第三十三話 贈り物
『姫様、起きて』
起床を促す精霊の声にティーリアはぼんやりと目を覚ました。
「……おはよう」
身を起こし、目を閉じると水の精霊のユエが冷たい水をこぼさないように操りながら丁寧に顔にかけてくれる。基本朝の苦手なティーリアはぼんやりとした意識のまま、精霊たちが入れてくれた朝用の濃いお茶を飲む。
「ん……おいしい」
ほかほかと温かく、渋みのあるお茶がティーリアの意識を少しずつ醒ましてくれる。うとうととしているうちにいつの間にか櫛が通されており、身支度はほぼ完成した。
後は、侍女のセリスを待って夜着から室内用のドレスに着替えるだけだ。
この頃になるとようやくティーリアの意識は完全に覚醒する。再度、精霊たちに挨拶しようと思ったティーリアは目を丸くした。
「あれ……? みんなは?」
「今更過ぎるでしょ、姫さん」
「ルト!?」
珍しいルトの登場に驚きの声を上げる。
ルトは闇の中位精霊だ。 ティーリアに加護を与えたわけではないがたまに手を貸してくれる。闇精霊といっても大抵は大人しく、人間に害を加えたりはしない。
闇こそ悪という考えもあるが、それは何百年も前の闇の精霊王が関与していると言われる、人間界にも少なからずの影響を及ぼした事件故だろう。あの事件で光の精霊王は深い眠りについた。どこに眠っているかは所説あるが未だにわかっていない。
「ルトがいるなんて珍しいね」
ルトに厳しいミヤナがいる間、あまり近づかないはずだ。とするとやはり近くに精霊たちがいないことになる。
「それで皆は?」
「あー、ほら最近さ、精霊の暴走が多発してるでしょー? だから原因を探るためにこれからしばらく居ないんだって」
下位の精霊の姿は見えるので、中位以上が呼び出されたのだろう。
「あれ、じゃあルトはなんでここに? もしかして……仲間外れにされたの?」
「酷いなー。俺が仲間外れにされてるようにみえる?」
「…………」
すっと視線を逸らした。
「ひ、め、さーん? その反応はどういうことかなあ?」
「えっと、少ししんぱ、いひゃい」
「ほーぉ? あんたは俺が仲間外れされるような寂しいやつだと言いたいわけ」
「ち、違うよ!」
にこやかに、だか怒っているのがよく分かるような笑顔で頬をつねられたティーリアは涙目で否定する。
「ルトはあまり自分から輪に入っていかないでしょ? 協調性がないって言いたいんじゃなくて、えっと……」
上手い言い方が見つからず、考え込む。
仲間外れにされたのかと尋ねたが、そんなことを疑っているわけではない。ルトは精霊達と上手くやっている。けれど、どこか一線を引いている所があるとも感じるのだ。精霊と居ても、時折進んで孤立しかねない言動を取っているような気がしてしまう。
敢えて一人を望んでいると言うと少し言葉が過ぎるが。
「なんていうか、……ルトは孤独に慣れている気がする、って言えば良いのかな」
「……そ? 俺は案外寂しがりなんだよ」
孤独で死にたくなるほど。
落とされた瞬きのせいか、一瞬ルトの瞳が陰った気がした。すぐにいつもの皮肉っぽい顔に戻る。
「で。何で精霊が集められてるのに俺がここにいるか、だっけ?」
「そうだった。どうして?」
「俺も今回はちゃんと行こうと思ってたんだよ? でもミヤナがどうせサボるのなら姫さん見ててくれっていったからさ、ここで見てんの」
「せっかく行こうとしてたのにごめんね」
ティーリアに加護を与えたわけではないのに迷惑をかけてしまって申し訳なく思う。彼に答える義理はないはずなのだ。
「ま、どうせ途中からはサボるつもりだったからいいけど。ミヤナに借りも作れるし?」
こういう風にさり気なくフォローしてくれる。何だかんだでルトは優しい。
「うん。助かるわ」
微笑んでお礼を言うとルトはぷいっとそっぽを向いてしまった。他の精霊曰わくルトは感謝になれていないらしい。
鳥に餌をやる時間になったので、立ち上がり、窓に近寄ったときに何かが置いてあるのに気がついた。
小さな箱のようだ。可愛いラッピングが施された洒落たもの。持ち上げてみると見た目より重い。
「開けていいの?」
「いいんじゃない」
許可を貰ったのでそっと開ける。
「わぁ……!」
歓喜の声が漏れた。中に入っているのは絵の具だ。最近、細かな費用でお金を使ってしまっていたため、買い揃えることが出来なかった色が的確に入っている。
ティーリアをよく見ていてくれなければわからない色ばかりだ。
「ありがとう、ルト」
嬉しくて、笑顔でお礼を言う。ルトは今度は顔を背けずに不機嫌な様子で近寄ってくる。
「なんで俺にお礼いうの? 俺からとは言ってないけど」
「でも、ルトからでしょう?」
「他の精霊からじゃない?」
「ううん。分かるよ、これルトだよね」
「なんか自信ありげだけど、根拠は?」
平然とした様子だが、微妙にルトと目線が合わない。
明言はせず、嘘もつかず、ひらりと躱して決して認めてくれない。どうして否定しようとするのかと、苦笑こぼしてしまう。
誤魔化しても、分かるのに。
「だってルトの気配がするもの」
触れたときに感じた闇の気配。そしてどこか温かい感じはルトのものだと分かる。
「……へ、えー。そんなことまで分かるんだ。―――流石 精霊姫様」
「え……?」
ドクンと胸を打つ、感覚。
精霊、姫?
