みね
「おうおう、賑やかだな!」
父の溌剌とした声に、私は閉店準備をしていた手を止めて振り返った。仕入れと仕込みを終え戻ってきた父がちょうど暖簾をくぐって厨房から入ってくる。疲れた様子を微塵も見せず、頭に巻いたターバンを大きな手で外すと、ショーケースの上に無造作に置いた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
店内で無心に残り物の菓子を頬張る十人――と数えていいものか――の方に近づいていき、父は腰に手を当てた。残り物を食べたのを怒られてしまうかも……と身構えた私をよそに、父はワハハ、と朗らかに笑う。
「良い食いっぷりだなあ」
「お邪魔しております。ぼくら、木の子と申します。……というか、店主さま。ぼくらが見えるのですか?」
「まぁ、そうだな」
「特殊な血筋のお方とお見受けいたします」
「さぁてな? どうなんだかな。あまり自分の出自は知らんのだ」
「いえ、ぼくらには分かります。あなたは遠く、太古から続く御魂をお持ちだ」
父と木の子たちのやり取りを見ていると不思議な気持ちになる。大柄な父が、異質な小さな存在たちと対話することがあまりにも現実離れしていて。そしてその内容も、私を驚かせるのには十分だった。私は我慢できなくなり、父と木の子たちとの会話に割り込んだ。
「ねえ、父さん」
「ん? なんだ、咲穂」
「香島先生が言ってたんだけどね……。自分が神使で、鹿だ……って。鹿ってあの鹿だよね? 奈良の公園にいる」
「……そんな話をしたのか」
「なんで今まで黙っていたの? 父さんも何かの妖とかなの?」
「そんなわけあるか」
「じゃあ、何で? 何でこんなおかしなことになってるの?」
つい、詰問するようなきつい口調になってしまう。自分の中で処理しきれない気持ちが溢れ出してしまいそうだった。考えてみれば、昨日から日常とはかけ離れた時間が続いていて、知らずストレスを溜めてしまっていたらしい。それを父にぶつけるなんて子供みたい、と思いつつどうにも自分を止められなかった。
「せめて、自分がこういう不思議な体験をしてきたって少しでも教えてくれていれば、こんな不安にならなくてすんだかもしれないのに。だって、父さんはこれが初めてじゃないんでしょう? こういう現象」
「まあな……確かにそれはそうだと思うが。だけど白妙が来るまで、お前全くそういうものが見えてなさそうだったから。特に怖がらせることもないかと思ってたんだ」
そう言われて見れば、私はこれまで父の言う“尋常ならざるもの”は見えた試しがない。父はテレビなどで見かける霊能者とは違うということは分かった。霊と妖は似て非なるものなんだろう。それはなんとなく感じるし、理解できる。
「父さんは、いつから見えるの? ……その、“尋常ならざるもの”が」
父は丸太のような腕を組み、一瞬言葉を噤んだ。私たちの間に漂うぴりりとした空気の背後では、白妙と木の子たちが暢気にお茶をすすっている。まったくもう、ごく自然に「普通」の日常に溶け込んでしまっているんだから。この様子がまったくもって平和そのものだから、これもありなのかな、と思ってしまう。
「俺は物心ついたころから見えるな。あいつらのいる毎日がごく当たり前だから、別になんとも思わなくなった」
「……そう、だったんだ。じゃあ、香島先生とは? いつ知り合ったの?」
「俺のじいちゃんの代からあるからなあ、あの診療所は。ちなみにあの診療所に行ける人間は限られてるんだ。見える人間しか辿り着けない」
「えっ……。あの森の奥にある診療所へ? え、でも小さい頃から香島診療所には通っていたし、センセのことは昔から見えるけど……私」
「そもそも、妖とは全く違う存在だからな、あの先生は。姿を見せる、見せないは香島先生自身が決めることができるって、じいちゃんは言ってた」
香島診療所があるのは、名もない社を中心に広がる「ちとせの森」の外れだった。古くくすんだ色の鳥居の脇から伸びるごく細い遊歩道の先に、ぽっかりと開けた場所があって、そこに診療所はあった。
でも、今更ながら、あの一帯は建物を建てることは許されていなかったはずだと気がつく。なぜ今まで疑問にも思わなかったんだろう。
(それも全部、香島先生の仕業だというの……?)
