第十四話 精霊遣いの少女*
一人称イレーネ視点となっていますが、途中で三人称ティーリア視点に変わります。
【補足】
ティーリアはハロルドの事からイレーネだと分かっていますが、イレーネはまだ名乗っていないので、ティーリアが自分の正体を知っているとは思っていません。
目の前の彼女は社交界の時とは全く違った。年より大人びていて、キツめと顔立ちに見えていたけれど、今の彼女は年よりも幼くみえる。冷ややか印象を受けていたつり目は化粧によってのものらしく、翡翠色の瞳は実に柔らかく優しげだ。まさに、妖精のような可憐な容姿。
社交界での彼女と同じ所なんて髪色だけだ。瞳の温かささえ、全くちがう。
「……本物のティーリア・ダウス、様?」
さっき呟いてしまったときに敬称を略してしまったわ、ぼんやり思った。そんな事を気にせず彼女は静かに頷いた。
「ええ、挨拶が遅れてしまって申し訳ありません。ティーリア・ダウスと申します」
「あ、こちらこそ。私は、」
優雅に腰を折った彼女に倣い、私も名乗ろうとしたとき、コンコンとドアがたたかれる音がした。
こんな時間に来客?
二人で目を合わせた。
「侍女ではないようです」
ああ。ドクドクとまた心拍数が上がる。
「……多分、私を探しているのだと思うわ」
どうしよう。まだ見つかりたくない。
でも、一度かくまってくれた彼女にこれ以上は迷惑をかけられない。―――出ないと。
「わ、私が、」
「私が出ます」
震えそうになる足を隠して立ち上がろうとしたが、凛とした声で制された。
彼女は真っ直ぐな瞳で私を見つめ、そっと手を握った。ふわりと笑う。
「大丈夫ですよ」
―――ストン、と肩から力が抜けた。
彼女は扉に近寄る。
「どなた様でしょうか」
おそらくハロルドから連絡を受けた騎士でしょうね。扉の向こうで少し沈黙が流れた。
「……ハロルド・アイゼンハワー・ロードニスだ」
「へっ!?」
……は!?
つい、声を漏らしてしまった。けれど私の出した声と彼女の声が奇跡的に重なり、ハロルドは気がつかなかった。
「へ、へ陛下。ど、どういったご用件で……っ!? あの、今は少し」
「心配は無用だ。質問に答えてもらいたいだけだ」
彼女がその台詞にほっと力を抜いたのがよく分かった。まあ、ティーリア・ダウス出せと言われたら困るでしょうね。女中の格好をした彼女こそティーリア・ダウスなのだから。
「……」
―――なぜかしら。
ふと、思った。
ハロルドがここに来たことに対してではなく、なぜ私はこんなにも落ち着いているのか、と。さっきまでは確かに心臓の音がよく聞こえたのに。今は不思議と落ち着いている。
“大丈夫ですよ”
なぜ、あの子の言葉だけでこんなにも安心するのかしら。
※
「足音を聞かなかったか?」
ティーリアは胸元の首飾りに触れる。
―――冷静に。
冷静に。嘘をつかなくてはいけない。
審美眼を鍛えた国王相手に嘘をつくのはとても怖い。嘘がバレてしまえば、子爵令嬢でしかないティーリアにどんな罰が下るかわからないからだ。
だが。
首もとにこの銀薔薇の首飾りさえあれば、ティーリアはそんな恐怖にも堪えることが出来る。すぅ、と息をはいた。
「申し訳ありません。湯浴みの片づけをしてきてつい先ほど戻ってきたばかりで、足音は聞いておりません。……あの、何かあったのですか?」
「……いや。大したことではない」
ハロルドの声に落胆の色がやや混じる。
疑われてはいないようだ。だが、安堵の息をつくのはまだ早い。
「では、行くが、私がここに来たことはくれぐれも他言しないように。ところでお前、名―――待て!」
名前は? と続けようとしたのだろう。だが、言い切る前にぱたぱたと女性らしい軽い足音が聞こえ、ハロルドが反応し駆け出して行ってしまった。
