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異界境界線  作者: 十二月
異界探索者
2/17

グリモア調整

 グリモアの着信音により、俺の安眠は妨害された。枕元に置かれた目覚まし時計を見れば時刻は午後一時。昼夜逆転生活の俺にとっては立派な真夜中である。ディスプレイに表示される発信者を確認し、憂鬱さが更に深まるが出なければ後が怖い。


「はい。もしも――」

「お兄ちゃん! 三日も連絡付かなかったけど、また異世界に行ってたんじゃないでしょうね!?」


 耳がもげてしまうのでは、という大音響が受話器越しから飛び込み、起き抜けの俺の頭をずきずきと刺激する。電話の相手は麗しの妹君だ。

 異界探索者となってある程度収入が安定してきた頃、俺は家を出て一人暮らしを始めた。異界探索者を生業とする俺達ディープダイバーに対する世間の風当たりは未だ冷たく、親は顔を合わせる度に高校を中退した事を責め、異界探索者となった俺を嘆いた。反抗期真っ盛りの俺はそれがうざったくて仕方がなかったのだ。反抗期を終えた今でも何だか面倒で、お盆と年末年始以外で実家に帰る事はほとんどない。

 親は半ば諦め放任してくれているが、一つ下の妹――燈奈ひなだけは俺を放っておいてはくれず、俺が異世界に潜ったと知るとこうして叱責してくるのだ。邪険にしつつも、異世界に身を置き、魔物と戯れるばかりの俺にとって己を気にかけてくれる数少ない存在の一人である燈奈には感謝している。


「――とにかくさ、お兄ちゃんもたまには家に帰っておいでよね。口には出さないけど、お父さんもお母さんも心配してるよ。急に異世界からお兄ちゃんが帰って来なくなっちゃったら、私だって悲しいんだからね」


 異界探索者の末路は決まっている。残してきた者に別れを告げる事も出来ず、異世界から突然戻ってこなく最期。遺体の見つかる者はまだ良い方で、多くの者は魔物の餌となり遺体すら発見されることはない。生きているのか、死んでいるのかすらわからない状況でただ忽然と消えてしまったように二度と戻って来ない。それがどんなに親不孝な事か、わかってもいるからこそ強く反論もできず、逃げ出す様に俺は一人暮らしを始めた。


「わかったわかった。また今度顔出すよ」

「約束だからね。あまり無理しちゃだめだからね」


 通話を終え、二度寝する気にもなれなかった俺はグリモアをパソコンに接続する。今日は異界探索を休み、魔装具の調整作業をやると決めていた。

 魔装具は具象化系魔術を、前以てグリモア内にインストールしておいた魔装具術式自動展開用アプリに登録しておくことによって異世界入界時自動展開され、魔装具が身体に装着される仕組み。この魔装具術式の調整作業は異界探索者にとって必要不可欠なのだ。

 防具の強度もただ高めれば良いというものではない。性能を高め過ぎれば魔力消耗が多くなり過ぎ、ただ立っているだけでも魔力欠乏に陥ってしまう。

 魔力欠乏とは体内の魔力が枯渇することにより、一切の魔術行使が不可能になる現象を言う。そうなれば当然魔装具は消滅し、魔術による身体強化も不可能になり、魔物に対抗する事は出来なくなる。異界探索者は自分の探索スタイルに合った調整を日夜試行錯誤しながら施している。魔装具の調整、構築を専門とする専門業者がいるくらい異界探索者にとって重要な作業だ。

 長時間異世界に入る事も多い俺は二つの魔装具術式をアプリに登録してある。短期決戦用と長期滞在用だ。二種類の魔装具術式を登録しておく者は少ないが、そこは俺の固有技能が深く関係している。

 固有技能とは各探索者が独自に保有する異能。固有技能に関する研究は遅々として進んでおらず、現在は家庭環境によるとされる説とDNA配列により先天的に備わっているとされる二つの説が有力視されている。

 俺に備わる固有技能は高速術式展開。生来臆病な俺が刃渡りの短い短刀で戦う理由もそれ。超接近戦での高速魔術行使。俺の固有技能を最も生かせる戦闘スタイルだ。その固有技能により、二つの魔装具術式の切り替えも、俺は素早く行う事ができる。


