やま
お米に水を吸わせている間に、ふき味噌の準備に取り掛かった。まずは清彦のおばあちゃんがくれた大量のフキノトウを、流しで丁寧に洗い汚れを落としていく。
お鍋のお湯が沸騰してきたので、重曹をひとさじ入れてから弱火に。半分は天ぷら用に取っておき、半分を包丁で縦に切っていく。切ったそばから黒ずんでくるので、ここは手際が大事だ。
全て切り終え、沸騰した湯にざっとフキノトウを入れる。二分茹でてザルに上げ、水に十分ほどつけておく。茹でた後の湯はアクで真っ黒だ。
「さてと、三十分たった。よし、土鍋ご飯も炊き始めよう」
しっかり水を含んだ土鍋のお米を火にかけ始める。土鍋でお米を炊くときは音をよく聴くことがとっても大切。それから火加減。
父と香島先生と白妙の三人は、ちゃぶ台の置いてある座敷に座ってお茶を飲んでるみたい。今か今かと待ちわびている様子が伝わってくる。
茹でたフキノトウからは、ほろ苦い独特な香りがした。小さな頃は苦手だったけれど、今は春を感じる大好きな香りだ。
我が家のふき味噌は、口当たり滑らかにするためすり鉢でよくするのがポイント。茹でて水を切ったフキノトウは綺麗な萌黄色をしている。それを粗みじん切りにしてからすり鉢に入れてペースト状にすると、深い春の緑が広がっていく。
「ここに味噌、砂糖、みりんを加えて、と」
さらにすりこぎでよく混ぜればふき味噌の完成だ。うーん、美味しそうにできた。白米にのせて早く食べたい。
あさつきの酢味噌和えを小鉢によそってから、風通しの良い場所に置いてあるぬか床の蓋を開ける。昨日漬けておいたキュウリと人参と大根をいくつか出してさっと水洗い。端っこを切って味見してみると、なかなか良い漬かり具合だった。
「そろそろかなー」
沸騰した後、軽めの音になって来たので火を弱める。お焦げが付くように少しだけ長めに火にかけ、十分くらいしてからコンロの火を止めた。炊き立てご飯の優しい香りが辺りに満ちていく。
朝ご飯の支度をほぼ終えた頃、台所の柱の陰からこちらを見る気配を感じた。銀色のさらりとした髪で、誰なのかはすぐに分かってしまう。
「……白妙?」
名前を呼ぶと、頭がピクッと揺れた。おずおずと姿を現した白妙は、いつの間にか淡い若葉色の着物を身にまとっていた。
「その着物、どうしたの?」
「……着替えてこいと言われたから、自分で出したの」
「じ、自分で……?」
「うん」
「そ、そっか」
深くは突っ込まない方が良いみたい。
「これ、なんのにおい?」
「これ……って、ふき味噌?」
「このみどりの。変なにおい」
白妙は刷毛目の丸皿に盛り付けたふき味噌を見ると、うっと口を押さえた。私もそうだったけど、小さい子にこの香りはキツイのかもしれない。幼い頃は苦い食べ物が嫌いな子も多いものね。
「私もお父さんも先生も、このふき味噌が大好物なのよ。白妙も大きくなったら好きになるかもしれないよ」
「大きくなったら? さほみたいに?」
「うん。大きくなったらね」
私を見上げてくる目は純真で、キラキラしていて眩しいくらい。素直な好意が伝わってきて、私も自然と笑顔になってしまう。
「ね、白妙。朝ご飯をみんなの所に持っていきたいから手伝って?」
「手伝い?」
「そ。お箸をみんなの分持って行って。あと小皿もね」
お盆の上に用意した箸を見せると、白妙は少し考えてから「うん」と頷く。
二人で隣の部屋へ朝ご飯を運び始めると、父や先生も並べるのを手伝ってくれたので、あっという間に準備ができた。
丸いちゃぶ台を四人で囲んで、私たちは手を合わせた。
「頂きます」
「頂きまーす!」
「? いただ、きます?」
白妙も見よう見まねでそう手を合わせるのを微笑ましく見つめながら、私は早速ふき味噌を炊き上がったばかりのお焦げいりご飯にのせた。春のご飯だ。
「うーん! 咲穂の作る朝メシは最高だな!」
「お味噌汁も付け合わせも、ぬか漬けも美味しい。ふき味噌は言わずもがな! 土鍋ご飯なんて久しぶり過ぎて感動だなあ……」
大の大人二人が口々に絶賛してくれるので、なんだか恥ずかしくなってしまう。うん。でも確かに土鍋ご飯、たまにはいいかも。いつものお米が一層美味しい。
白妙を見ると、びっくりするくらい食べ方に気品があった。お茶碗を片手にしながら、お箸づかいがとても綺麗。そんな優美な仕草でお焦げのあるお米を一口パクリと食べて、白妙はみるみる目を大きく見開いた。あ、これは。
「おいしい!!」
白米だけなのに、とっても美味しそうに咀嚼して嬉しそうな笑顔を見せてくれる。私は心が温まるのを感じた。
そうやって、私たちはしばらく和やかに談笑しながら朝ご飯を食べる。いつもは父と二人だけれど、二人増えるとこんなに食卓が賑やかで楽しくなるなんて思ってもみなかった。なんだか嬉しいな。父と二人だと、どうしても菓子作りのことばっかりになってしまうから。
