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8/25

たに

 まるで自分の家に帰って来たみたいな清彦に、私は苦笑いした。


 清彦の顔を見ない日はないんじゃないかというくらい、いつも顔を突き合わせている気がする。幼い頃から清彦が隣にいることが当たり前すぎて、たまに顔を見せないと「何かあったのかな?」なんて思ってしまう。ただの幼馴染だけど、それだけじゃないというか。

 なんだかもう家族みたいだった。


「ちーっす、じゃないわよ、清彦。大変だったんだから!」


 清彦は特に部活も塾にも通っていないから、放課後は自由気ままに過ごしているらしい。ほぼ毎日店に顔を出しては、残り物を買って帰るのが日課となっていた。一緒に暮らす清彦のお婆ちゃんと、自分の分の二つ。もらって帰るんじゃなくてちゃんと買っていくんだから律儀なやつだ。でも今日は父が特別に用意した大きなどら焼きがある。今朝作りたての蕗味噌も。


 スラックスのポケットに手を突っ込んでショーケースを物色していた清彦だったけれど、私の言葉に反応して顔を上げた。


「大変だったって何が?」


 急に真剣な表情になった清彦が、ショーケースに片肘をつき私に問いかけてくる。まさかそんな顔をされるとは思ってもみなくて、私は一瞬言葉に詰まってしまった。


「ねぇ……清彦は変なもの見たことある?」

「変なものって、何?」


 質問の応酬になってしまって、私は小さく嘆息する。


「例えば、(あやかし)とか。そういう類のもの」


 清彦は私の言葉を聞いて訝しげに眉をひそめた。店内の奥にある茶席にちょこんと座り、うつらうつらしていた白妙に目を向け、「シロみたいな奴のことか?」と質問を重ねてくる。


 小さく頷いてから今日の出来事を掻い摘んで説明すると、清彦は腕を組んだ。


「木の子とクサビラ、ねぇ。そんでメグリガミ?」


 茶化されるとばかり思っていたのに、思いの外清彦は真面目に私の話を聞いてくれていたみたい。何か考え込んで目を伏せる清彦を、私はじっと見つめた。こういう時は清彦が何かを話し始めるのを待った方が良い。長年の付き合いでなんとなく分かる。


 しばらくして腕を解いた清彦が顔を上げると、その澄んだ瞳とぶつかった。


「実際見えるかどうか、試してみたい。いつ行くんだ? メグリガミのとこ」


 私の質問にはっきりとは答えず、清彦は射抜くように私を見つめてくる。普段のどこかふざけた気配を消した様子に、私はなぜか胸騒ぎを覚えた。


「……好物だっていう柏餅をたくさん用意しなくちゃいけないから、今日明日って訳にはいかないわ。それに案内を寄越すって言っててそれがいつだかも分からないし」

「案外タイミング良く来るんだよ、そういうのは」


 清彦が自信ありげに口角を上げる。


「よし、今週の土曜日だ!」

 唐突にそう決め付けられて、私は唖然とした。

「えっ……。でもそんな都合よく……って、清彦も行くの?」

「お前、一人で行くつもりだったのか?」

「……それはちょっと怖いなって思ってた」

 少しだけ声のトーンを落とす私に、清彦はほらみろ、とばかりに片眉を上げる。

「ならいいじゃん。行くなら俺も連れてけよ」


 すっかり一緒に行く気満々な清彦に、私は半分呆れつつ正直頼もしさを感じた。いつまでも自分より小さな子供だとばっかり思っていたけど、少しずつ頼りがいが出てきた気がする。私は姉のような気持ちになって、ちょっぴり誇らしかった。


