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おふ

 沈丁花(じんちょうげ)の花の香りが消え、梅も咲き終わる頃になると、清彦は高校の進級やらイベントごとが重なったようで忙しくなり、店にはしばらく顔を見せなくなった。

 何度かメッセージのやり取りをして、香島先生とも予定を合わせながら、あと二つのお寺を巡る日を決めると、いよいよなんだ、と緊張が高まる。


 気の早い庭の牡丹の花が蕾を綻ばせていたその日の早朝、絲原製菓店は普段の和菓子に加え、春のお彼岸のためのおはぎ――春だから「牡丹餅(ぼたもち)」――作りに忙殺されていた。


 この前父が抱えていたのは、小豆の大袋と白いんげん豆の袋だったようだ。小豆は煮てあんこにしておき、牡丹餅用に分けておく。父は炊いておいたもち米を、めん棒でいい塩梅にすりつぶしながら「白あんは上手く仕上がりそうか?」と話しかけて来た。


 普段なら、業務用の白あんを買って来て最中を作ったり饅頭を作ったりするのだが、今年は北海道の知り合いから良くできた白いんげん豆をもらったと父は嬉んでいて、手作りの白あんを作ることになった。


「白あんで何作る?」


 私は白あん作りを任されていたけれど、実際何を作るのか聞いていなかった。父は「最中とどら焼き、饅頭といちご大福あたりか。時間があったら練り切りも」


 春のお彼岸と秋のお彼岸は普段よりも年齢層の高いお客様が多い。しばらくは季節のものとしておはぎメインの商品に加え、渋めのラインナップだ。

 私は頭にしっかりとターバンを巻き、早速白あん作りの準備を始める。白あんはこしあんと同じくらい手間がかかるから、工程をもう一度確認するため、自分用ノートをこっそりと開いて確認した。


 たっぷりの水に一晩漬けておいた白いんげん豆は、小豆よりもさらに大きく、一粒一粒がしっかりとしていてキラキラと輝いている。水の中に静かに沈んだ様は、まるで枯山水の庭の敷砂のようだ。


 鍋に新しい水と豆を入れて火にかける。沸騰してくると細かな泡とアクが浮かんでくるので渋きりし、一度綺麗に洗う。


 ここから二時間ほど時間をかけてゆっくりと煮ていく。常に豆がゆで汁の中にあるよう、水の量に気をつけながら豆が指でつぶれるくらい柔らかくなるまでゆでる。

 そこまでの工程を終えたころ太陽が昇りはじめ、白妙が眠そうな目を擦って起きて来た。


「さほ、何作ってるの?」


 着崩れた寝巻き姿のまま、ぼんやりと私に近づいて来た白妙に白湯を用意してあげてから、私は茹で上がった豆を大きなざるに移す。


「白いあんこを作ってるんだよ」


 白妙が「しろ」に反応して、私の手元を覗き込んできた。


「本当だ、いつもは茶色だけど、今日の豆は白いね」


 嬉しそうに見上げてくる白妙に、「顔を洗って着替えたら、手伝ってくれる?」と言うと、白妙は花が咲くように破顔し「うん!」と元気よく答えてくれた。

 早速支度を整え、自分で髪の毛を結い上げた完璧な白妙が「お手伝いする」と私の隣に並ぶ。

 私はひとまわり小さなボウルとざるに豆の一部を分けて、白妙の前に置いた。


「こうやって上から水をかけながら豆を丁寧にこすんだよ。結構力がいるから頑張って」

「うん!」


 まだ豆はほくほくと熱かったので、私たちはしゃもじでこしていく。大量の豆の皮を丁寧に丁寧に取り除いていくと、少しずつ滑らかな餡になっていくのがわかった。


「さほ、どうかな?」


 しゃもじを置いて、白妙はざるを一度通った餡を見せてくれる。「うん、良い感じ!豆が冷めてきたから、手でやろっか」


 私たちは下のボウルに残った豆の中身を、水と一緒にこし器に通し、細かな皮を取り除いていく。ここで父お気に入りの馬毛のうらごしを使うと、滑らかでキメの細かな仕上がりになる。


