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えの

 父が危惧していた通り、香島先生の運転は…スリリングだった。私は車の車種に詳しくなかったけれど、走り出した瞬間の加速が思いの外早くてびっくりしたし、細い路地も結構なスピードだったのでハラハラが止まらない。


 やがて助手席の清彦が車酔いし、私も胃がムカムカし始めたけれど、白妙だけはこの乗り心地が気に入ったようだ。初めての車での移動にとても興奮して、窓から見える移ろう景色を食い入るように見つめている。


「車って動くのが早いね。外には色んな家があって、人もたくさんいるんだね。わぁー」


 なんて事のない普段の景色が、きっと白妙にとっては輝いて見えるに違いない。私と清彦は、窓の外を見る余裕はなかったけれど。


 その緩急のある運転に耐えること二十分。田舎道は大して混雑もせず、予定より早く私たちは龍福寺に到着した。


「着きましたよー。って、あれ?」


 お寺の駐車場に車を停めた香島先生は、サングラスを外し私たちに声をかけたけど、私と清彦はすぐには動けなかった。そんな私たちを見て「あらら。車酔いかな?」と悪びれもせず言う。


「酔い止め飲んどけば良かった…」


 そう愚痴り、ぐったりとしながらも清彦は車から降りると後部座席の扉を開いて白妙を呼び寄せた。


「ほら、白妙。着いたって」

「うん、楽しかった!」


 無邪気な白妙は、浅葱色の作務衣の裾を直しながら、うーんと体を伸ばす。私も遅れて車から降りると、荷物を背負って龍福寺の入り口を探した。


「あ、入り口はあっちみたいだね。お、木の子たちがいる」


 香島先生と同じ方向を見ると、古びた黒塗りの仁王門があり、そこへ向かう数段の階段には、すでに見慣れつつある小人たちが集まっていた。その門の左奥には巨大な杉の木が存在感たっぷりに葉を茂らせている。


「白妙さま、こちらです、こちら」


 木の子たちがととと、とやってきて、白妙を導くように手招きする。私は白妙の手を取り、木の子たちの後に続いた。

 仁王門前の両側には同じような形の灯篭らしきものがあり、それらが“六道輪廻”を表す「六観音」「六地蔵」だと香島先生が教えてくれる。特に龍福寺という名碑もなく、仁王尊像についての看板があるだけだった。


「皆々様、ようこそおいでくださいました」


 大杉のそばにクサビラが佇んでいたことに気づき、「お邪魔します」と咄嗟に返事をすると、クサビラは深く頷いた。相変わらず仮面の下の顔は見えなかったけれど、優雅な動作で胸に手を当てて、白妙に一礼した。


「白妙さま、こちらの地蔵堂に貴方様の腹部が祀られております。ただ、この龍福寺は過去何度も焼失しており、こちらにある全ては再建されたものです。腹部もまた然り。すでに現存してはおりません」


 丁寧な言葉遣いでそう説明され、私と清彦はがっかりしてしまう。龍角寺には「龍の頭だったもの」が確かに封印されていて、私達はそれを実際に目にしたから。


「腹部が残ってないとなると、白妙の力は戻らないってことか?」


 清彦が疑問をそのまま口に出す。その“過去の遺物“に小龍の記憶や力が刻まれているのだとばかり思っていたから、清彦の疑問は私の疑問でもあった。

 私たちは仁王門の階段を上がり、阿吽の像を両脇に見ながら門を潜った。中に足を踏み入れると、そんなに広くない境内には立派な梵鐘があり、奥に存在感のある赤い屋根の建物が見える。


「いや、そうでもなさそうだよ」


 クサビラの代わりに、香島先生がそう答える。どういうことですか、という質問は口から出てこなかった。あの時と同じように、白妙が光に包まれ始めたから。


「白妙!」


 私は前回のことを思い出し、隣で次第に繭玉に包まれていく白妙を見て取り乱してしまう。でも白妙はとても落ち着いていて、私を見上げるとにっこり微笑んだ。


「大丈夫だよ、さほ。心配しないで」


 私を安心させるようにそう伝えてくる白妙は、妙に大人びて見えて心がざわめく。


「白妙さま!」


 白妙の変化に木の子たちも遠巻きに戸惑い、各々に騒がしく白妙の名前を呼んだが、香島先生や清彦、クサビラは押し黙り静かに見守っている。

 白妙はやがて柔らかそうな繭玉に包まれた。そのまましばらく静かに浮遊していたが、一呼吸おいて地蔵堂へと向かっていく。

 香島先生は白妙を目で追いながら、腕を組み口を開いた。


「龍の遺物に力が封じられているというより、この場所に小龍の一部が落ちたことこそ重要なんだ。土地には万物の力が宿っていて、地脈の――龍脈ともいうけど――生気溜まりには人間の記憶やエネルギーが集まる。ここはちょうど地脈の穴なんだ。小龍の力がここで守られてきたのは間違いないだろうね」


