第十八話 新月の儀式2
「そこにいるのは誰だ」
暗闇に響いた声と明るい光にどうしようなく安心した。ああ、一人じゃない。
(なんだか、すごく聞き覚えのある声……)
そう思ったのを最後にふっと意識が途切れた。
「……ん」
肌寒さを感じて、腕をさする。再び、闇に意識を委ねようとしたとき、ふと気が付いた。
床が、固い。なぜ自分は座り込んでいるのだろうか。
ここは、どこ?
「目を覚ましたか」
「ひっ……」
すぐ近くから聞こえてきた男性の声に心臓が縮み上がった。驚いて頭を背後の壁に強かにぶつけてしまう。その痛みがティーリアを冷静にさせた。
そうだ。急に暗闇になって、恐怖に支配されたティーリアは外に出たのだ。わずかに光る首飾りをにすがって一人震えていると、声とともに光で照らされた。一人じゃない。明るい。それだけでもう充分すぎるくらいで。
安堵から気が抜け、意識を失ってしまったのだろう。
「目が覚めたのなら、答えてもらおう。ここで何をしていた」
警戒心を含んだ声にはっとした。何も考えずにきてしまった。ここは宮殿なのだ。暗闇で一人うずくまる人物。さすがに刺客とは誤解されていないと思うが、怪しいことには変わりない。
「あ、あの申し訳ありません……。目が覚めたら暗闇になっていて驚いて、人を探してここまで来てしまったのです」
「そうか」
立ち上がって礼をしようかとしたが、相手もなぜかティーリアの隣に座り込んでいるため、やめた。座り込んだままなのも礼儀としては間違っているが、目線を高くしてしまっては却って失礼だ。
「その髪色から判断するに、君は……確か、ダウス家の令嬢だな」
印象に残りやすい銀髪でよかった。身元がここの側室候補であると確認が取れたため、ひとまず起きるまで待ってもらえたらしい。我ながら、眠っている間に連行されてもしかたない怪しさだと思う。
(あれ……? この声――——フィルライン様?)
やけに聞き覚えがあると思っていたその声は、何度もお茶会をしているフィルラインのものだった。
頭をぶつけた痛みから顔を俯けていたのは正解だった。ティリーと同一人物だと気が付かれては困る。とてもとても困る。幸い、キシにもらった雰囲気を変える耳飾りはまだ付けているし、暗闇であまり顔は見えないからわからないと思うが。
「はい。ロールデン様。このような姿勢で失礼いたします。私はこの度、側室候補として招かれました、ティーリア・ダウスです」
なるべく普段通りを心掛けて声を出した。すこし、震えてしまったのは仕方ないだろう。
月の明かりがない夜の闇は近くに光があると分かっていても怖い。底なしのように広がる深い闇。その闇の深さは世界に自分ひとりしかいないようで。
「何故俺の名を知っている?」
「も、申し訳ありません。勝手にお呼びしてしまって」
「疑問に思っただけだ。君とは入宮時の挨拶以来関わりは無かったように思っていたが、どこかで会ったか?」
(いつも女中として会っています。……なんて言うわけにはいかないけど)
そもそも何故、疑問に思ったのだろう。
「ロー、……騎士団長様のお顔はこの後宮の令嬢は皆存じ上げていると思いますが」
「そうなのか? 後宮の令嬢たちは凄いな」
彼はめったに鎧を脱ぐことがないため最初はティーリアも顔は分からなかった。だがティリーとして会っていなくてもこの時期になると覚えていただろう。後宮の見回りはさすがに中身が入れ替わる可能性のある格好は出来ないため、こちらに来てからは素顔を見ることの方が多かった。
(もしかして、自分が有名だって理解してらっしゃらないのかな)
有名なのにそれをよくわかっていない人がいることをティーリアはよく理解している。
例えばイレーネだ。イレーネは美人で、しかも小説を書ける才能もあると言うことで有名だか、本人は父の事で有名なのだと勘違いしている。
いくら伝えようとしても何故か本人たちは悪い方向で受け取ってしまうのだ。
(私にいきなり、あなたは有名です、なんて伝えられても困るよね)
今は、いつもお茶会をしている女中のティリーではなく、関わりのないティーリアなのだ。そう結論付けて話題を変える。
「……月明かりが無いと、こんなに暗いのですね。まるで、底がないように感じてしまいます」
「君は、暗闇がこわいのか?」
ティーリアは苦笑して頷く。暗闇が怖いだなんてまるで幼い子供の様だ。いい加減、トラウマも克服しなければならないというのに「私たちがいるから」と優しく言葉をかけて明かりをともしてくれる精霊たちに甘えてしまっている。
フィルラインはおもむろにティーリアの方向に明かりを向けてくれた。暗闇が怖いと知って少しでも明るくしようとしてくれる優しさが有難い。小さく礼を述べた。
「側室候補の令嬢たちには伝えていなかったか……今日は新月の儀式だった。だから宮内の明かりは全て消されたんだ」
「まぁ」
