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すゑ

 人の体――厳密には人ではないかもしれないけど――が発光するだなんて、今まで見たこともなかったから、私はどうしていいか分からず取り乱した。無我夢中で白妙の体を掻き抱き、光が収まるように祈ることしかできない。

 そうこうしているうちに、白妙の体がだんだんと熱を帯びてきたことに気づく。白妙の体というより、その周りに柔らかな膜のようなものができて、まるで炊きたての小豆のようにふっくらとしているのだ。


「清彦! 白妙が…」


 助けを求めるように清彦を見上げると、清彦は別の方角を凝視していた。

 その視線の先には龍覚寺の本堂があり、その瓦葺きの屋根の一角から鋭い光が一筋立ち昇っているのが見えた。


「どうなってるの!?」

「こっちが聞きたいっての。でもこれは、本堂にもしかしたら」


 清彦が何かを感じ取り、本堂へ向かって走っていく。そうして迷いなく本堂の戸を開け放ち、中へ駆け込んだ。

 ますます熱を帯びる白妙を抱えて、私は動くことができないままでいた。

 しばらくすると清彦が堂内から、「こっちに来てくれ!」と私たちを呼んできたが、動けるわけがない。白妙は輝く絹糸のようなもので幾重にも巻かれ、繭のようなものになっていたのだ。


 反応のない私たちを見かねて、清彦が本堂から飛び出して戻ってくる。そのままものすごい勢いで大きな繭玉を抱えると、本堂へと舞い戻っていった。

 私も慌てて清彦に続き、その古めかしい本堂へと足を踏み入れる。


 堂内に入った瞬間、空気が変わるのを感じた。メグリガミに会いに行った導きの時のような、ピリッと張り詰めた雰囲気に、私はぞくりと身震いする。

 清彦は堂内の真ん中辺りで激しく輝いている箱の前に立っていた。箱は厳重に封を施されていたが、その隙間から眩い光が溢れ出している。


「これ、なに!?」


 私の問いかけに、清彦は恐ろしい言葉で返事をした。


「たぶん、龍の頭だ」


 私は絶句して、ただその箱と繭玉になった白妙を交互に見やる。


「おい! 白妙! しっかりしろよ!」


 繭玉の白妙に清彦は大声で声をかけた。何もできないのがもどかしくて、私は清彦に問いかける。

「私何したら良い!?」

 ややあって、清彦は私の目を真剣に見返してきた。

「さっき、この箱を開けようとしたんだけど、びくともしなかった。でも、もしかしたらお前なら開けられるかも」


――そんなこと、言われたって。


 どうやって? 私には無理だよ! そう言い返したい気持ちはもちろんあったけど、私は「やるしかない」とその時腹をくくった。

 触るのが怖いくらい隙間から光を溢れさせるその箱に私は躊躇(ためら)いがちに触れ、その表面に貼られていた古い文字の書かれた紙を一気に剥がす。何も考えず、体が動くまま、私はそうしていた。


「――あぁっ!!!」


 紙が剥がれ落ちた瞬間、箱の蓋はカランとその場に似つかわしくない軽快な音を立てて地面に転がり、繭玉の中から甲高い悲鳴が響いた。


「白妙!?」


 私が名前を呼ぶと、「…さほ、咲穂、――佐保!」と繭玉が呼応する。

 箱の中から、干からびた二本の角と、鋭い牙をもった動物の頭の骨のようなものが浮かび上がった。


「龍の頭だ!」


 先程とは違い、確信した声色で清彦が叫ぶ。二本の角を持ったその骨は、キラキラと粒子のようなものを撒き散らしながら、白妙に近づいていく。

 白く輝く繭玉が、ゆっくりと糸を解くように広がっていった。その中から白妙の澄んだ瞳が私を射抜くようにして輝いているのが見える。それを確かに見届けて、私は意識を手放した。



