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ひと

 何かひどい言葉を口にしてしまいそうで、私は口を真一文字に引き結んだ。「言いたくなかった」という清彦に怒鳴りつけたかったけれど、そう思う清彦の気持ちも分からなくないから。白妙が落ちてきた時から、波紋は少しずつ広がっていって、こうなってしまう運命だったんだと言われれば、受け入れるしかないとも思う。

 清彦と言い合いをしたいわけじゃない。喧嘩になるのは嫌だ。


 色んなことが目まぐるしく自分の周りで起きていて、私の頭の中はすでにパンク寸前だった。理解しようと一生懸命考えようとするけれど、全てがさらさらと砂のように流れていって、頭の中は真っ白になってしまう。


 こんな時も、隣で白妙はもぐもぐとサツマイモの天ぷらを頬張っている。全てはこの子と出会ったことがきっかけだったけど、その姿と行動は、いつだって私を癒してくれていた。

 私はお茶を一口すすって、呼吸を整えた。


「……清彦と私は一応人間、なんだよね?」


 不安げに問いかけると、清彦は湯飲みをことりと置いて頷く。

「そっ。お前が生まれ変わるたびに、俺も人として生まれ変わる。そういう契約を俺が無理やり交わしたんだよ……昔のお前と。俺の中に妖狐の魂が眠ってるみたいに、お前の中にも“佐保姫”の魂が眠ってる。それだけだ」

「それだけ、って……」

「俺は、お前と一緒に育った幼馴染だ。昔の俺が考えてたことなんて、よく分かんね~」


 清彦はそう言いながら、自分の心臓の辺りに手を置いた。


「でもさ、ここで何となく感じる。咲穂のそばにいなくちゃだめだって。お前をちゃんと守ってやんなきゃ“今度こそ”って」

「今度こそ?」

「俺だって、全部の記憶がある訳じゃないけど。なんかあったんじゃねぇの? ……昔に」


 随分軽いノリで大事なことをサラッと言っている様な気がするけれど。でも、全部は覚えていないんだろうっていうことは何となく分かる。


 そっか。清彦は、清彦なんだ。


 どこまでが人間で、どこまでが妖なんだか分からないし、自分たちの昔のことなんて想像しようもないけれど。

 でも小学生の頃、男の子と喧嘩になった私のことを小さいくせに庇ってくれたり、カルタ大会で勝てた時泣きながら喜んでた清彦の幼い面影は、今でも微かに残ってる。

 例え、私と清彦の縁が遥か昔からの取り決めで必然だったとしても、私が清彦と過ごした子供時代は、私たちだけのもの。そう考えると、なんだか心のつかえが取れる様な気がした。

「記憶って、このまま曖昧なままなのかな。私、全然何にも覚えてないよ」


 何か思い出さないか目を瞑って考えてみたけど、特に変わったことは思い浮かばない。大好きなお菓子やあんドーナツはたくさん浮かぶのに。


「俺だって同じようなもんだし」

 私の考えていることを先読みするように清彦が言う。

「清彦はさ、自分の中にそういう魂? があるんだって、いつ気づいたの?」

 私が聞くと、清彦は腕を組んで「あー……」と言葉を濁した。

「え、なになに? 気になるじゃない」

「まぁ、そのうち話すって」


 なんでそんな言いづらそうにするんだろう。でも、清彦には清彦の考えや想いがあるんだろうな。私は追及したい気持ちを抑えて、「分かったわ」と応えた。


 お腹がいっぱいになったらしい白妙が何か物足りなさそうにしていたので、デザート用に用意しておいた水羊羹を切り分ける。清彦にも水羊羹を渡しながら、ふと思いついた疑問を口にした。

「ねえ、清彦はあの大きな狐にいつも変身できるの?」

 まさかそんなことを聞かれるとは思ってもみなかった、と清彦が驚いた顔になる。

「……いや。いつもじゃない。あれは特別」

 口に入れようとしていた水羊羹を皿に置き、清彦は困ったような視線を香島先生に送った。香島先生と父は黙って私たちのやり取りを見守っていたけれど、清彦の視線を受けて「それはねぇ……」と続きを話し始めた。


