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2 醤油の創造と村人との邂逅

 ログハウスで迎えた二日目の朝は晴れ渡っていた。


 清々しい空気の中で目覚めた俺は身体を確かめる。昨晩の『翠鱗魚のソテー』のバフ効果はまだ持続しているようだ。身体は軽快で少し筋トレでもすれば、すぐにでも屈強な冒険者になれる気がする。だが、俺の目的は筋骨隆々になることじゃない。美味い飯を食うことだ。


 早速、朝食の準備に取り掛かったが、すぐに壁にぶち当たった。


「くそっ、これじゃ駄目だ」


 昨日、スキルで塩や胡椒、オリーブオイルは創造したが、これはあくまで最低限の調味料だ。元高級フレンチシェフだった俺の舌は、もっと複雑な風味を求めている。


 パンに合うバターもいいが、魚や肉の旨味を最大限に引き出し、この異世界の野菜にも深みを与える「なにか」が必要だ。


「なるほど。あれがないと俺のスローライフは始まらない」


 俺の脳裏に浮かんだのは、醤油の、あの独特の香りと深いコクだった。


 この世界には、まだその概念も、製法もないだろう。だが【究極の調理】があれば原理は無視できる。必要なのは醤油の味の概念と、それに近い異世界の原材料だ。


 俺は無限収納から昨日の翠鱗魚の残りの切り身と、昨日採取した数種類のキノコを取り出し分析を始めた。


「醤油の主成分は大豆と小麦のタンパク質を発酵させて生まれるアミノ酸の旨味そして塩気だ。この世界で大豆は見つからないが――代わりにこれだ」


 昨日、森で見つけた地球のエンドウ豆に似た、濃い紫色の豆『マメアオイ』を取り出した。この豆は茹でると非常に濃厚なアミノ酸の風味を放つ。


「マメアオイを大豆の代用に森小麦。地球の小麦に比べてタンパク質が少ないが、ローストしてしまえば香ばしさは出せる」


 俺はキッチンの魔力窯にローストした森小麦と蒸したマメアオイを投入した。


【究極の調理】:創造。異世界醤油(仮称)の醸造。


 俺はスキルを使い発酵に必要な麹菌を魔法的に再現した。さらに魔力を発酵プロセスに注入する。通常の醤油醸造には一年以上かかるが、チートスキルは時間の概念を捻じ曲げる。


 魔力窯の中の仕込みが、瞬く間に温度を上げ、発酵し熟成していく。強烈な香りがキッチンに立ち込めた。それは日本のどこかにある醤油蔵の、何十年もの歴史が凝縮されたような、芳醇で深みのある香りだった。


 数十分後、俺が窯の蓋を開けると、そこには深みのある赤褐色に輝く液体が満ちていた。濾過して小さな壺に移す。一滴、舐めてみる。


「来た! これだ!」


 濃厚な旨味、絶妙な塩気、ローストした小麦の香ばしさ、そしてマメアオイ由来の独特の深みが融合している。地球の醤油とは少し違うが、これはこの異世界で最高の料理を生み出すための究極の調味料だ。


 醤油を手に入れた俺は心が満たされた。これで今日の昼食は格段に美味くなる。だが、ふと考える。俺はこの世界で生きていくための「お金」と「継続的な食材の供給源」がない。


 昨日、拠点を見定めるために確認した近くの村、通称『ポトフ村』へ挨拶に行くことにした。


 俺はログハウスの扉を閉め歩き出した。森を抜けると目の前に現れたのは質素だが平和な農村だった。家の屋根には枯れ草が敷き詰められ、畑では見慣れない野菜が育っている。


 村の入り口に立っていると、一人の老人がこちらに気づき、訝しげな表情で近づいてきた。


「あんた、見ねぇ顔だな。この辺じゃねぇだろ。何用だ?」


 老人は村長のエドという名前で、がっしりした体格と温かい目を持つ人物だった。俺はなるべく穏やかに、そして怪しまれないように話す。


「初めまして、俺はアキトといいます。森の向こうに引っ越してきた者です。ご迷惑でなければ、ご挨拶にと思いまして。実は俺は料理人で森の食材をわけて頂くか交換してもらえないかと思いまして」


 老人は腕を組み、警戒心を露わにした。


「料理人? 森の魔物でも食ってんのか? 悪いがうちの村は貧乏でな、食い物を分ける余裕はねぇよ」


 ここで引き下がっては食料調達が滞ってしまう。俺はすかさず、切り札を出した。もちろん、例の醤油だ。


「そうですよね。ただ俺にもお礼できるものがあります。これを見ていただけませんか?」


 俺は収納から今朝作ったばかりの異世界醤油の入った小さな壺を取り出し老人に差し出した。


「これは俺が独自に作った『万能の香り塩』と呼んでいる調味料です。ほんの少し、このポトフ村の自慢の野菜にかけて試してもらえませんか?」


 老人は半信半疑の顔で壺を受け取り匂いを嗅いだ。


「ん? なんだこりゃ。見たことのない色だ。だが、いい匂いだ」


 俺は老人に近くで収穫したばかりの、拳ほどの大きさの真っ赤なカブ『ヒートラディッシュ』を一つ分けてもらった。


「じゃあ、ここで失礼して」


 俺はスキルで調理器具を創造し、その場でヒートラディッシュを薄くスライスする。そして老人の持っていた少し古びた木製ボウルに盛り付けた。


「では、この万能の香り塩をほんの一滴だけ」


 俺は醤油をヒートラディッシュに垂らした。赤いカブの切り身に深い赤褐色の液体が滲む。老人は目を細め、怪訝そうに一口、カブを口に入れた。


 その瞬間、老人の顔が硬直した。そして瞳が大きく見開かれる。


「なっ、なんだ、これは!」


 老人は口の中のものをすぐに飲み込み、カブの入ったボウルを見つめた。


「このカブは生のままだと強い苦味と辛味があるんだ。だからいつも煮込むしかねぇ。だが、あんたのこの液体をかけただけで辛味と苦味が旨味に変わってる!」


 ヒートラディッシュの持つ、本来は邪魔になるはずの強い風味(刺激)が、醤油の持つ複雑なアミノ酸の旨味と塩気によって、ポジティブな「深み」へと変質したのだ。


 老人はもう一口、今度は意図的に醤油を多めにかけて食べた。


「信じられん。あんたは魔法使いか? この村が何十年も煮て誤魔化してきたカブが、こんなに美味くなるなんて!」


 俺は穏やかに笑った。


「魔法ではありません。俺の持っている、ほんの少しの調理の知識です。見ての通り、俺は金を持っていません。ですから俺の作るこの調味料と交換してもらえませんか? 村の人が持っている少し形の悪い野菜や余っている木の実。なんでも構いません」


 老人はしばらく呆然としていたがやがて力強く頷いた。


「わかった、アキト。あんたは正直だ。そしてあんたの『香り塩』は、この村の食卓を変える力を持っている。村の者と相談する。あんたが作った調味料と、村の余剰食材を交換しよう。あんたは俺たちの料理人だ。どうか、この村に静かにいてくれ」


 こうして俺は静かで美味しいスローライフのための、最初の流通経路と穏やかな隣人を得ることができた。


 明日からこの村の食材と、俺の醤油を組み合わせた最高の料理が待っている。


「ありがとうございます、エドさん。最高の食事を保証しますよ」


 俺は心の中でそう呟いた。

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