ますます混乱していく頭を、私は抱えるしかない。
「まあまあ、そう悩みなさんな。ここらにいる妖の類は悪さはしないってことは俺がよく知ってる。たまーに菓子をねだったり、話に来たりするくらいだから。香島先生もいるしな」
「……センセは、父さんがいるから大丈夫って言ってたわ……」
「はあ!? そうなのか? 俺は特に何もしたことないぞ」
父の大らかさは筋金入りだ。きっとこんな調子で、非日常の世界を受け入れてきたんだろうということは、容易に想像がついた。私は大げさにため息をつく。
「……なんで私も見えるようになったのかな? 遺伝?」
「どうだかな~? 案外白妙がきっかけだったりしてな」
父の言うことは大概正解なことが多い。私は改めて、白く美しい子供――白妙に目を向けた。口の周りをきなこだらけにしたその姿はどこにでもいる子供と同じようでいて、どこか違う。それをはっきりと感じ取ることができる。そしてそれは、木の子たちも同じだった。
これからは、「見えること」を受け入れていかなければならないのだ。私は改めて、深呼吸する。
「父さんの娘だし、何とかなるか!」
私が努めて明るくそう言えば、父は高い位置から私を見下ろして、嬉しそうに破顔する。少し気持ちも落ち着いてきたことだし、白妙たちが食べ散らかした机を片付けようとお盆を手にしたとき、店の入り口が品良くとんとんとん、と叩かれた。
「今日は来客が多いわね」
「……またアッチのお客みたいだな」
「……えっ」
落ち着いた様子の父が、引き戸に向かい「どちらさんですか?」と外へ声をかける。すると間もなくして「こちらに煩い子供たちがお邪魔していませんか」とよく通る声で返答があった。
「来てますよ。九人も」
「ああ、やっぱり。ご迷惑をおかけしています。……中に入っても?」
話し口調から大人の青年のイメージだったけれど、いざ父が戸を開けてみると、そこには小学校高学年くらいの体格をした少年が立っていた。少年とは言ってもその姿は普通ではない。
不思議な仮面のようなもので目の辺りを隠し、ごわごわとした麻のような素材の衣装を着ている。服には至る所に不思議な形をした葉がついていて、それがアクセサリーのようにも見えた。木の子に少しだけ似ていたけれど、明らかにこの少年の方が品良く、大人っぽく、そして力があるように感じた。
「はじめまして、僕はクサビラという者です。木の子たちがご迷惑をおかけして申し訳ありません」
クサビラ、と名乗った少年は優雅にお辞儀をしてから木の子たちに向かう。
「こら、お前たち。僕が少し留守にしている間に勝手をして」
「だってクサビラ様、早く白妙様にお会いしてみたかったんです!」
「気持ちは分かるが」
クサビラは、口の周りがきなこだらけの白妙に気がつき、膝を折った。胸に手を当てて頭を下げる様子を見て、白妙はきょとんと小首を傾げた。
「あなたが白妙様でございますか。報せを聞きまして馳せ参じました。ですが、全てが真っ白なご様子。何か、強い封を感じます……」
白妙は椅子に座って足をぶらぶらとさせながら、クサビラの様子をじっと見入っている。クサビラは小さく息を吐き出して、父と私に視線を移す。
「この度は前触れもなく突然の訪問になってしまい、心からお詫びいたします。僕は一度、この木の子たちと共に龍福寺に帰ります。ですがその前にひとつだけ」
「なんでしょう?」
「僕たちにとって、白妙様は命の恩人でもあるのです。ですからそのご恩に報いたい。今の白妙様は覚えておられないかもしれませんが、どうしてもお力になりたいと思っています」
「白妙が、命の恩人?」
「ええ、そうです。今ではない、遥か過去の出来事ですが」
「あなたは、白妙のことをよく知っているの?」
「はい。枯れ果ててしまいそうになっていた僕たちに、恵みの雨を降らせて下さったのが白妙様なのです。その過去があるから、今こうして永らえることができているのです」
