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子供達の下校時間になると、穏やかだった店は幾分賑やかになる。ここから徒歩十五分ほどの場所には竜覚寺台小学校があり、そこは私と清彦の母校だった。高台にあり、どこかのんびりとした空気の流れる小学校の生徒たちは、絲原製菓店の大切なお客様でもあった。
柱時計が三回鳴ると、私はちびっ子たちの襲来に備えてショーケースの中を整え始める。今日の子供たちへのおススメは春らしい色合いの三色団子と、たっぷりきなこをまぶしたあんこ玉。特にうちの特製餡で作ったあんこ玉は、子供たちに大人気。一個十円ということもあってすぐに売り切れてしまう。しかも、今日のあんこ玉には、内緒で白玉を忍ばせてある。子供たちの反応が今から楽しみ。
定番のみたらし団子と海苔のついた醤油団子も人気があるけれど、さて、今日はどれが一番売れるだろう。
「こんちはー!」
そうこうしていると、帰宅してランドセルや荷物を置いた子供たちの第一陣が店にやってきた。大体一番は男の子のグループだ。
「いらっしゃい、トオル君、リョウヘイ君」
小学三年生の二人組が、引き戸を開けて元気よく入ってくる。子供たちの声に興味をそそられたのか、店の奥の暖簾の下から様子を伺っていた白妙が、ひょこっと顔を出した。ショーケースがあるから、子供たちには白妙の顔は見えないみたい。
「今日は何にする?」
二人に問いかけると、背の高い方の少年――トオル君がショーケースに張り付いて「うーん……」と悩み始めた。そんなトオル君を横目に、小柄なリョウヘイ君は特に悩まず「三色団子! ひとつ下さい!」と私を見上げて注文してくる。
「かしこまりました! 今日はあんこ玉じゃなくていいの?」
「うん! 昨日お小遣いもらえる日だったから、今日はお団子にする!」
「はーい! 九十円になります」
リョウヘイ君におつりを渡している間も、トオル君はうんうんと腕を組んで悩んでいた。包んだお団子を受け取りながら「早くしろよ~」と催促されているのが微笑ましい。
「おれ、今度発売するゲームどうしても欲しいからさ。しばらくはあんこ玉! でもお団子うまそ~だなぁ」
リョウヘイ君はみたらし団子が大好物だっていうことは私もよく知っていた。でも、欲しいもののために好きなものを我慢するのを見て、小さいのに偉いなぁと思う。
「あんこ玉ね。十円になります。いつもありがとうね」
なるべく大き目のあんこ玉を見繕って袋に入れる。袋を手渡すのと同時に十円玉を受け取ると、その銅貨は少年の手のぬくもりを残してほんのりとあたたかかった。
「行こうぜ!」
「よっしゃ、第二公園まで競争な!」
二人はお店の名前が印字された袋片手に、勢いよく店から飛び出していく。小さな二つの背中に向かって、「気をつけるんだよ~!」と声をかけると、二人は振り返りあいている方の手をあげた。今朝までの天気の悪さが嘘のように、晴天の輝きが道路を照らしている。
その後もおなじみの子供たちがひっきりなしに来店し、町の防災無線から定時チャイムが鳴り響くころには、あんこ玉と三色団子は売り切れてしまっていた。
――カラスと一緒に帰りましょう~
私が定時チャイムに合わせて口ずさむと、いつの間にか店のショーケースの前に佇み、売れ残りをじっと眺めていた白妙が瞳を瞬かせた。
「カラスといっしょ?」
「うん。“夕焼け小焼け”っていう童謡なの。子供たちに早く帰りましょうって伝える歌、かな?」
「帰る?」
「そう。明るいうちに、家族が待ってる家に帰りなさいって……」
「かぞく……」
白妙には、家族という言葉が理解できないみたいだった。その事実が、胸をちくりと刺したけれど。でも、こればっかりはどうしようもないことだった。
「今はね、白妙」
「……?」
「今は、この家が白妙の帰る家だよ」
「帰る家? さほがいる、ここが帰るところ?」
「そうだよ!」
もしかしたら、少し無責任な言葉だったかもしれない。でも、どこか寂しげな白妙の様子を見ていたら、そう言わずにはいられなかった。同い年くらいに見えるトオル君やリョウヘイ君と白妙が決定的に違うのは、同じ時間を共有する明確な相手がいるか、いないかだと私は思う。あの子たちには家族がいて、友達がいるけれど、白妙にはそういう存在がひとつもないから。
だから、私が傍に寄り添ってあげたいんだ。
「うん。わたし、出かけたらここに帰るね」
「そうそう! ちゃんと待ってるからね。いつでも」
「うん!」
出会ってまだ浅い時間の中で、私はすっかり白妙の笑顔を見るのが大好きになっていた。花が咲くようなこの笑顔を見るためなら、なんでもしてあげたいと思うくらい私は白妙が大好きになっていた。