 うらごしした水とあんをしばらく置いておくと、あんだけが下に沈殿するので、濁った上水を捨てる。それを不思議そうに見ていた白妙が、水を流すのを手伝ってくれた。すっかり私の優秀な助手だ。


 何度かそれを繰り返すと、ようやく白生あんができあがる。ここから白こし餡にするには、グラニュー糖と水で沸騰させたところに白生あんを加え、焦がさないように炊きあげるのだが、私と白妙はさすがに少し疲れてしまって、一休みすることにした。


「おう、うまくできたじゃないか! 白妙もお疲れさん!」


 私たちの作業を遠くから見ていた父が、大きなバットに並べられた牡丹餅を透明パックに詰めながら声をかけてくる。


「お腹すいただろ。余ったぼたもち食うか?」


 父の申し出を一も二もなく受け入れて、私たちは工場の机に並んだ色とりどりの牡丹餅に目を輝かせた。


「つぶあんにきなこ、黒すりごまに、おすすめは青のりだ!」

「美味しそう! 青のり、すごく良い香りだね」

「こないだ清彦んとこのばあちゃんに教えてもらったんだけど、これがなかなか合うんだよ」


 私は早速煎茶を淹れ、お箸と小皿を並べる。白妙にどれ食べる? と聞くと、白妙は悩みすぎて選べない、といった様子で私を見上げて来た。


「私と半分こして、全部味見する?」

「うん、さほと半分こする」


 父の作る牡丹餅はかなり大きめなので、一つ食べたらかなり満足してしまう。でもどの味も少しずつ食べたかったから、私たちは牡丹餅を半分に切り、四色餅のような感じでお皿によそった。


「いただきます」

「いただきます!」


 まずは普通のつぶあん。

 甘さ控えめだけど、つぶつぶともち米の粒の食感がたまらない。砂糖の入ったきな粉は品良い味で煎茶との相性が抜群だ。すりごまはプチプチとした感触と香ばしさがあり、なんといっても青のりは、もち米との相性なら一番かもしれないほど美味しかった。ちょっと醤油をつけたら二度美味しいかもしれない。


 一気に食べ終え二人で満足げにお茶をすすっていたら、店の入り口の戸が何度か叩かれる音が聞こえて来た。父は「こんなに朝早く誰だろう」と店へ移動したので、私もそれにつられて店先へ向かう。


 店のショーケースには、すでに父が作り終えた牡丹餅とつぶあんのどら焼き、饅頭、あんみつ、水羊羹とわらび餅が並んでいた。


 入り口のすりガラスの窓に小さめの影が映り、「ごめんください」というしゃがれたお爺さんの声がした。父は「まだ開店じゃないんですよ」と伝えたが、「いえ、いえ、私は小龍さまにご挨拶に来たものです」と案外はっきりと返事がくる。


「白妙に?」


 私はそばに立つ白妙を見たが、白妙はその声の主を知っているような気配ではなかった。


「お父さん、どうする?」


 少しだけ不安を感じ父に問いかけると、「一応香島先生に連絡入れとけ」と私に言い置いてから、との鍵を外した。

「どうも、失礼いたします」


 しゃがれた声の主は、その声色どおり白髪、白鬚の老爺で、大きめの杖をつきながら店内へゆっくりと入って来た。表情はとても柔らかく、穏やかな微笑みを浮かべていて、切長の目と小さな鼻と優しげな口元が品の良さを醸し出している。まるで仙人のようだ。