「……ふう」
……とりあえず、助かった。混乱していたとはいえ、とっさに侍女のような台詞をいってしまったのは悪手だった。国王相手に偽名は通用しないし、本当の侍女の名前セリスを名乗ってもセリスに迷惑がかかかる。あと少しの所だったが名乗らなくてすんでよかった。足音に助けられた。
「何があったのですか?」
扉近くに居なかったため外に響いた足音が聞こえなかったイレーネが不安げに尋ねてきた。
「足音が響いたのです。それを勘違いされたようで走っていかれました」
「足音? こんな時間に……」
イレーネは首を傾げた。その様子は心なしか不安げに見える。
もう夜は遅い。この後宮は自由恋愛性だが夜中は後宮の令嬢でも出歩くのが制限される。聡明な彼女が侵入者の可能性を疑うのも無理はない。だが。
「あの、ご安心下さい。侵入者ではないと思います」
多分これは―――。
ふわりと、気配が舞い降りた。
『姫様、危ない所でしたね』
現れたのは風の中位精霊ミヤナだ。
「やっぱり……。さっきの足音ミヤナだったんだ」
『ええ』
さすが、ティーリアに加護を与える中位精霊のまとめ役ミヤナだ。とても気が利く。
「ありがとう。助かったよ」
『姫様のお力になれたのならなによりです』
イレーネとはまたちがった雰囲気の美女であるミヤナの笑顔は麗しい。
『ひめさま、わたしたちもてつだう、したの』
『ドレス、ひらひらーて、したのよー』
『ほめて、ほめてー』
下位の精霊達が、続けざまに現れた。ドレスの幻覚を見せ、ハロルドを追い払うのに協力してくれたようだ。ほめてー、と寄ってくる精霊達が可愛らしくて、くすくすと笑う。
「うん。ありがとう。みんな頼りになるね」
『やたー』
指先で撫でるように触れると、嬉しそうな声が響く。まだ自我のあまり育っていない下位の精霊たちは子供のように素直でいやされる。
ほのぼのした気分になっていると困惑顔のイレーネが目に入った。
「……精霊?」
聞き取れるか聞き取れないかの僅かな声でイレーネがつぶやいた。
※
「あなた、精霊遣いなの……?」
気がついてしまった可能性を口に出すと彼女は困ったような顔をした。
「……ええ」
なんで、そんな顔をするのかしら? 精霊術を主とするここロードニスでは誇らしいことのはずなのに。
もしかして、隠していたの? ……そうよね。隠していなければ有名になっているはずだもの。国から重宝される精霊遣いということを隠してきたということは……なにかよほどの事情があるのでしょうね。
なら、
「大丈夫ですわ。私、誰にも言いませんから」
出会ったばかりの私の言葉なんて信用がないかもしれないけれど。せめて、安心させるように笑ってみる。
「助けてもらったのですし、恩を仇で返すような真似はしません」
それに、とさらに続けようとする前に彼女は柔らかく笑った。
「ありがとうございます」
……ずいぶんと、簡単に信じるのね。
真っ直ぐな信頼感に少し胸がもぞもぞする。
「いえ、それはこちらの台詞ですわ。今日は本当にありがとうございます。またハロルドが来るといけませんから私戻りますね」
「もう、大丈夫なのですか?」
こんな夜更けに、しかも国王に追われている不審な女を心配してくれるのね。
にこりとわらってみせる。
「ええ。もう大丈夫です。なぜだか、不思議と平気なのです」
あなたのおかげで。内心だけでそっと告げ、ドレスの裾をつかんで礼をする。
「では、ご機嫌よう。後日お礼をもって伺いますわ」
「そんな。お礼などいりません。けれど、良かったらぜひ遊びにいらして下さい」
彼女は屈託なく笑う。
けれど。
この笑顔は私がイレーネ・ミラーだと、「罪人の娘」だとわかったらきっと見ることはできないのでしょうね。