこいマリアン。そろそろり輪舞ロンドを終わらせましょう。いつまでも踊っていると、目がまわって倒れてしまいますよ」

「まあ! フフフフ……レディがこんなに笑ってはいけないのだけれど……ああ、フラン! うれしくすぎて……胸がドキドキして破裂しそうよ! とっても幸せ……生まれてきてよかった! わたしは世界一の幸せ者だわ!」

「ぼくもだよ、マリアン……。だけど待って! 人生にはさまざまなことが起きる。このさき……」


 美しい眉間にシワを寄せ、真剣な表情をするフランにドキリとした。

 

「このさき? なに? なにかあるの? フラン!」

「……もっと幸せがやってくるよ! マリアン!」

「まあ! やだ! おどかさないでよ! フランったら!」

「アハハハ、ハハ!」

「ウフフフフフ……!」


 フランの胸を拳で叩きながら背の高い彼を見上げ、思い切り笑った。

 人生最良の日。

 なのにわたしは、視界に入ってきた天井画に言い知れぬ恐怖を感じた。

 そこには神々の物語が流麗と描かれているのだが、そのひとつのアポロンと目が合った。

 神託を授ける予言の神が、美しいブルーの瞳でこちらを鋭く見つめていた。


 首をブルブルと振り、暗い予感を遥か彼方へと追い払った。

 気のせいだ。

 そんなわけがない。

 これだけ幸せの材料がそろっているのだ。

 わたしが不幸になるわけがない。

 そしてまた王子さまフランと舞踏ロンドを踊りながら、夢の中へと埋没していった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 それから2週間後。


――旦那さまー!

――旦那さまがーっ!

――なんてことだ……。

――うわあああー……っ!


「お、お父さまが……! そんな……」

「あなた……! あなた……!」


 目の前の現実が信じられなかった。

 お父さまが――遺体となって運ばれてきた。

 フランの村の近くの川へ謝って転落したのだ。

 お父さまを助けようと川に飛び込んだフランは行方不明となっていた。

 彼の遺体は遂に見つからなかった。

 この村を出発して5日後のことだった。


「そんな! ウソだわ! これは何かの冗談よね? ね? そうでしょう? お父さま! 目を開けて! 助けてフラン! フランー!」

「マリアン!」


 わたしは泣きながら、お父さまとフランと別れた門の外まで走り出ていた。


「お父さまー! フランー! どこにいるのー! 返事をしてー!」


――ビュオオオオーッ!


 風の強い日だった。

 人っ子ひとりいない通りからは返ってくる言葉などない。

 それでもわたしはキョロキョロと必死に周囲を見渡した。

 どこかにフランが潜んでいるのではないか。

 お父さまと一緒にやってきて、これは悪い夢だとわたしを抱きしめ慰めてくれるはずだ。


「うそよ! うそだわ! フランが死ぬはずないわ! だって、わたしに……わたしに指輪を買ってくれると……結婚式を挙げると……。それなのに……あああー……っ!」


――バタッ!


「ウワアアアアーッ!」


 わたしは地面に突っ伏して声を荒げて泣いた。

 泣いても泣いても、フランは現れない。

 これが現実か。

 おとぎばなしの魔法は、消えてなくなった。 

 

「どうしてこんなことに……! おお! 神よ! いますぐお父さまとお母さまを生き返らせてください! わたしの元にフランを返して!」


 地面にヒザマズき神に語りかけていると、屋敷の従業員たちがわたしを探してやってきた。


「お嬢さま、たいへんです! 奥さまがお倒れになられて!」

「なんですって! お母さまが?」


 わたしはいそいで屋敷に戻った。


――バンッ!