無垢なこの子供に対して抱く気持ちを、どう説明すればいいのか分からない。母性、と言われればそうなのかもしれないし、家族愛、兄弟愛、と言われればそれも当てはまる気がする。きっと全部が合わさった“いとおしむ”気持ちなんだろうな。
真剣にそんなことを考えていたら、ぐぅ~~~という間の抜けた音が二人分重なる。今ここにいるのは私と白妙だけ。お腹の虫は、私たち二人のお腹から響いてきた。
「お腹空いたね」
「お腹すいた」
「売れ残り、つまんじゃう?」
今日中に食べなければいけない菓子を集めていくと、それは結構な量になる。やっぱりあの荒天のせいでいつもよりは客足が伸びなかったらしい。
「食べたい!」
白妙がぴょんぴょんと可愛らしく飛び跳ねているのを穏やかな気持ちで追っていると、突然お店の引き戸がガンガン! と派手に叩かれた。私はその音にびっくりしてしまい、びくっと体を震わせる。清彦の叩き方にも少し似ていたけれど、ちょっと違う気がした。
「ごめんください、ごめんください」
外から声がするのに、すりガラスにシルエットが浮かばない。何か妙な違和感と警戒を感じながらも、私は少しずつ引き戸に近付いていった。白妙も私の背後から外の様子を伺う。
「こんにちは、こんにちは。ここに白妙様がいらっしゃると伺ったのですが……」
からから、と乾いた音を立てゆっくりと戸を開けていく……と、すぐにそんな声がした。けれど視界にはなにもなくて、私は目の前の見慣れた通りをくまなく見渡す。
「だ、誰ですか?」
「ここです。下です!」
「えっ!?」
下、と言われて、私は慌てて視線を下げていく。そうして目に飛び込んできたのは、幾人かの“小人”だった。そう、小人だ! 私の膝下くらいしか身長がないし、二、三歳に見えるけれど、やたらと風格がある。
いる、という表現が果たして正しいのかどうかよく分からないけれど――本当に小さな人間が私の足元にわらわらといた。見たこともない青い木の葉でできた不思議な服を揃いで着ていて、同じような丸顔の小人が……ひい、ふう、みい……九人。有り得ない。
「ど、どなた……ですか?」
ようやく搾り出した声は、我ながら情けないほど間の抜けた声だった。
「ぼくらは、木の子です」
「……えっ!? キノコ!?」
「食べるキノコではなくて、木の、子供です」
「……ええ!?」
もう、どう言葉を返していいのかさっぱり分からないので、私は口を噤み「木の子」たちを観察することにした。
よく見れば、ひとりひとり顔が少しずつ違っている……気がする。ただ同じ服を着ていて、何かを話すときも、ほぼ全員同じタイミングで同じことを話す。それがとても不思議だった。
「ぼくらは、龍福寺にある大杉に住む妖です」
「龍福寺の大杉? そういえば前に、樹齢四百年をこえる有名なご神木があるって耳にしたことはあるけど。龍福寺っていうお寺の名前は初めて聞いた」
「そうです。ぼくらは大杉を守る妖です」
全員で話されると、それなりの音量になってしまう。そこまで人通りのある通りではないけれど、人目がちょっと気になったのもあって、私は木の子たちを店の中に招き入れた。ばらばらの動作で九人の小さな小さな来客者が全員入店したのを確認して、私は店の扉に「本日終了」の看板をかける。これで一応は大丈夫だろう。
さて、何をどうすればいいのかな、と悩んでいるうちに、木の子たちは白妙を見つけるやいなや、わらわらとその周囲を取り囲んだ。
「おお、白妙様! お噂はかねがね……!」
「うわさ?」
「そうです! 白妙様の目覚めを喜ばない者はいません。今の御名もとても素敵です」
私も木の子が話す内容がさっぱり理解できなかったし、それは白妙も同じのようだった。目を白黒させて木の子たちの勢いに圧倒されている。
「……白妙様。まさか、記憶が……!? それにぼくらと似通った愛らしいお姿! お力も感じられません……。一体これは?」
その時、私は香島先生が言った言葉をふと思い出す。
「どこかに力を封じられているのか。そういう呪がかかっているのか」
私の言葉を聞き、木の子たちは一斉に私を振り返った。
「どういうことですか?」
「それは私にも分からないの」
こんがらがる頭を整理しようとしたまさにその時、全員のお腹がぐぅっと鳴る。そう言えば白妙と残り物をつまもうとしていたところだった。私は店舗の一部にあるお客様用の椅子と机に向かい、団子や豆板、そしてあんドーナツの入ったバットをどんと置く。
それに釣られるようにして、木の子たちは今度は机を取り囲んだ。
「どれも美味しそうですね! 甘くいい香りです」
目をきらきらさせて嬉しそうにしているのを見ると、心がほっこりとする。白妙もその輪の中に自然と溶け込んでいた。
「お茶いれてくるね。甘いものを食べたら少しは頭の中が落ち着くかな……」
バットの中身を真剣に見つめる小人と白妙を残して、私はお茶の用意をした。




