第三十一話 魔術師の帰還2
三人称フィルライン視点です
脱力したハロルドを見てクラウディオはクツクツ笑う。
《まあ、許せ》
「反省なさってませんね。王子様が“王子”で居られるかどうかは私にかかっていることをお忘れなく」
《上司を脅す気か》
「まさか。心労で交渉に失敗してしまうかもしれないというお話です」
《小賢しい男め。……はあ、僕が悪かった。あとでなにか詫びを送る。お前には特別給与を出してやる》
「ご理解頂けて嬉しいです。さすが聡明な殿下」
クラウディオと話すアーレンの表情はフィルライン達に対するものとは違い、ほとんど動かない。
(こちらの方がよほど警戒心を抱かないで済むな)
友好的な笑みよりも無表情の方が似合っている。
「王子でいられるのがレンにかかってるって?」
「ああ。クラウディア様についてはどれほどご存じでしょうか?」
《こいつらは全部知ってるぞ。このドレスの呪いについても》
「なら説明が楽ですね」
目の前にいるのは、旧友、クラウディオ・レスト・ルロニアだ。男ながらに傾国とも称されるほど顔面の造形が麗しい。長い睫毛に宝石のごとき瞳。キメ細かい肌に、薄い唇。艶やかで甘やかな芸術作品だ。
だが、その顔は決して女性的ではない。……はずだった。
彼が呪具の呪いにかかるまでは。
呪具の効果により、「彼」は強制的に「彼女」になった。女好きのクラウディオにとってはかなり痛い出来事だろう。
「パシェの魔眼と違い、私の瞳は霊も捉えます。魔力の性質も聖なので、祓うことも可能です。ですからドレスの呪具に取り憑いた霊と交渉して、一時的に元に戻していたのですよ」
《性悪なこいつはそれで度々僕を脅してくるんだ》
「あれ疲れるんですよ。式典の際ならともかく、女性を口説くときにも戻して差し上げている部下の忠誠心を感じて頂きたいですね」
「なるほどねえ」
クラウディオは立場上、狙われやすい。呪術的な方向にも対応できるからこそ、性悪だの罵りつつも重宝しているのだろう。
《そろそろ切るぞ。レン、三日後デートの予定があるからそれまでに戻ってこいよ》
「ロードニスからルロニアまでの距離をご存じない? 一月かかりますが」
《デートに行くからと言って、到着予定日の二日前に一度こっちに戻ってきていただろう。余裕のはずだが? 僕が好意を寄せていると知りながらアネットを取りやがって》
「……ちっ、余計なことまで覚えてらっしゃる」
聞こえてるぞ、という声には返事をせずにアーレンは回線を切った。なかなかに態度の大きい部下だ。
振り返って再び、深々と頭を下げる。
「今回は、我が主が大変失礼をいたしました。何か御礼の品をお贈りさせていただきます。王子の個人財産から出させますのでご遠慮なさらず。むしろどうぞ皆様、とびきり高価なものをお頼みください」
「アーレン殿が気にする必要はない。旧友との親交だ。が、せっかくなら高い物を頼むとするか」
ハロルドはにやりと笑う。
随分心労を掛けさせられた。このくらいは当然だろう。
○
アーレンとの話し合いも終わり、彼を見送る。
彼は公にはされていない存在であり、他の魔術師達とは違う日程で帰るため帰還式は簡素だ。馬車は一つで、フィルライン達とルロニアの魔術師以外には人はほとんどいない。
「寂しくなりますわ」
「では、次は貴方に会いに来ましょう」
数名の侍女が名残惜しそうに、アーレンに贈り物を渡し去って行った。
クラウディオが「女タラシ」と称したとおり、短い期間でかなりの人気ぶりだ。
飛び抜けて顔立ちが良いわけではないが平均よりは小綺麗な上に、動作が優雅だ。出世しているものの、貴族では無いため手の届きそうな存在、というのも理由の一つだろう。
アーレンは侍女に笑顔で応対していた。嘘くさい笑みとは違い、嬉しそうである。主と従は似ると言う。
「レン、私からも。はい」
駆け寄ったパシェがアーレンの目の前で手を開いた。ブンと羽をならし、虫が飛び出す。
一拍の空白。
次の瞬間には虫は焼き消えていた。彼が目に見えぬほどの高温の炎で焼き払ったのだ。
「あっ、魔力揺れた。本当に苦手なんだねぇ」
「……酷いことをなさいますね」
「うん。ちょっと試してみたくて。ごめんね?」
疑っちゃってた。
パシェは悪びれもせず言う。対するアーレンの笑みもにこやかだ。
お互いに笑顔なのにその空気は友好的とはほど遠い。
(……どちらも敵には回したくないな)
フィルラインにとって腹芸は一番の苦手分野だ。幸い、感情が顔に出ない質なので事無きを得てはいるが、彼らと渡り合えば一瞬で情報を攫って行かれそうである。
突然の事態だったとはいえ、アーレンが精霊に連れ去られたのは幸運だった。
いよいよ、アーレンが馬車に乗り込む直前、何かを思い出したように向き直った。
「お詫びの品の件、考えておいて下さいね。そういえば、ルロニアでは金属製の栞が流行っているのですよ。ーーーー読書好きのかの令嬢への贈り物には良いかもしれませんね」
ハロルドの耳元でそっと囁かれた声はフィルラインまで届いた。ハロルドの想い人、イレーネは現在の後宮いちの読書好きだ。
(気づかれている……?)
