二、ターカルの依頼
二、ターカルの依頼
ネイルは、ターカルを運んでから、一階に戻ると、迷う事無く、左手に、歩を進めた。そして、食堂兼酒場へ、移動した。すると、手前に、横並びで、四人掛けの席が、三席。中央から奥寄りに、十人掛けの円卓が、二席。窓辺に、縦並びで、二人掛けの席が、二席、設けられていた。
ジェリアが、その手前の右側の席に、水不足の草花のように、耳の先を力無く垂らしながら、両手で顔を覆って、泣いていた。そして、肩を震わせていた。
ネイルは、その席へ、すたすたと歩み寄り、真向かいで、立ち止まった。そして、言葉を発する代わりに、右手の甲で、テーブルの面を、軽く二回叩いた。掛ける言葉も、見つからないからだ。
少しして、ジェリアが、反応した。そして、両手を離して、顔を上げるなり、「タ…ターカルは…、どうなったのですか…?」と、間髪容れずに、不安げな表情で、問うた。
「今は、何とも言えない…。ただ、良い返事は、出来ない…。君には…酷な事だが…」と、ネイルは、険しい表情で、たどたどしく答えた。自分の見解では、爺さんの怪我の具合からして、助かる見込みは、総髪の男の医術の腕次第で、五分五分といったところだからだ。そして、「すまない…」と、神妙な態度で、詫びた。娘の問いに対して、満足させられる回答が、出来なかったからだ。
「そうですか…」と、ジェリアが、落胆して、再び、両手で顔を覆った。
ネイルは、無言で、椅子を引いて、腰を下ろし、左を向いて、ジェリアから、顔を逸らした。娘が、悲しむ姿を、これ以上は、見ていられないからだ。そして、付き添うように、その場から動かないで、背伸びや欠伸をした。他に、やることが無いからだ。後は、ジェリアのすすり泣く声を聞くだけだった。
しばらく、何の変化も無く、時は、いたずらに過ぎた。そして、外は、真っ暗となった。
その間に、ネイルは、いつしか、テーブルの上に、右腕を立てて、頬杖を突きながら、うとうとと、まどろんでいた。すると、不意に、離れた場所から、乾いた軽快感の有る気の抜けるような音で、意識が、はっきりとした。そして、段々と近付いて来た。少しして、急に、背後で、鳴り止んだ。
その直後、「縫合手術は、上手く終わりましたよ」と、総髪の男の疲労感を滲ませた力強い声が、背後からした。
ネイルは、その声を聞くなり、「ああ…」と、呆けた顔で、生返事をしながら、徐に、振り返った。次の瞬間、総髪の男の姿が、視界に入るなり、「うわ!」と、驚きの声を発して、椅子から転げ落ちそうになった。総髪の男の顔が、目と鼻の先に有るとは、思ってなかったからだ。そして、一呼吸して、落ち着きを取り戻しながら、体勢を立て直し、「で、じ、爺さんの容体は?」と、苦笑しながら、誤魔化すように、問い掛けた。気まずさと同時に、爺さんの容体が、気になるからだ。
「今夜は、予断を許しませんね」と、総髪の男が、厳しい顔つきで、苦々しく答えた。
「そうか…」と、ネイルは、ジェリアを見やって、表情を窺った。娘の反応が、気になったからだ。すると、両手で、顔を覆う事無く、両目を見開いたまま、心、ここに有らずといった感じで、呆然としている表情を視認した。そして、総髪の男に、向き直り、「この子に、爺さんの姿だけでも、一目、見せてやれないか?」と、申し入れた。ひょっとすると、爺さんの見納めになるかも知れないからだ。
総髪の男が、顔をしかめながら、口を固く閉じて、困惑した表情を浮かべた。
「どうなんだ? 会わせられないくらいに、厳しい状況なのか?」と、ネイルは、確認を求めるかのように、問うた。娘の為にも、善かれ悪しかれ、はっきりした回答が、欲しいからだ。
総髪の男が、小首を傾げながら、渋い表情を浮かべた。そして、「う~ん。患者さんは、意識を取り戻してますので、少しくらいなら、話せると思いますよ。それと、ジェリア様という名を頻りに、口にしていましたね…」と、自信無さげに、答えた。
「じゃあ、会わせられない事はないのだな?」と、ネイルは、念を押すように、尋ねた。
「ええ…」と、総髪の男が、浮かない顔で、小さく頷いた。
