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銀の薔薇に祈る  作者: 新田 葉月
お茶の時間
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第八話 空中散歩

「今日はキシ来ないのかな」


 思わず呟いた声を拾う者はない。ティーリアの寂しげな声はしんと静まったあたりの空気に溶けていった。

 別に会う約束をしていたわけではない。ただここに来るといつもキシがいてくれただけだ。来れないときもあるだろう。約束したわけではないのだから。仕方ない。キシにだって都合はあるのだ。 

 大好きな絵を描く気も失せて画材道具をなおし、ただぼうっと空を見上げた。いつの間にか雲がかかり、綺麗な青空がみえなくなってしまっている。


 フィルラインと二度目のお茶会の後から急激に精霊集会が増えた。

 精霊達が集会を開くとき――それは精霊界の誓約を破った精霊が出たときだ。規則を破った精霊は精霊達の手によって消される。自由を愛し、規則を嫌う精霊にも破ってはいけない規則がいくつかある。自由を愛するが故の規則で精霊が規則を破ることはないに等しい。


 ――悪意をもって破ろうとしない限りは。


 それがここ最近頻繁に起こっているという。精霊達は皆不安そうな顔をしていた。それもそのはず、前にこういう事態に陥ったときは最終的には精霊界を揺るがす大きな事件となった。

 精霊神に代わり精霊界を纏めていた光の精霊王の片割れが倒れるぐらいの重大な事態となり、人間界にも少なからずの影響があった。たくさんの精霊が消え、その大きな傷跡は今でもまだ完全になくなったとはいえない。


 今また同じようなことが起こっているのはさぞかし不安だろう。精霊達が神経質なぐらい集会を開くのも仕方ない。ティーリアの傍にいる時間が減ってしまうのも仕方ないのだ。


 けれど、


「それが寂しいなんて、我が儘だよね……」


 呟いた声はやはり誰の耳に届くでもなく消える。呟いたら例え独り言だったとしても返事をしてくれた精霊達がいないのは寂しい。精霊は人と話すティーリアの前に姿を現さない。だが一人になると必ず出てきてくれた。そのため、ティーリアが一人になることはなかった。

 一人になるのは嫌いだ。

 一人になると自然と思考はあの時の事を思い出そうとしてしまうから。

(そっか。私今一人なんだ)

 自覚したとたん周りの温度が急に冷えたように感じる。自分の身体を抱き締めた。


 ――探せっ!! 見つけて早く殺せ!

 複数人の足音に、木霊する悲鳴。あの暗闇で過ごした一人の時間は、地獄だった。


「…………っ」

 思い出したくもない記憶の蓋が開きそうになる。

「キシ……」

 お姉ちゃん。

 そう呼ぶと余計悲しくなる気がしてキシの名前を呼んだ。

「はい」

「ふぁ!」

 返事があったので驚いて顔をあげる。

「呼ばれたから返事をしたのですが……そんなに驚かなくても」

 少し肩をすくめて笑う、いつも通りのキシの姿があった。


「……キシ」

 来て、くれた。

 それだけで安心してとても満たされた気持ちになる。

「どうかなさいましたか、ティーリア様。顔色が悪いようですよ」

「もう平気。キシが来てくれたから」

 心配そうなキシの声に笑顔で首を振る。

「遅くなってしまって申し訳ありません」

「ううん。気にしないで」

 来てくれただけで充分だ。微笑むティーリアとは反対にキシの雰囲気は堅い。不安になってキシを見上げる。

「どうしたの?」

「今日、来たのはお伝えすることがあったからなんです」

 聞きたくないなと思った。

「実は、遠出の用が出来てしまい……しばらくの間ここに来れなくなってしまうかと」

 キシの言葉に気持ちが萎んでいくのを感じた。精霊達にもなかなか会えなくなるのにキシともしばらく会えなってしまう。


「……また一人になっちゃう」


 聞こえるように呟いたつもりはない。むしろ、自分でも聞き取れないぐらい細く聞き取りづらい声だった。しかし、キシはきちんと拾ってくれた。

「どうしてそのようなことを言うのですか?」

 穏やかな声でティーリアに続きを促す。

「あのね。精霊達も最近忙しくて……あまり会えないの」 

 情けなく泣きそうな声がでてしまった。こんな事で泣きそうになる弱い自分が嫌になる。


(お姉ちゃんなら、こんなことぐらいでは泣かないのに)

