第二十九話 憂鬱なお茶会
お茶会が開催されている扉の前に立って深呼吸をした。
そっと胸元に隠してある首飾りに触れる。薔薇の形をしたそれはティーリアの精神安定剤のようなものだ。
「何も出来ない自分が歯がゆいです」
ここから先はセリスが入ることは許可されていない。ティーリア一人だけで挑まなくてはならないのだ。
申し訳なさそうに俯くセリスの顔をのぞき込む。
「そんなことないよ。セリスはこうして着飾らせてくれたでしょう? お姉ちゃんが言ってたの。着飾ることは武器になる、美しい装いはそれだけで相手を怯ませるって。セリスは私に武器をくれたのよ」
「……そうですね。威嚇のつもりでとびきり美しくいたしました」
「濁してたのに結局言っちゃうんだ」
くすりと笑うとセリスの肩から力が抜けた。意を決したように扉を叩く。
ノックした瞬間、ピタリと笑い声がやむ。視線が一気に集まるのを感じながら優雅に一礼してみせる。
「皆様ごきげんよう。……遅刻してしまったようで、申し訳ございません」
「あら、ティーリア様。随分と遅かったわね。なにかお茶会に遅刻する理由でもございましたの?」
真っ先に返事をしたのはこの派閥の中心人物カロリナ・フレンテラだ。派手な内装にも劣らないぐらいの濃い橙色の派手なドレスは彼女の緑色の髪に不思議と合っている。
しかし、とティーリアは微かな違和感を覚えた。
いつもカロリナはごてごてとした装飾品で身を固めているが今日はやけに多くないだろうか。それも頭部に集中しているので尚更違和感を覚える。色鮮やかな緑髪が宝石が放つ光のせいでくすんでさえ見えるのだ。
「ねえ、遅刻された理由はなにかしら?」
「……ありません」
ティーリアが聞いたお茶会の時間はもっと後だったのだが、今言っても仕方ない。無駄どころか、それを言うのは悪手だ。言い訳と判断され、遅刻しても謝罪の一つもしない非常識人と噂されるのが目に見えている。
「理由も無く遅刻されたと?」
「……はい」
「そう。わたくしも軽んじられたものですわね。子爵令嬢の貴方が、侯爵令嬢のわたくしを軽んじる? ふふふ、おかしいわ」
「まさか、軽んじてなど。貴重なお時間を割かせてしまい、申し訳ありませんでした」
「いいですわ。いつものことですものね」
カロリナはそうそう、と気を取り直すように手をあわせた。
「ティーリア様。そのアネ草色のボレロよく似合っておいでで」
「あ、ありがとうございます! カロリナ様のドレスも華やかでとても素敵ですわ」
カロリナに褒められることはめったにないから嬉しくて笑みがこぼれる。すると何故か彼女は不機嫌そうに眉をあげた。
「……アネ草が毒草だとご存知ありませんの?」
「? いえ、存じ上げておりますわ。毒草というだけではなく薬草としての効果も素晴らしいんです。絵の具の材料としてもよく使われているんだとか」
ティーリア自身もアネ草の微妙な紫の色合いが大好きで紫色を使うときはほとんどアネ草を使っている。そのまま使用すれば毒薬にもなるが医療としてもよく使われているのも知っている。だから詳しい方だとは思うのだが……。質問の意図が分からず首をかしげる。
カロリナは顎をツンと上げると、剣呑な光を瞳に宿してティーリアを見つめる。
「わたくしを馬鹿にしていらしゃる?」
「そのような意図は……」
それくらい知っているという意味だろうか。精霊たちには人間界のことをよく教えているのでついそんな言い方をしたのが彼女の癇にさわったのだろう。
カロリナはふう、とため息を吐き、幾分か落ち着いたようで優雅な動作で扇子を広げる。しかし彼女の琥珀色の瞳がくすぶる怒りを如実に表していて身を縮める。また失敗してしまった。
「席についてはいかが?」
「はい」
促され座ると目の前に紅茶が差し出された。香りを嗅いだだけで、蒸らしすぎだと分かる。カロリナの侍女はこんな初歩的なミスなどしないから、恐らくわざとだろう。
美味しいお茶を飲みたいと思うが、この程度なら飲めないわけではない。
「聡明なティーリア様でしたら、このお茶の産地くらい分かりますよね?」
一口飲むとこの機を待っていたと言うように話しかけられた。声を掛けたのはカロリナの派閥の代表格のうち一人、濃い蒼髪のハンネローレ・ドルデだ。
「リラン産のものでしょうか」
「……正解ですわ。さすが、聡明ですこと。並の殿方以上ではなくて?」
「過分なお言葉です」
お茶の産地は貴族令嬢ならある程度は当然の教養とされる。間違えれば無教養だと馬鹿にされるのだ。
リラン産の茶は程よい甘みが特徴で、ティーリアのカップに注がれた蒸らしすぎたものではその特徴を掻き消している。分かり難かったので正解できて安心した。
笑顔で対応したのに、ハンネローレは言葉とは反対に不快そうな様子である。が、それも一瞬、続いて「あら」とわざとらしく声を上げた。
「ティーリア様のお茶、わたくし達のものと色合いが違いますわね。同じ茶葉なはずですのに……。待っている間に蒸らしすぎてしまったのかしら?」
「ええ、確かに少し」
「これではいけませんね。そうだわ、ミルクを用意して」
え?