ネイルは、再び、ジェリアを一瞥した。すると、今度は、生気を取り戻して、涙の痕を残しながらも、些か、安心した表情に変化しているのが、見受けられた。その刹那、その表情に、何となく、親近感を覚えた。娘には、今の表情が、好ましい気がしたからだ。そして、、総髪の男に、再度、視線を戻し、「じゃあ、行こう。爺さんが、気を失わない内にな」と、提言した。爺さんと会話の出来る時間が、限られているからだ。
「そうですね。用件を早く済ませて、患者さんを休ませて、楽にさせて上げたいですから」と、総髪の男が、賛同した。そして、「では、参りましょう。但し、患者さんの身体に響くといけませんので、二階に上がられましたら、静かに歩いて下さいね」と、告げた。その直後、踵を返した。
ネイルも、立ち上がり、「君も、爺さんに、顔を見せに行こう」と、一声掛けた。娘を会わせる事が、先決だからだ。
「はい…」と、ジェリアも、しんみりした表情で、席を立った。
ネイルも、総髪の男の後を追うように、階段の方へ向かった。少しして、勢いそのままに、途中で、総髪の男を抜き去って、二階へ上がり込んだ。そして、二、三歩進むと、はっとなって、急遽、足音を忍ばせた。総髪の男の注意を、思い出したからだ。少し時間を掛けて、廊下を進んで、ターカルを運び入れた奥まった部屋の戸口まで到達した。その刹那、左手で、木扉の取っ手を素早く回すなり、極力、音を立てずに、押し開けた。少しして、体を割り込ませるなり、背中で押さえながら、ジェリアの到着を待った。少しの動作を省いてでも、早く面会させてやりたいからだ。
その間に、総髪の男が、履き物を抱えながら、裸足で、入室した。そして、ターカルの寝台の傍に、待機した。
少し後れて、ジェリアが、重い足取りで、しずしずと、近付いて来た。少しして、眼前を通過した。そして、奥の寝台に横たわるターカルの枕元で、跪いた。その刹那、「ターカル! しっかりして下さい! 分かりますか! え?」と、耳を傾けた。
その間に、ネイルは、後ろ手に、扉を閉めた。その直後、その場で、傍観者のように、距離を置いて、突っ立った。二人の会話を聞く気が、無いからだ。そして、最低限の役割は、果たしたと言うように、壁に凭れながら、腕を組んで、俯いた。
不意に、「あのう、ネイルさん? 患者さんが、お呼びです」と、総髪の男が、ジェリアの代弁をするかのように、呼び掛けた。
ネイルは、顔を上げるなり、すぐに、腕を解いて、直立した。そして、怪訝な顔で、小首を左へ傾げながら、寝台へ、歩を進めた。自分に、何用かと思ったからだ。少しして、ターカルの枕元に立った。その刹那、ターカルを見やった。
ターカルが、虚ろな目で、懸命に、もごもごと、口を動かしていた。
「ちょっと、ごめんよ」と、ネイルは、聞き取り辛かったので、ジェリアを退かせて、些か、屈んで、顔を寄せた。必死に、何かを伝えようという意思を察したからだ。そして、はっきりではないが、微かに、聞き取る事が出来た。
「ジェリア…様を…助けて…頂き…ありがとう…ございます…」と、ターカルが、礼を述べた。
「おいおい。弱っているんだから、礼なんて良い。それよりも、俺に、何か用事が有るのだろう?」
「はい…。うっ…!」と、ターカルが、すぐに、顔をしかめるなり、「あ…あなたに…お願い…が…」と、脂汗を滲ませながら、息も絶え絶えに、仄めかした。
「何だ? 言ってくれ」
「ジェリア…様を…王都の…ローナまで…お連れして…下さい…」
「ローナの何処に?」
「お…お城…に…! くっ…」と、ターカルが、気を失った。
「もう、これ以上の会話は、無理でしょう。後は、私に任せて、あなた方は、休んで下さい。絶対に、この方を死なせやしませんから」と、総髪の男が、決意表明をするかのように、告げた。
ネイルも、ターカルから顔を離した直後、総髪の男を見やり、「分かったよ。爺さんは、あんたに任せるよ。後、爺さんの目が覚めたら、伝えてくれないか? この子は、ローナの城まで、責任を持って、送り届けるとな」と、言付けた。ターカルの必死の頼みを、無視する訳にもいかないからだ。そして、左隣に立つジェリアを見やり、「君、明日の早朝には、出発するぞ。だから、今日のところは、休むとしよう」と、声を掛けて立ち上がり、「出よう」と、小声で、促した。
「はい」と、ジェリアが、少して、後れて返事をした。
少しして、二人は、ターカルの傷に障らないように、足音を忍ばせて、退室するのだった。