「……確かに最近精霊の暴走が頻繁に起こっていますからね。

 でも、ティーリア様。あなたは一人ではないのでしょう? 大丈夫ですよ。寂しいと感じるのはしばらくの間だけです」

 慣れる――という意味だろうか。けれど、ティーリアはどうしても慣れるとは思えない。


 しかし、続くキシの言葉は予想していた事とは全く違った。


「これから後宮がすこし騒がしくなる――そんな予感がするんですよ」

 もうしばらくしたらですがね。キシは悪戯っぽく微笑んだ。


 騒がしくなる? なんのことだろう。

「ティーリア様にはきっと良い影響を与えてくれるでしょう」

 もう一度キシがほほえんでからいつのまにかすこし寂しさが薄れているのに気がつく。

 キシがしゃがんでティーリアと目線を合わせてくれる。深さを感じる青い瞳が優しげに細められた。


「そう悲しまないで。あなたの周りには支えてくれる人がたくさんいることを忘れてはいけませんよ」

「……うん」

 小さく、だかしっかりと頷いた。自分の殻に閉じこもって勝手に悲観的になるのは良くない。


 太陽をかくしていた雲が晴れ、冷えた肩に温かみを落とした。

 キシは恭しくティーリアの手を取った。

「久しぶりに散歩に出掛けましょうか」

「散歩?」

 ダウス邸にキシが来ていたときはよくこっそり抜け出して山道に散歩に出かけていた。だがここは後宮だ。ダウス邸ほど簡単に抜け出すことは出来ないだろう。


「空中散歩ですよ」


 キシの口から精霊語とはちがう言葉が流れ出る。聞き取ろうとしたが異国の言葉のように全く頭に入ってこなかった。紡がれる言葉は短い歌のようでそこはかとなく心地よい。

「掴まって」

 言われたとおりにキシの手に掴まる。


「ひゃ……!」

 突然ベッドから落ちるときのような浮遊感を感じた。

 掴まった手に力を込め目をぎゅっと閉じた。

「目を開けて」

 キシの言葉に恐る恐る目をあける。


 

「―――わあっ………!」


 そこに広がる風景はとても美しかった。緑がずっと広がったその先にきらきらと太陽の光を反射する青い海。空の色とは違って深く青い。遠くの雲も見える。また別の方角をみれば屋敷が広がり様々な色形で楽しませてくれる。ある一角は形がすべて同じで可愛くみえる。またある一つの屋敷はなにか意味合いでもあるのかハートの形をしている。様々な色が自己主張していながらも共存し、不自然なく溶け込んでいる。

 鳥の視点から見るとこんな風にみえるのだろうか。


「……す、ごぉい」


 あぁ、ここを描きたい。さっきまで描く気はなかったのに、急激にそんな気持ちでいっぱいになった。

「私が帰ってきたらもう一度散歩しましょう? そして、そうですね……時期をみてあちらの海にも散歩にいきましょうか」

 キシの柔らかい声がティーリアに届く。さっき感じていた寂しさはもうどこにもない。代わりに広がるのは明るい希望。


「うん! 約束っ!」

 元気よくティーリアはキシの手を取った。

「___て__ね」

「うん? なにかいった?」

 キシがなにかを呟いたが聞き取れなかった。

「いいえ。楽しみですね」

 同意してくれたのが嬉しくて繋いでいる手と別の手をとって軽く唇を落とした。ルロニア王国式の感謝を表す動作だ。

「キシ。大好き!」

「――っ!」

 キシが体を強張らせると急に景色が下降した。

「わっ!」

 それは一瞬のことで、すぐに元の高さに戻る。キシがこのように動揺したのは本当に久しぶりで下降した恐怖よりそれに驚いてじっとキシをみつめる。体調でも悪いのだろうか。


「大丈夫?」

「……あ、のですね、ティーリア様。家族以外の男性にこのような事をしてはいけないと何度言ったら分かっていただけるのでしょうか……?」

 そういうキシだって、あまり女性に対して勘違いしてしまうような事をしてはいけないと何度言っても分かってくれなかったくせに。

「頬を膨らませても駄目です。それと大好きという言葉は非常に嬉しいのですがそれもあまり男性にいってはいけませんからね?」

 まるで先生みたいだ。キシはたまに心配性になる。言わなくても分かっているというのに。


 しばらく上空の景色を眺めてからまた地上に降りた。

「ありがとうキシ。すっごく楽しかった!」

「それは良かった」

 そういってからキシはティーリアの目を見つめた。頬にそっと手が添えられる。

「ティーリア様。居ないことを寂しがるより帰ってきたら何をしようと考えましょう?」

 真剣な瞳だった。ティーリアがずっと待っているレディアのことも指しているのはすぐにわかった。


「……そうだね。まだ、今は難しいけど、頑張る」

 キシは優しく頭をなでてくれた。

「頑張って」

 その温かさがティーリアはとても好きだ。


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