八、地下牢の隠し部屋
八、地下牢の隠し部屋
ネイルは、ディールに、地下牢の入口へ連れて来られた。
不意に、ディールが、牢獄と外界との境目の格子の前で足を止めた。
ネイルも、すぐに、つられて歩を止めた。
ディールが、振り返り、「ネイル殿、ダ・マーハ様の言いなりになってしまって、申し訳ない…」と、思い詰めた表情で、頭を下げて詫びた。
「いいや。気にするなよ。これは、あんたが謝るのは、筋違いだと思うぜ」と、ネイルは、頭を振った。そして、「あの場合、俺が、罪人にならないと、あんたの立場が悪くなるだけだろう?」と、逆に気遣った。自分が、我を張れば、ディールの立場が悪くなるだけだからだ。
「ええ。でも、あれは、どう見ても、ネイル殿に、非は有りませんし、ジェリア様も、暴行をされた訳でもありません。むしろ、私には、ネイル殿に会われて流した涙にしか見えませんでしたけど…。あれを暴行だと騒ぎ立てるダ・マーハ様の気が知れません…」と、ディールが、訝しがった。
「俺のような身分の卑しい奴が、ジェリア様を連れて帰った事が、気に入らないんじゃないのか?」
「確かに、それは、考えられますね。私も、正直なところ、嫉妬しましたから」と、ディールが、率直な言葉を返して、苦笑した。
「しかし、あれは、異常だぞ。事情も聞かずに、一方的な言い掛かりで、牢屋行きなんだからな」
「そうですね。でも、ダ・マーハ様も、些か動揺していたのかも知れませんよ。ま、ほとぼりが冷めましたら、牢屋から出られるでしょうから、しばらく辛抱して下さい」
「そうだと良いんだがな。あの様子では、当分、出られないかも知れないな」と、ネイルは、険しい顔で、溜め息を吐いた。ダ・マーハの態度には、悪意しか感じられなかったからだ。
「では、参りましょうか?」と、ディールが、声を掛けた。
「ああ」と、ネイルも、すぐに、同意した。
二人は、格子を潜り抜けて、獄中に進入した。そして、左側の検閲所に差し掛かった。
長い黒髪で、狐耳が、頭頂に突出したメギネ族の男性版とも言うべき種族のイナ族の番兵が、両足を机の上に乗せて、大きな欠伸をしながら寛いでいた。
ディールが、イナ族の番兵へ詰め寄り、「おい! 牢に誰も居ないからって、何を寛いでいる!」と、八つ当たりをするように、一喝した。
次の瞬間、「あわわ!」と、イナ族の番兵が、驚きのあまりに、石床に転げ落ちた。その直後、慌てて立ち上がり、「あ、ディ、ディール様、 何用でございますか?」と、苦笑いを浮かべながら、取り繕うように、問い返した。
「この者の入牢手続きをしたいんだ」と、ディールが、厳しい口調で、答えた。そして、「さっさとしろ!」と、間髪容れずに、急かした。
「は、はい!」と、イナ族の番兵が、そそくさと席に着いた。そして、机上の手前左隅に備え付けられている筆立てに差して有る白い羽毛の付いた筆へ右手を伸ばした。それと同時に、左手を机の下の引き出しから、何も書かれていない色褪せた薄茶色い半紙を取り出して、机の上に置くなり、「ど、どのような罪状ですか?」と、声を震わせながら、問い掛けた。
「ジェリア様への暴行容疑だ」と、ディールが、素っ気なくさばさばと答えた。
イナ族の番兵が、左手で、筆立ての右隣の台形の小瓶の蓋を開けた。そして、右手の羽根筆の先を、中の黒い塗料に浸して、すぐに出した。その直後、|半紙へ、すらすらと罪状を記入し、「ざ、罪人の名前は?」と、尋ねた。
「ネイル・ガーシンスだ」と、ネイルは、素っ気ない態度で、すかさず名乗った。
「ネイル・ガーシンスっと」と、イナ族の番兵が、罪状の下へ、ネイルの名を記入した。そして、「ディール様、牢屋は、何処でも空いて居りますから、適当な房へ入れて入れておいて下さい」と、飄々とした態度で、鍵の束を差し出しながら指示した。
ディールが、鍵を受け取り、「分かった」と、承知した。そして、ネイルを一瞥するなり、「行くぞ」と、ぎこちない毅然とした態度で、促した。
