七、ネイル、連行される
七、ネイル、連行される
朝日が、室内を照らし始めた頃、ネイルは、後ろ髪を引かれる思いで、部屋を後にしていた。そして、項垂れた状態で、黙々と重い歩を進めた。ジェリアに別れも告げられないで去る事が、心苦しいからだ。しばらくして、城門の詰め所に差し掛かった。
突然、「おい、あんたは、ジェリア様を連れて帰られたお客人じゃ無いのか?」と、陽気な若者の声が、右の方からして来た。
ネイルは、歩を止めるなり、呆けた顔で、その方を見やった。すると、見覚えのある茶髪の若い衛兵が、視界に入った。そして、「ああ、昨日の…」と、虚ろな表情で、気の無い返事をした。今は、他人と話をしたい気分じゃないからだ。
「何だい、何だい。そんなしけた顔をして? 俺で良ければ、話を聴いてやるぜ」と、茶髪の若い衛兵が、陽気に申し出た。そして、「もうじき交代の時間だから、そこの通りを少し行った先に在る武器屋を三軒進んだ先に在る酒場で待って居てくれ。俺は、しけた顔をしている奴を見ていると、何だか放って置けない性分なんでな」と、言葉を続けた。
「分かったよ」と、ネイルは、素直に聞き入れた。このまま何も言わないで帰るのも、何となく癪だからだ。そして、茶髪の若い衛兵の指定する場所へ向かって、再び、歩を進めた。少しして、通りに面した入口の軒下に、剣を象った錆びた看板をぶら下げている武器屋に、差し掛かった。その奥隣の防具屋の窓際に、古びた甲冑が、首から店名の書かれた木の板を掛けて、立て看板のように置かれていた。その前を通り抜けて、並びの三軒目に在る灰色い煉瓦造りの簡素な間口の酒場の前に、行き着いた。そして、そのまま、中へ入り、すぐに、右手に在る二人掛けの向かい合わせの席へ、入口を背にして、腰を下ろした。
その直後、青い膝までしかない一繋ぎの服とその上に、ひらひらした布を両肩と縁に誂えた白い前掛けという身形で、頭頂にも、前掛けの縁と同じような布を誂えた髪飾りを被った狐耳が特徴で、その服の胸元が、はち切れんばかり豊満な胸とくびれた腰つきの艶やかな容姿のメギネ族の給仕娘が、腰まである金髪を靡かせながら、颯爽と現れた。そして、間髪容れずに、「いらっしゃいませ。ご注文は、何になさいますか?」と、柔和な笑顔で、問うた。
「あ、連れが来てから注文させて貰うよ」と、ネイルは、答えた。
「分かりました。御用が有れば、お呼び下さい」と、メギネ族の給仕娘が、軽く一礼をして、踵を返した。
ネイルは、時間潰しがてら、周囲を見回した。そして、左手の奥のカウンターに、七つの丸椅子が並んでおり、二人の中年の男性客が、間に二席空けて座りながら、店主と談笑を交わしていた。後は、早朝の所為か、他の席には、人影を視認出来なかった。
突然、「よう、待たせたな」と、茶髪の若い衛兵の声が、背後からして来た。
ネイルは、すぐさま振り返り、「いいや。それほどでもないぜ」と、返答した。大して、待たされた気がしないからだ。
少しして、茶髪の若い衛兵が、そそくさと向かいの席に着いた。
その間に、ネイルも、テーブルに向き直った。
そこへ、メギネ族の給仕娘が、再来した。そして、「いらっしゃあい。ご注文は、何にする?」と、先刻とは違う親しみの籠った口調で、茶髪の若い衛兵へ尋ねた。
「いつもの奴を二つね」と、茶髪の若い衛兵が、右手の人差し指と中指を立てながら、笑顔で、注文した。
「畏まりました」と、メギネ族の給仕娘が、一礼をして、立ち去った。
茶髪の若い衛兵が、向き直り、「ところで、あんたは、ジェリア様に挨拶もせずに、このまま去るのか?」と、率直に、問い掛けた。
「ああ…」と、ネイルは、仏頂面で、小さく頷いた。そして、「俺とジェリア様とは、身分が違う。俺が、意地を張って城に居座れば、ジェリア様に、要らぬ迷惑が掛かるから、身を引かせて貰うだけさ」と、淡々と答えた。この方法しか思い付かないからだ。
「それは、あんたの勝手な考えだぜ。ジェリア様が、あんたに向かって、はっきり迷惑だと言ったのなら、話は別だけどね」
「そうかもな。だが、ジェリア様には、残って欲しいと言われたよ…。はは…」と、ネイルは、苦笑した。
「じゃあ、残ってやりなよ。ジェリア様が、あんたを必要としているんだからな。ここは、戻るべきだぜ」と、茶髪の若い衛兵が、慰留するように、説得した。
「もう、城を出た以上は、戻れないさ…」と、ネイルは、茶髪の若い衛兵から視線を逸らすように、右へ顔を向けた。二度と入れてくれる道理が無いからだ。