「お母さま! お母さま……どうして!」

「マリ……アン……」


 両親の寝室に駆け込むと、お母さまが目を瞑ったままムシの息で苦しんでいた。

 わたしはお母さまに泣きすがった。


「お母さま! お母さま……いやー! お母さまー!」

「お嬢さま、お静かに。危篤状態です。心臓発作を起こされて……いま、侍医を呼びに行っておりま……」

「なんで? どうして? お父さまやフランに引き続き、お母様まで……!」

「ハアハア……マリ……アン……」 

「いやよ! いや! お母さま! お母さま! ひとりにしないでー!」

「どうか……あなた……だけは……しあわせに……」

「お母さまー!」


 ◇ ◇ ◇ ◇


――カーンッ、カーンッ、カーン……ッ。


 祈りもむなしく、お父さまに引き続きお母さまも還らぬ人となってしまった。


 わたしとフランは書類の作成とサインを終えて正式に婚約をしていた。

 あとは結婚式を残すのみで、教会の準備や招待客の手配もすべて済んでいた。

 その教会で、結婚式ではなく葬儀をするはめになろうとは。


「うそよ……うそだわ……こんなの全部、悪い夢。明日の朝になれば、きっとすべてが元どおりになっている! フランもわたしの元に、帰ってくるはずだわ……」

「かわいそうな、マリアンお嬢さま……」

「ご両親と婚約者をいっぺんに亡くされて……」

「ああ……なんで! どうしてなの? なぜ、わたしばかりがこんな目に! 神さま! どうして! どうしてなの……あああっ……!」


 わたしは神の御前で泣き崩れた。

 美しい夢も輝かしい未来も素晴らしい家族も愛する人も神への信頼までも、何もかもが消えて無くなった瞬間だった。

 わたしは教会の床に突っ伏したまま、いつまでもいつまでも泣いていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇


「え? 屋敷に入れない? おじさま、どうしてですか?」

「マリアン……亡くなって初めてわかったのだが、おまえの家には多額の借金があったのだ。さきほど債権者がやってきて、ぜんぶ差し押さえていった」

「借金ですって? どうして?」

「わからない……悪いが、わたしたち親類はおまえと縁を切らしてもらう。わたしたちまでおまえの家の借金を背負わされてはたまらないからな」

「そんな……! おじさま!」


 両親の葬儀が終わったあと教会から屋敷に戻ろうとしたわたしに衝撃の事実がもたらされた。


「どうしてなの? 去年は収穫高はいつもの年より上がっていたわ。今年も温暖で、作物の実りが期待されているのに……。お父さまが借金なんてありえないわ!」

「だが、マリアン。債権者の持ってきた書類は正式な物だった。畑や山林、屋敷や土地の権利書もすべて差し押さえられた。家臣たちと話し合い従業員には全員出ていってもらった。屋敷にはもう、1歩たりとも踏み込むことは許されない。石ころひとつでも持ち出せば、逮捕されるそうだ」

「そんな……そんなことが……」


 わたしが両親とフランの悲しみに暮れている間に、すべての話し合いが済まされていた。 

 家財産を差し押さえられ、領地もすべて領民ごと人手に渡っていた。

 わたしは一瞬にして無一文になってしまった。


「マリアン……隣り村の農場に空きがある。そこに身を寄せるように手配しておいた。あとは神に祈るしかない。両親と婚約者の魂が安らかに眠るように……」

「おじさま、ひどいわ! あとは祈れですって? 祈る? 神に祈るですって? 教会なんかあてにならないわ! 神が何をしてくれた? 祈れば祈るほど不幸になったわ!」

「マリアン! それ以上の、神への冒涜は……」

「だけど……この世に神はいないわ……。わたしを助けてくれる人は誰もいない!」

「マリアン、すまない……。恨まないでくれ……わたしたちにも生活があるんだ……」

「…………」


 親戚のおじに隣り村へ送られた。

 そこは小さな寒村で、わたしはそこでいちばん大きな農場で雇われた。

 いままで家臣や召使に囲まれて大切に育てられてきたわたしにとって、辛い屈辱の日々がはじまった。


 生まれて初めての肉体労働。

 苦難の連続だった。

 火もおこせなかったわたしたちが、薪を割り畑を耕すことを強いられた。

 それが出来なければ、容赦なく叱責が飛んできた。


 冷たい井戸水で皿を荒い洗濯をして家畜にエサをやり農場中の掃除をした。

 みるみるうちにわたしの手は荒れてガサガサになり堅く強張っていった。

 髪を留めるリボンひとつもない。

 櫛も通せないわたしの髪は伸び放題でボロボロになっていった。

 着たきりの服も靴もたちまち汚れて穴だらけだ。

 食べる物もろくに与えられず、カラダは痩せ細っていた。


「はあー……つかれた……ゴホンッ、ゴホンッ!」

 

 わずかな望みを託しベネディクト家に書簡を出した。

 最初はまだフランが見つからなくてと丁寧な返事を寄こしてくれたが、生活の困窮を訴えはじめたころから手紙は1通もこなくなった。

 そのうちあて先不明でもどってくるようになった。

 希望をなくしたわたしは、誰かを恨む暇もないほどの忙しさと労働の辛さに耐えながら、孤独と悲しみの内に沈んでいった。


 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 3年の月日が流れた。

 わたしは早朝、王都に向かっていた。

 ゆうべ雇われ先の農場主夫婦の会話を聞いてしまったからだ。


「ねえ、あんた。マリアンの迎えはあしたの朝くるんだよね?」

「ああ。痩せてガリガリだがあれだけの容姿だ。きっと高値で売れるよ」

「マリアンには買い出しだって言おうね。あの子は世間知らずだから素直に付いていくだろうよ」

「大した働き手でもないのに、ジュブワ男爵の義理だけで3年も面倒みたんだ。ここらで娘を売っても、バチは当たらないだろう」


「…………!」

 

 すぐに荷物をまとめ、まだ暗いうちに農場を抜け出した。

 両親の墓地にお参りしてから、森を抜けて馬車道へ出た。

 乗り合い馬車がやってきたので飛び乗った。


――ガラガラガラガラッ! ガラガラガラガラッ!


