第十三話 声の主*
イレーネ視点です
「あの、こっちです!」
亜麻色の髪がさらさらと夜の闇に揺れる。彼女が手を引くとまるで風が味方をしてくれるように背中を押してくれた。
※
「くそっ……このあたりのはずなんだが」
―――嘘。
「ハロ、ルド……」
零れた声は疑問の音を帯びていた。
張っているわけでもないのに不思議と響く、聞き取りやすい声。それは確かに国王ハロルドのもの。
震えそうになる腕を抱きしめる。
なぜ。犯罪者の娘なんて放っておけばいい。近衛に探させればいいのに。なのに。なぜ、わざわざ貴方が追いかけてくるの?
分からない。
まるで、飛び出した私が心配だとでも言うような声の調子も、あなた達がお父様も殺したようなものだと怒鳴った時、傷ついたように見開かれた瞳も、私には理解できない。
だって、だって。そうじゃない。王家は私たちなんて見ていないのでしょう? 臣下なんてどうでもいいのでしょう? だからお父様を信じなかったのでしょう? なのに、今更やめてよ。
「……私は……王家なんて、大嫌い」
言い聞かせるように呟いて、テーブルを睨んだ。
※
「どうぞ」
考え込んでいると、ことりと音がしてお茶が置かれた。淹れたてのいい匂いが鼻まで届く。夜だから気遣ってくれているのか、紅茶ではなくハーブティーのよう。
「ありが……」
お礼を言おうと俯けていた顔をあげ、室内の様子が目に入り言葉が止まった。
私はてっきり、後宮の付き人の部屋だと思っていたけれど。
この大きさは―――どう考えても、側室候補のもの。
慌てて口に付けかけたカップを戻した。
「貴方、主のいない部屋に人を連れ込むなんて、なにを考えているの……!」
「へっ」
きょとんとした顔の女中に向かって続ける。
「匿ってくれたことも、お茶を淹れてくれたこともすごく、嬉しいわ。けれど、駄目よ。分からない? 善意は一方にだけ向けすぎてもいけないの」
せっかく助けてくれた女中に忍びないけどこれはきちんと言わなきゃ。
「ええっと、……その。ご心配には及びません」
「いいえ。駄目よ。貴方は信頼されているのかもしれないわ。けれど、だからこそこんな事しては駄目」
言い聞かせるように女中の顔をのぞき込む。
あら。よくみたらこの子すっごく可愛い。零れそうなくらい大きな緑色の瞳。きらきらと煌めくその瞳は世界が幸せで満ちていると言うように優しく無垢だ。柔らかそうな頬にはシミ一つなく輝いているようにさえ見える。顔の造形は甘く少女らしい可愛さがあり、肩はほっそりとしていて華奢。
「……あ、あの」
思わず、言葉を止めて魅入ってしまった。
「あ、ごめんなさい」
「……いえ。もう、お気づきですよね」
ん?
よくわからない台詞を口にした女中は頭に手を掛け、
「……っ、!?」
一気に引き下ろした。
茶髪の下から別の色の髪が零れる。
「……貴方、は」
茶髪の下からこぼれたのは光の反射で青にもみえる、光をかき集めたような銀。
大陸で滅多に見ることのない髪色、それをもつこの人を私は知っている。
「ティーリア・ダウス……」
銀髪を緩やかに揺らし彼女は可憐に微笑んだ。
────
この貴族社会は様々な噂で満ちている。
例えば侯爵家の跡取りは愛人の子供だとか。伯爵家の見目麗しい婦人は処女の生き血を浴びているだとか。光の精霊王はこの地に眠っているだとか。
最近有名なのは連続髪切り事件かしら? 髪を大切にするこの大陸で女性の髪を切るなんて考えられないくらいの侮辱。何人かの令嬢が被害にあったらしく誰か被害にあったかを予想するという実にくだらない賭けなども行われている。正直、同じ女性としてはかなり頭にくるんだけれどまぁ、どうせ流れている噂のほとんどはすぐに消えてしまうものだし、なるべく気にしないようにしている。
噂なんて適当に聞き流していれば問題はない。要は話に合わせることのできるくらいの知識でいい。
けれど。いくつか例外がある。社交界を生きる上で心に留めていなくてはならない噂。
その一つとして私がお父様によく言い聞かされていたのがティーリア・ダウスについての噂だった。そう、確か、こんな噂だったはず。
────
ティーリア・ダウス
この大陸では滅多にお目にかかれない煌めく銀髪の少女。濃い化粧をしてはいるが、その洗練された優雅な動作が見るものを惹きつける。
一人、彼女に行き過ぎた感情を持った貴族がいた。結婚適齢期を過ぎたお世辞にも彼女とは釣り合わないような小太りの男だった。男は伯爵の身分を持っているのをいいことに彼女の家――ダウス子爵家に無理矢理婚姻を結ばせようとした。もちろんダウス子爵家は突き返した。しかし男はしつこかった。粘りに粘ってどんどんダウス子爵家を押していった。そしてとうとう望まない婚約を結ばれそうになったとき、唐突に男の家は没落した。
今までそんな気配がなく、むしろ黒字続きだった男の家がいきなり没落したことに貴族達は首を捻ったが、そのときはいたいけな少女に無理に迫ったから天罰が起きたのだろうぐらいにしか考えなかった。
しかし。
それからも貴族の間で急に没落したり、捕まったり、勘当されるという事が相次いだ。それらは全てティーリア・ダウスになんらかの被害を与えた者ばかりに起こっている。
「彼女には強力な後ろ盾がいる」
そういう噂が流れるのも遅くはなかった。
小国の姫説。
王の隠し子説。等々。
しかし、もっとも有力なのは黒の騎士説だ。
黒の騎士はティーリア・ダウスに絶対の忠誠を誓う最強の存在として語られている。フード付きの黒いローブに身を包み、顔を仮面で隠し、彼女の敵を確実に葬る。ありえないような話だが、実際に目撃した者もおり、信憑性が高い。
ティーリア・ダウスに害を加えようものなら直ちに彼がやってきて消される。だから決して彼女に手を出してはならない。