「ああ」と、ネイルは、その不自然な仕種に、笑いを噛み殺しながら、何食わぬ顔で、返事をした。ディールが、部下の手前、無理をして威厳を示しているのが、見え見えだからだ。
ディールが、再び、歩を進め始めた。
少し後れて、ネイルも、引かれるまま、付いて行った。そして、壁に備え付けられた拳大の照光石が、ほんのりと照らす陰鬱な通路を進んで、幾つかの房の前を通り過ぎた。
しばらくして、ディールが、一番奥の房の前で立ち止まった。そして、振り返るなり、「ネイル殿、今しばらく辛抱して下さい」と、手枷を外しながら囁いた。その直後、「さあ、入れ!」と、番兵に聞こえるくらいの大声で、促した。
「そんなに大きな声を出さなくても、聞こえているよ」と、ネイルは、わざと口答えをしながら、鉄格子を潜り抜けて、房の中へ入った。この方が、ディールの面目も立つと思ったからだ。そして、すぐさま振り返り、「俺は、ジェリア様に、暴力なんか振るっていないからな!」と、敢えて、声を張り上げて、無実を訴えた。
「分かった、分かった。お前の言い分は、裁判で聞いてやるから、ここで、大人しくしていろ!」と、ディールが、扉を閉めながら返答した。そして、施錠するなり、「早い内に、お前の処遇を決めてやるから、覚悟しておけ!」と、一言言い残して、足早に、踵を返した。
少しして、ネイルは、ディールの足音が聞こえなくなると、数歩下がって、ざらつく感触の石壁に、背中が触れた。そして、すぐに、その場で腰を下ろして、凭れた。次の瞬間、いきなり壁が崩れるなり、「うわ!」と、驚きの声を発しながら、仰向けになった。一瞬後、些か、薄暗い空間が、視界に入った。
「おい! 何を騒いでいるんだ!」と、イナ族の番兵の怒号が、聞こえて来た。
ネイルは、すぐさま起き上がって、格子へ歩み寄り、「見慣れない虫が出て来たから、驚いただけだ!」と、大きめな声で返答した。番兵に、この状況を見られたくないからだ。
「分かった。静かにしろよ」
「はいはい」と、ネイルは、投げやりな返事をするなり、すぐに反転して、崩れている箇所から四つん這いで、潜り抜けた。そして、その空間へ進入した直後、立ち上がった。少しして、目が、暗闇に慣れると、室内を見回した。その結果、牢屋とは異質の部屋だと判明した。
不意に、「そこに…居るのは…、誰じゃ…?」と、奥から弱々しい男の声がして来た。
ネイルは、目を凝らして、更に、注意深く周囲を見回した。少しして、右奥の床で、誰かが横たわっているのに気付いた。その直後、「おい、そこに、何で寝ているんだ?」と、身構えながら、問い掛けた。まさか、人が居るとは思いもしなかったからだ。
「わしは…、寝ている…訳じゃ…ない…」と、横たわった男から、弱々しい言葉が返った。
「じゃあ、どうして?」と、ネイルは、怪訝な顔をした。このような隠し部屋で、寝ている事が、胡散臭いからだ。
「わしの…側近に…、裏切られてな…」と、横たわった者が、自嘲気味に言った。そして、「そなたは…、先刻…、ジェリアと…申した…者か…?」と、問い返した。
「ああ、そうだが。あんたは、ジェリア様と…」と、ネイルは、言い掛けて、息を呑んだ。この城の中で、ジェリア様を呼び捨てに出来る者は、一人しか居ないからだ。そして、横たわった者の傍まで、足早に歩み寄った。その瞬間、絹の寝間着姿で、両手足を縄で縛られているばさばさに乱れた金髪で、細身のバニ族の男性だと確認した。少し間を置いて、「ひょっとして、御無礼を承知で申しますが、あなたは、王様では?」と、恐る恐る尋ねた。ジェリアの父親だと確かめておきたいからだ。
「如何にも…。わしは…、ハリア・キュリナークじゃ…」と、バニ族の男が、名乗り返した。そして、「とにかく…、話は後じゃ…。早く…縄を…解いて…くれないか…」と、要求した。
「は、はい!」と、ネイルは、速やかに、右手で、背中の剣を抜いた。次の瞬間、要求通り、瞬く間に、縄を切断した。そして、すぐさま、一歩後退して、剣を逆手に持ち替えるなり、背中へ回して、跪いた。