初めて聞く呼び名なのにそれはひどく懐かしく響いた。
ティーリアには今までなぜ精霊たちに「姫」と呼ばれるか分からなかったが、それは「精霊姫」という意味だったのだろうか。
(でもなんで精霊姫……?)
内心で考察していく。
姫。その言葉には人間とは違う精霊だけの意味があるのだろうか。それとも、
もう少しでピースがハマって理解出来そうだと感じたとき、ドシン、と地面が揺れた。
「なに……?」
揺れ自体は大きくないものの、重感のあるそれは近くからの衝撃ではないと分かる。
「あー、竜?」
ルトはどうやら音の正体を探ってくれたようだ。
「竜!?」
「んー、位置的に一階のバルコニーからは見えると思うよ。行く?」
「行く! でもセリスを待たないと着替えられないね」
「侍女さんなら、あと少しで来るよ」
「やった! 一緒に見ようね!」
そういうとルトが珍しく微笑む。くすくす笑いはよくみるがこんな風に優しく微笑むのは珍しい。
「姫さんはそのままでいいよ」
言葉の意味は分からないが、ルトが良いと言うのならいいのだろう。
取り敢えず、頷いて笑う。
突然の竜の登場でティーリアの頭の中からすっかり「精霊姫」という言葉は抜け落ちていた。
○
「セリス! 竜を見に行こう!」
「竜、ですか?」
セリスが扉を開けるなり、提案する。
「うん、さっき少し衝撃があったでしょう? 竜が来てるみたい」
「竜が? まあ! わたし、一度竜を見てみたいと思っていたのです」
「見たことなかったの?」
「ほとんどの人間は見たことはないですよ? ティーリア様が特別なのです」
なるほど、と頷く。
ティーリアの上の兄、アレクシスは竜騎士だ。兄は留学先からファンレーチェ邸に一時帰宅する際の交通手段として使っていた。そのため、ティーリアは何度も見たことがある。
「初めてなら、余計楽しみだね。私ね、アレクお兄様に乗せて貰ったこともあるのよ。お兄様の竜は白竜だから特に綺麗なの」
「白竜? 公爵様はそんな高位の竜を乗りこなしてらっしゃるのですか?」
竜は色でその個体の強さが分かる。混色のものほど弱く、単色の竜ほど強い。赤、黄、青の三原色の竜は中でも強い個体である。大きさは関係ない。保有する魔力量が重要なのだ。
白竜と黒竜は最強とも呼ばれ、時に人語を解する個体も居るのだという。
「うん。比較したことないから違いは分からないけど、アレクお兄様はとってもお上手だよ。ファンレーチェだって身分を明かす日が来たら、セリスも一緒に乗せてもらわない?」
「……お気持ちはありがたいのですが、高所は苦手なのでご遠慮いたします」
「残念。イレーネ様は一緒に乗ってくれるかしら」
「好奇心がお強い方ですし乗って下さるかもしれませんね。陛下には止められそうですが」
その光景が目に浮かぶようだ。
話しながらもセリスは手際よくティーリアの支度を整えていく。
……少しだけ怖くなる。
偽りで固めた自分だ。真実を話した上でもイレーネは仲良くしてくれるだろうか。今まで、騙してきたというのに。
彼女はきっと気にしないと言ってくれるだろう。今も気になる事も不自然に感じることも多かっただろうが、尋ねてこない優しい彼女のことだ。分かっているけれど、違う未来も想像出来て、怖い。
「姫さーん、重大発表」
着替え終わると、それまで姿を消していたルトが、くるりと回転しながら現れた。
「今来たのファンレーチェ公爵の竜」
「えっ、アレクお兄様!?」
セリスと顔を見合わせる。
「そー。もう少ししたらこっちにも来るんじゃない?」
「本当に!? 嬉しい!」
ふわりと、胸が歓喜で躍る。
(久しぶりのお兄様との再会だわ)
手紙でやりとりはしていたが、やはり直接会う方が何倍も嬉しい。それに最近では忙しいらしく手紙のやりとりすらも滞っていた。
ああ、何を話そう? 話したいことは尽きない。
「では今日はティーリア様の素材を生かすお化粧にいたしましょう。ドレスは丁度アレクシス様から贈られたものですね」
「うん。お願い。お茶の用意もしないとね」
ティーリアとセリスは同時に立ち上がった。それを見てルトはふわりと浮き上がって横になる。
「頑張ってー。あの人結界張ってるし、俺消えるね」
アレクシスも良質で膨大な魔力の持ち主。精霊を集めてしまう体質だ。キシ同様、軽い結界を張っている。そのためルトは弾かれてしまう。
「あ、その前に姫さんの菓子一個貰ってていい?」
「うん、何個でもどうぞ。好きな物を選んで」
菓子を選ぶと、ルトの気配は消えた。
本当にあと少しでアレクシスが来るのだろう。そわそわと落ち着かない気分になる。
アレクシスと会うのは半年ぶり。後宮に入る直前のことだ。
コンコンとノックが響き、セリスが応対する。
「突然訪れて、すまない。アレクシス・ファンレーチェだ。ティーリアはいる?」




