第十七話 新月の儀式
更新が開いてしまって申し訳ありませんでした。
このままだと進みそうにないため、先に別のエピソードから始めたいと思っています。
新月の儀式編です。
新月の儀式は、次の話から改稿前とは大きく変わっております。全体の流れは変わりませんが、少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。
エピソードの入れ替えに伴い、あげていた『贈り物』『果実のパイ』『秘密のお茶会』『彼女の正体※』『三人のお茶会』は一時下げさせていただきます。
今日はイレーネとのお茶会の日だ。
イレーネはこの後宮を開いたハロルドの想い人。
きらきらと光を湛える金髪。思慮深さを匂わせる深い青の瞳。すらりとしているが女性的な身体に、雪のような肌。
美しいのは容姿だけはない。どこまでも真っ直ぐとした性根、他を思いやる優しさ。
しかも、勉学にも優れており、彼女が落しかけた家を建て直すために書いた、ティーリアの姉、そしてティーリアも関わった事件「悲嘆の薔薇姫」を題材に書かれた「哀」は身内のティーリアでさえ素晴らしいと思う出来である。
「やっぱりティーリアのお菓子は美味しいわぁ」
彼女の希望で並んでいる菓子の中にこっそりとティーリアの作ったものも紛れ込んでいる。それを手に取り、イレーネは満足げに微笑んでくれた。
「ありがとうございます」
お世辞でも嬉しい。だらしなく頬を緩めた笑みが浮かんでしまう。自分が作ったものを美味しそうに食べてもらえると、それだけでとても気持ちが満たされて幸せな気分になる。
「そういえばティーリア、今日新月の儀式があるって知ってる?」
「新月の儀式、ですか?」
ティーリアはゆるりと首を傾げた。その名の通り新月に行われる儀式なのだろうが初めて聞く。
ロードニスの宮殿は儀式の頻度がかなり高い。土地の魔力含有量が高いので、儀式をして魔力の調整をしないとある時期だけ魔石が異常に採れたり、逆に採れなかったりと経済の揺れが激しくなってしまうのだ。
「ええ。確か、真夜中にあるって言っていたわ。そのとき精霊除けの結界が張られるらしいわよ」
「……精霊除けの結界ですか」
儀式は土地の膨大な魔力を使うものなので、慎重を要する。多くの魔力持つ精霊が儀式の最中に魔力を放出したら儀式が失敗してしまう。下手をすると国土の半分が吹っ飛んでしまう儀式もある。
失敗は決して許されない。
だから、儀式の際は、精霊除けの結界を張らなければならないのだ。万が一のことを考え、優れた魔術師を排出し続けているルロニア王国から魔術師も借りて行っている。
土地の魔力が豊富で魔石がとれるのがロードニスの長所でもあり、短所でもあるのだ。
「もう知っているかもしれないと思ったけれど……その様子じゃ知らなかった様ね。言って良かったわ」
「はい。いつもお教え下さりありがとうございます」
「別に大したことじゃないわ」
そういってイレーネは優雅な動作で紅茶を一口飲むと、目を細めた。
「……それにしてもティーリア、少し情報に疎すぎないかしら? 侍女は説明してくれないの?」
どんな儀式がいつあるかなんて所詮お飾りの側室候補であるティーリアには伝えられない。キシによると他の側室も知らないようだ。
(ハロルド様がイレーネ様だけに伝えてるのよね)
そう思いつつ、ティーリアは苦笑を零す。
「いえ。侍女は悪くありません。末端の側室候補まではなかなか情報が行き届かないのでしょう」
「そんなもの?」
イレーネは眉を寄せた。今の説明では納得いかないのだろう。
「そういえば貴方の侍女はどこなの?」
「医務室に行っております。……朝から体調悪そうにしていたのですが、なかなか聞いてくれなくて。さっきやっと説得できたんです」
「随分慕われているのね」
眉を落としたティーリアとは反対にくすりとイレーネが笑う。
国王たるハロルドをあの男呼ばわりし、大嫌いとまで言っていたイレーネだが、今はもう嫌いではないという。大きな進展だ。
前のように「早く後宮を出なくては」という切羽詰まった思いはもう無い。けれどイレーネはハロルドと幸せになって欲しいと思うのだ。
だから、
(ハロルド様、どうか頑張ってくださいね)
ティーリアは大切な友人に向けて微笑みを浮かべる。
まだ、太陽が明るく存在感を示す午後の事だった。
─────
──
そう。新月の儀式があると。精霊よけの結界がはられると。確かにイレーネは教えてくれたのだ。
「や……っ!」
光の精霊が消え、部屋はいきなり闇につつまれた。しんと静まり返る部屋。新月の今日は月明かりもなく、伸ばした手が見えないくらいの闇が広がる。
(くら、い。暗い。暗い暗い暗い)
指先からどんどん体温が落ちていく。息がひゅうっと詰まり、呼吸がままならない。
“見つけた”
耳元で囁かれているように鮮明に蘇るのは残酷でどこか愉悦を含んだ声。当時感じた絶望がジワリと這い上がってきた。喉がますます引き絞られる。
「お、ちついて。大丈夫大丈夫っ。ここにはいない。ここは王宮、ここにはいないから……っ!」
恐怖に支配される感情に言い聞かせるように呟く。
大丈夫、大丈夫。今は誰も追いかけてきていない。誰もティーリアを殺そうとしていない、自己暗示をかけるように、何度も、強く。
「大丈夫なの。ここは平気。セリスの部屋まで行けばいいだけ、だから」
口にしたところで、はっと気がつく。セリスは具合が悪くなって医務室に居るのだ。
「どう、しよう……」
また私はひとり? くらい。くらいここで。
まるで、あの日のように暗く、深い闇。頭で思い出すなという強い警鐘がなっているのに、思考は止められない。
――ティー! 逃げてっ!