その間に、ハリアが、上半身を起こした。そして、右手首を動かしながら、「ふぅ…。やっと…自由になった…」と、一息吐いた。少しして、顔を向けるなり、「そち…、名を…何と申す…?」と、問い掛けた。
ネイルは、顔を伏せるように、俯いて畏まり、「自分は、ネイル・ガーシンスと申します」と、すぐさま名乗った。その後、「先程の無礼な物言い、申し訳ございません」と、先刻の物言いを詫びた。まさか、王が、横たわっているとは、思いもしなかったからだ。
「ほう…。ネイルと…申すか…」
「はい…」
「ネイルよ…。そちは…、ジェリアと…どういう…関係じゃ…?」と、ハリアが、尋ねた。
ネイルは、峠でのブヒヒ三兄弟の襲撃から、入牢までの経緯を掻い摘まんで話した。
しばらくして、「なるほど…。そちが…、ここまで…、ジェリアを…」と、ハリアが、言葉を詰まらせた。少し間を置いて、「ネイルよ…。苦労を…掛けたな…」と、労いの言葉を掛けた。
「自分には、勿体無い御言葉です」と、ネイルは、ゆっくりと頭を振って謙遜した。自分には、身に余るくらいの言葉だからだ。
「ネイルよ…。面を…上げい…」と、ハリアが、促した。
ネイルは、顔を上げて向かい合うなり、「王様、先程仰ってました側近と言うのは、ダ・マーハ達の事ではございませんか?」と、敢えて、名指しで問うた。ハリアの身辺で、次に身分の高い者達は、ダ・マーハとネデ・リムシーの二人しか居ないからだ。
「うむ。そちの…申す通りじゃ…」と、ハリアが、ゆっくりと頷いた。そして、「八日前…、わしは…就寝中…、奴らに…縛り上げられ…、ここに…放り…込まれたんじゃ…」と、語った。
「そうですか。しかし、ダ・マーハの奴が、王様は、バニ族にしか伝染しない病で、病床に臥していると言ってましたからね」「なるほど…。まあ…、わしが…病気と言うのが、奴らにとっては…、体裁の良い…人払いに…なるからな…」
「今思えば、そうかも知れませんね。自分も、バニ族にしか伝染しない病気と言うのは、正直なところ、胡散臭いと思いました。しかし、自分の知らない病も有ると思いましたので、その場では、何も言えませんでした」と、ネイルは、自責の念にかられて、歯噛みした。ダ・マーハの嘘を見す見す見逃してしまったからだ。
「わしも…奴らを…信じ過ぎて…しまった…ようじゃ…」と、ハリアが、溜め息を吐いた。その直後、「むっ!」と、息を呑むなり、「ネイルよ…! 奴らの…毒牙が…ジェリアに…向かっているかも…知れんぞ…!」と、ジェリアの身を案じた。
「そうですね。連中が、何を考えているのか分かりませんけど、ジェリア様が狙われている事は、間違いないでしょうね」と、ネイルも、同調した。ダ・マーハ達が、ジェリアを手に掛けようとしているのは、時間の問題だと考えるべきだからだ。
「こうはしては居れん! 一刻も早く、ここから出るとしようではないか!」と、ハリアが、別人のように、声を張り上げるなり、居ても立っても居られないと言わんばかりに、立ち上がった。だが、すぐにふらついて、右手で目頭を押さえながら、その場にしゃがみ込んだ。そして、「く…これしきの事で…」と、情けないと言うように、悔しがった。
「王様、八日も縛られて、横になられて居たのですから、急に立たれても、御身体の感覚が、まだ、元に戻られていないのでしょう。それに、牢番の前を堂々と通られても、ダ・マーハ達に動きを察知されると思いますよ」と、ネイルは、進言した。いきなり、ハリアが、牢屋から出るとなると、間違いなく城中が、大騒ぎになり、ジェリアへの危険度が、急上昇すると考えられるからだ。
「ネイルよ、案ずるな。この部屋は、そもそも、我が祖先が、脱出用に構えた隠し部屋じゃ。わしとて、堂々と人目に付く行動などせんわ。実はのう、この部屋には、隠し通路が存在しており、その通路は、ローナの郊外の南西に位置する古井戸に通じておるんじゃよ」と、ハリアが、得意げに告げた。
「なるほど。そういうものが在るんですか」
