第二十七話 違和感
三人称ティーリア視点です。
え―――?
背筋に不思議な違和感を覚え、動きを止める。
ティーリアは侍女のセリスとともに廊下を歩いていた。今はティーリアが女中でセリスの方が立場が上なので関係性が分かりやすいようにセリスが少し前に出ている。侍女の手伝いをする女中という設定だ。
主の前に出るなんて。としばらく渋っていたセリスだが、その振る舞いは言葉に反しなかなか堂に入っている。それがおかしくて緩む頬を抑える。
そんな、穏やかなひと時だったのだ。
背をかけた違和感はまだ消えない。威圧的で平伏したくなるような、それでいてどこか懐かしい感覚。この感覚は過去にも感じたことのある。
……そう。たしか精霊が一気に集合する時に感じるものだ。真横を精霊達が楽しそうに一方向に向かって通り過ぎる。
―――キシ?
頭に浮かんだ可能性に首を振る。キシなら間違っても騒ぎにならないようあらかじめ結界を張るのだから違う。ならば一体……?
「ティリー?」
突然動きを止めたことを心配してセリスが声をかけたが、考えに沈むティーリアは気が付かない。
「えっ、嘘! 水が出ない!」
「なに!? 急に火が消えたわ」
「おい! 何が起こってんだ!?」
ようやく精霊が消えたことで異変に気が付いたものが騒ぎ出した。廊下が人で溢れる。
その混乱はティーリアの耳にも届いた。
(もし、味方なら……ううん。敵でも。この騒ぎを放っておくわけにはいかない。多分一番詳しいのは私だし、王宮にいる以上はそこまで危険では無いはず)
ティーリアは目を閉じた。神経を尖らせる。
(……あそこ)
精霊の集まる方向をしっかりと認識すると、一言セリスに言い残し、軽やかな足取りで人の溢れる廊下をすり抜け駆けていった。
「え? あ、ちょっと待って! ティ、ティリー!」
取り残された。そう気が付いたセリスも遅れて後を追った。
■□■□
廊下を抜け、角を曲がる。敵にせよ味方にせよ、初めての人なら精霊に群がられたことに混乱してしまうかもしれない。正常な判断が出来ずに攻撃でもしたら大変だ。
「だ、大丈夫ですかっ?」
焦りが声に混じる。一番この現状に慣れているのは自分なのだから冷静にならなくてはと息を吐いた。しかし、冷静になったのも一瞬。
「ふぃ、フィルライン様!?」
目に飛び込んできた人物にティーリアは考えるより先に踵を返していた。
フィルラインとは二日前にあったばかりだ。しかも素顔で。幸い雰囲気を変えるという魔道具はまだつけていたし、暗闇で良好とはいえない視界。さらには髪色も違う。色の与える印象の違いは大きい。気が付かれないとは思うが、「思う」程度の曖昧なものに頼るほどティーリアは愚かではない。
だからとっさに踵を返したのは気が付かれたら困るという意志による行動だ。……断じて二日前の事が恥ずかしくて思わず逃げようとしたわけではないのだ。
誰にも聞かれていないのに心の中で言い訳し、フィルラインに向き直る。つい、逃げようとしたがティーリアはそもそも騒ぎを止めようとしてここに来たのだ。掴まれた手をそっと引き抜き、フィルラインの目を見つめた。
二日前の事を思い出して火照りそうになるが普段通りのフィルラインの様子に何とか堪えた。
あのときフィルラインに運ばれたのはティーリアだ。今はティリー。つまりは別人なのだと言い聞かせて我を保つ。
なぜ、突然精霊に囲まれたのかというフィルラインの疑問に自分なりの答えを出そうとしたとき、髪の先から爪の先までふわりと水の気配を感じた。洗練され尽くした、美しく、誇り高いその気配は、
「ーーーー嘘っ、水臣!?」
思わず、叫ぶ。
まずい。精霊王が来てしまえば、きっとルロニアの魔術師は今より多くの精霊に取り囲まれ、魔力を奪われる。以前のキシがそうだった。
魔術師にとって、魔力の涸渇は命取りだ。これを攻撃と判断し、国家問題になったら。
(た、大変だわ……!)
