第二十二話 不穏な魔術師※
三人称フィルライン視点です
「凄かったな……。芸術作品を見ているのかと錯覚しそうになった。パシェが興奮するのも分かる」
隣のハロルドの放心したような呟きに、同様の感想を抱いていたフィルラインも頷く。
全身に波打つような魔力の流れの余韻が消えない。魔力が紡がれる様子を、あれほどまでに美しく魅せるのか。
ルロニア随一の魔術師は恐ろしいほどに精巧な術式を組み立てた。よほど繊細で質のよい術式でなければ魔眼持ち以外見えないはずの魔力帯が見えたのだ。
フィルラインとて立場上、腕の良い魔術師と接する機会は多い。儀式の際、魔力帯を見たこともある。しかし、周囲を漂う糸の色まではっきりと見えたのは今回が初めてだ。
パシェからみた世界はあのように見えるのかと思うと変人と称されるほど魔術に入れ込むのも少しは理解できる。……途中一人だけ倒れたのは興奮しすぎだ言わざるを得ないが。危うく儀式を中断させるところだった。
ハロルドは悠然とアーレンに近寄って、労うよう肩に手を置いた。
「流石ルロニアの魔術師。素人にでも分かる素晴らしい魔術式だった。せめて後処理くらいはこちらに任せてくれ。長旅の疲れもあるだろう。もう休むといい」
「身に余る光栄です。しかし、そろそろ≪夜目≫の効果が切る頃合いです。重ね掛けするわけにもいきませんから効果が切れるまで待機しておこうかと」
「なに、燭台も用意してあるしこちらは大丈夫だ。気にしないでくれ」
「……では、お言葉に甘えさせていただきます。お気遣いありがとうございます」
「礼を言うのは私の方さ」
アーレンは腰を折って丁重に礼をとって歩き出した。フィルラインも軽く頭を下げ、その背を見送る。
ややして、白い服は闇に消えた。
「……よし、行ったな。追うぞ」
「追う?」
疑問で眉を寄せたフィルラインに説明するべく、ハロルドは一歩近づき、周囲に聞こえないよう声を落とした。
「実は今日ルロニアの第七王子から手紙が届いた。そこにアーレンに用心しろと、隠文字で書かれていたんだ」
「……それは」
「あいつは色々迷惑を掛けられたし、情報を鵜呑みにしていいかは怪しいが、一応友人だ。ルロニア王国第七王子からロードニスの国王へではなく、クラウディオからハロルドへ友人として忠告する、とわざわざ書かれていた所をみると、信じてみてもいいかと思う。それに、あの魔術師自身いくつか気にかかるところもあったよな」
「ああ」
魔術師、アーレンの態度も返答も友好的で好ましいと感じられるものばかりだった。にも関わらず所々で不信感を抱いてしまう。
まず、ルロニアの魔術師たちの態度だ。彼らの目にあるのは緊張感ではなく、恐怖の色。上司ではない。支配者に服従する者の目をしていたのだ。
だが、一番引っかかったのは、魔術である。
披露して見せたのは己の実力を見せつけるためであろう。
しかし、≪夜目≫を選んだことが解せない。確かに複雑で高度な魔術だが、あれは魔術知識のないものには実力が伝わりにくい。
燭台を用意するのが手間という建前だとしても、他にももっと目に見えて分かりやすい魔術はあったはずだ。伝わりにくい上に高度な魔術をわざわざ選ぶ理由はない。
掛けられたのが≪夜目≫だけではなく、なにか別の魔術も混じっていたのだとしたら。
目に見える何かを誤魔化そうとしてかけたものであるならば。
そんな可能性が頭を過ぎる。
「だが、下手に疑えば今後の関係に響く」
「それは潔白だった時だろ。万が一バレたら客人を案内しようと思い、ついて来たと言えばいい。不審な動きをしないかとわざと一人の状況を作って泳がせてみることにしたが、そもそも護衛は要らないとはいえ、要人を一人で帰らせる今の状況の方が不自然なんだ。リスクは少ない」
「分かった」
不安は取り除いていたほうがいい。
フィルラインのみなら勘違いの可能性があるが、ハロルドは国王としての教育を受けてきた。人を見る目は確かだ。
夜目の魔術が何時切れてもいいよう燭台をもって追いかける。
「この角を右に曲がればずっと直線続き。真っ直ぐ帰っていれば後ろ姿が見えるはずだ」
