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ほし

 名前のない白い子供は、私の作ったあんドーナツをぺろりと平らげてしまった。私は一個食べれば結構お腹が膨れるのだけれど。この子は違うみたい。

 竹製のすのこの上に並べたあんドーナツをじっと見つめてから、物欲しそうな視線を送ってくる。つぶらな瞳が訴えていることに気がついてはいたけれど、そこは店員としてぐっと我慢。


「あのね、これは売り物だから、おかわりはできないのよ。ごめんね」


 そう言うと、子供はきょとんとして可愛らしく首を傾げる。


「うりもの?」

「そう。和菓子とかお団子とかあんドーナツを売っているお店なんだ。楽しみにしてくれてるお客さんがいるの」

「あんドーナツ、うりもの」

「そうよ。他にも父さんが作る豆板もね、近所の子供たちに大人気なんだよ。お団子も美味しいよ!」

「まめいた? おだんご……」


 ますます首を傾けてしまう子供に、私は苦笑した。

 言葉だけじゃ伝わらないよね。それもそうだ。この子は生まれたての赤ちゃんみたいなものなんだから。


「お店に行ってみようか。体は大丈夫? 辛いところとかない?」

「だいじょうぶ」

「そっか。良かった」


 さすがにあんドーナツだけでは栄養が偏っちゃうから、あとでご飯もちゃんと用意してあげなくちゃ。そう思いながらも、私はゴム手袋をはめてから大き目のバットにあんドーナツたちを移していく。その作業をじっと観察する視線を感じながら。


「さ、行こう」


 私はあんドーナツを並べたバットを抱えると、子供を連れ工場と厨房を抜けて店舗へと向かう。暖簾をくぐると、レジで父が釣銭の準備をしていた。


「おっ、咲穂。……なんだ、起きたのか! おうおう、元気そうじゃないか! 」


 すぐ私たちに気づいた父が豪快に笑う。白い子供はびっくりしたみたいで私の後ろにさっと隠れ、恐る恐る父の様子を伺っていた。


「もう! 父さん。急に大きな声ださないでよ。びっくりしてるじゃない」

「おう、すまんな。しかし、珍しい色の子供だよなぁ。銀色の髪に真っ白な肌。とてもこの世のものとは思えん」

「……変なこと言わないでってば」


 子供はますます緊張してしまい、私のエプロンの裾をぎゅっと握りしめてくる。父はいつだってマイペースで、豪胆で。こういう独特な強引さに、私もつい引きずられてしまう。


「その子、腹減ってないのか?」

「うん、さっき二人で出来立てのあんドーナツ食べたところ。今八時半? これ並べ終わったら朝ごはん作るから」

「そうか。朝飯、今日はお前の当番だったっけな」

「ハムエッグでいい? あと小豆ホットケーキ」

「俺は白飯な。あともずく」

「はいはい」


 ぐぅーっと可愛らしい音は、私の背後から。振り返ると、お腹に手を当てて不思議そうな顔をする子供と目が合った。


「あらら。ドーナツだけじゃ足りなかったかな! これ終わったらご飯作るからね!」


 父は売り物のお団子やら最中やらを丁寧に並べ終え、腰に手をあてた。


「今日は天気も悪いし、こんなもんかな」


 季節と天候を見て、その日の売り物の種類や増減を決めるのはもちろん父の仕事だ。今日は全体的に少なめ。春の嵐で風が強く、まだ雨も降り止まないからそれも仕方ないと思う。


「午後には上がるといいなぁ、雨」

「そうだね」


 子供はいつの間にか店側のショーケースの前で腰をかがめて、綺麗に並べられた和菓子を無言で見つめていた。あ、指くわえてる。お腹空いてるんだ。見た目も仕草も可愛すぎる。


 私もガラスのショーケースの中にあんドーナツを並べ終えたので、子供を連れて自宅の台所へ向かおうとした時、ドンドンドン! と店の戸が叩かれた。この無遠慮な叩き方を、私はよく知っていた。


清彦(きよひこ)ね……」


 小さくため息を吐いて、私は戸の鍵を外す。するとすぐさま、ガラッと勢いよく戸が開いた。


「早く中入れてくれよー! 雨凄いんだぜ!」


 傘を畳んで中に入ってきたのは、やっぱり思った通り幼馴染の清彦だ。私の一歳歳下で高校二年生。明るめに染めたツンツンの髪は、雨に濡れてもツンツンしたままだ。かなりしっかりスタイリングしてあるみたい。大きな垂れ目とそんなに高くはない鼻が、マルチーズっぽいと女の子に人気なのだそうだ――本人曰く。