このまま、精霊王を行かせるわけにはいかない。ティーリアはかすかに感じるその存在を手のひらに集めて引っ張った。
「あらあらまあまあ、お姫様ですの~!?」
「水臣、どうしてあなたがここにいるの!?」
顔見知りではあるが、加護も契約もない相手だ。かなり強引な手段で喚んでしまった自覚はあるが、水の精霊王は気にもとめない様子で、嬉しげにティーリアを呼ぶ。
再会に喜ぶ暇もなく、フィルラインの様子が目に入り、慌てて魔力の放出をとめてもらう。
精霊王の流す魔力はそれだけで凶器だ。ティーリアは膨大な魔力を持つ姉、レディアやキシに慣れているし、なにより精霊の魔力だけでティーリアは傷付かない。
けれど、これは耐性の無い人間には耐え難いものだろう。にもかかわらず膝すら折らずに居られるのはフィルラインに相当の精神力があるからだ。この胆力があるからこそ、彼は若くして騎士団長に選ばれたのだ。
精霊王に驚くフィルラインが少し新鮮で、ひっそり笑みをこぼした。正しい反応だ。精霊王は神話にも登場する存在。ほとんどの存在はその姿を見せることはない。ロードニスの国民にとって、精霊王は一目見るだけでも奇跡。一言でも会話を交わせば、その家で末代まで語られることになるだろう。
慣れてしまった自分が異様なのだという自覚はある。幼い頃からの知り合いでもあるので、敬うべき精霊王という感覚が薄れてしまった。
(それより。今はこの混乱をどうにかしないと)
精霊王が現れたことに意識が向いてしまっていた。早く対処しないと、王宮の仕事に支障が出る。魔石でも対応は出来ると知っているが、あれは消耗品で国家の重要な資産だ。出来れば使わない方がいい。
応急処置として、加護を渡してくれた精霊に声を出さずに呼びかけた。
契約を結んだ上位精霊を筆頭に、まとめ役である風精霊ミヤナ達中位精霊、他にも下位の精霊も来てくれる。
『みんな、今の状況は分かっているよね。お願い、王宮の仕事が回るように手伝って欲しいの』
『請け負った』
『報酬は絵で頼むよ』
『勿論です、姫様』
『うふふ、お任せ下さいなぁ』
『おねがい、きくの』
『まかてて』
やはり、キシで良質で膨大な魔力持ちには慣れているティーリアの精霊達は、ルロニアの魔術師の元へ集まってはいなかった。
頼もしい返事をして、それぞれ場に散っていく。
続いて、集中して探ってみると、いないのは本宮の精霊達だけで後宮などの精霊は居ることが分かった。おそらくルロニアの魔術師自身が、精霊王がやってくる気配を察知して、咄嗟に魔力を遮断したから遠くの精霊は気が付かなかったのだろう。さすが、派遣されてくるだけあって有能だ。
(……これで、大丈夫そうかな)
闇精霊以外は中位以上が揃っているのでひとまず仕事は回りそうだ。
ほっと息をついたとき、精霊王に話しかけられた。
「うふふふ。お姫様の元にもまた伺いますわね」
「うん。そういえば水臣に会ってない子もいるから紹介するね」
新しく加護をもらった精霊と、出来ればイレーネも紹介したい。精霊王と顔見知りになることはきっと、将来イレーネの力になる。
「……先ほどから、呼ばれている水臣、とは精霊王様のご尊名でしょうか」
フィルラインの問いにぱちりと瞬きを落とした。
水臣、とティーリアが呼ぶのは彼女が精霊「王」ではなく、言葉の通り「臣」だからだ。王と呼ばれる存在は別にいる。
ロードニス王家の血を引くフィルラインが知らないことが意外だったが、
(そういえば、ティーリアに精霊神の訪れがありますようにって言っていたっけ)
すっかり知っていると思い込んでいたが、もしかしたら、王家の人間でさえ知らないのかもしれない。
いや、唐突な王の崩御により、きちんと口伝が伝わっていない可能性の方が高いのか。