私はクサビラという仮面をつけた少年に、希望を見出して身を乗り出す。
「なら、あなたなら白妙の記憶を取り戻すことができるの?」
意気込んでそう問いかけると、クサビラは驚いたように仮面の奥からのぞいた瞳を大きく見開き、そして残念そうに首を振った。
「僕にその力はありません。まだまだ若輩者ですので……。ですが、竹林の奥にお住まいのメグリガミ様なら白妙様の力を元に戻す方法をご存知かもしれません」
「メグリガミ様?」
「はい。白妙様がお生まれになるよりも前からこの地にいらっしゃる御方です」
白妙が生まれるよりも前というのがどれだけ昔のことなのか、私には想像もつかない。けれど、クサビラの話を聞く限り、相当昔のことなのだろう。私は賑やかな店内を見渡し、大きく肩を竦めた。香島先生の言うとおりになってしまった。
「父さん、どうしよう」
「そうだなあ。まあ、そのメグリガミとやらに会いに行ってみた方が良いだろうな。白妙も、早いところ記憶やら力やらを取り戻して、元いた場所に返せるなら返してやらなきゃならんし」
「……うん」
渦中の白妙は、何が起こっているのかも分からずにお茶をすすっている。ともあれ、白妙の記憶が戻るならそれに越したことはないだろう。白妙とは、まだもう少し一緒にいたいな、というのが正直な気持ちではあったけれど。
「白妙様のために、メグリガミ様にお会いになって頂けますか?」
「……ひとつ気になることがあるんだけど、あなたは会いにいけないの?」
「……それなんです! 本当は僕らでお願いしに行きたいのですが。何せ僕らはメグリガミ様から見れば赤子も同然なのです。とても畏れ多くて……」
要するに、怖い存在なのだろう。それを押し付けられてしまうなんて、どうしたらいいのだろう。
「大丈夫です。メグリガミ様の大好物をお供えすれば、恐らくはお会いになって下さるはずです」
「大好物?」
「ええ。メグリガミ様はどんなお供物の中でも、柏餅が大好物なのです。それはそれは、昔、昔から」
「……そ、そうなんだ」
確かに柏餅は歴史のある和菓子のひとつだ。確か平安時代の頃から端午の節句の縁起物として食されてきた。
保存のため蒸して変色してしまう茶色の葉が主流の今とは違い、旧暦の時代は、大きく育った柏の葉が端午の節句の時期とちょうどぴったりだったから、緑色の葉に包まれているのが普通だった。
昔から好んで食べている、ということは葉の色もこだわった方がいいのかもしれない。
「父さん、緑の柏の葉って手に入れられる?」
「あぁ、大丈夫だ。真空パックされたものが確か売られてたはずだ。よし、ちょっくら電話してみるか」
「ありがとう」
ほんの少しの会話で、私が何を考えているのか理解してくれた父は、そのまま奥の工場に消えた。どう考えても、これは私が会いに行かなければならないパターンだ。父は店を開けるわけにはいかないし……。どうしよう、と頭を悩ませていると、クサビラが木の子たちを従えながら優雅にお辞儀をしてくる。
「それでは、糸原さん。よろしくお願いいたします。準備ができた頃、木の子の一人を案内役として向かわせますので」
では、また。と言い残すと、クサビラは何やら複雑に指を動かして、宙に文字のようなものを描いてく。それが「印」と呼ばれる形なんだろうと気がついた時には、クサビラを含めた木の子たちの体が淡く藍色に発光し、瞬く間にその場から消えてしまう。
「……もう、何なの……」
まだまだ慣れそうにもない。白妙もまた、忽然と消えてしまった彼らに驚いているようだった。
「これから、どうしよう」
小さく呟いたのと同時に、無遠慮にがらっと引き戸が開いて「ちぃ~っす!」と場違いに明るい声が響く。制服を着崩した私の幼馴染――清彦だった。