「腑抜けた事を言うな!」と、茶髪の若い衛兵が、一喝した。そして、「あんたしか居ないんだよ! ジェリア様が、頼れる男はな! 身分なんか、関係無い! 後は、あんたが決めろ!」と、捲し立てた。
「確かに、これは、俺自身の問題だな。よし、決めた!」と、ネイルは、席を立った。茶髪の若い衛兵の檄で、迷いが吹っ切れたからだ。そして、茶髪の若い衛兵に、向き直り、「ありがとう。あんたの一言で、目が覚めたよ。俺は、危うく、ジェリア様を見捨てるところだったよ」と、礼を述べた。このまま、ジェリアに会わないで、王都を発てば、見捨てるのと同じ事になるところだったからだ。
「頑張れよ」
「ああ」と、ネイルは、小さく頷いた。そして、茶髪の若い衛兵に、背を向けて、店を出た。その直後、小走りに、駆け出した。少しして、城門の詰め所まで戻った。
その途端、ブヒヒ族とバニ族の衛兵が、槍斧を倒して、行く手を阻んだ。
「ここから先は、庶民の立ち入りは、禁止だ!」と、右側に立つバニ族の衛兵が、厳かに告げた。
「おいおい。俺は、昨日、ジェリア様を連れて来た者だぜ」と、ネイルは、何食わぬ顔で、親しげに、返答した。昨日の今日ならば、まだ、顔が利くと思ったからだ。
「ダ・マーハ様の通達により、例え客人であっても、城から出た者は、二度と入れるなという事だ!」と、ブヒヒ族の衛兵も、素っ気ない態度で、荒々しく回答した。
「は? 昨日の今日だぜ。固い事言わないで、通してくれないか? 部屋に、忘れ物をしたもんでね」と、ネイルは、おどけながら、白々しい態度で食い下がった。嘘でも何でも、先ずは、ここを通り抜けなければならないからだ。
「しつこいぞ!」と、バニ族の衛兵が、怒鳴った。
「おいおい、そんなに怒る事はないだろ? 誰だって、うっかり忘れ物をする事が有るじゃないか」と、ネイルは、宥めるように、やんわりと反論した。穏便に通らせて貰いたいからだ。そして、「時間は、取らせないからさ。頼むよ」と、両手を合わせながら、低姿勢で頼み続けた。
「駄目だ! 俺達も、ここを守るのが、仕事だ! 上からの許可が無い限り、何人たりとも通す訳にはいかん!」と、ブヒヒ族の衛兵が、頑なな態度で、槍斧の穂先を差し向けながら、身構えた。
「何だ? 忘れ物を取りに行きたいだけなのに、穂先を向けて来るとは、血の気が多いねぇ」と、ネイルは、溜め息を吐いた。衛兵と事を構える気など、更々無いからだ。
突然、「お前達、そこで、何を揉めている!」と、奥の方から聞き覚えの有る若い男の声がして来た。
その直後、バニ族の衛兵が、振り返り、「ディ、ディール様!」と、その者の名を呼んだ。
「何事だ? 朝から騒々しい!」と、ディールが、衛兵達の間から進み出た。そして、三歩手前で立ち止まり、「事情を説明しろ」と、正面を見据えながら、説明を求めた。
「この者が、忘れ物を取りに行かせろと、図々しく申して来たものですが、ダ・マーハ様の何人も通すなと言う命により、職務を遂行してましたところ、このような事態になったのです」と、バニ族の衛兵が、恭しい態度で、経緯を説明した。
「そう言う事か…」と、ディールが、納得するように頷いた。そして、左隣のバニ族の衛兵を見やり、「ま、お前達にも立場というものが有るから仕方がない。だが、ネイル殿の忘れ物を取りに行ってやるとか、どちらかの者が同伴するとか、方法は、幾らでも有るだろう。ここは、私が、同伴するという条件で、どうだ?」と、取り成すように、提案した。
「俺は、通して貰えるのであれば、どんな条件でも良いぜ」と、ネイルは、すんなりと賛同した。城内に入れさえすれば、文句は無いからだ。
「お前達の方は、どうだ? ダ・マーハ殿が、責めを問うて来たら、私が、責めを受けるとしよ」
「分かりました…」と、バニ族の衛兵が、了承した。そして、槍斧を立てるなり、「では、お通り下さい…」と、促した。
少しして、衛兵達が、両脇に下がって、道を開けた。
「では、参りましょう」と、ディールが、一声掛けて来た。そして、背を向けて、先に歩き始めた。
「すまんな…」と、ネイルも、苦笑しながら、詫びた。そして、二人の間を抜けた。
少しして、二人は、城門を潜り抜けた。そして、右手の小道へ入った。しばらくして、兵舎の玄関前に差し掛かった。
ディールが、玄関に入るなり、「ネイル殿の泊まられていたお部屋は、確か、城寄りの角部屋でしたね?」と、確認するかのように、尋ねた。