 香島先生はそう語りながら、神妙な顔つきで地蔵堂を見上げる。と、ほぼ同時に、龍角寺の時と同じような細く強い光の柱が、地蔵堂の屋根から天に向かって伸びていくのが見えた。


 気がつけば、繭玉となった白妙は地蔵堂の中へと姿を消していて、どうしようかと思った矢先、空が突如陰り、ひと時あたりは暗くなる。雷鳴のような低い轟きが響きわたり、私は自然と鳥肌が立つのを感じた。


 そこにいた誰もが周辺の空気や雰囲気が変わったことに気づいていた。恐ろしげな轟きはしばし続いていたが、雨が降る様子はない。


「あ、あれ!」


 清彦が驚いた声をあげ、地蔵堂を指差す。私たちがその指の示す先に見たのは、いつの間にか開け放たれていた地蔵堂の扉から、一人の美しい少年が歩いてくる姿だった。


 白妙――に間違いなかった。年齢にすれば、十五歳くらいだろうか。まっすぐな銀髪は胸の辺りまで伸び、白い着物の上に浅葱色の羽織を着て、迷いなくこちらに向かって来る。


 どこか幼さを残しつつも、清廉とした雰囲気を身に纏い、白妙は私の前までやってきた。菫色の瞳の輝きは変わることなく、真っ直ぐに私を見据える。視線はちょうど同じくらいの位置になっていた。


「さほ」


 名前を呼ばれた時、私は雷に打たれたかのように動けなくなってしまう。私は白妙を…この人を知っていた。そう、白妙は、確かにあの人の一部だった。


 私は記憶の奔流に再び飲み込まれていく。それに抗うことは難しく、この土地の記憶の一部となっていくのを感じていた。



***



 あとどれくらい行けば、目的の場所に辿り着くのか。体が鉛のように重い。病はわたしを確実に蝕んでいて、呼吸はいつも浅かった。

 都を出立したあと、何日も牛車(ぎっしゃ)に揺られ続け、弱った体がさらに弱まっていくのがわかる。道なき道を行く振動で節々が痛んだが、それでも、わたしのためについてきてくれた乳母や従者たちに、弱音を吐くことなどできなかった。


「姫様、そろそろ休憩しましょう」


 乳母の杉慈(すぎじ)の優しい声に、わたしは顔を上げる。物見から外を伺えば、もう見飽きてしまった田舎道の風景がまだまだ果てしなく続いていて、自然とため息が溢れ落ちた。


「少し外の空気を吸いませんか?」


 気乗りはしなかったが、車箱の中に押し込められた身体が悲鳴をあげている。少し動く必要があると判断し、わたしは杉慈に「降ります」と返事をした。


 わたしが降りるとなると、舎人(とねり)やら牛飼童らが、忙しなく支度を始める。しばらく待っていると(すだれ)が微かに揺れ、杉慈の白い手が差し伸べられた。慎重に箱車の簾を持ち上げ、用意された台に足を置くと、左右の手を従者がさっと取りわたしの体を支えた。


 先導していた随身(ずいじん)が馬から降りて水を与えているのを見ながら、わたしはゆっくりと足を動かす。箱を引いていた牛に「ご苦労様」とねぎらいの声をかけ、わたしは近くの大木の木陰に用意された休憩場所へと移動した。


 都を出る時には二十人余りいた従者たちは、ひとり、またひとりと数を減らしていき、今では指に数えるほどしか残っていない。それほどまでに坂東への道のりは厳しく、希望がなかった。逃げ出した者たちの行方を追うことはせず、わたしはただ、父である帝の願い通り、彼の地へ辿り着くことだけを願うばかりだった。