「予定とかなかったの? 大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫」


 私の心配をよそに、暢気に手をひらひらさせると、清彦は店の奥で完全に眠りこけてしまった白妙を眺めた。


「シロのこと、少しでも分かるといいな」

「うん」


 待ち合わせ場所や時間をささっと決めてしまうと、だいぶ気持ちが落ち着いてくる。そうそう、忘れないうちに……と、私は厨房から保冷バックを取ってきて、清彦に手渡した。


「何だこれ?」

 中身がなんだか分からず不安げな清彦に、私は口を尖らせる。

「朝言ったじゃない! 父さん特製のどら焼きと、私お手製の蕗味噌よ」

 清彦は、蕗味噌と聞いて「うえ~」と嫌そうな顔をした。

「どら焼きはありがたいけど、蕗味噌はちょっと……」

「好き嫌い禁物!」

「へいへい。……サンキューな」

 全然心のこもっていない「ありがとう」だったけれど。ちゃんとお礼が言えるようになったことを喜ばないと。

「うん。フキノトウすごく美味しかったですって、お婆ちゃんに伝えてね」

「リョーカイ」


 清彦は保冷バッグを軽く持ち上げて二カっと笑うと、眠る白妙の傍に近付いてその頭にやさしく手を置いた。ずいぶんと大人びた仕草だなあと思っていると、清彦は「あ~宿題めんどくせぇ」といつもの様子に戻ってだるそうに片手を挙げる。


「じゃっ、またな」


 清彦が出て行った店内には、白妙の安らかな寝息だけが穏やかに響いていた。




***




 週末にメグリガミのところへの案内が来るかどうかは分からなかった。

 けれど、とりあえず柏餅を仕込む準備はしておかなければならない。普通の和菓子屋さんは、上生菓子や柏餅など通年で店頭に並ぶことが多かったけれど、絲原製菓店は年に五回ある節句のときだけ。


 なんの観光資源もない片田舎のお店だったから、来客がそう多くはないし、せっかく作って残ってしまうのは勿体ないからだ。それでも、節句の時期とお中元・お歳暮の時期は、怠け者の節句働きじゃないけれど、普段よりは忙しい。看板商品の羊羹や最中、お団子、そしてあんドーナツの他に、節句専用の商品が並ぶから。


 端午の節句は、あと二ヶ月以上先のことで、柏餅の葉の仕入れもまだだった。父が色々と問い合わせをしてくれたから、何とかいつもとは別の入手先が見つかって胸をなでおろす。例の妖は小豆餡と味噌餡のどちらが好きなのか分からなかったので、両方とも十個ずつ作れるようにしておこうと頭の中にメモをする。


 それから週末までの数日は、関東平野特有の春の強風が吹き荒れる天気だった。

 日中気温が高くなってから、夜のうちまで風の音が鳴り止まない。晴れているのに、この強風ではいつも以上にお客さんは来なかった。


 そんな中、何の前触れもなく店にやってきたのは、駅前にある交番の田中巡査だった。


 厨房で父と白妙が並んでお団子に竹串を刺しているのを店先から微笑ましく眺めていると、「ごめんくださ~い」と若く張りのある声が響いてきて、私ははっと入り口を見やる。

 一瞬道案内の木の子が来たのかと思ったけれど、すりガラスから見える影はかなり大柄だったので小首を傾げた。


 はあいと返事をするとすぐに、戸がガラッと開く。

 紺色の制帽のつばをつまみ、軽く会釈をして入ってきたのは二十台半ばくらいの警察官だ。父より一回り小さいけれど、がっしりとした体格の田中巡査は、駅前交番の顔であり、街の人々から頼りにされているザ・体育会系の好青年だ。


 実は父の後輩――とは言ってもかなり歳下の――でもある。父と田中巡査は、二人とも県内でも有名なスポーツ系高校出身なのだ。


「こんにちは、糸原さん。今日はすごい風ですから、外出の際は気をつけて下さいね。……えーと、お父さんはおられますか?」


 カチッとした物言いと姿勢の良さは警官の鏡そのもの。私は「はい、少々お待ちくださいね」と言い置いて厨房に入った。

 まだ何の味付けもされていない白い真ん丸のお団子が、二人の前にいくつも並んでいる。今からこしあんをのせるつもりだったんだろう。白妙が小さいスプーンを片手に、こしあんの入ったタッパーの前でじっとしていた。