 あれから5日、わたしは馬車に揺られ続けている。

 このまま行けば、あと二日ほどで王都に到着するだろう。

 農場から遠く離れても、わたしの心は今も辛く苦しい。

 思い出すのは幸せだった両親との生活、そして愛するフランのことばかり。

 それらはすべて、幻のようにわたしの指の間からこぼれ落ちてしまった。

 

「これから、どうしたらいいんだろう……」


 王都へ行っても知り合いはいない。

 愛する人々と財産のすべてを失ったわたしに残された物は、農場で貯めたわずかばかりの給金と、フランの十字架からはずれた奇妙な銀の棒だけだ。

 ポケットに仕舞いこんであったそれは、よく見ると百合の模様が表面に打ち出されていた。


「何をする物かしら……? 先がザラザラしているわ」


 光に透かして見ていると、馬車が小さな村の前を通り過ぎようとした。


「ここは、もしや……?」


 村の前に立つ看板を見て心臓が跳ね上がった。

 フランの屋敷がある村の名称が書かれていた。


「すみません! 降ります!」

「お嬢さん……ここで? 次の馬車が来るのは明日だし、やめたほうが……」

「いいんです! あの……近所に知り合いの家があります! だから、大丈夫です!」

「それは本当かい? このあたりは、あまりいい噂を聞かないんだが……」


 わたしは馬車代を払い、その場で降ろしてもらった。

 

「ここが、フランの生まれ育った村なのね……」


 寂れた木の門は扉が壊れ開け放されたままになっていた。

 門番も誰もいない。


――キイッ……。


「すみません……!」


 門を開けて村の中を覗き仰天した。

 想像とはだいぶ違う場所だった。

 うらぶれた様子で、何年も修復していないであろうボロボロの家が軒を連ねていた。

 足元はゴミだらけで、瓦礫の山が通りのあちこちにうず高く積まれていた。

 もはや村としての機能を果たしていないのではないだろうか。

 フランの話だとこの村は、もっと大きくて栄えていたはずだ。

 なぜこんなに寂れているのだろう。


 村の中へ足を踏み入れる勇気はとてもじゃないがなかった。

 昼間だというのにやけに暗いし、人がいない割にはどこかに誰かが潜んでいそうな雰囲気があって恐かった。

 御者の言うとおりだ。

 降りなければよかった。


 通りまでもどりあたりを見回した。

 深い森に囲まれている。

 野宿が出来るような場所ではない。

 コヨーテがいたらどうしよう。

 途方に暮れたわたしの前に1台の馬車が近づいてきた。


――ガラガラガラガラ……ッ。ガタンッ!

 

「お嬢さん、どうしたんだい? こんなところで……」

「あの……」


 窓を開けたのは初老の女性だった。

 わざわざ馬車から降りてきてくれた。


「この村に知り合いがいて、訪ねてみたのですがどなたもいらっしゃらないようなので……」

「この村に? 間違いないのかい?」

「はい……」

「それはおかしいね? この村には誰も住んじゃいないよ!」

「ええっ! そんな……そ、それは……いったい、いつ頃からですか?」

「さあ……ずいぶん前からここは廃村だよ。流れ者が住み着いてるって噂があるから、近隣の者は誰も寄り付かないよ」

「そんな……」

「お譲さんの捜し人は誰だい?」

「フランシス・ベネディクトです。ベネディクト家をご存知ないですか? 男爵家なんですが……」

「男爵だって? このあたりに貴族なんかいるわけないじゃないか!」

「そ、そうなんですか……」

「こんなとこにいても仕方がないよ! わたしはこれから王都で友人の葬儀に参列するところなんだ。乗っていくかい?」

「ほんとうですか? 助かります! ぜひ、乗せてください!」

「じゃあ、お乗りよ! わたしもひとりで退屈だったから、ちょうどいい! 話し相手になっておくれ」

「はい、ご親切にどうもありがとうございます!」


 わたしは丁寧に礼を述べると老婦人の馬車に乗り込み王都へ向かった。

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