悲鳴のようなレディアの声。
倒れ伏す護衛の騎士たち。白く残酷な光をたたえて迫る刃。靡く黒髪。大きな背中。
そして、
残酷なまでに周囲を染める――――血
「……ぁ、ああ」
全身の震えが止まらない。暗闇が受け入れられない。吐き気がするほど、狂いそうになるほどに、怖い。思い出してしまうから。
あの惨劇の夜。何が起きているのか分からず、ただ漠然と怖くて。暗い部屋で息を潜めて、足音に震えることしか出来なかった。
いや。怖い。苦しい。寂しい。ひとりはいやだよ。どうしていないの? 怖いよ。ひとりにしないで。わたしも連れて行って。暗い。なにが起きているの? 怖いよ。お姉ちゃん、すぐ帰ってくるっていったのに。暗くてなにも見えない。怖い。お父様、お母様はどこ? 置いていかれたの? いやだ。怖い。怖い怖い怖い! 光を。誰か助けて。
恐怖が、絶望が、頭の中でぐるぐると回る。
「だれ、か」
助けて! 誰かいないの……!? だれか、だれかだれかだれかだれかっ! だれか…………―――お姉ちゃん。
縋るようにティーリアは胸のネックレスを握り締めた。誰か、と呟いていた声はいつの間にか一人の人物の名前に変わる。
「お姉ちゃん……助けて」
その瞬間。
まるでレディアが願いに応えてくれたように薔薇の首飾りがぼうっと光り、ティーリアの顔を照らした。
弱々しいが灯りが灯ったことに安堵して、涙がこぼれそうになる。
「……ありが、とう。お姉ちゃん」
小さく呟いた。やっぱりレディアはいつでもティーリアを助けてくれる。
今にも消えてしまいそうな弱々しい光を頼りに外に出た。
月明かりでもっと明るくならないだろうかと期待して。
***
ティーリアは二度目の期待外れに思わず座り込んだ。
「……月明かりなんて。馬鹿みたい」
今日は新月の儀式だった。つまり、月明かりなんてあるはずがないのだ。動く気力も失せてそのまま、自分の肩を抱き締めた。
「お姉ちゃん」
なにかあったときはすぐにレディアを呼んで助けてもらっていた。いつもいつもレディアに頼ってばかりで、自分がレディアにしてあげられた事なんて一つもなくて。
ねえ、と震える声を出す。
「わた、し。お姉ちゃんがいないと、なにも出来ないよ……っ」
抑えていた涙が零れる。笑顔が好きだと言ってくれたレディアのために、泣かないと、決めたのに。やっぱりティーリアはどうしても弱い。
「お姉、ちゃん。会いたい。会いたい、の。どこにいるの……?」
レディアとの思い出はいつでも胸の中にある。けれど、それだけでは足りなくて。会いたくて堪らない。
―――ねぇ、お姉ちゃん。
嫌いだった野菜も食べれるようになったんだよ。お菓子のレシピももっとたくさん覚えたんだよ。お姉ちゃんの為にダンスも裁縫も苦手だったけど頑張ったんだよ。
お姉ちゃんに会ったとき笑顔で報告できるように。褒めてもらえるように。たくさん出来るようになったから。私は、お姉ちゃんに守られてばかりの頃とは違うから。まだまだ弱いけど強くなったから。もう、お姉ちゃんだけに背負わせたりしない。まだ、頼りないならもっともっと頑張るから。
だからはやく、会いに来て。
夜風の寒さはゆっくりとティーリアの体温を奪う。暗い闇の中、思い出すのは優しい姉との記憶ばかりで、ますます辛くなる。
部屋を出て、どれくらい時間がたっただろうか。
「そこにいるのは誰だ?」
低い声と眩しいくらいの光をティーリアは感じ取った。
本日二話投稿ですので読み飛ばしにご注意ください