***



 ――姫、――保姫。


 誰かが私を呼んでいる。

 優しく深く、安心させてくれる懐かしいその声に呼ばれ、私の意識はゆっくりと浮上する。


 目を開けると、そこは一面の桜。春の祭事の舞は無事成功し、桜は今年も見事に花を咲かせた。


「佐保姫、目覚めたか」


 木の根元でつい眠ってしまっていた私の隣で、和琴(わごん)の余韻の響きのようなまろやかな低音が私の耳をくすぐる。


「少し眠ってしまったようです」


 隣を見れば、烏帽子(えぼし)に麗しい銀髪を一まとめにした礼装の男性が静かに寄り添っていて、私はその安心感にほっと息を吐き出した。


「緊張がとけたのであろう。佐保姫の春の舞は、何度見ても素晴らしいものよ」


 改めて眼前に広がる水面と、そこに映り込む青い空、そして桃色の花びらを見つめると、私の心はどこまでも晴れやかになる。


「春の嵐が来なくて良かった。こうして素晴らしい晴天なのは、あなたのおかげです」


 男性は少しだけ得意げに胸を張った。


「それは私の力だけでなく、佐保姫の素晴らしい舞と、民の親切心の賜物だな」


 私たちは顔を見合わせ、笑い合う。


 あなたと出会ってから何年の月日が経つのだろう。春を司る神の化身として、春の祭事を任されるようになった頃、あなたは突然私の前に姿を現した。


 はじめは不思議な男性だと思っていたけれど、いつしかとても大切な存在になっていった。


――でも、あなたは水の中に住まうもの。私は天に住まうもの。生きる時の流れ、種が違う。


 そのことが、私の心に少しずつ陰りを落としていった。



――――なぜだ! なぜ、そんなことを言う。



 場面が移り変わり、私は小さな堂の中で、先ほどの男性と向き合っていた。


「もう、無理なのです」

「なぜだ。理由を話してくれ」


 痛いほど、あなたの怒りが伝わってくる。同時に悲しみも。


 長い年月をあなたと過ごしたけれど、私は神の力を失いつつあり、代替わりの時期を迎えていた。


「私が力を失えば、私の命はそう長くはないでしょう」


 私の言葉一つ一つを聞き逃さないと言った様子で、男性は私に向かって一歩踏み出した。それにつられ、私は一歩後ずさる。


「代替わりが無事終われば、私は人里へ降り、生を全うして死ぬ」

「それがどうした。私はその全てを知っている。それが別れの理由になろうか」


 最後まで、と、あなたは言うだろう。私を包み込むように愛し続けてくれた、優しいあなた。でも、力を失った私は、おそらくはすぐに、若くはない衰えた姿になってしまう。


――あなたはいつも、私を美しいと愛でてくれた。でも、醜い姿となった私をあなたに見せたくなかった。


「さようなら」


 私は心を決め、あなたに背を向けた。背後から強い慟哭の気配がすることに、気づかないふりをして。


 堂を出ると、空は重い雲に覆われていた。


 その空を見て、あなたの心が深い悲しみと怒りに包まれていることを改めて知る。この空は、あなたの心そのものだった。


 私を追って、あなたが堂から出てきたと同時に、私の頬に一粒の雨が触れた。その、次の瞬間のこと。


 重い轟きと共に、私の体を鋭い一陣の風が貫いた。そして天から私に落ちてくる激しい雷の光。



――ああ、あなたは。


――私を許さなかった。




 そこで思考は途切れ、意識は私の体から抜け出し、空中に漂う。


「佐保姫、佐保姫!!」


 あなたの涙を、私は初めて見た。


 魂が離れた私の体を掻き抱き、あなたは強い悲しみと怒りに包まれていた。

 激しい雨があたりの地面を打ち付け始め、眼前の水面が幾重にも揺れる。そして、あなたは私をその場に残し、見たこともない冷徹な表情で天を仰いだ。



――わたしにはもう、このような感情は必要ない。



 地響きのような恐ろしい声でそう呟くと、あなたは雨の中、天に向かい変化していく。


 それはそれは、大きな龍だった。あなたは瞬く間に姿を変えると、蛇のように体をしならせながら天へ立ち昇っていく。

 淡く輝く鱗が雷鳴に反射し、その光と音に合わせるかのように、龍は大きく低い唸り声を響かせる。


 そうして雷鳴と唸り声は遠く遠くへ離れていき、やがて厚い雲の向こうへと姿を隠したあと、あたりはより一層激しい雨に包まれていった。


 水面のほとりで倒れ濡れそぼる魂を失った私の体のそばに、小さな光の残像があった。その残像はやがて像を結び、白装束の姿となる。




――白妙。




 私はその菫色の瞳を、確かに見た。


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