第三十話 魔術師の帰還
三人称フィルライン視点です
今日は、ルロニア王国から派遣されてきた魔術師、アーレンが帰る日だ。
精霊に連れ去られたアーレンは夕刻前にぐったりとした様子で帰ってきた。ティリーの言った通り精霊には魔力を吸い取られて遊ばれていただけのようだ。本人もこれが初めてではないと言っている。
心配していた関係の悪化も避けられた。かえって、混乱を招いてしまったと謝罪されたくらいだ。
想定外の事態があったことで、アーレンのみ予定を早めて帰ることになった。
その前に労いと、いくつか協議事項もあり、アーレンを客室に招いている。
新しい茶が用意されたときパシェが口を開いた。
「ねぇねぇ、レンは不思議に思わなかったの?」
「不思議、ですか?」
「私たちが最初から君を警戒対象として見ていたことについて」
問題発言にハロルドはわずかに目を見開き、アーレンの口元は弧を描いた。
「不思議には思っておりました。儀式後の行動は不審だと判断されるのも仕方ありませんが、もっと前から警戒なさっていたようでしたから。教えて下さるのですか?」
「代わりの質問に答えてくれたらね」
「そのような条件がなくともお答えしますよ」
その友好的な態度さえ胡散臭いと思うのはこれまでの印象が強いからか。
我が意を得たとばかりに、パシェはにまりと笑った。
「じゃあ、質問ね。レンって部下になんかした? 上司に向けるものにしては目が怯えきってたんだよねぇ」
「ああ。異様に怯えられていますよね。あれは私が指導をしたからです。ロードニスでは魔術師はとても重宝されるでしょう? 故に傲慢になっている部分がありまして。目に余ったものでつい少し厳しめに」
彼にとっての「少し厳しめ」が魔術師達にどれほどの恐怖を与えたのだろう。あれはまるで支配者に服従するものの瞳だった。
この魔術師はどうやら仕事をしない人間が嫌いなようだ。
「二つ目。レンが儀式で全員に《夜目》をかけたのはなんで? 実力の証明とか、灯りを用意するのが手間だとか言ってたけど、もっと派手で分かりやすい魔術はあるよね? どうしてその中でも地味で手間がかかって魔術知識のない人には分かりにくいものをわざわざ?」
フィルラインも感じていた疑問をそのままストレートにぶつける。もう少し駆け引きがあるかと思っていたのか、直球の質問にほんの少し動揺したように見えた。
尋問をパシェに任せ、アーレンの観察に集中していたハロルドはその変化を見逃さなかった。
「おや。答えられないと。なにか目に見える何かを誤魔化すため別の魔術もかけた、なんてことはないだろうな?」
「それは勿論ですが……。その、王宮は近くに山がありますよね」
他国が攻めにくいように、王宮の背後には険しい山がある。何か関係があるのだろうか。
「山の近くで、夜、暗い中灯りを灯したらかなりの数の虫が来ますね?」
「まさか?」
「……お恥ずかしい話、虫が、どうも苦手なのです。ですので灯りで集まらないよう《夜目》を」
「は?」
虫が苦手。
飄々として動じることなど無いように見えるアーレンにはあまりにも似合わない。拍子抜けして出た声は、思いの外、客室に響いた。
「人体実験を主とする組織に捕らえられていたとお話ししましたね。……実験の一部で、虫を大量に使うものがありまして」
「うえぇ。それ知ってるかも。虫壺に落とす、ってヤツ。体中を這わせるとか聞いたけど……魔力増幅だっけ? 効果あるの?」
「単純に気持ち悪いだけです」
想像してしまい、自然と眉がよる。
侍女を下がらせていて良かった。王に仕えているのは、名家の令嬢が多い。この話は箱入りの令嬢には刺激が強いだろう。
「ええー、じゃあ私が来たとき突然魔力を纏ったのって虫がいたから?」
「申し訳ありません。反射でつい……。私事で無用な警戒を招いてしまいました」
恥じ入るような様子から少なくとも嘘はないように見えた。だからといって真実を話しているとも限らないが。
(……もしや)
「先日、精霊を呼び寄せてしまったのも虫が居たせいで動揺して魔力を揺らしたからか?」
