静かな夜に
思いついたので、クリスマスを題材にしたSSを勢いで書きました。
あら、今日はどうしたの? そう、またお話を聞きに来たのね。寝る支度が済んだのなら、かまいませんよ。さぁ、こちらにいらっしゃい。
──そうね。今日は、ある女の子の話をしましょうか。ずいぶんと昔のことだから、もう誰も覚えていないわ。あれはね、一番暗くて一番長い夜の日のことよ。
聖ルシア祭は知っているわね? そう、十二月十三日の光を迎える日のお祭り。子供たちの光の行列は美しかったでしょう? 昔はもっと小さい子でも行列に参加していたものだけれど、あなたは来年ね。あらあら、拗ねてはダメよ。きっとそのほうが、歌もよく覚えられるわ。
女の子はね、ちょうどあなたと同い年だったと思うわ。そして、あなたと同じように、はじめて参加する光の行列をとても楽しみにしていたの。けれど、前の晩から熱を出してしまってね、その日は一日中、ベッドの中にいなければいけなかったわ。
窓から外を覗けば、近所の子供たちが教会へ楽しそうに駆けていくのよ。部屋には自分が着るはずだった白いドレスと赤い帯がかかっていてね、それを見ると悲しくなるから、女の子は布団をかぶって寝てしまったの。
どれくらい寝ていたのか分からないけれど、女の子が次に目を覚ますと、なぜか白いドレスを着て、森の中にいたの。頭にはコケモモの冠。蝋燭が、ちゃんと刺してあるものよ。そう、侍女の役ではなく、聖ルシアの格好をしていたの。えぇ、不思議なことにね。
最初は喜んでいた女の子だったけれど、深い夜の森の中にいることに気づくと、とても怖くなった。この時期の森は雪が積もっているでしょう? 寒くはないけれど、そんな夜の森に一人でいるなんて、きっと怒られてしまうわね。それに、女の子は裸足だったの。怪我をすれば、お母さんが心配してしまうわ。だから、早く帰らなければいけなかった。女の子は、森の外に出ようとしたの。
森はとても静かでね、鳥も獣も、みんな眠っているみたいだったわ。自分が歩く音だけが聞こえるの。そうね、不思議ね。そして、女の子はとても寂しかった。怒られてもいいから、早く家に帰りたいと思ったわ。
冠の蝋燭が消えてしまわないように、走るのは我慢して、でも、できるだけ早く歩くの。そうそう、そんな感じね。そうして歩いていると、大きな切り株がある広場のような場所にたどり着いたの。その切り株はね、お家のテーブルくらいあるのよ。女の子はここまで大きな切り株なんて見たことがなかったから、近づいて、登ってみることにしたの。
切り株の上で、あらためて森をよく見てみると、どこもかしこも同じような木ばかり生えていてね、目印になりそうなものは、ひとつも見当たらなかったの。女の子は困ったわ。自分が来た道も分からなくなってしまったからね。もうお家に帰れないのかもしれないと気づいた女の子は、とてもとても悲しくなって、ポロポロと泣きだしてしまったの──
「どうして泣いているの?」
切り株に座り泣いていた少女の元へ、森の中から声が届いた。それは、性別も年齢も分からない不思議な声だった。彼女はその問いかけにすぐさま反応すると、切り株から飛び降り、声がした方へ近寄る。
「誰かいるの?」
しかし、返事はない。自分の勘違いだったのかもしれないと気付いた途端、一人であるという事実が押し寄せてくる。少女は寂しくて、悲しくて、虚しくて、そして怖くなって止まっていた涙が再び溢れ出した。
今度は声をあげて泣いた。暖かな家を思い、優しい家族を思い、誰かに見つけて欲しいと、声に出して願った。そうして泣いていると、また森から「どうして泣いているの?」と先程と同じ問いかけが降る。それを聞いた少女は、勘違いではなかったのだと少し安堵し、泣きながら素直に答えた。
「……お家に、帰れないから……泣いてるの」
息を整えながら、声のした方へ顔を向ける。やはり誰かがいるようには見えない。声はするのに姿が見えないという状況に混乱した少女は、その瞳に再び涙を滲じませる。せき止め切れない涙が頬を伝う直前、別の問いかけが耳に届く。
「どうしてお家に帰りたいの?」
それを聞いた少女は、乱暴に目元を拭うと声がした方を睨みつけ、その時抱いた感情のまま、声を張り上げる。
「いじわるするのはやめて!」
彼女は思い出したのだ。近所に住む男の子が、自分をからかうために、名前を呼んでは隠れるという遊びをしていたことを。
「お話する時は、ちゃんとお顔を見せなきゃいけないのよ! 出てきなさい!」
そう森に向けて心のままに叫ぶと、木々の間の影が揺れる。ぼんやりと人の形をした大きな影が、彼女の元へ音もなく歩み寄り、すぐそばまで来て止まった。森の闇を切り取ったような黒い塊に顔はない。目も鼻も口も分からないその影は、目線を合わせるように小さく蹲り、少女へ声をかける。
「どうしてお家に帰りたいの?」
彼女は不思議とその影が怖くなかった。その声がとても、寂しそうに聞こえたからだ。涙はいつの間にか乾いていた。
「あなたはだぁれ?」
しかし、この問いに影は答えない。ただ同じ姿勢で、こちらを伺っている様子のまま動くことはない。少女は小さく息をついた。
「お家にはね、パパとママとお姉ちゃんが待ってるの。もう少ししたらクリスマスだから、みんなでお祝いするのよ。だから、わたしは、帰らなくちゃいけないわ」
影は首を傾げるような仕草を見せる。なにか考えているのだろうか。しかし表情というものが分からない黒い塊の心境など、彼女には分からなかった。
