第二話 キシとのお茶会
三人称のティーリア視点なので事実とは異なる部分もあります。
今までダウス子爵邸で自由に過ごしてきた。ティーリアはお菓子作りと絵を描くことが大好きだ。ダウス邸では女中の真似事をさせてもらったり、お菓子を作ったり絵も毎日のように描いてまるで普通の女の子のように過ごしていた。
規律を重んじる貴族社会では普通有り得ない自由度だった。いつしか、絵を描き、女中や侍女のみんなと一緒に喋りながらお菓子や料理を作ったりするのが日課のようになっていた。
ティーリアが後宮に入りとうとう一ヶ月。日常に変化はない。焦りは募るばかりだ。ダウス邸とは違いお菓子は作れない。大好きな絵も描けない。そろそろ限界だった。
ティーリアは特に目立つ容姿をしていない。唯一にして最大の特徴がこの銀の髪だ。ロードニスでは――いやこの大陸の国では銀の髪と黒髪を持つものはめったにいない。ティーリアも自分以外にこの銀の髪を持つ人にあったことがない。
そのため人の注目を集めてしまうのだが、それさえ隠してしまえば何処にでもいるようなただの人になる。
そして銀色の髪は染めやすい。
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「ティーリア様、本当に行くのですか?」
「うん。みんなもお菓子食べたいって言ってるし」
セリスが長い溜息をついた。
「……精霊たちがそういうのなら仕方ありません」
渋っていたセリスもみんな――精霊という単語を出すと了承してくれた。
精霊は自由で絶対的な存在だ。高い魔力をもち、土地の魔力と自分の魔力を使う人間とは違い、自ら魔力を作り出すことができる。人間が使うのは基本魔術なのだがなぜかここロードニスの民は生まれもった魔力量が少ないものが多く、大陸では珍しく精霊術を基本として成り立っているのだ。だから精霊の扱いも高くなる。
「大丈夫だよ。きっと。みんなも協力してくれるでしょう?」
ティーリアは笑って、精霊たちに呼びかける。
『まかせて』
『きょうりょく、するの』
下位の精霊たちが元気よく答え、中位の精霊たちもそれに同意する。
セリスもティーリアも精霊語を理解しているので精霊と会話出来る。中位の一部や上位精霊には必要ないのだがそれ以外の精霊だと精霊語ではないと意志疎通が出来ない。
「お願いですから、決して精霊遣いだとばれないようになさって下さいましね」
「うん」
精霊達は気に入ったものにしか姿をみせない。だがティーリアは元から精霊を視る瞳をもっている。そのお陰か、何かと精霊達に好かれ沢山の〈加護〉を貰っている。契約とは違い、大きな力を使うことは出来ないが、何体もの精霊と結ぶことが出来る。
「では、使用人専門の厨房を借りましょう。わたしが先に」
ダウス家からの付き合いのセリスは親友のような、母親のような存在だ。おっとりしていてとても優しく、けれどティーリアが抜け出したりしたら真っ先に怒ってくれるのも彼女だ。
※
「ありがとうございました」
今日も丁寧にお礼を言って厨房を立ち去った。ここに通い始めてからもう随分とたつ。
今日はのんびりしすぎた。もう待ってるかもしれない、そう考えて小さく笑った。誰にも気付かれないように注意しつつ、後宮から離れた所にある建物の後ろにまわる。
向かうのは歴史を感じさせるレンガの建物。もとは赤レンガだったのだろう。今は蔓が覆い、見えにくい。あまり大きく無い建物だが「ジグドの館」と名前が付いている。何代か前の寵妃が立てたものらしい。近くにある樹齢千年にもなる大木が強い日差しを程よく遮ってくれる。
風通しもよく、穏やかな良い場所だが、めったに人は立ち寄らない。亡霊がでると言われているのだ。確かにそういわれてみると、歴史を感じると思った建物が廃墟のように、程よく日差しを遮っている大木の豊かさが鬱蒼としているようにみえるのだから不思議なものである。
亡霊が出る。と言われたときはとても怖かった。けれど。
――心配しなくても大丈夫。ここにはなにもいません、いたとしてもあなたに危害は加えさせない。私が必ず守ります。
思い出してすこし顔を赤くする。今はそれほど怖くない。
ここは景色が綺麗で描いていて飽きない、お茶を飲むのも楽しい。しかも亡霊のおかげで人が寄ってこないのでティーリアにとっては最高の場所だ。
「ティーリア様」
男性にしては少し高めの、しかし不愉快な気持ちにはさせない―――むしろ耳心地のよい柔らかな声がすぐ近くから聞こえてティーリアの胸が波打った。
「キシ!」
ティーリアを呼んだ彼の名前はキシという。全身を隠すような黒いローブに仮面をつけているので顔はよくわからない。
キシは昔、ティーリアを助けてくれた恩人だ。それから何かと気にかけてくれる。後宮に入ってからは何かと不安でしょうからといってここにくるたびに来てくれる。
「またお茶を持ってきてくれたんだ。うれしい」
キシの入れるお茶はとても美味しいので嬉しい。そういうとキシの口元が緩み優しげな微笑みを浮かべる。キシが笑っているとティーリアも幸せな気持ちになる。
仮面から少し見える口元や顎のシャープなライン、隙間からのぞく大きな瞳からキシが中性的で整った顔立ちをしているのがわかる。これだけで分かるのだからキシの顔立ちはかなりいいのだろう。
なぜ、そんなに整った顔を隠すのかは分からない。だが、キシが触れてほしくないようなので聞かない。
安易に立ち入ってキシがどこかにいってしまうのは、怖いから。
「ティーリア様。また髪を染められて……、せっかくの美しい髪が痛んでしまいます」
キシはいたわるように髪に触った。
髪は女性の象徴とされる部分だ。
あまり触られたくないという女性もいるようだが、ティーリアはこうやってキシに触られるのが嫌ではない。むしろよく髪を結ってくれていたレディアを思い出し、幸せな気持ちになる。キシは器用に絡んでしまった髪をほぐしていく。
なんとなく照れくさくて誤魔化すようにパッと離れた。
「だって、銀髪だと目立ってしまうでしょ」
笑うとキシは肩をすくめた。
「それよりも早くお茶にしよう」
「はい」
キシは隅の方にいって隠していたテーブルを出した。
近くにはティーリアの画材道具も隠してある。キシが持ってきた魔道具で周囲溶けこんでいるので誰にも気づかれない。キシがもっていたテーブルクロスを敷きお茶を注ぐ。紅茶の芳醇な香りが辺りに充満していく。紅茶の香りとお菓子の甘い香りが程よく混ざり何ともいえない良い香りがティーリアの鼻に届いた。
テーブルにキシとティーリアが座ると、お茶の時間が始まる。
キシには顔以外にも謎が多い。
優れた情報網をもっていて、なぜ、後宮が設置されたのか、ハロルドの気持ちなど、普通では知らないような重大な機密情報を知っている。出自も顔も年齢も全く分からない。ただ言えるのはキシは必ずティーリアを守ってくれるということだ。
「ティーリア様?」
見つめているのに気が付いたのかキシが不思議そうにティーリアと視線を合わせた。
「なんでもないよ」
キシはティーリアを守ってくれる。
優しくて格好良くて大切な人。それだけ分かっていればきっと良い。
気を取り直していつものように友人の話や今度描こうと思っている景色の話をした。キシから話すことはあまりないが、聞き上手なので話していてすごく楽しいのだ。