「小龍様のお目覚めにより、わたくしもひと時、力を取り戻したゆえ、ご挨拶に参りました。白善清(はくぜんせい)と申します。白老(はくろう)とでもお呼びください」

「はくろう、さん?」

「ええ、そうです。小龍さま。なんとお懐かしい」


 白老と名乗った老爺は、目を潤ませながら白妙の手を取った。白妙はびっくりしていたけれど、怖がりもせず、老爺のされるがままだ。


「遠い昔、あなた様がこの浦に有り、人々を慈しみ過ごされていた日々の情景が昨日のことのように思い出されます」


 すらすらと淀みなく語る老爺の言葉に少し感じることがあったのか、白妙は小さく頷く。


「ほんの少しだけですが、覚えています」

「ええ、ええ。神仏と民がとても近くにあった、良き時代です」

 完全に置いてけぼりの私と父は、まるで孫とひいお爺さんのような二人の姿をほのぼのと見守っていた。香島先生と清彦にも一応状況を伝えてはみたが、返事はまだない。


「大龍さまは未だお戻りにならず、この地の信仰は衰えてしまいました。お供え物も…」


 再び語り出した白老爺が、ふとショーケースに並ぶ牡丹餅に目をやると、開いているのか開いていないのかわからないようなその細目がみるみる大きく開いていくのがわかった。


「おお!これは!わしの好物!!」


 突然豹変した老爺が、白妙から離れショーケースに齧り付いてしまったので、私たちは恐る恐るその様子を確認する。


「うん? あんこときなことごまと、これはなんじゃ?」


 すっかり牡丹餅に夢中になっている老爺に、父がおっかなびっくり声をかけた。

「良ければ召し上がりますか?」

「おお!良いのか!?それはありがたい!!」


 即答し、そそくさと近くの縁台に座ると、老爺は子供のように足をぶらぶらとさせる。私達は取り急ぎ煎茶とあんこの牡丹餅を用意して老爺に渡した。


 老爺はうやうやしく牡丹餅に手を合わせると、お箸も使わずに手づかみで勢いよく食べ始める。どこかで見たことがあるな、と考えて、メグリガミが柏餅を食べた時に似ているのだ、と気づく。


 一つ食べ終わり、また一つ違う味、もう一つとおかわりを続け、結局あんこを二個、ほかの三種は一つずつペロリと平らげた老爺がお腹をぽんとたたいて「うまかったー」と幸せそうに笑うので、こちらまで不思議と幸せな気分になる。


「わしが昔食べた牡丹餅は塩っけが強かったが、最近の牡丹餅は甘くて柔らかくていくらでもいけるわい」


 素材にはこだわっている父が嬉しそうにうんうん、と頷きながら、「お土産にお持ちになりますか」と提案すれば、老爺はぱっと立ち上がり、「もちろんじゃ!嬉しいの!」と目をキラキラと輝かせた。

 濃紺の風呂敷に牡丹餅を包むと、老爺は一つ咳払いしてから居住まいを正し、改めて白妙に向き直る。


「本日は小龍さまにお会いできて本当に良き日となりました」


 白老爺は柔和な微笑みを浮かべて、「良き場所にお住まいで安心いたしました。またぜひ伺わせていただきます」と言うと、杖をつきながら扉へと向かう。

 私はその小さな体を見送っていたが、老爺がすれ違いざま「ん? あなたは…」と私を見上げてくるので驚いた。


「おお、その魂に覚えがある。病が良くなって良かったの。よく食べよく動き、よく眠るんだよ」


 まるで旧知の中のように親しげに話しかけられ、私も父も白妙も訝しんだが、老爺はほっほっほっと朗らかに笑いながら去っていく。

 と、その時、清彦からメッセージが入る。そして老爺と入れ違いざまに香島先生が入って来た。ゆっくりとした足取りで歩いていく白老を凝視しつつ、香島先生は私たちの前で「あー、あのお方は薬師如来…白鳳仏権現(はくほうぶつごんげん)さまだ」とさらりと教えてくれる。


「龍角寺のご本尊なんだよ。知らなかったかな? 白妙が龍として自覚したから、挨拶しに来たみたいだねぇ」


 郷土史の内容もあって私の頭の中は大混乱だった。スマートフォンを見ると清彦から「どした? あとでそっちいくよ」と書かれていて妙にほっとする。話したいことが山ほどあった。

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