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しまいに

 夏に向けて「店頭に並べる新しい商品を一から考えて作ってみろ」と父に言われたのは、あの不思議な出来事が起きてから二ヶ月ほど経った暑い日のこと。

 朝の仕込みを終えた後、スケッチブックに夏の新商品のイメージ絵を描いていた私は、ふと手を止めて考え込んでいた。


 あの日、「ここだけ一足早く春が来たみたいだね」とあたり一帯を見渡して香島先生が言った、あの景色が忘れられない。


 曙色の朝日が、波止部の大桜を彩る満開の花びらに降り注ぎ、細く温かな雨が大地と沼に音もなく落ち続ける。その優しい水滴で花々や草木が潤い、生き生きと風に揺れていたーーあの春の景色。


 私たちは言葉もなく立ちすくみ、その景色に魅入っていたけれど。


ーーそこに、白妙はいなかった。


 どこを探しても、名前を呼んでも、白妙がそれに応えてくれることはなかった。


 大龍と佐保姫は一体どこへ消えていったんだろう。大龍は小龍の一部だったんだから、大龍と白妙はひとつに戻ったーーそう考えるのが普通だと思いながらも、それが腑に落ちないような、それで納得したくないような、複雑な気持ちだった。




ーーさほ!




 私を呼ぶ、あの稚く柔らかな声が今でも作業場の入り口から聞こえて来そうで…。

 その声に振り返れば、ひょこっと顔を出して私の様子を伺ってくる、あの可愛らしい姿が見える気がして…。


 小さかった白妙が、少しずつ力を取り戻し、背が伸び、青年となっていったこと。今思えば驚きの連続だったけれど、どんな白妙であっても、私はきっと白妙を大好きになっていたと思う。


 そこここに今でも残る白妙の気配は、私にとってその存在がすでにかけがえの無いものになっていたのだと教えてくれた。


「おい、咲穂。進捗はどうだ?」


 ふいに父の低く厳しい声がして、私は現実に引き戻される。父は大きなバットを抱えていて、そこには山ほどの草餅と柏餅が敷き詰められていた。

 季節は春を通り過ぎ、端午の節句の時期だった。


「また考え込んでたのか」

「…うん。ごめん」

「まぁ…俺も白妙がいなくなって、寂しいから。なんだかあいつがいるだけで、家の中が明るかったよな」


 父はそう言うと、作業台にバットを置き、透明のパックを取り出して、柏餅をテンポよく詰め始める。

 私もそれにならい、父の正面に立ってパック詰めを手伝った。


「可愛い春の嵐だったな、あいつは」


 父の言葉には、悩みも悲しみも全部ひっくるめて包み込んでしまう、不思議な大らかさがあった。私はとても素直な気持ちで頷く。


「そうだね。また、白妙と一緒にあんドーナツ食べたかったな…」


 誰よりも美味しそうに、私のあんドーナツを食べてくれた白妙。美味しそうな笑顔を思い出すと、ずきんと胸が痛む。


 たとえもう会えなかったとしても、私は白妙と過ごした日々を忘れない。忘れることなんてできなかった。


(だから、前を向かなきゃ)


 私は目の前の柏餅と草餅を、父に負けない速さでパックに詰めていく。無心に同じ作業を繰り返していると、頭の中に夏の新作和菓子のイメージが浮かんできた。



***



“話したいことがある”


 仕事を終え、全ての片付けを終えて一息ついたその夜、そんなメッセージが清彦から届いた。

 私は自分の部屋で、和菓子のスケッチを続けたけれど、手を止めてスマートフォンを見た。


“どうしたの?”


 すぐ返信があり、私はその内容に目を丸くした。


“佐保姫の夢を見たんだ。「あなたを古い輪転から解き放った」って”


“どういうこと?”


“俺もわかんねー…けど、確かめたい”


“確かめる…ってどうやって?”