「いえ、違います」
予想と違うきっぱりとした断言が返ってきて驚く。
「では、なにが原因だったんだ?」
「それが、私にもよく分からないのです。動揺を誘われた、いや《何か》と私の魔力が共鳴したという方が正しいですね。引き寄せられたといますか……自分の意思では操作できない核、根幹から揺らされたような。大量の魔力持ちには精霊が押し寄せるのはよくあることです。私のように契約を交わした精霊が居なければ尚更。しかし、立てないほど大量になんて普通はありません」
「そうだよね。精霊は気まぐれだけど、いくら美味しそうな魔力があっても途中でやってることを放り出したりはしないから不自然に思ってたんだよ」
「ええ。最初は精霊王の気配を感じたので偶然通りかかった精霊王と共鳴したのかと思いました。ですが、私の元に精霊王はやってこなかった」
(精霊王、いや水臣だったか……)
心当たりがあり、口を開くか迷った。
精霊王は確かに向かおうとしていた。それをティリーがとめたのだ。
この場でそう発言すれば、ティリーの存在について話さなければならなくなる。それを嫌だと思ってしまう自分がいる。
「あ! それなら、水の精霊王とフィルが会ったんだって!」
そんな思いはあっさりとパシェに切り捨てられた。いや、ティリーが引き留めたことは言っていないので無自覚ではあるのだろう。
「ロールデン様と?」
「ああ。俺の精霊と顔見知りらしくてな」
「とても助かりました。精霊王まで来ていたら魔力が涸渇しきってしまうところでした」
助かったという割にはその瞳は依然として冷ややかだ。
「……んーん? なんかレン、フィルに冷たくない?」
「そうでしょうか」
「うん、冷たい。フィルがなんかした?」
空気を読まないパシェはずけずけと尋ねる。
アーレンがちらりと、こちらの方を見た。試すような視線だが心当たりはなく、そのまままっすぐ見返す。
細い指が思案するように顎にかかった。
「……疑われていますし、正直にお話します。実は儀式の夜、陛下と別れて部屋に入ってからやはり感じた魔力が気にかかり、窓から遠視の魔術を使い、違和感を覚えた場所近辺を探索していたのです」
「簡単に言っちゃうけどさぁ、君の部屋に魔術を関知する結界貼ってたんだよねぇ。反応は無かったはずだけど」
「私は、ルロニア王国の誇る魔術師です。それに第七王子殿下直下騎士団副団長もつとめておりますので」
それだけ実力が高いのだと暗に、だがはっきりと言い切る。自慢げでは無く、当然の事実を口にしているだけだと言いたげなその態度はいっそ清々しい。
「謝罪はいたします。申し訳ありませんでした。しかし、私は儀式の為に派遣された身です。手抜かりがあれば、ルロニアの評判を下げることに繋がります。ましてや、確認に行ったのは魔術に精通していないロールデン様でしたので、万一のことがあってはならないと」
「ふぅん? 他の者を行かせたとしても納得したようにも見えないけどなぁ」
「パシェでしたら納得いたしますよ」
あくまで彼は動じない。パシェの嫌みを躱して、笑顔を崩さず続ける。
「後宮にいるロールデン様を見ました。私の言葉をお疑いになっていたのは感じていましたが、まさか仕事もせず女性と密会されているとは。とても驚きです」
「……ああ」
そのせいだったのか。
アーレンにしてはずいぶんと直球な嫌みだ。分かりやすい態度といい、それほど仕事をしない人間が嫌いなのかもしれない。
「確かに、令嬢に遭遇したが警備をきちんと行った上でだ。それに、暗闇に怯えていた所を保護しただけで特筆するような関係でもないが」
「横抱きにするのを特別ではないとおっしゃるのですね」
「えっ、なにそれ聞いてない!! フィルってばお姫様だっこまでしたの!?」
パシェががたりと立ち上がった。
「靴を履いていなかったからな。外で怪我をしたら困るだろう」
「え? ……ああ、そういえば、確かに」
アーレンが記憶を探るように目を閉じる。パシェはつまらなさそうに、なぁんだ、と呟いた。
この前といい、なぜそんなに興味を示すのかが理解できない。