 黒い通学用のリュックは、肩紐をかなり伸ばして背負い、ブレザーを着崩した格好で、大きなビニル袋を手に持っている。校則の緩い白桜(はくおう)高校男子の定番の着こなしなんだって清彦は言うけど、清彦みたいな格好をした生徒を他で見たことがなかった。


 ポタポタと雫の垂れるビニル袋をずいっと突きつけられて、私は「なに、これ?」と首を傾けた。


「婆ちゃんに、糸原さんとこに持ってけって言われてわざわざ寄ったんだぞ。糸原のおっさんの大好物!」


 お婆さんのモノマネをしつつ手渡されたビニル袋の中には、若草色のコロンとした春の味覚が山ほど入っていた。清彦の家の裏山には、この時期たくさんフキノトウが生えてくる。小さな頃は二人でよくお婆さんの手伝いでフキノトウを採ったり、筍を掘ったりしたものだ。


「おっ! フキノトウじゃないか。清彦、わざわざありがとな! 帰りにまた店に寄ってくれ。婆ちゃんに特製のどら焼き作っておくから」

「おっさん、ありがと。婆ちゃん喜ぶ」

「清彦、蕗味噌も作っておくよ」

「うぇっ! 俺は苦手だけど、婆ちゃん好きだから仕方ねぇ……ってか、こいつなんなんだ!? どこの子だ!? 白! 白くね!?」


 清彦は、ようやくそこでショーケースの端に身を隠して恐る恐るこのやり取りを見ていた白い子供に気づいたらしく、大げさに目をまん丸くした。


「あんまり大きな声出して怖がらせないでよ。今日の早朝に、実は店の裏で拾ったの……」

「……はぁっ!? 拾った!?」


 やばくね? と子供に近づいてしげしげと観察する清彦を、子供もおっかなびっくりしながら見つめている。


「おいお前、名前は?」


 しゃがみ込んで目線を合わせた清彦が、子供に遠慮なく問いかけた。ヤンキー座りの清彦と、白い子供はしばらく見つめ合っていたけど、少しして「名前、ない」と子供は小さく返事する。


「名前がない~!? なんでだ?」

「……わからない」

「これ、警察連れてかなきゃダメなやつだろ」


 あ、そうだ。すっかり失念していたけれど、警察に行くのが一番だよね。意外と常識人な清彦に、私は少し感心した。


「名前ないのかー。そっかー」


 清彦は腕を組んで一瞬目を瞑る。そして目を開けると神妙にこんな歌を詠んだ。


――田子(たご)の浦にうち出でてみれば白妙(しろたえ)

 富士の高嶺に雪は降りつつ


「百人一首じゃない。懐かしい」

「よく対戦したよなぁ」


 小学校の頃、私たちの通う竜覚寺台小学校では校内行事として百人一首大会が行われていた。百人一首がどうしても覚えられない清彦に、私がスパルタで教え込んだのも懐かしい思い出だ。


「お前、白妙(しろたえ)っていう名前どうだ? なんかお前のこと見てたら思い浮かんだ」

「しろ、たえ?」

「そ。白妙っていうのは、まぁ、真っ白な布のことだ」


 適当な説明だったけれど、確かにこの子を呼ぶ名前は欲しかったし、それに「白妙」という名前はぴったりな気がする。


「いいね、白妙。ね、父さん!」


 私たちのやり取りを遠巻きに見守っていた父は、私の言葉に破顔した。


「いいんじゃないか? 清彦の言う通り、警察にも捜索願い出てないか聞かにゃならんし。交番の田中さんに後で話に行ってくるか」


 清彦は「糸原家はあんまり気が回らないからなー」と失礼なことを呟いてから、つるりとした顎に手を当てる。


「むしろシロでよくね?」

「なんかペットみたいじゃない……」


 白い子供は、再び沈黙してしばらくじっと何かを考えていたけれど、大きくひとつ頷いた。


「わたし、白妙。シロという名前、すき」


 名付けられた子供――白妙は、とても嬉しそうに微笑んだ。その笑顔は、まるで降り続く雨が止み、さぁっとが光が差し込むような、美しくも輝かしいものだった。

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