“お前、あの鈴まだ持ってるだろ”


 鈴ーー何のことだろうと少し考えて、私は木の子がそれを竹藪に投げ入れた場面を思い出した。もちろん鈴は大切にしまってある。この引き出しの中の小箱に。


“メグリガミ様に会いにいくのね”


 私は小箱を取り出して、蓋を開ける。そこには少し古びた鈴が入っていた。


“咲穂も、聞きたいことがあるだろ”


 清彦の「何でもお見通し」というような得意げな顔が想像できすぎて、私は小さく笑ってしまう。


“うん。私も行きたい”


“なら、決まりだな”


 小さな安堵と不安が入り混じった複雑な気持ちでスマートフォンを置く。メグリガミに何を聞けばいいのか。聞いてどうするのか、何も分からないけれど。


 このもやもやした気持ちを少しでもスッキリさせるために、私は清彦と久しぶりにごぶくろ池へと向かうことになった。



***



 夏のごぶくろ池は、湧水がこんこんと湧き出ていてそこだけが少し気温が低く、蒸し暑さの中のオアシスみたいだ。


 前に来た時はまだ肌寒かったのに、季節はあっという間に移り変わる。

 清彦は私が用意した重いリュックを代わりに背負うと、顔をしかめた。


「今日のリュックもやたら重いな」

「そりゃそうだよ。今回は柏餅スペシャル。メグリガミさまに新しい味を試してもらいたくて、白餡と抹茶餡といちご餡も作ってみたの」

「まじかよ。それもう柏餅じゃなくていろいろ餅じゃん」


 そんなやり取りをしながら目的の竹林の前に到着すると、私は斜めがけのサコッシュから小さな箱を取り出した。

 緊張しながら鈴を持ち上げ、清彦を見る。清彦はうん、と大きく頷き私が鈴を鳴らすのを待った。



ーーーシャラン……



 いつか聞いた鈴の音が、シンと静まり返る竹林に響く。その時わずかに風が動き、笹の葉をさらさらと揺らした。


 私はもう一度、さらに一度、鈴を鳴らす。すると少し空間が歪んだような不思議な感覚とともに、メグリガミの祠の前までいつの間にか移動していた。


「わ! 急にびっくりした!」

「前は竹林の中歩かされたのに、今回は特別か?」


 景色が急に変わったので私たちは驚き、キョロキョロとあたりを見回す。


 そう、以前私は竹林の中で転び、常闇に飲み込まれそうになった。あの時の恐怖があったから、メグリガミの場所へ行くのが正直なところ怖かったのだけど…。


「省略してくれたんならありがたいけどな」


 清彦は私の気持ちを代弁するようにそう呟く。私もホッと胸を撫で下ろした。


「よし、じゃあこの祠にお供え物をして、と」


 清彦に背負われたリュックから三段のお重を取り出すと、私はそれを恭しく祠の前の小さな木の台にお供えし手を合わせた。


「メグリガミ様、どうかお目通りください」


 隣で清彦も私に合わせてパン!と手を合わせる。作法が合っているのか分からないまま、何となく手を合わせたまま願っていると、辺りの空気がふっと変わり、どこからか品のある香りが漂ってきた


「ふむ。そなたらか」


 厳かで鋭い声音が聞こえ、目を開けると、祠の裏から美しい青年の姿をしたメグリガミがゆっくりとこちらに向かってくるところだった。


「そうだ、お前は柏餅作りの名人であったな! おお、今回もこんなにたくさん!」


 メグリガミは目ざとくお供え物を見つけると、その場にしゃがみ込み、大事そうにお重を抱えた。そして私たちを振り返り、手招きする。


「こちらへ。そなたたちには私からも話すべきことがある」


 メグリガミの動きに合わせて周囲の景色が歪み、再び私たちはその堂内へと導かれた。メグリガミは寝殿造の上座へと移動し、私たちは前と同じように畳の上に座る。そばに重箱を置いてから、優雅な仕草で円座に座ったメグリガミは、どこからか扇を取り出して口元を隠すと「さて…」と呟く。