「そうか。後宮には読書好きの令嬢は多いようだし、今後の参考にさせてもらおう」
「ええ、ぜひ」
「では、無事な旅路を祈る」
しかし、ほんのわずかさえハロルドが動じることは無い。
帰還の合図がなり、今度こそアーレンは馬車に乗り込んだ。
濃密な日々だったと振り返って思う。
これでようやく、厄介ごとの種は去った。
やたらと不穏な影をちらつかせていたアーレンはもういない。神木のことなど問題は山積みだが、ひとまず安堵の息を吐いていいだろう。
○
その後、フィルラインは部下の指導のため訓練場に向かって歩いていた。
強風で、伸びてきた前髪が一瞬視界を遮った。
掻き分けてため息を吐く。
「はぁ……」
アーレンの所為で、肩が凝った。早く帰って甘い物を食べたい。
同時に栗色の髪に、新緑の瞳の小さな女中の姿が頭に浮かぶ。最近は甘いもの、と考えるとティリーの姿も同時に浮かんでくるようになった。
(まぁ、菓子の妖精、だからな)
最初会った時そうハロルドに告げたのを思い出して少し笑う。
「ロールデン様」
後宮の庭に差し掛かったとき、不意に控えめな声がかけられた。
この声は……
「ティリー?」
姿を現したのはティーリア・ダウス子爵令嬢だった。目深く帽子を被りさらりと銀髪を後ろに流している。最初にティリーと思ったせいか、一瞬その姿が重なって見えた。……自分で思うより疲れているのかもしれない。
ティーリアは腰を折り、優雅な一礼をする。
「先日、お世話になりましたティーリア・ダウスですわ」
「ああ。あれから変わりないか?」
声をかけると小さく頷いた。吹いた強い風で帽子がずれる。慌てて抑えるが、隠れていた顔が見えた。
……ん?
ふと覚えた小さな違和感。
夜は暗かったからはっきりと覚えていないがティーリアはこんなキツそうな顔立ちではなかったはずだ。
「化粧か」
「……その節はお見苦しい物をお見せしました」
「見苦しい? 元が良いのだし、化粧をしない方が君は似合うと思うが」
「へっ? あ、ありがとうございます……」
本心を口にすると顔を真っ赤にして俯けた。新鮮な反応だ。
しばらく頬に手を当てて熱を逃がそうとしていたが、落ち着いたらしく丁寧にラッピングが施された箱を差し出してきた。
「先日のお礼です」
触れた指先が冷たい。外からフィルラインを見かけて待っていてくれたのだろうか。少し関わっただけでも育ちの良さを感じる。
(噂される姿とはほど遠いな)
だが、たいしたこともしてないのにこれは受け取れない。返そうとした時、
「お、お菓子なのですがっ! お気に召さなければ煮るなり焼くなり好きになさって下さい! い、一応危険物は入れておりません、が」
お菓子。
その言葉に腕が止まった。
せっかく待ってくれていたのだし、受け取っても良いのではないか。そう囁いてくる己の内なる誘惑と戦う。いや、やはりこれは返すべき―――
「あの、やはり私が処分します。今度違った御礼を」
「有り難く貰う」
処分すると言い出したせいでつい、本音が漏れる。
処分されるのなら貰ってもいいだろう。そう自分の中で結論付けた。決して内なる欲望に負けたわけではない。
ティーリアは再度お礼の言葉を口にして足早に去っていった。
(そういえば、侍女の姿がないな)
何か事情があるのかもしれないが、令嬢一人で歩くのはいくら王宮でも危険だ。
見送っていこうと、踵を返そうとすると、再び小さな声がフィルラインを呼び止めた。
ティーリアでも、ましてやティリーでもない。男の声だ。
「あのぅ……騎士団長様」
「何か用か」
そこにいたのは、先ほどアーレンの帰還式にもいたルロニアの魔道師だ。
「あっ、あの、お、お尋ねたいことがありまして……お時間、よろしいでしょうか……?」
「構わないが」
