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彼女の愛

 幼馴染は私を必要としない。

 彼はいつだって、彼の世界だけで生きている。溢れもせず、欠けもしない完結した世界だ。そこに他人の入り込むすきはない。他者と関わらなくても完璧な独立した世界だね


 彼はどこにいるのだろうと痛む体を引きずって、彼を探して城の仲を彷徨う。

 しばらく彼の行きそうなところを歩き回っていたら、彼を見つけた。


「今度は誰に恋をした」

 彼は私の傷を案じる言葉を一切言わず、開口一番に彼の疑問を投げつける。

彼は黒いローブを纏って、研究室と彼の自室の間の廊下を歩いていた。

 

 その言葉に、皇子の姿を思い描く。

 先代の不義の子である彼は、幼馴染と同じように閉じられた、しかし溢れかえりもせず、欠けてもいない世界で幸せそうに笑っていた。

彼のそばには、彼に愛を注いでくれる愛する者がいつだって傍にいてくれたのだから、彼は自らの境遇を嘆いてはいなかった。

だが、その平安な世界はいつまでも続くわけもなかった。皇子の世界は、彼の完璧な世界と違って、危うい均衡の上になりたっていたのだから。

彼女の愛する侍女は、家のために皇子の知らない誰かの元へ嫁ぐことをある日、皇子に諦めたように話した。

その時から、皇子は精力的に動き出した。彼は侍女の一粒の涙を見て、不思議なほど、素早く逃げ出す準備に取りかかった。


「可哀そうな方なの。与えられる筈だったものを与えられず不遇な人生を送ってきて、誰にも必要されていないと思っているの」


皇子は周りが幸せならそれでよいという考えの持ち主だった。

侍女が愛してくれるのは、憐れみだからと考えていた。だからこそ、その愛を仮初めのものと理解して、いつでも手放せるような素振りをしている振りをしていた。でも、彼が彼女なしで平気でいられるわけはないのに。


私たちは似たような境遇をもつ。本来なら与えてくれた無償の愛を受けずに子ども時代をもつ。

幼少期の人格形成時期は、本人が下らないと一蹴しても、驚くほど根深いところで息を潜めている。表面上は何もないように振る舞えるのに誰かがいないと気が狂いそうなほどの孤独を感じてしまうのだ。

冷遇され、求めることを諦めた愚かな私たちは諦めたはずなのに、一人ではいられない。寂しさは寂しさを呼び、傷の舐め合いが始まる。その説明できない寂寥感が、皇子と私を結びつけたのかもしれない。

 しかし、そうした大人になれない子どもたちは一人、また一人と、寂しさを埋める愛を手に入れて、私のもとを去っていくのだ。

残された私はは、やっと手に入れ、馴染んでいた居場所が減っていくことに寂しさをいっそう積もらせ、去る者を祝福もできずに、また、痛む傷を癒すはずがないのに、その傷を舐め、舐め合う相手を探すのだ。



「治療をしてやる。来い」

 彼は私の手を引っ張り、彼の私室に導く。彼は根本的には優しいのだ。

だが、その優しさは、弱って救いようのないときにしか発揮してくれない。

私が、一人で立っていられるなら、彼は私のことを気にも留めない。だから、私はたとえ、痛くて、寂しくて、どんなに身も心も傷つこうとも、彼の傍にいたいなら、弱っていなければならないのだ。そうするために自分を傷つける機会をいつも油断なくうかがっているのだ。


 呆れたように彼は治療をする。一つ一つの傷を丁寧に消毒し、傷口をふさぐ。

その行為が、傷ができたときと同じくらい痛みを感じるものでも、彼の傍にいられる代償と思えば、甘美な痛みとなる。

いっそ、彼に嬲られたい。そして、彼に治療してもらうのだ。それならば、死すらも怖ろしくない。彼の傍にいられる代償ならばどんなものでも投げ出そう。

だが、彼は私を傷つけない。彼は優しいけれど、私を嬲るほどの時間を割いてくれるほどの優しさは持ち合わせていないのだ。

焦がれても、焦がれても、命を投げ出しでもいいと思うのに、彼の時間を割くほどまでの存在に私はなれないのだ。


「お前は何で自分を傷つけることが好きなのかね」

 彼はため息をついた。心底呆れ、理解できないのだろう。彼の世界は完結しているのだ。だから、自らが傷つくこともなければ、他人を傷つけることもない。

「誰かに必要とされたいの」

 自分の中の真理を言う。私の世界は満たされない空虚な隙間がそこかしこに存在する。

だから、彼を求めるし、同じように満たされない仲間を必要とする。

彼には理解に苦しむ感情であろう。共感してもらおうという思いはない。ただ、同情でも、どんな理由でもいいので、傍にいてほしいのだ。


「ありがとう」

 治療が終わり、部屋に沈黙が落ちる。私にはまだすべきことが残されているし、彼の重荷になり、完全に捨てられることが怖い。

彼が不快に思うほど、彼の傍にいれば、いつかほんの少しの時間でも、傍にいることさえ許されなくなってしまうことが目に見えている。だから、引き際は心得て、彼の部屋から立ち去る。