「ねえ、杉慈。帝が仰った薬師如来は本当にわたしを救ってくださるのかしら」


 病が治ると夢でお告げを受けた帝は、わたしを下総の地へ下向させたけれど、わたしはそれが到底真実とは思えなかった。


「ええ、ええ、もちろんですとも。姫様は救われるのだと、主上がおっしゃっていたではありませんか。主上の枕元で龍神様がそう囁いたそうですよ。心配せずとも、明日には目的の郷に到着する予定です。さすれば、全てが良き方向に向かいますから」


 わたしが不安がるたび、杉慈は熱心にわたしを元気づけてくれた。杉慈がいなかったなら、わたしはこの旅路を続けることができなかっただろう。


「やっと着くのね」


 美しく華やかな国府と違い、政の行き届かない化外(けがい)の地である坂東へ向かう道中は、化け物は見当たらなくとも、もの寂しく心細い。はるか続く道を移動してきて思うのは、都以外の場所はほとんど寂れているということだった。


 ともかく、明日。ようやく目的の場所へ辿り着く。そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなった。


 夜が明け、最後の力を振り絞るよう休みなく進んだその日の夕暮れ前。わたしたち一行は、長い旅路の果てにようやく印波沼のほとりにある小さな郷に到着した。


 薬師堂は、豊かな水をたたえた印波沼を見下ろす丘の上にあった。都の寺社仏閣のような荘厳さを想像していたが、その薬師堂はあまりにも質素で小さくみすぼらしい。


 さらには、人家も少なくまばらで、村里と呼ぶにはあまりにも貧しい。まばらな人家から恐る恐る出てきた人々もまた痩せ細っており、都から来たわたしたちが、彼らの目にどう映るのか、不安がよぎった。


「これはこれはなんと。生きているうちに、このような高貴なお方と会いまみえることができるとは…。失礼いたしました。私はこの郷の長でございます」


 到着と同時に少しずつ人々がまばらに集まって来る中、一人の老人が進み出てきて平伏する。帝が末の姫をこの地に下向させたという風の噂は、わたしたちが到着するより前に伝わっていたらしい。


「お顔をあげてください村長殿。わたくしは帝の思し召しにより、この地に遣わされた不破内親王(ふわないしんのう)と申します。またの名を松虫姫とも。今日この日より、この地に祀られた薬師堂のかたわらに草庵を結びたいと考えております。お許しを頂けますか」


 もちろんですとも、と村の長は快く請け負い、薬師堂の脇で住むもののいなくなった質素な庵を与えてくれたのだった。


――そうして。


 わたしは来る日も来る日も、この草庵で薬師仏へ祈り続けた。晴れの日も雨の日も風の日も、雪舞う凍える日も、朝夕と祈りを欠かさず、一心に願い続けた。わたしはこの仏に縋り付くより他なく、その祈りこそが、わたしの生きる証すべてだった。


 祈る日々の中で、わたしと同じようにこの地へ辿り着いた乳母や従者たちは小屋を構え、貧しい民へ都での知識――裁縫や機織り、養蚕など――を教え伝え、人々との交流を深めていった。


 そしてわたしも、ある時は傷を負った狐を拾い、草庵へ連れ戻ったり、ある時は不思議な銀髪の品ある老爺が訪ねてきて、共に祈ったりしながら、日々を少しずつ充実させていく。


 草庵には次第に訪ね来る人や、猫や狸などの生き物が遊びに来たりと賑やかになっていった。小さな変化はあれど、大きな障害はなく、数年の月日をこの地で過ごすうち、わたしの体からはすっかりと病が抜け落ちたのだった。


 わたしが全快したことを、杉慈や従者たちはいたく喜び、さらには都の技術を教わった里の女房や若い娘たち、そして子供らも今ではわたしたちを慕って共に喜んでくれた。


 しかし、その数年。わたしの体が全快することと相反するように、雨がいつからかぴたりと止み、土地は少しずつ、枯れ果てていった。


 土地が枯れれば、作物は育たない。沼も干上がっていき、まずは沼の魚が消え、村の家畜たちも次々と倒れていく。やがて、旱魃(かんばつ)は村の人々の命までをも脅かすようになった。


「姫様。都にはすでに姫様のお体が回復したという知らせをお届けしております。じきに迎えも来るでしょう。この地のことは我らに任せて、姫様は都へご帰還ください」


 杉慈をはじめ、わたしと生活を共にしてきた従者たちは迷うことなくそう言ってくれたが、わたしはこのままこの地を去りたくはなかった。


 どうにか、雨を降らせるすべを見つけなくては。わたしの心は固く決まっているのだった。


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