フィルラインの無表情がそうさせるのか、本人の気質か、やたらとおどおどとしている。
「その、こ、答えにくかったら返答なさらなくても良いのですが……。あ、アーレン副団長が、何かなさいまし、ひえっ、すみません! 出過ぎた真似をいたしました! ご、ごごごご無礼をお許し下さいっ」
「いや、怒っているわけではない」
表情を動かさないのが悪いのか、フィルラインはこうして時折怒っていると誤解されることがある。否定するとホッと息をつかれた。
アーレンが何かしたのか。
先ほどの質問を反芻する。
帰還式の様子を見て何か不穏な気配でも察したのかもしれない。
「ええと、一言だけお伝えしたくて。そのぅ、アーレン副団長は悪い人ではな……いえ、良い人とも言い難いんですが。でも、そこまで悪くもな、いや、腹黒いし人として当然の倫理観が欠けてて残酷なことを平気でしますが。けど、確かに良い面も無くは無くて、まあ、善か悪かと聞かれたら確実に後者ですけど。けど、ごくごく稀に優しくて、それは後々利用するために飴と鞭を使い分けてるだけだったりして、けど、でも、だから、うーん、…………副団長は良い人ではありません!」
なにか納得したように頷いた。
自分でも言いたいことがはっきりしなかったのか、正直な性質らしい彼は結論が悪い方向にずれた事に気づいていない。
「それで?」
「あっ」
促したことでようやく失言に気が付き、はっとする。
「すっ! す、すみません! その、ち、違うんです! 今のは自分の個人的な問題でして。アーレン副団長はロードニスに不益をもたらすような人ではないと、言いたくて」
「ああ、それは分かっている」
こうして、わざわざ弁解をしにくる部下がいるのだから、彼は案外慕われているようだ。
ふと、好奇心に駆られて尋ねる。
「彼がお前たちの指導を行ったと言っていたが、どんな指導だったんだ?」
「ひっ……! あ、アーレン様には自分がいかに矮小で取るに足らない存在かをご丁寧に教えて頂いただけです……」
聞いた途端、元々真っ青だった顔をさらに青白くさせがたがた震えだした。よほどのトラウマになっている様子だ。
(……本当に、あいつは何をしたんだ)
「……それは、罰ではなく、指導か?」
「そ、そうです。指導、訓練だと仰っていました……。じ、じご、地獄でした。訓練ではなく、実は拷問なのかとも思いましたが……」
違いました、と彼は言う。
確かに厳しい訓練をしなければ得られないはある。自身の成長にとっては良いことだ。……もちろん、その厳しさの程度にもよるが。
てっきりそうした言葉が続くと思っていたのに彼が口にしたのは全く違った。
「あの、拷問なんてとてもとても。あんな生温いものではなかったんです。あれと比べたら確かに訓練でした。ええ。そうですとも。だ、だって、だって治癒術をあんな風に使うなんて、あの鬼畜しか思い浮かばな……あっ、思い出したら眩暈が……」
「……悪いことをきいた」
ふらっと倒れかける魔術師を支えるように手を伸ばすと、大仰に飛び退かれた。
「じ、自分はなんて真似をっ! 騎士団長様にご迷惑をおかけするなんて! あ、アーレン副団長には言わないで下さい! こ、殺される……!」
「言わない。落ち着け」
「いっそ、殺される前に死んでお詫びしま、いやあの人絶対地獄まで追ってくる、うわあああ逃げ場が無いぃぃ! 申し訳ありません! 申し訳ありませんん!」
ぴしりと深く頭を下げると脱兎のごとく去って行った。
「……ティリーの作る菓子が食べたい」
現実逃避気味に呟く。疲労が増した気がする。
ルロニア王国の王子、クラウディオと部下のアーレン、名前だけ登場した女医のアネットは、また再登場するので頭の片隅において頂けたら幸いです。ルロニア王国サイドはあと、ティーリアの兄のアレクシスがいます