「まずはお前たちの話を聞こう」


 私たちは緊張しながら顔を見合わせた。清彦がまずは俺からだ、というように自分の顔を指差す。

 清彦は決心するように空気を吐き出した。


「俺は妖狐だった。これからもこれまでも、それは変わらないはずだった。でもこないだ夢の中に佐保姫が出てきて言ったんだ。俺を“解き放った”って…。それは一体どういうことなのか、教えてほしい」


 メグリガミは扇をパチンとたたみ、片方の手でトントンと扇を鳴らす。清彦のことを見透かすように見つめてから、「そうだな」と口を開く。


「そなたの魂は、輪転の回帰から、己の輪廻へと戻った。はるか遠い過去、お前が佐保姫と結び、大龍がそう定めた楔。佐保姫の魂を守るという長い使命から解き放たれというのは、真であろうな」


「じゃあ! …じゃあ俺は、これからどうなるんだ?」


 突然告げられた真実に、清彦は声を抑えられない様子で問いかけた。メグリガミはすっと目を閉じ清彦の言葉を受け止める。


「そう焦るでない、お前の魂は変わってはおらぬ。お前の妖狐の力も完全に失われたわけではない。だが、この先の生、そして死した後の輪廻は、お前の今世の生き方次第だ、ということよ」


 清彦は分からない、というように頭を振ったけれど、メグリガミは「若いのう」とその様子を楽しむように笑う。


「お前を縛るものはもうないのだ。清彦よ。自由にお前の人生を生きよ。お前のようなまっすぐな命の輝きは、私には羨ましい」


 最後はメグリガミの本心が見え隠れし、私は胸を押さえた。清彦の魂の解放とは対照的に、永遠に変わることのないメグリガミの存在は、幽玄であり、圧倒的な孤独を感じさせた。


 当の清彦は、頭を抱えてうーん、と唸っていた。珍しく深く考え込む清彦から視線を私にうつし、メグリガミは私を見据え言った。


「さて、咲穂。お前が知りたいのは白妙のことだな」


 私は心を見透かされ、はっと目を見開く。そんな私を眺めながら、メグリガミは重箱の蓋を開けると、綺麗に並べられた柏餅から一つ手に取り、口に入れた。


「やはり、お前は柏餅作りの天才であるな」


 あっという間に一つ食べ終えて、メグリガミは満足そうに頷く。「残りは後でゆっくり味わうとしよう」と言い置き、言葉を続けた。


「白妙の行方は私にも分からぬ。大龍と一つになった気配もないのだ。大龍と小龍がわかたれてから、長すぎる時が流れた。お前たちのおかげで、今や大龍の怒りは収まり、この地が再び大龍の保護に入ったことは喜ばしいことだがな」


 メグリガミでさえ、白妙が今どうしているのかわからないという。私はがっかりして肩を落とした。



「落ち込むでない、咲穂よ。お前の中にあった佐保姫の魂は無事昇華したようだが、佐保姫の力が皆まで消えたわけではない。お前の作り出すお菓子には不思議な力があるのだ」


「ど、どういうことですか?」


 メグリガミは柏餅の入った重箱をそっと撫でながら穏やかに微笑む。


「魂を癒す力、とでも言おうか。特にこの餡子には魔を退ける力もある。これからも作り続けよ。さすれば見えてくるものもあろう。…ついでに、時々は私にも供物として届けてくれると嬉しい」


 最後、少しだけ戯けて話すメグリガミは、神ではありつつも、私たちにとても近い存在のように感じた。私は「もちろんです」と強く頷く。

 私のお菓子に力があるなんて信じられない。でも、私の作るお菓子が誰かを幸せにできればいい、という願いは、お菓子職人を目指した時から何も変わらない。それが人でも妖でも、神様でも。