「具象化系魔術の素養が低い俺じゃあこれが限界か」


 魔装具の数値設定をしている時はいつも頭を抱えさせられる。

 魔装具の性能を高く、燃費良く発動させる為には具現化系の魔術素養が大きく影響する。魔術の素養は身体強化系、具象化系、変成系、放出系の四つに大別される。各魔術に対する素養は探索者個々人により様々であり、全魔術素養のバランスが良い者もいれば、俺の様に具象化系の素養が低く、変成系の素養が高いタイプもいる。

 高速術式展開という強力な固有技能を有しているとはいえ、魔術素養や貯蔵魔力総量の高くない俺は並の異界探索者と言えるだろう。


「身体強化系の素養がもっと高ければ、魔装具の調整に悩む事も少ないってのに、何で俺は変成系魔術師なんだよ」


 益体のない事を愚痴りつつ、魔装具の調整を終える。今日は他にもやる事がたくさんある。グリモアの内蔵魔石容量も上げたいし、術式の効率化ソフトも組み込みたい。俺達異界探索者は潜っている時以外にもやる事は多い。ただ剣を振るって戦えば良いというわけにはいかず、グリモアを駆使し、いかに魔術を効率よく効果的に行使できるかを考え続けなければならない。



***



 グリモアの調整を終えたのは二日後。丸二晩かかって漸く、今の俺に適したグリモアが完成した。しばらく調整をさぼっていたツケもあって時間が掛かったが、明日からは今まで潜った事のない五界位に挑戦する予定なので、手抜きはできない。

 時刻は午前三時。明日に備えて早く寝ようと布団に入ろうとした時、グリモアからSNSの通知音が発せられた。コメントしたのは中学時代の同級生である高遠慶太たかとおけいた。高校を中退した俺の数少ない友達だ。慶太は俺とは違って無事高校を卒業し、今では立派な国立大生となりキャンパスライフを謳歌している。


『明日の19時に駅前集合で合探を開催します! 異論は認めない』


 合同探索、通称合探。見知らぬ男女が集まり異世界に潜る行為。異世界という非日常が女性のガードを甘くし、魔物の出現によるささやかな綱渡り効果の演出、魔物を討伐する事で男性人の魅力アピールと、カップリング率を高めるイベント盛り沢山のこの集まりは大学生や社会人の若者を中心に大流行。現在では企業主催の大規模な合探である、通称街探が開催されるほどの人気を博している。所謂現代版の合コンだ。

 慶太は悪いやつではないが、時折こうして合探の誘いをしてくる。俺はすぐさま断りの返信を入力した。


『俺はそういうの苦手だって言ってるだろ』

『どうしても一人足りないんだよ。親友を助けると思って頼む! それに燈亜みたいなレベル3の探索者が一緒にいる方が女の子達も安心するしさ』


 つい最近レベル4に昇格したのだが、訂正する意味はないだろう。

 その後も何とか断ろうとしたのが、結局慶太の押しに負けて、合探に行くことになってしまった。

 異世界の危険地帯へとひた走る俺が言えた義理ではないが、低界層でも下手をすれば命を落とす危険すらあるというのに遊び気分で魔物蔓延る異世界へ遠足とは、世の中どうかしている。


「――彼女、ね」


 過去に付き合っていた女性がいなかったわけではない。俺もこの三年間ただ異世界に潜り続けていただけではないのだ。年頃の男子よろしく恋もすれば、その恋が散る様も経験してきた。

 だめなのだ。誰かを好きになったと思っても、俺にリアルを与えてくれる女の子はいなかった。異世界だけが俺のリアルたりえたのだ。

 一時、異界探索より女の子に現を抜かしていたとしても、しばらく時間が経てば女の子に割いていた時間は段々と異界探索に割く時間に吸収されていく。そうして疎遠になってフラれてしまう。俺の恋愛はその繰り返しだった。

 慶太が強引に俺を誘うのも、そんなことばかり繰り返している俺を心配しての行動なのかもしれない。だから最終的にはいつも断りきれない。


「五界位探索は延期だな」


 グリモアを覆う飾り気のない黒色のケースを指先でひと撫で。革製品独特の鱗のような触感が指を伝う。

 もしかしたら今度の合探は楽しめるかもしれない。憂鬱と期待でない交ぜになった胸中を抱きながら、俺は知らぬ間に微睡んでいった。




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