驚いたように上げた声が白々しくなっていないか不安だ。
月の明かりがないぶん、星々の輝きを強く感じる。涼やかな夜風が薄い夜着しか着ていないティーリアの体温を奪っていく。なにか羽織ってくれば良かったのだが、あのときはそんな余裕がなかった。今は灯りがあるから寒いと思える心の余裕も得られるのだ。
けれど、足は寒くないな、と視線を落として気が付いた。ティーリアのものではない上着が足にかかっている。自分のではないなら導かれる答えは一つだ。
「あ、あああのっ、お召し物まで貸していただいて」
「気にするな」
「すぐお返ししますっ」
みっともなく、むき出しだった足を隠してくれていたのだろう。慌てて立ち上がる。畳んで返そうとするが、
「羽織っておけ。夜着は薄い」
「お、お気遣い痛み入ります……」
夜着は普通の服に比べ、露出が多い。婚姻前の女性として気を使わせてしまった。ますます申し訳なさが募る。同時にものすごく恥ずかしい。
「つい先程儀式は終わった。が、精霊避けの結界は朝まで張られる。しばらくは暗いままだ」
「そう……ですか」
弱弱しくも灯っていた首飾りの光もはいつの間にか消えていた。どのくらい意識を失っていたのかわからないが、効果が切れてしまったのだろう。唯一の明かりが消えた今のままでは恐怖のあまりどこかで倒れてしまうかもしれない。そうなる前に光を自分の手で見つけなければ。
「あの、燭台の在処はご存知ではありませんか? 灯りが灯っていないと不安で」
「侍女はどうしたんだ?」
「具合が悪くなってしまって医務室にいるのです。代わりの傍付きを頼むのをすっかり忘れてしまって」
セリスにあらぬ疑いがかかる前に弁解する。彼女は真面目に職務をこなし、職務以上にティーリアを慮ってくれる良き侍女だ。
「悪いが、後宮の燭台の在処は知らない」
「そうですよね」
可能性にかけて尋ねてみただけで期待はしていなかったが、少し落ち込む。そんなティーリアに、フィルラインがもっていた燭台を差し出す。
「これを使え」
「ですが、わたくしがお借りしては、騎士団長様が困るのでは?」
「問題ない。これがある」
そういって取り出したのは、万年筆だった。黒に金の差し色とシンプルだがどこか高級感を漂わせている。フィルラインらしい、と思った。本人が選んだのか、贈り物かは変わらないが硬質なデザインが彼の持つ雰囲気によく合っている。
彼が小さく呪文を唱えると、先端から光を放った。燭台には及ばないものの広範囲を明るく照らす。
「すごい! ペン型の魔道具なのですね」
「ペン型、というか実際にペンだ。知人が勝手に改造していた」
「ああ、ロンドス様……」
パシェ・ロンドス。ロードニスの王立魔術塔の魔術長官だ。魔術狂いの変人と名高いパシェなら私物を勝手に改造しても不思議ではない。
数少ない、ティーリアが苦手とする人物である。
というのもキシのくれた魔術道具に食いつかれて質問攻めにされたのだ。ひたすら分かりません、お教えできかねますと答えるだけの苦行の時間であった。その場はなんとか収まったが、毎日熱烈な手紙が届けられ、王都から離れたダウス邸に何度も押しかけられた。すごい執念だと思う。
最終的に根負けして、同じものをキシに作ってもらい、それを渡すことでこの一件は終わった。それ以来親しみを持たれているのか、社交界ではにこやかに声をかけられ、「私のことはパシェと呼んでくれて構わないよ」と言われているが、愛想笑いでやんわり断っている。
「面識が?」
「はい。魔道具の件ですこし……」
「……苦労をかけたな」
濁した言葉の先を読み取ったのか、労りのこもった台詞をかけてもらった。国王であるハロルド、魔術長官のパシェ、騎士団長のフィルラインの三人は幼馴染だったと記憶している。パシェの気質はよく理解しているのだろう。
いいなぁ、と思う。もちろんパシェと幼馴染という点ではなく。
幼馴染という言葉の響きが羨ましい。存在を隠され、守られるように屋敷の中のみで過ごしていたティーリアにもよく遊んでいた使用人の子たちはいた。みんなあの事件で命を落としてしまったけれど。
もし、生きていたら幼馴染、と呼べる存在になっていたのだろう。今やティーリアの幼少期をよく知るのは、一部逃れた使用人、留学中だった長男、行方不明の姉だけだ。
ともかく、と思考を切り替える。
フィルラインも灯りがあるのなら、ありがたく貸してもらおう。
「ではお言葉に甘えてお借りしますね」
「本宮に返しておけばいい」
「ありがとうございます。長居させてしまって申し訳ありませんでした。では、わたくしも部屋に戻ります」
「送っていこう」
お願いいたします、と答えて歩き出そうとした。だが、
視界の端で、ちらりと明かりが見えた。まずいな、フィルラインのかすれた声。燭台の明かりが消える。パニックに陥る間もなくふわりと体が浮き上がった。
しばらく更新ペースあげていきます。