皇子は国を出る決意をしたようだった。

彼の愛する侍女がいるからこそ、ただ何も言わず、そこにいただけであるのだ。愛する人が奪われる事態になったとき、彼は国を出るという行動に移した。世界を波立てない彼の弱さを知っていても驚きはしなかった。ただ、そこに先代の皇帝の姿を垣間見た。


 幼いときに見た皇帝は大人たちから遠巻きに様子をうかがわれていた。

 ある日、私は城の庭にいた。

花の咲き乱れる庭園で、皇帝とその姉を見かけた。彼女の腹は大きく膨れ、幼いながらに子どもがいることが一目でわかった。

皇帝が姉を愛するさまは一幅の絵画のようであった。ほんとうに幸せそうで、幼い私に、その空気を乱してはいけないという気にさせた。

ほんの少しの衝撃で、この穏やかな空間は壊れそうな繊細さを抱えていることが、周囲の大人の様子からうっすらと分かっていた。

私はその場から立ち去ることもできずに、ただ茫然とその様子を眺めていた。

 

 しばらくすると、皇帝の姉が、私に気付いたらしく、こちらにやってきた。

「こんにちは。迷ってしまったの?」 

 彼女は優しく私に話しかけた。皇帝がそんな彼女の後を追って来て私を眺めた。

「騎士の娘だ」

皇帝は私の顔を見ると父の顔をすぐわかったようだ。

なぜなら、皇帝は実務能力にたけていた。

ただ上の者として指揮するだけでなく、政治を行うときには実際に財政や地区の状況を記憶し、知識を役立たせた。また、戦のときは先陣を切って戦った。

そんな超人のような皇帝は、こんなとこで油を売っていた私を叱りそうで、怖いと本能的に思った。


「お父様の元へ帰れる?」

 皇帝の姉は身重にもかかわらず、私の目線に合わせるため、しゃがみこみ小首を傾げて尋ねた。


 私は二人の穏やかな空気を壊してしまったことに動けなくなっていた。優しい問いかけに何も答えられずにいると皇帝が口を開いた。


「彼女はもう騎士となる訓練を受けている。できるな?」

 皇帝は姉の方を優しいまなざしで見て、私に話しかけた。

「はい。陛下」

 私は習いたての騎士の礼をした。

「そう。こんなに幼い時から訓練を受けているのね。この子が生まれたら、守ってもらってもいいかいしら」

皇帝の姉は儚く笑った。

「命に代えましても、御子をお守りいたします」



 皇子を城から逃がす時に、追手の凶刃から彼を守りきれずに、咄嗟に身を盾にして彼をかばった。

そして、追手は残る一人であり、彼を倒せば王子は無事に逃げ切れると判断し、体が傷つくことを厭わずに、追手に瀕死の一撃を与えることに成功した。

そんな私たちの死闘に皇子は逃げるべきか加勢するべきか悩むように数秒道の先と私を交互に見た。

「早く逃げてください」

 私をおいていけずにいる皇子に声を一声かける。 彼は合理的な考えができる人だ。彼がいつまでも先に進まなければ、私も彼を守るために身を挺して戦わなければならない。彼さえ逃げれば後はどうにでも、なるのだ。

「ありがとう」

「どうか、お幸せに」

 私はその一言をやっといい、気を失った。



 目が覚めると見慣れ天蓋が目に入った。

しかし、いつもとは違い猛烈な痛みにめまいがした。

誰かが話しかけていることは分かるが、痛みといわれのない寂しさに頭がぐるぐるとなり、何も考えられなくなった。泣きたいわけでもないのに、涙が溢れ出て、嗚咽が喉から止まならい。

 

 あの愛し合った美しい二人の結末は悲惨なものだった。

先代の皇帝は現皇帝に皇位を簒奪され、皇帝の姉は幽閉された。現皇帝も皇帝の姉に思いを寄せていたらしく、彼女は、生きながらの地獄を味わったと伝え聞く。残された皇子は、これから幸せになれるのだろうか。

先代の皇帝たちへの罪悪感と置いていかれた寂しさに涙があふれ出てくる。

 どうして、私たちはこんなに幸せになることが難しいのだろうか。途方もない人生の道のりに所在なさげにたたずむことしか私達にはできない。


(ただ私たちをは唯一の人と愛し合いたいだけなのに世界はなぜこんなに残酷なのだろうか)

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