「父さん、田中巡査がお見えになってるよ」

 大きな手の上では真珠のように見える白い玉をバットにそっと置くと、父は「おう、そうか」と返事をして店先へと向かう。


 私は父とバトンタッチする形で、今度は白妙の横に並んだ。


「あんこのせる?」

 白妙が作った分は、今日の白妙のおやつになる。最近白妙は、こんな風に自分用のおやつは自分で作りたがるようになった。

「のせたい!」

 愛らしい笑顔を見ると、こちらまで笑顔になる。

「じゃあ、これをこうやって……」

「うん」

 一度やって見せると、白妙は上手に真似をする。結構器用なんだ。

「こしあんのお団子、好き」

「美味しいよね、私も好き」

「早く食べたーい」

「ふふ」


 白妙はとにかくあんこが大好きらしい。店に並ぶ、おはぎも羊羹も豆板も最中も大福もどら焼きも。

 冬にはおしるこを作ってあげよう。焼いたお餅をいれて。白妙はきっと喜んでくれるはず。


「おい、ちょっとこっちに来てくれ。白妙もだ」


 二人で和やかにお団子を作っていたら、父が暖簾を片手で上げて顔を出してきた。私たちは「何だろう」と顔を見合わせる。


「今行くわ」


 完成していないお団子の並んだバットの上に、乾かないよう濡れ布巾を被せて、私たちは店先へ移動した。


「白妙、おいで」


 明るい店内では、田中巡査がぴんと姿勢を正して父と何か話していたけれど、私の姿に気づいて「お忙しいところすみません」と声をかけてきた。視線は私に向かっていて、白妙の姿はまるで目に入っていないようだった。


「なんでしょうか」

 私が問いかけると、田中巡査が辺りを見渡して訝しげに眉をひそめる。

「すみません。白妙さん……というのはどちらですか?」

 その言葉に、私は固まった。私の隣に白妙はしっかりいるというのに、田中巡査には全く見えていないらしい。

「隣に……いますけど」

 私の言葉に、今度は田中巡査が固まってしまった。

「……ねえ、白妙?」

「はい、います」

 白妙が元気良く私に答えるけれど、その声も全く聞こえていないようだ。これは……、やっぱり普通の人には“見えない”ということなんだろうか。


「糸原先輩……。やっぱり『いつもの』なんですか?」

 田中巡査は、はあ~っと大きくため息を吐く。父が「すまんな、確かめさせて」と頭をかきつつ謝る姿を見て、私は二人の間に流れる特別な空気を感じた。

 そうか、田中巡査は父の変わった力を知っているんだ。私は唐突にそう確信した。


「田中には、色々と世話になってる」

 父の言葉に、私は自然と頭を下げる。

 きっと無理難題を押し付けられたりしているんだろうな。田中巡査の苦労が偲ばれる……。

「父がいつもご迷惑を……」

 頭を下げた私を一目見ると、田中巡査は慌てた動作で両手をふり、とんでもない、目を見開いた。

「いやいや! 自分は先輩のことを尊敬していますし! 迷惑だなんてそんな!」

「田中は、変わったものは全く見えないし感じない性質(たち)なんだ」


 腕を組んでふむ、と考え込む父だったが、田中巡査の性質(たち)こそ真っ当なんだと思うけれど。


「困ったことがあったら何でも言って下さい。調べられることがあれば、自分も協力します。まあ、そういった類のものは全く見えませんけどね」


 あはは、と明るく笑う田中巡査は、「白妙さんによろしくお伝えください」と会釈して「それでは」と踵を返す。その背中に「お団子! 良ければ食べて行って下さい!」と私は慌てて声をかける。その言葉に、ばっと振り返った巡査の瞳はきらきらと輝いていた。「お時間があれば……」と言葉を続けると、田中巡査はそれは嬉しそうに手を打つ。


「お団子ですか! こしあんが良いな!」


 どうやら、田中巡査も甘いものに目がないみたいだ。

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