第九話 知らない*
一人称フィルライン視点です
―――――違いますっ!!
そう叫んだ彼女は今にも泣き出しそうな顔をしていた。先程まで流れていた穏やかな雰囲気は消え去っている。俺の何が彼女を傷つけてしまったのか。
―――私の名前は、ティー……ティリーです。ティリーって、呼んで下さい
彼女の様子から偽名だというのはすぐに分かった。それでも全身で拒絶されて何も言うことができなかった。打ちひしがれたように胸の前で手を重ねる。首に下がっているそれにすがるようにきつく手を握り締める。肩は小さく震え、泣き出すのを堪える様に唇が閉められていた。
地雷を踏んでしまった。何とかしたくても女性に関わらないように生きてきた自分にはどうすることも出来なくい。酷く歯がゆい。彼女は震える声でそれでも言葉をつむぐ。
申し訳ありません。
そればかりいうこの女中は他のものとは違い、許しを請うものではなく心から謝罪しているように見えて不快ではなかった。だが、今いつもとは様子が違って自嘲しているようだった。心配になって声をかけるが返ってくるのは弱々しい笑みだけだ。
心を許していない相手には頼れないのも当たり前か。
精霊が出て来てからまた穏やかな時間が流れて本当に安心した。それと同時にティリーの加護の多さに驚いたが。
気まぐれな精霊はとらわれることを嫌う。加護は一つでも与えられるのが珍しいというのにティリーには少なくとも五つ以上の加護があたえられている。
ただの華奢な少女というわけにはいかないようだ。
精霊から発せられた姫という言葉の意味。あれはどういうことだ? 精霊に姫と呼ばれる存在なんて聞いたこともない。
なかなか姿を現さない、契約を結んだ精霊を呼び出し聞くが「さぁてな」と流されてしまう。疑問は深まるばかりだ。
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考えるのは苦手だ。
ぐったりとして動かしてきた手を止める。ハロルドは俺に書類を押し付け行ってしまった。まぁ、ティリーのところに行く際、俺も押し付けたので仕方ないが。
書類を書くより剣を振っているほうがよっぽど性に合う。騎士団長でも書類整理があるのだから、貴族社会は面倒だ。国王が幼馴染のハロルドじゃなかったら役目を放棄して逃げていたとおもう。
憂鬱な執務だがティリーのくれた菓子をかじると少しだけやる気が出てきた。美味いから食べると元気がでてくる。口に広がる甘さは一つ一つ違うが同じ優しい味が癒してくれる。軽く聞いた作り方は普通のものとあまりかわらないようだったからこれは単純に才能なのだろう。
ティリーの菓子はとても俺好みだ。少し聞いただけでより好みの味になったのは驚いた。次は柑橘系を作ってきてくれると約束してくれたのでとても楽しみだ。
最近考えるのはティリーのことばかりだ。俺を魅了して止まない菓子のことだけではなくティリー自身のこと。
もろそうに見えるガードは案外固い。
おそらくティーが頭文字の侍女だと当たりをつけて調べたがいなかった。ならば今度は女中を探してみた。しかし、ティーの頭文字のものはいたがティリーの栗色の髪とは違い薄い緑の少女だった。
ティリー。
最初は菓子作りと絵を描くのが上手いだけの少女だとおもっていた。だが違った。澄んでいて穢れなど知らなさそうな翡翠色の瞳はたまに暗く翳る。その色は絶望を知ったものが浮かべるものとよく似ている。崖に生えている花を掴もうとするものと同じ危さがある。ティリーは俺が想像する以上の「なにか」を抱えている。
華奢な肩にかかるその悲しみはなんだ? その綺麗な瞳で何を見た?
すこし関わっただけなのに疑問は尽きない。だが聞いたら彼女はきっと俺の前に姿を現さなくなるだろう。何かあるなら出来れば手伝ってやりたいと思う。悲しみに染まる瞳は見ていて痛々しい。
だが俺には何一つわからない。
一体、お前は何者なんだ?
それすら知らない自分が出来ることなどたかが知れている。