「ああ。そうだ」と、ネイルも、即答した。
「じゃあ、この階段を上って、二部屋先ですね」と、ディールが、意気揚々に、言った。
少しして、二人は、正面奥の階段を上った。そして、二階の廊下に出た。やがて、ネイルの宿泊していた部屋に到着した。
その瞬間、ディールが、振り向いた。そして、「ネイル殿、ささ、お忘れ物を」と、入室を促した。
ネイルは、言われるがままに、右手で開けた。一瞬後、寝台に腰を掛けて、しょんぼりと俯いているジェリアが、視界に入った。その瞬間、「あ! ジェリア様!」と、驚きの声で、名を呼んだ。まさか、ジェリアが居るとは、思わなかったからだ。
ジェリアが、即座に、反応した。そして、顔を上げる動作からの流れで、続け様に、向けて来た。その刹那、「ネイル様…」と、立ち上がり、両手で顔を覆いながら、その場にへたり込んで、泣き崩れた。
「ジェ、ジェリア様! 泣かないで下さい!」と、ネイルは、歩み寄りながら、狼狽え気味に、声を掛けた。いきなり泣かれるとは、思いもしなかったからだ。そして、一歩手前で立ち止まった。
「ネイル様、酷いです! 私に黙って、城を発とうとしたのですから…。もう、二度と会えないのかと思いましたわ…」
「申し訳ございません…」と、ネイルは、神妙な態度で、陳謝した。返す言葉が無いのと同時に、泣き付かれるほど頼られている事を実感させられたからだ。
突然、「ディール殿、そこで、何をして居られる? 卑しい賞金稼ぎを、まだ、追い出しておらんのか? どう言う事情か、ご説明を願おうか?」と、ダ・マーハの嫌味な声が、戸口から事情説明を求めた。
「ダ・マーハ様。これは、ネイル殿が、忘れ物をしたと申しますので、その見張りを兼ねての同伴です」
「やや! ディール殿、何をして居る! ジェリア様が、卑しい賞金稼ぎに、暴行をされて、泣かされて居る出はないか!」と、ダ・マーハが、騒ぎ立てた。
「ダ・マーハ様、それは…」
「ええい! 黙れ! わしが、見たままを申しておるんじゃから、間違い無い! そなたは、何の為の騎士長なんだ? 王様の代行者であるわしの言葉は絶対だから、さっさと、その者を捕らえんか!」と、ダ・マーハが、問答無用と言うように、捲し立てた。
「は、はい…」と、ディールが、躊躇い気味に、ぎこちない返事をした。
ネイルは、ディールの金属の擦れ合う音が混ざった足音の接近に、気が付いた。そして、振り返った。その直後、いきなり、右手を掴まれた。その瞬間、「お、おい! 何をするんだ!」と、目を白黒させて、驚きの声を発した。
その刹那、「ネイル殿、ジェリア様への…暴行の…現行犯で…、拘束…します…」と、ディールが、沈痛な面持ちで、罪状を告げた。そして、鎖に、縄を括り付けた銀製の手錠を、右手首に嵌めて来た。
「お前! 何を急に! 見ていただろ! 一部始終を!」と、ネイルは、食って掛かった。暴行なんて、冗談じゃないからだ。
そこへ、ダ・マーハとネデ・リムシーが、ディールの背後に、昨夜と同様の立ち位置で、視界に入って来た。
「何を言っても無駄だよ。貴様の味方は、この場には、誰も居らんよ。ディール殿、その狼藉者を地下牢へ連れて行け。ジェリア様の安全が、第一じゃからな」と、ダ・マーハが、もっともらしい言葉を告げた。
「はい…」と、ディールが、気の無い返事をした。そして、左手首にも、手錠を嵌めて来た。
「本気かよ…」と、ネイルは、言い掛かりに近い逮捕劇に、愕然とした。こじつけにも、程が有るからだ。そして、ジェリアを見やり、「ジェリア様…」と、安心しろと言うように、微笑んだ。
ジェリアが、顔を上げるなり、「あ、ああ…」と、言葉にならない声を発した。
「わざわざ戻って来るとは、愚かな奴じゃ。のう、ネデ・リムシーよ」と、ダ・マーハが、同意を求めるように、皮肉った。
「くっ」と、ネイルは、歯噛みするなり、ダ・マーハを、即座に、睨み付けた。ダ・マーハの一言一句が、癪に障るからだ。
「おお、怖い怖い」と、ダ・マーハが、挑発するように、おちょくった態度を取った。
ネイルは、その態度にムカついたが、ぐっと言葉を呑み込んで、堪えた。ここで、暴言を吐けば、それこそ、ダ・マーハの思う壺だと直感したからだ。
「ネイル殿、大人しく付いて来て下さい」と、ディールが、淡々と告げた。
「分かった…」と、ネイルは、仏頂面で頷いた。不本意だが、ここは、成り行きに任せるほかないと、判断したからだ。そして、ディールに連行されて、部屋を後にした。




