5 外の世界からの訪問者と究極のパン
ロックベアの肉を使ったステーキは、俺の身体能力と魔力持久力を飛躍的に向上させた。おかげで毎日の食材探しは非常に楽になった。危険な森の奥へも安心して踏み込めるようになり、新しい薬草や、見たこともないキノコが俺の無限収納を満たしていく。
「さて、今日の朝食は村の森小麦を使ったパンとロックベアの残った肉を少し使ったサンドイッチで決まりだな」
俺はログハウスのキッチンで、ご機嫌にパン生地を捏ねていた。村から仕入れた森小麦は地球のものよりタンパク質が少ないが、魔力で生成した特別なイースト菌と異世界味噌の隠し味を加えれば、驚くほど風味豊かなパンになる。
魔力で調整したオーブンに入れて待つこと数十分。焼き上がったパンは、外はパリッと、中はふわふわで味噌の香りが食欲をそそる。
「よし、これも一種のバフ料理だ。食べた者が満腹感と微量の体力バフを得る究極の食事パンの完成だ」
いつものように最高の朝食を味わっていると、不意にログハウスの窓の外から聞き慣れない声が聞こえてきた。
「間違いない、この匂いだ! 辺境の村でこんなに美味そうなパンの香りがするなんて……」
「静かにしろ、ロイド! 村長に聞かれるぞ。我々は商談に来たんだ」
俺はフォークを持つ手を止めた。
外部の人間だ。しかも明らかに商売人風の話し方である。
やはりエドさんや村人たちとの間で交わした秘密の契約だけでは、俺の料理の噂を完全に封じ込めることはできなかったようだ。
俺が静かに扉を開けると、そこには二人の男が立っていた。
一人は派手な服を着て、金色の髪をオールバックにした、いかにも胡散臭い男。ロイドと呼ばれていた方だ。もう一人は質素な服だが鋭い目つきをした護衛らしき男。
ロイドは俺の姿を見るなり目を見開いた。
「おお! あなたがあの香り塩を作っているという噂の料理人さんですか?」
「あなたがたは?」
俺は警戒心を隠さずに尋ねた。
ロイドは派手な身振りで胸に手を当てた。
「私はロイド! 王都を中心に活動している一流の行商人です。実はポトフ村の村長殿から仕入れた野菜の風味が、最近、驚くほど深くなっていることに気づきましてね」
「村長が俺の醤油を使っている野菜を町に売っていたのか――」
エドさんは村で使う分だけと言っていたが、もしかしたら少しだけ町に流していたのかもしれない。もちろん生活がかかっている村人たちを責める気にはなれない。
ロイドは興奮気味に続けた。
「特にあの硬いヒートラディッシュのカブ! 生で食べてもあの辛味がまろやかな旨味に変わっているんですよ! 村長殿に問い質したら不思議な調味料を使っているとしか言わない。ですが嗅覚だけは一流の私にはわかる。この森の奥から誰も知らない最高の香りが漂っていると!」
彼らが目をつけたのは俺の料理のバフ効果ではなく純粋な味だった。それならまだ穏便に済ませられるかもしれない。
「それで、ご用件は?」
俺はできるだけ穏やかな声で尋ねた。
ロイドは目を輝かせながら言った。
「あなたにその調味料あるいはその製法を、王都の貴族たちに売って頂きたいのです! この最高の味は王都の食卓を一変させる! 我々があなたの代理人となり、莫大な富をお約束します!」
やはり金と名声の匂いだ。前世で最も嫌いだった種類の話だった。
俺は静かに首を横に振った。
「申し訳ないですが俺は商売に興味はありません。俺の目的はこの森で静かに暮らし、最高の食材を追求することだけです。製法はもちろん、調味料もあなた方に売るつもりはありません」
ロイドの顔から笑顔が消えた。護衛の男が一歩前に出る。
「おい、話が違うぞ。この調味料の価値がわかっているのか? 生涯、豪遊できる金だぞ!」
「理解しています。ですが俺の望みは金や名声ではない。静かな食事の時間です」
交渉は決裂か――異世界でも上手くいかないものだな。ロイドは明らかに怒り出し無理矢理にでも製法を聞き出そうとする雰囲気を漂わせた。
ここで強硬手段に出るわけにはいかない。俺の生活が破綻してしまう。俺は再び微笑み最高の切り札を出すことにした。
「一つだけ提案があります。あなた方は長旅でお腹が空いているでしょう。このまま追い返すのも無粋です。どうぞ、このパンを召し上がってください」
俺は今朝焼いたばかりの究極のパンを一切れずつ差し出した。ロイドは警戒しながらも、その香りに抗えずパンを一口齧った。
次の瞬間、ロイドと護衛の男の瞳が先日のエドさんと同じように大きく見開かれた。
「な、なんだこれは?」
ロイドの口から漏れたのは驚愕の声だった。
パンは外側はパリッと噛むと中はふわふわ。味噌の隠し味と魔力イースト菌が、これまでのパンの概念を覆すような深い風味を与えている。なによりも一口食べただけで、旅の疲れが抜けていくような、微かなバフ効果が彼らの身体に作用した。
「これが……辺境の料理人の作るパン?」
俺は優しく問いかけた。
「俺があなた方に売れるものはありません。ですが、この最高の食事の時間を邪魔されるのは困ります。もし今後、俺の生活を脅かすようなことがあれば、あなた方の舌は二度と最高の味を知ることはできなくなるでしょう」
これは実質的な脅しだ。だが最高の食の快楽を知ってしまった彼らにとって、それはなによりも恐ろしい制裁となる。
ロイドはごくりと唾を飲み込んだ。商売人の勘がこの男が並の存在ではないことを悟らせたのだろう。そしてこのパンの価値を金に変えられない至宝として理解したのだ。
「わかりました、アキトさん。あなたの意向を尊重します。我々は今日見たこと、嗅いだ匂い、そしてこのパンの味を誰にも話しません。その代わり、もしあなたがなにか最高級の食材や珍しい調味料を必要とされた時は是非我々を頼ってください。我々はあなたの静かな生活を守るための最高の運び屋になることをお約束します」
「もしその時が来たら、あなた方を頼らせてもらいましょう」
こうして俺は金や名声を求めず、代わりに最高の食材調達ルートという、スローライフに不可欠な利権を手に入れた。
ロイドたちは静かに森を後にした。ログハウスのキッチンには再び平和な時間が戻ってきた。
「さて、次は森のベリーを使った極上ジャムでも作るかな」
俺の異世界スローライフは、静かな食卓を守るため、着実にその基盤を強化していった。