瞬きを落とした。
ロードニスでは紅茶はそのまま飲むものであり、何かを付け足すという文化はない。
以前フィルラインに出したミルクティーはルロニア王国の文化だ。フィルラインですら飲んだことがないのだから、よほど知られていないと思っていたが違うのだろうか。
「ミルクティーと言うそうですわ。ご存じ?」
「はい。ルロニア王国の文化ですよね」
「……」
ここは知らないフリをした方が良かったのだろうか。考えている内にミルクがことりとテーブルに置かれたが、
(う、わ。すごい臭い。腐っているんだわ)
カップに注いだ途端に、嫌な臭いが立ちこめた。くすくす笑って隣の令嬢達が身を引く。
「どうしたの? お飲みになって」
「……ええ」
先ほどのものとは違い、これは飲むわけにはいかない。
自然な動作で髪飾りに触れる。香りを嗅ぐようにカップを持ち上げ、顔を傾ける。
「あっ」
ぽちゃりと髪飾りがカップに落ちた。
カップをテーブルに置いて、残念そうな顔を作る。
「髪飾りが緩んでいたようです。残念ですが飲むわけにはいきませんね。これを下げて新しいものを用意して下さる?」
後半の台詞はカロリナの斜め後ろに待機していた侍女に向けた。
「手間を掛けます。その代わりというわけではないけれど、良かったらこの髪飾り使って下さいな。私より貴方の金髪によく似合いそうだわ」
「えっ」
侍女は分かりやすく顔を輝かせた。落とした髪飾りは一目でかなり高級品と分かる繊細な細工のものだ。
侍女の好感度は上げておいた方がいい。罪悪感を感じてもらえれば、今後の対応はいくら命令されていても多少甘くなる。
ティーリアが見た限りこの部屋で最も権力のある侍女は彼女だ。味方につけておけば有利になるだろう。
横目で伺ったカロリナの顔がやや歪む。
「地位が近いもの同士仲良くできるのかしら? 慈悲深くてうらやましいですわ」
ハンネローレがカロリナの意図を汲むような嫌みを言う。
けれどこの発言は失敗だ。
侍女とはいえ、大半は貴族の令嬢。侍女としてここにいる令嬢達の地位は男爵程度で高くは無いが、下に見るような発言に自尊心が傷付けられたに違いない。
ティーリアにとっては好機だったが、
「ふふふ、ハンネは仲の良い様子に嫉妬してしまったのかしら? 普段は仕事をこなす侍女さんのことを褒めていますのにね」
「はっ? ……え、ええ。そうですわ。わたくしったら」
この流れはまずいとわかったのか、それまで黙っていたカロリナ派閥のもう一人の中心人物であるルーシー・ラーマが口をはさんだ。否定しようとしたハンネローレに向け穏やかに微笑んで否定の言葉を封じさせる。
(そんなに上手くはいかないか……)
ここでもう少し侍女達の好感度を上げておきたかったが、今は厳しそうだ。
「そうだわ。侍女さんたちもお仕事ばかりで疲れますわよね。お茶会も長引いてしまいましたし。そろそろ休憩をとっては? ねえ、カロリナ様」
「そうですわね、あとはもう片付けくらいでしょう。しばらく下がってなさい」
その指示に従い、侍女達は下がる。しん、とした沈黙が流れる。
キシとの穏やかな沈黙とは違ってとても気まずい。
なにか話題を、と考えたが生憎当たり障りのない話題というものをティーリアは持ち合わせてなかった。
ティーリア様、と呼びかけられたのでそちらに視線をやる。ルーシーだ。
「はい。なんでしょう?」
「わたくし、前々から思っていたんですけど、ティーリア様の髪って本当、灰色ですのね。珍しいわ」
「そうですね。おかげでよく人に覚えて頂けるので助かっています。昔は好きでは無かったけれど今は自慢ですの」
