一
このクソ寒いのに、どうして鳥はあんなに元気なんだ?
ピィービィーと甲高い声で鳴く、鳥を見上げる。尾の長い茶色い鳥。それが木の枝にとまって、叫ぶように何度も何度も鳴いている。
一人での登校。友人の上宮征志は、相変わらずのさぼり癖を発揮していた。最近では、一人での登校も慣れてしまっている。――いや、元々は一人で通っていたのだ。あいつが転校してくるまでは……。
征志は俺と知り合った次の日から、毎朝八時十五分に俺の家の前で俺を待つようになった。べつに約束をしたわけじゃないが、征志が遅刻してこない日は、一緒に登校するのが当たり前の事となっていた。
征志と初めて会った日を思い出し、俺は、ほぅ…と白い息をゆっくりと吐き出した。征志と知り合った日。それは同時に俺の一番大切だった親友、孝亮と会えなくなった日でもあった。
「三人だったら、もっと面白いのに……」
ポツリと呟く。己の左頬、縦にはいった大きな傷を、指先でなぞった。随分と長い時間が過ぎた気がするのに、あの事故からまだ一年も経っていない。
「孝亮。お前のいない毎日は、とても……永いな」
胸の上で跳ねるように揺れる剣型のペンダントが、孝僚がよくやったように俺の胸を何度も叩く。まるでしっかりしろと、孝亮が喝を入れているかのようだった。
ふと足を止め、顔を上げた。
――視線?
目を向けたその先。遠くに見える、高い塀に囲まれた白い家。その三階の開け放たれた窓から、少女がこちらを見ている。
祈るように胸のところで指を組み、じっとこちらを見つめていた。
「どうしたんだ?」
無意識に、疑問を吐く。彼女は俺を見つめたまま、問いに答えるようにゆっくりと首を左右に振った。
「まさか……」
聞こえる筈がない。俺は叫んだ訳じゃないんだ。独り言のように、呟いただけなのに……。
驚いた俺が彼女から目を離せずにいると、少女は右手を俺の方に差し延べるように突き出した。窓から身を乗り出し、今にも降りてきそうな雰囲気を放つ。
――が、その時。
突然強い風が吹きつけて、白いレースカーテンが彼女を隠してしまった。
強風に腕で顔を庇いながら、俺は一瞬、目を閉じた。
ガサガサガサ………。
木々の揺れる音が聞こえる。それに紛れてか細い声が、微かに耳へと届いた。
「私に力をください……」
と。
「な……にぃ」
俺は顔を上げ窓を見上げたが、そこに少女の姿はなかった。その上窓はちゃんと閉まっているし、カーテンもピッタリと閉じられている。
そんなバカな。俺が目を閉じたのは、ほんの一瞬だった筈だ。いくらなんでも窓を閉めた上に、カーテンまで閉じれる訳がない……。
俺は納得がいかず眉を寄せたが、現実なのだから仕方がない。まさかあの家に乗り込んで、
「今、女の子が窓から俺を見ていたでしょう?」
などと聞ける筈もない。
「まさか今の……」
俺は浮かんできた恐ろしい考えに首を振り、何も見なかった事にしよう……と、心に決めた。
教室に着くなりどっと疲れて、俺は少しふらつきながら自分の席に着いた。
「なんだ、これ」
家を出た時は平気だったのに、たかが十五分ほどでこんなに疲れるのはおかしい。
「風邪かなぁ」
情けない声を出して、机にうつ伏せる。そういえば体がほてってきた気さえする。自分の額に手を当てて、熱があるかどうか確かめた。
「わかんねぇなぁ」
額と掌の体温は同じだった。
熱は無しか……。これじゃ、保健室に行っても帰れないだろうな。
フゥーと溜め息を吐く。
「どうしたの?」
すぐ頭上で、声がする。見上げると、心配そうに俺を覗き込んでいる井上百合子と目が合った。
「しんどいの?」
犬のようにまんまるな目を困ったようにを曇らせて、かわいいと評判の顔を近付けてくる。
「いや、たいした事ない。熱があったらこのまま帰ってやろうかと思ったんだけど、ないみたいだ」
「大丈夫なの?」
「ま、ね。この頃風邪気味だからさ」
あんまり話した事もない井上と、どうしてこんな自然に話しているのかと疑問に思いながら、大丈夫と笑ってみせる。
「ほんとに?」
言いながら井上の手が伸びてきて、俺の額に触れた。やわらかくて、あったかい手だった。
「ほんとだ。私の方が熱いくらい」
にっこり笑った井上の顔を見て、男にもてるのも当然かもしれない。と、俺は一人納得していた。
俺がじっと見ていたからか、井上が照れたように微笑む。くりくりと波うった髪を耳にかけながら、俺から視線を逸らした。
「ね、ねぇ。ところで上宮君は? 今日はお休み?」
顔を赤らめる彼女に、俺はハハンと厭らしい笑みを浮かべた。
――征志が目当て、ね。
「征志は遅れてくるよ。でも、病気じゃないから心配いらない。さぼりだからさ」
軽くウィンクしながら言ってやる。それを聞いて、井上は意外そうに丸い目を更に丸くした。
「あの上宮君が、さぼり?」
「そう。だから今日あいつが来たら、どうしたの、病気? って、心配そうに聞いてみな。あいつあせって、ヘタクソな演技でしんどそうな顔するぜ。きっと」
クスクス楽しそうに笑う井上に、左手で頬杖を付いてニヤけた目を向ける。
「征志の事が聞きたきゃ、無理に話題作んなくてもいいぜ。それくらいおまけ無しで教えてやるからさ」
からかうように俺が言うと、真っ赤な顔をした井上はくるっと俺に背を向けた。
「ふん。上宮君の方がおまけなんだからね」
そう言い残し、走って行く。ふわふわとクセのある髪が、楽しそうに揺れていた。
茫然とそれを見送ってから、再び力尽きて机にうつ伏せる。
「ぷくく。素直じゃねーのぉ」
顔を腕に埋めたまま、俺はしばらく笑っていた。