そこにいることが確認がとれたら良い。居たらすぐ引き返す。だが姿は、……見えない。
ざわりと心が波立つ。
ハロルドが小さく舌打ちすると駆け出した。曲がり角を逆に曲がれば、後宮へつながる道だ。イレーネが心配なのだろう。
「そこで何をしている!」
動く影をみつけてハロルドが叫んだ。影―――アーレンは振り返って殊更にっこりと笑った。
「すみません。迷ってしまって。……と言える雰囲気ではなさそうですね」
「そこは後宮につながる道だ。何をしようとしている?」
問いかけるハロルドの声は落ち着いているが、手は剣の柄をしっかりと握っている。いつでも斬れるように、と。
それをみてアーレンは目に今までとは違った色を乗せた。
「物騒ですね。少し動けば斬られてしまいそうで恐ろしいです」
「謙遜だな。アーレン殿は武芸にも秀でていると聞いたが?」
「多少の心得がある程度です。騎士団長様には到底及びません。それに、今は丸腰ですし」
ほら、というように両手をあげる。フィルラインはハロルドより前に立って、剣を握り直した。
いざとなれば、ハロルドだけでも逃がさなければならない。
どんな動きにも対処出来るようアーレンを見据える。
「そんなに警戒なさらなくても害を与えようとは考えておりません」
「なら、どうしてここに?」
あくまでも警戒を緩めない。
アーレンは深刻そうにすっと眉を寄せた。わざとらしい、と思うのは勘ぐり過ぎだろうか。
「儀式の途中に気がついたのですが、魔力の流れがおかしい所がありまして……おそらくこの辺り。一瞬だけ何か膨大な魔力を感じました」
彼は目を瞑って手を伸ばす。
魔術を使える者は儀式の場に招集されているし、精霊除けの結界も張られている。考えられるとしたら外部からの侵入者だ。
だがそれはあくまで、彼の話が事実であれば、の話だ。信用するのにはあまりにも怪しい。
「では、なぜそれを誰にも伝えなかった?」
「勘違いで手間をかけてしまっては申し訳ないですし」
「王宮の警備は万全を期すものだ。たとえ勘違いであって咎めることはない。――我が国の警備体制が甘いと愚弄しているのか?」
それまで黙っていたフィルラインの瞳が鋭い光を宿す。
王宮の警備を行っているのは、王宮騎士団の中でもフィルラインが自ら選んだロードニス随一の騎士団だ。万が一、を考えて動かないような不真面目な騎士はいない。
(……部下を甘く見られているようで、不愉快だ)
無意識に放たれた怒気は、騎士団長をしているだけあって鋭く、重い。正面から受ければ気の弱いものなら倒れてしまうだろう。
アーレンはさっと顔色を悪くし、素早く膝をついて深く首を垂れる。失態を悟ったようだ。
「もちろん。そのような意図はございません。軽率な言葉で不快な思いをさせてしまい、失礼いたしました」
「……ああ、謝罪を受けよう」
「我が騎士団長は職務に忠実で助かる。アーレン殿、顔を上げてくれ」
フィルラインが謝罪に応じると、ハロルドが言葉を繋ぎ酷薄な笑みを浮かべた。
「しかしそれならば、他の者がいればなにか不都合があるとしか思えないな?」
「まさか。では陛下、我が身の潔白のためご一緒していただけますか?」
先ほどは確かに平伏の姿勢を見せていたのに、あっさりと元の態度に戻ると逆に手を差し出してきた。強がっているのか、立ち直りの早い性格なのか。
ハロルドはにっこりと目の笑っていない笑顔で、その手をとった。
「そうだな。だがこんな遅い時間だ。まずは客人を部屋まで案内しないとな」
「おや、手厳しい。そこまで信じていただけないのですね」
「ははは。勘違いしないでくれ。客人にそんなことをさせるわけにはいかないというだけだ。――騎士団長、巡回してきてくれ」
「はっ」
騎士団長、と呼びかけたことから互いに親しげな様子を見せるつもりはないのだろうと判断し膝を折って、配下らしくする。
「では行こうか。アーレン殿」
「ええ。ロールデン様。よい夢を」
「ああ。貴殿も。精霊神の訪れがありますよう」
アーレンはためらいも見せずに、あっさりと背を向ける。
取り残されたフィルラインは静かに闇に溶けていく二人の姿をどこか落ち着かない気持ちで見送った。