白妙はぬか漬けが気に入ったみたい。きゅうりをぽりぽりと食べながら白米を頬張っている。結構食欲があるらしく、すぐ一膳食べ終えてしまい、空になったお茶碗と私を交互に見比べた。
「そういう時はね、おかわり! って言うの」
「おかわり?」
「そうよ。ご飯もっと食べたいんでしょう?」
「うん。おかわり」
白妙の食欲につられるように、父も香島先生もしっかりおかわりした。そうして全員のお皿が綺麗になり、私はあたたかいお茶をみんなの湯飲みに注いで回る。あ、白妙のふき味噌はしっかり残ってた。
「ご馳走さん! さて、と。片付けは俺がやるからな。咲穂、少し休んだら店の前の掃き掃除、頼んだぞ。それじゃ先生、ゆっくりしてってくれ」
父はそう言うと、全ての食器を芸術的に重ねてお盆に並べ、そそくさと台所へと消えてしまう。お店の開店までにすることがたくさんあるから、あまりゆっくりとはしていられないのだ。
お腹が満たされた白妙は、お腹をさすりけふっと小さく息を吐く。食べすぎかな? 苦しそうだ。
「なにか、聞きたいことがあるんじゃない? 僕に」
香島先生が食後のお茶をすすってそう言う。私は白妙から先生に視線を移して、小さく頷いた。聞きたいことや疑問は山ほどある。そもそも、全てを知っているような雰囲気と落ち着きはどこから来るのだろう。
「先生は、白妙が人じゃないって分かるんですか?」
「あぁ、そうだね。まずは“僕”のことを話さなきゃいけないかな」
「……?」
先生は眼鏡をくいっと上げ、満腹でうつらうつらし始めた白妙を見やる。
「僕はね、神さまのつかわしめなんだよ」
「えっ……、何ですか、それ?」
「神のつかわしめ、神のみさき、神使ともいうね」
「……先生が、ですか?」
「そう」
言葉がよく分からなくて、私はスマホを取り出して「神のつかわしめ」で検索してみる。すると、『神の使い。神社に祀られている祭神の使者と考えられている特定の鳥獣のこと』と記されていた。
「え? ということは、先生も人ではないっていうことですか?」
「まあ、そうなるね」
「えっと……。えっと、特定の鳥獣ってあるんですけど……」
「僕は鹿だよ」
「し、鹿!?」
もう、訳が分からない。ちょっと理解が追いつかなくて、私は混乱する頭をなんとか整理しようと四苦八苦する。
「人の世に紛れた異端だけどね。僕の神は、とある事情で神社にいないから。今はフリーなんだ」
「フリー? って、え?」
「僕みたいに人の世に紛れる神使はよくいるんだよ。神がいなくなった神社もたくさんあるからね」
「……でも、先生は昔から香島診療所でお医者様をしてて。え? いつから“つかわしめ”なんですか?」
「さて、いつからだろう。僕も忘れちゃった」
のらりくらりとした性格は元からだけれど。明かされた真実を、私はどうにも受け入れることができない。だって先生は、自分の知る限りずっと“先生”だったから。風邪をひいたときには甘めのお薬をくれたり、予防注射をしてくれたり。間違いなく“人間の先生”だった。
「それ、父も知ってるんですか……?」
私の問いかけに先生は一瞬口ごもったけれど、「うん」と肯定した。その一瞬の間が気になったけれど、私は気を取り直して深呼吸する。
「……白妙は、先生から見てどうなんでしょう……?」
「うん。記憶がないっていうのが引っかかるんだけど、白妙ちゃんは神様かもしれないね。こういう見た目の妖や鬼を見たことがないし。ただね、力を全く感じないんだ。神力というやつなんだけど」
先生は舟を漕ぐ白妙の頭にそっと触れ、何かを感じるように瞳を閉じた。しかししばらくすると頭を振って目を開ける。
「うーん、やっぱり何も感じない。どこかに力を封じられているのか。そういう呪がかかっているのか。僕は所詮つかわしめだから、白妙ちゃんの力を元に戻すことはできない」
「……なら、その力を戻すことができれば、記憶も戻るって言うことですか?」
「そうだろうね」
「どうしたらいいんだろう……」
腕を組んでうんうんと悩み始めた私に、先生は努めて明るく笑う。
「そう悩まなくても、案外解決の糸口は吸い寄せられてくるかもしれない。白妙ちゃんがここにいるってことは、すぐに神使や妖に伝わるだろうからね」
「……先生、物騒なこと言わないでください……」
「ま、大丈夫さ。昔っから寛ちゃんはそういう出来事を引き寄せる性質で、色々慣れてるし耐性もあるからさ。何かあれば寛ちゃんが何とかしてくれると思うよ。僕も近くにいるし」
父がそんな性質だったなんて初耳だ。これは父にもちゃんとあれこれ聞かなければ、と私は決心した。