「勘違いをしていたようです。大変、失礼いたしました」
「いや、分かってくれたなら何よりだ」
深く頭を下げたアーレンの瞳は、相変わらず感情が読めないが、冷たさは薄れていた。
「フィルに冷たくしてたのってそれが原因だったんだね」
「態度に出ている自覚は無かったのですが……。第七王子殿下の女性関係で苦労させられたもので、そういう方を見るとどうしても嫌悪感を感じてしまいまして」
「あー、彼ってばすごく女好きだもんねぇ」
(そういえば、彼はラウの側近か)
気持ちは痛いほど理解できた。同じ大陸の学園に通っていた頃、フィルライン達も巻き込まれたものだ。
「あっ、ちなみにレンを警戒していたのはその君が仕える主から、注意を促す手紙が届いていたからだよ」
「パシェ」
流石に秘密の漏洩は見逃せず、ハロルドがパシェを制した。
しかし、もう遅い。
アーレンからす、と表情が消える。無表情というにはあまりにも冷たい。
「…………っの、サド王子」
地を這うような低い声が紡いだのは罵倒だった。
「……アーレン殿?」
「あの女好き殿下は無理難題を押し付けたりして、私がうまく行かないのが好きなんです。わざと意味深な手紙を送ったのでしょう。本当に、性格が悪い」
「そ、そうなのか」
本性をちらりと覗かせ、自国の王子を罵るアーレンにハロルドがやや引いている。
「今直接本人に謝罪させましょう。繋ぎます」
短い詠唱が紡がれた。細長い指が魔方陣を描く。
少し乱雑な動きだったが、その魔術にも美しい色彩が見える。パシェが興奮して目を輝かせていた。
「ご機嫌麗しく、お、う、じ、さ、ま?」
《うわっ。なんだ、お前か。突然繋ぐのはやめろ。女性といたらどうするつもりだ》
懐かしい顔が鏡のようになった氷に映し出された。その神に愛されたと称されるほど麗しい造形こそ懐かしくはあるが、やはり見慣れない。
「わぁ!! レンすごい! あんな簡っ単な式で映像まで見えるように出来るなんて!」
《その声はパシェか。久しいな》
「ねえねえ、向こうに戻ったら私とも繋げてよ!」
《この僕を無視するとはいい度胸だな》
「あ、ラウ。久しぶりぃ。その格好も似合ってるね」
《言うな》
不服そうな顔をしたのは、パチリとした瞳の、精霊に匹敵する美貌の少女だ。
彼こそが、アーレンの仕える主、クラウディオ・レスト・ルロニア第七王子である。
「久しぶりだな、ラウ」
《ああ、ハロルドか。フィルもいるな。おい、レン。姿がはっきり映っていないぞ。雑な式を組むな》
「誰のせいですか。渡した通信用の魔道具を常に持っていないからですよ」
《あれはお前の魔力を感じて不愉快だから置いてきた》
はああ、とアーレンから深いため息が漏れた。
パシェの突拍子もない行動を止める自分達に似た雰囲気を感じてうっかり同情する。
《お前達が揃っていると言うことはもうバレたのか。早かったな。つまらん》
「……友人としてのお前を信じようとした自分の愚かさに呆れている」
《ちょっとした冗談だ。手紙は持ってるか?》
「ああ」
パシェの要請があり、もっていた手紙を取り出す。
隠文字で「アーレンに用心しろ」ただそれだけが書かれたものだ。
《炙ってみろ》
まさか。
ハロルドがげんなりとした顔をしていることが見なくても分かった。
出した火で手紙を炙る。
浮き出た文字には「あいつは性格が悪いからな。からかわれないように用心しろ。あと女タラシだから好きな女は近づけるなよ」と拍子抜けする警告が書かれていた。
「……炙りだしを使う場合は手紙に香りを付けておくか火を連想させる単語を入れろと言っただろうが!」
《ククク、これから僕から私的に届いた手紙は全て炙りだしを試すことだな》
怒りを抑えきれずハロルドが怒鳴る。国王になってから感情を制御していた彼のこんな姿を見るのは久しぶりだ。
(これが目的だったわけではないだろうが)
いや、その可能性も低くはないか、と思い直す。
かの王子は聡明で、性格は良くはないが懐に入れた者には甘い。ずっと気にしていたのかもしれない。