「ネイルよ、そこで相談なんじゃが。この部屋の左奥の隅に有る鉄板を除けて貰えんかな?」と、ハリアが、右手で、左奥の隅を指しながら依頼した。そして、「今のわしの体力では、動かす事も、ままならんからな」と、自嘲気味に、言葉を続けた。
「分かりました」と、ネイルは、承諾するなり、すぐに、剣を鞘に収めて立ち上がった。そして、その方へ八歩進んだ。すると、左右に持ち手の付いている人が一人乗れるくらいの幅の有る正方形の錆びた鉄板を視認した。その直後、足を肩幅まで開いて、腰を屈めた。そのままの姿勢で、両手を持ち手に伸ばして、掴んだ。その刹那、力一杯引っ張った。しかし、思いの外、びくともしなかった。しばらく力んで引っ張っり続けたが、移動させる事が出来ずに、手を離した。
「やはり、錆び付いて、無理か…」と、ハリアが、落胆の溜め息を吐いた。
「王様、もう一度、やってみます!」と、ネイルは、気合いを入れ直すように、大きく息を吸った。そして、再び、持ち手を掴んで、今度は、腰を落として、体重を後方に掛けた。この方が、腕力以上の力を掛けられるからだ。少しして、僅かだが、擦れる音が聞こえた。
その直後、「おお! ネイルよ。すまぬが、もう一頑張りしてくれっ!」と、ハリアが、歓喜の声で、激励した。
「はい!」と、ネイルは、返事をした。そして、先刻と同様のやり方を継続した。しばらくして、汗だくになりながら、最初の位置から、三歩分後退した位置まで移動させた。
そこで、「ネイルよ、よくやった」と、ハリアが、労いの言葉を掛けながら、右隣に歩み寄って来た。
ネイルは、肩で息をしながら、ハリアを見やり、「王様、これで、どうですか?」と、尋ねた。自分としては、一人が入るには、十分な空間が出来たからだ。
「おお! 十分じゃ!」と、ハリアが、満足げに答えた。そして、「ネイル、お前も、一緒に来るんじゃ」と、誘った。
ネイルは、頭を振り、「王様、ここは、御一人で、御逃げ下さい。俺は、ここに、残ります」と、断った。ここで、ハリアと共に出たとしても、後々、不都合が生じると、予測が出来るからだ。
「何を遠慮しておる? わしと一緒に抜け出すのが、不服だと申すか?」と、ハリアが、厳かな口調で、問うた。
「ち、違います! 誤解しないで下さい! 牢番に、俺まで居なくなった事が知られると、騒ぎになって、ダ・マーハ達が警戒するかも知れません。それに、王様が、隠し通路から脱出した事も、奴らに知られてしまいます。敢えて、俺が残っておいた方が、向こうに知られるにしても、時間が稼げるでしょうからね」と、ネイルは、取り成すように、考えを述べた。ダ・マーハ達の目を、自分に向けさせておけば、ハリアが、脱け出せる時間を稼げるからだ。
「なるほど。そちの考えは、分かった」と、ハリアが、理解を示した。そして、「じゃが、無実のそちだけを残して置くのは、心苦しいのう」と、気の毒だと言うように、表情を曇らせて、気遣った。
「王様、御気になさらないで下さい。これは、俺が望んでやる事ですから…」と、ネイルは、ハリアの顔を見据えながら、キッパリと答えた。囮になる事に、迷いは無いからだ。
「そちの言葉に、迷いは無いようじゃのう。そちの心意気を無駄にせぬ為にも、わしも、行かせて貰うとしよう。ぼやぼやしていて、ダ・マーハ達に感づかれては、意味が無くなるからのう。そちが、早く出られるように取り計らってやるから、もう少し、辛抱してくれよ」
「はい。王様も、御気を付けて下さい」と、ネイルは、一礼した。
「うむ」と、ハリアが、返事をした。その直後、つかつかと抜け道へ向かって歩を進めた。
少しして、ネイルは、顔を上げた。やがて、ハリアの姿が、見えなくなった。しばらくして、自らも、踵を返して、速やかに、房へ戻った。今は、この部屋の発見を、誰にも知られる訳にはいかないからだ。そして、先刻崩した煉瓦を房の中に運び込んで、積み木を積み上げるように、修復作業に取り掛かるのだった。