「ううーん、そうですわねぇ。私の名前ではありませんの。けれど、精霊王と呼ばれるよりは近しいですのよ。フィルラインも水臣と呼んで構いませんわぁ」
「ありがとうございます」
精霊王の言葉を完全に理解しきれていないのが分かる。
今の説明が分かりにくいのも仕方ない。精霊たちは概念で動いているため、理論的な説明が苦手だ。説明するのならティーリアが適任だろう。
(……聞けば案外あっさり教えてくれるけど、一応秘匿されているし、誰が聞いているか分からない廊下で話す話ではないなぁ)
フィルラインの疑問を解いてあげたいが、経緯まで話すと長くなってしまう。
『姫さん、とりあえず精霊達の配置が完了したよ』
『ありがとう、流石だね』
脳内に契約を交わした光の上位精霊ニオミルの声が伝わってきた。
そう、何よりまずはこちらの問題の解決が先だ。
精霊を敬う気持ちの強い、フィルラインが距離の近い水精霊王への対応に困っているのも分かったので、パンと手を叩き意識をこちらに向ける。
「そうだ、水臣。ルロニアの魔術師様が精霊たちに連れて行かれてしまったの。返してもらえない?」
返答にやはり、水精霊王でも無理かと諦める。精霊達曰く、どうしても惹きつけられてしまうものらしい。
水精霊達だけでも、周りから引いてくれれば魔術師も楽になるだろう。水精霊は王宮の仕事に特に必要数が多い。
配下である水精霊達を戻すように頼むと、彼女はすぐに消えた。
「あの、フィルライン様……?」
まだ動揺の残るフィルラインに、声を掛けて謝罪をし、後日会う約束も取り付けた。
ティーリアの事を気遣ってくれただろう彼を頭を下げて見送る。
一時は安心したように見えたのに、急に不安げな顔に変わってしまったのが気にかかった。
※
「ロールデン様って何だか怖いですわ」
視界からフィルラインが消えたのを見計らってセリスが姿を現した。万が一にでもティーリアの正体がばれないようにフィルラインとの会話の途中に出で来ようとしたセリスをティーリアが止めておいたのだ。
「そう?」
「あ、いえ。良い方なのだと思いますが背も高いですし、割と近くで拝見していたのですが、表情も変わらないので少し……」
そうだろうか? 確かに背が高く威圧感がないわけではないが、表情なら何回も変えていたように思う。瞳はいつも穏やかで、お菓子がとても好きな少し変わった人だ。怖いと思ったことはほとんどない。セリスは苦く笑う。
「本当に良い方だとは分かっているのですよ。けれど、会話を交わしたことさえなく人柄もよく知らない侍女達が騒ぐ理由が分からないのです」
「うーん。そういう人達は顔立ちが整っているから好きになるんじゃない?」
国王のハロルドも整った顔立ちだが、それとは少し異なる顔立ちの良さを持つフィルラインも容姿だけで好きになる人は多いだろう。だからこそそういったものが煩わしくて鎧で顔を隠していたのだと思う。最近は、警備上の問題で素顔のことの方が多いようだが。
ティーリアとて、顔が好きか嫌いかと聞かれれば好きだ。それだけで恋にまで発展するかと言われても否定するが、理解できないわけではない。
「セリスはロールデン様のお顔好きじゃない?」
「そうですね……。格好いいとは思いますがわたしは平凡な人が好きなのです。平凡な方と平凡な幸せを噛みしめて生きていきたいのです」
なるほど。確かにティーリアもどちらかと言えば燃え上がるような恋より穏やかで長く続くものが良い。当たり前のことで幸せを感じて、笑って生きていけるような。そんな人生を歩みたい。
セリスに促され、もともと行こうとしていた調理場に足を進めた。
――出来れば、その時にお姉ちゃんにも傍にいてほしい。
そんな願いは、心の中でさえ呟けなかった。