「すべては今まで通り、ということなんですね」


 私の言葉に、メグリガミは「その通り」と言いながら扇を広げ優雅に動かした。


「我ら神は、お前たちを見守り続けるだろう。社や祠から。そしてあらゆる万物に宿り、守り続ける」




ーーしまいにーー




 私は試行錯誤しながらも、ようやく夏の新作和菓子を作り上げた。京都発祥の和菓子「水無月」を少しアレンジしたもので、三角形の白い外郎生地の上に手作りした小豆の蜜煮、さらにその上にまん丸い白玉をのせた。

 一般的な水無月の他に、抹茶生地のもの、甘納豆をのせたもの、フルーツをのせたもの、と好みに合わせて楽しめるように数種類作り上げ、父に味見してもらう。


「ふうん、なるほど水無月にしたのか」


 父は三角の水無月を小皿にのせ、まずは形をチェックする。フォークで弾力を確かめるようにしてから、口の中に入れた。

 私にとってはあんドーナツ以外ではじめて一から全てを準備し、作り上げたお菓子。緊張しながらも父の様子を伺う。


「この小豆は自分で煮たのか?」

「うん、みりんと砂糖で。2回煮詰めたよ」


 ふむ、と神妙な顔つきで父は味わい続け、一つ食べ終えるとペットボトルの水を飲む。さらに抹茶味、甘納豆、フルーツと全ての味を試してからフォークを置いた。


「なるほどな。うん。小豆の柔らかさ、甘さは文句なし。外郎の生地は上新粉と白玉粉だな。本葛にしなかったのには理由があるのか?」

「混ぜ物のない本葛を見つけるのが難しかったのと、子供も安心して食べられるグルテンフリーで作りたかったから。色々試したけど、私は上新粉と白玉粉を三対一で作るのが一番いいと思った」


 私の説明に、父はうんうん、と納得したように頷く。


「上にのった白玉は? 意味がある?」

「いろんな食感を楽しめるかな、と思って白玉をのせたのと、あともうひとつ意味があって…」


 私の脳裏には、白妙と出会ったあの春の嵐の夜の場面が浮かんでいた。空から落ちてきて、私の足に触れたあの美しい白い玉。


「これは、白妙なの。白妙と過ごして一緒に並んでお菓子作りをした日々のこと。白妙との思い出をひっくるめて、このお菓子を作ったんだ。だからこの和菓子の名前は『水無月ー白妙ー』にしようと思う」


 私は自信を持ってその『白妙』を作り上げた。これから来る白妙のいない夏に向けて。白妙と過ごした日々を忘れないように。


「水無月というお菓子の由来は、調べたみたいだな」

「うん。一年の折り返しにあたる六月の終わりに、半年の間に起きた罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈る「夏越祓(なごしばらい)」という神事があって、その時に食べられてきた古い和菓子だよ。三角形は暑気払いの氷をイメージしていて、上部の小豆は悪魔払いの意味があるって。この和菓子を見つけた時、これを作りたいって思ったの」

「そうか。お前の思いのこもった『水無月ー白妙ー』いいんじゃないか。夏の新作はこれで行こう」


 私は父からのゴーサインを聞いて「やった!」とガッツポーズする。「今年の夏は猛暑だっていうから、かき氷もやるか!忙しくなるぞー」と父は笑顔で店先へと向かった。


 新作を作りながら、この半年の間に起きた様々な出来事が胸を去来した。

 これまでの私の人生は、例えるなら一滴の水のようなもの。でも私という存在を肯定してくれるいくつもの過去があったからこそ今があり、それを積み重ねていくことこそが、生きる意味なんだと過去たちは教えてくれた。

 水滴が何年もかけて大河になるように、私はとても大きな流れの中にいる。

 白妙の背中から見た、龍みたいな印波沼。そうだ、私はきっとこれからもこの場所で龍に見守られて生きていく。



「ーー白妙」



 私は和菓子を空に掲げ、大好きなその名前を呼ぶ。


(また、いつか…。一緒にお菓子、食べようね)


 心の中で白妙に呼びかけると、白妙が私ににこっと笑ってくれたような、そんな気がした。




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