「あなた、森の出口を知ってる?」
きっと答えてはくれないだろうと思いながら、それでも少女は聞く。自分一人では森から出られないと悟ったからだろう。影の前でしゃがむと、顔にあたる部分を覗き込みながら、答えを待った。
「どうして森から出るの?」
影は答えた。会話ができると安心したのはいいものの、返ってきたのは彼女の求めているものではない。それに、その問いかけの答えは、先程すでに言っている。
「だから、お家に帰るためよ」
「どうしてお家に帰るの?」
「みんなが待ってるんだってば!」
少女は徐々に苛立ちはじめた。影との会話は、ぐるぐると同じところを巡らされている気持ちにさせられるからだ。
早く帰りたいという焦燥感と、答えを得られない苛立ちに追い立てられ、少女は自然と立ち上がる。
「なんで待ってるの?」
「家族だからよ!」
「家族ってなに?」
その答えを聞いて、少女の苛立ちは一気に萎んでいく。彼女にとって、家族とは当たり前に存在しているもので、それを影が知らないということに思い至らなかったからだ。
「……あなた、家族が分からないのね? だから、そんなに……寂しそうなの?」
「寂しいってなに?」
少女はしばし考えるが、自分は明確な答えを持っていないことに気づく。寂しいってどういう気持ち? と自問自答して出てきた答えは、至極単純なものだった。
「えっとね……寂しいっていうのは……誰かと一緒にいたい気持ち、かな?」
「一緒にいると寂しくないの?」
違う。と、少女は反射的に思う。家族と一緒に過ごしていても、寂しいと感じることはあるからだ。でも、彼女の価値観の中では、誰とも会わずに一人でいることは、絶対に寂しいことだった。そう考えて、はたと気づく。目の前にいるこの影は、この暗い森で、ずっと一人きりだったのではないか? と。
「もしかして……あなた、わたしと一緒にいたいの?」
影は答えない。ぼんやりとした輪郭が僅かに震えた気がした。
「そうなのね? でも……連れていってあげることはできないわ。だってみんなビックリしちゃうもの。ここがどこなのか分かれば、また会いにこれるけど……」
少女がそう言うと、影は小さく丸まってしまった。膝を抱えて蹲るような姿勢を見て、彼女は罪悪感を覚える。しかし、自分は家族の元へ必ず帰らなければならない。
日のあるうちであれば、森に入ることは許されている。この森が、そう遠くない場所であるのならば、会いに来ることはできると、本気で考えていた。
少女は小さくなった影に触れようとして、ふと、手を止める。彼女の背後から、聞きなれた歌が聞こえた気がしたからだ。
「……ルシアの歌だわ」
耳をすませ聞き取った音は、確かに聖ルシア祭で歌うために覚えた、ルシアの歌の旋律だった。少女は音のする方へ振り返る。すると、遠く、暖かな光が揺れていた。長い夜に、闇を晴らす光が訪れたのだ。
「わたし、約束するわ! いつかあなたに会いに来るって」
少女は駆け出す。光を目指して暗い森の中を、ただ走った。
「あなたが森を出て会いに来てもいいわ! 白い教会のある村よ、間違えないでね! 待ってるから!」
光に近づくにつれ、歌声は鮮明になり、教会で聞いた美しい合唱が脳裏を過ぎる。重なり合う歌声は少女を包み、そして光は、確かに少女へ届けられた──
「それで……その女の子は、どうなったの?」
「女の子は気がつくと、ベッドの中にいたわ。夜はすっかり空けていて、熱も下がっていたの」
孫の頭を撫でる祖母の手は、とても優しかった。部屋の隅ではストーブが、パチパチと小さな音を奏でる。膝の上で眠そうに目を擦る孫を見て、祖母は微笑んだ。
「さぁ、お話はもうおしまい。ちゃんとベッドに入って眠らないと、サンタクロースはやってこないわよ」
「うん……おやすみ、おばあちゃん」
小さな背を見送り、ドアを閉じる。冬の気配を強く感じながら、祖母は再び揺り椅子に腰掛けると、窓の外を眺めひと息ついた。遠い昔に置いてきてしまった約束を果たせずにいることが、彼女の唯一の心残りとして、未だその胸にある。しかし、いくら長い時間をかけて探しても、あの森にたどり着くことはできなかったのだ。
「この歳になってもまだ探しているのだから、諦めが悪いったらないわねぇ」
そう自嘲気味に呟くと、自分もそろそろ床につこうかと考える。肩にかけていた毛織物に手を伸ばしたその時、風もないのにランプの火が揺れ、部屋に人影かひとつ増えていることに気がついた。
祖母はゆっくりと立ち上がり、その影に近づいていく。相変わらず目も鼻も口も分からない真っ黒な塊。でも、不思議と怖くはなかった。
「……ごめんなさいね、随分待たせてしまったわ。……私を見つけてくれて、ありがとう」
影はなにも答えない。あの時と同じように少しだけ首を傾け、ただそこに居る。それを見た祖母は微笑む。無知な子供が勢いで結んだ約束を、この不思議な存在は覚えていてくれた。そして約束通りに会いに来てくれたことが、嬉しかった。
「今度こそ、あなたと一緒にいてあげられるわ。まずはあの時みたいに、クリスマスを教えてあげなくちゃね。それが終わったら……行きましょうか」
雪は静かに積もり、村の家々には小さいけれど暖かな明かりが灯っている。普段と変わらぬ人の営みの中で、人知れずいつかの約束は果たされた。
メリークリスマス
良いお年を。