その台詞にルーシーが眉を上げたのと同時に、扇子をテーブルに叩きつける音が響いた。
がたりとカロリナが立ち上がる。
「いい加減になさって下さいませ! 先ほどから知識をひけらかしたり、侍女に媚びを売ったり……! 不愉快で仕方ありませんわ。帰ります!」
「ティーリア様、片付けお願いしますわ」
カロリナが荒々しく立ち去ると続いてハンネローレ、ルーシーが立ち去り他の令嬢もいなくなってしまった。
「……今回の失敗はなんだろう? 自慢って言ってしまったのが鼻に掛けてるようで気に障ったのかしら」
ぽつりと呟き、片付けを始めようとすると楽しげな笑い声が響いた。
「ルト」
姿を現したのは闇の中位精霊ルトだった。ルトは少年の姿をしており、ティーリアの周りにいるが加護を与えたわけでない。
「姫さんすてきー」
「見てたの?」
「うん。天井でね」
「じゃあ、何がおかしかったか教えてくれる?」
ティーリアには全く分からなかった。今後同じ失敗をしないために聞いておく。
「全部ーって言いたいところだけど教えてあげるよ。姫さんが嫌味に気付かないからさ。軽く受け流されて腹が立っちゃったんだろうね。意地悪な質問にもあっさり答えるし」
「嫌味?」
「そーそー。毒草とか、灰色の髪とか。並の殿方以上ではなくて? ってやつも。分かりやすいと思ったけど」
「そうだったんだ」
なるほど。何故立ち去ったのか、今やっと納得した。
同時に理不尽だと思った。
「アネ草の紫はとっても綺麗なのに……!」
「えぇー。怒るとこ、そこ?」
ルトの視線に気付かず、拳を握って力説する。
「そうだよ! 嫌味の例えにされるなんてあんまりだわ! アネ草の色は深い紫でね、それなのにどこか透き通ってて素敵なの。嫌な臭いも少ないし、筆によく馴染んでくれるし、それに」
「はいはい、分かったからもういいよ。部屋行こー」
「でも片付けがまだ」
ルトは心の底から呆れた、という表情をティーリアに向ける。
「なに馬鹿正直に片付けようとしてんのさ?」
「う」
「大体さぁ、なんで毎回誘いに乗るわけ。適当な理由で断れば? どーせ、ロードニスには長く居ないんだし関係悪化しても別に良いでしょ」
「でも仲良くしたい人がいるから」
「は? 侍女の誰か?」
ううん、と首を振る。
「侍女に優しくするのは好感度を上げておいた方が良いからだよ」
「……姫さんってそういうとこあるよねぇ。ぽやぽやしてるようで計算高くて、計算高いようでぽやぽやしてる。分っかんねぇなぁ」
「そう?」
計算している自覚はあるが、ぽやぽやしているつもりはない。
「で? 仲良くしたい人って誰?」
「カロリナ様」
「主犯じゃん!」
ルトは「姫さんは読めない」と言いながらケラケラ笑う。
「何で仲良くなりたって、うわ! 結界破られた。早ぇ」
『ルト! 結界をはりましたね!』
ポンと音がして、風の中位精霊であるミヤナが現れた。怒りを現すように髪がうねっている。
「おお、怖いミヤナが来た」
ルトはこれっぽっちも怖いと思ってない調子でそう言うとすばやく消えていった。ミヤナはしばらく気配をつかみ取ろうとしていたが諦めて向き直る。
『全く。申し訳ございません姫様。ルトの結界のせいで様子を窺えず』
「気にしないで」
ふわっと気配がして水の中位精霊ユエが現れた。
「けどー、ルトの言うとおりですー。片付けなんかせずに帰りましょぉ」
「え、でも」
ミヤナもすかさず加勢する。
『片付けは侍女の仕事です。奪ってはいけません』
「そうですよー」
頑として譲らない精霊たちに説得され、ティーリアは部屋に戻ることにした。