「清彦くんはかなり特殊でね。普通の妖孤なら、いつどのタイミングでも変化できるものなんだが。清彦くんの器は“人”だから。土地や場所、そして力の源となる神がそばに無ければ妖狐の姿にはなれないみたいだ」


 先生は指紋がついて曇っていた眼鏡に今気づいたらしく、白衣の裾で拭きながらそう答えてくれた。


「清彦くんのことを拾ったのはお琴さんだったね。雪の日に、小さな仔犬を拾ったって大騒ぎで。たまたまその日僕はお琴さんに届け物があってさ。僕らの目の前で、清彦くんは小さな男の子に戻ったんだ」

 お琴さんというのは、清彦のお婆ちゃんのことだ。私はその話を聞いて言葉を失った。てっきり本当の家族だと思っていたのに。


「咲穂……」


 そんな中、今まで黙って私たちの話を聞くだけだった父が、緊張した声で私の名前を呼んだ。


「なに?」


 父に目を向けると顔がこわばっていて、いつも厳つい顔が、さらに威圧感たっぷりになっている。


「お前に話さなきゃならんことがある」


 父の声が張り詰めているのが分かり、私はこれ以上何を話されるのか、不安になった。

 


 ***



 風の強い日だった。


 祖父から譲り受けた絲原製菓店で菓子職人としてようやく一人前になり、店の売り上げも安定してきたのは俺が二十七歳になる頃。

 俺は和菓子を含めた菓子作りに夢中で、毎日とても充実した日々を送っていた。


 腹の膨らんだ白く美しい女性と出会ったのは、紅葉した葉が舞い散る晩秋のことだ。


 月夜の綺麗な晩――満月の夜だったな――、その女性は店の戸を叩いた。俺は仕込みの最中で、はじめは気づかなかったんだが、何度も何度も戸を叩くのでやっと気付いてな。


 慌てて店の鍵を外すと、月明かりにぼんやり照らされた白い服の儚げな女性が立っていて、「少し休ませて下さい」と言ってきた。


 昔からこういうことはよくあったから、俺は気にせず店の中に入れた。外の空気はかなり冷たくて、その女性は微かに震えながら店の中に静かに入ってきた。


 見たこともないくらい、綺麗な人だった。少し茶色がかった真っ直ぐな長い髪をひとつにまとめていて、優しげな瞳が印象的な女性だった。


「お腹に、子供が?」


 つい気になってそう尋ねてしまったのは、女性のお腹が服を着ていても目立つくらいに突き出していたからだ。大きく膨らんだお腹は、男の俺から見ても臨月なんじゃないかと思うくらいだった。


「ええ……。もしかしたら、今夜産まれるかもしれません」


 女性の言うことにあんまりびっくりして、俺は何も言えなくなってしまった。


 これまでも、色んな不思議な経験をしてきたつもりだったけれど、それを遥かに超えた出来事だった。

 よくよく見て見てみれば、女性の顔色は悪く、時折くっと痛みに耐えるような様子を見せる。それでも気丈に振る舞っていて、健気だった。


「産まれる……って!」


 相当動揺してしまい、店の隅に置かれた長椅子に腰掛けた女性の前であたふたと右往左往する俺に、その女性は小さく笑って言った。


「大丈夫です。産むのはひとりでなんとかなりますから。ただ、ひとつお願いがあるのです」


 女性の喋り方には品があった。仕草も洗練されているように感じる。一体何者なんだろうと悩んでいると、女性が「一晩、お部屋をお借りできますか。ただ、絶対そこに立ち入らないで下さい。お願い致します」と頭を下げてくる。


 俺は何やらよく聞く昔噺のようだな、と思った。まぁ部屋を貸すくらいなら容易い御用だ。


「お医者さんとか、必要ないのか。本当に大丈夫なのか?」


 心配なので念を押したけれど、女性は逆に驚いたような顔をしてから小さく微笑んだ。


「お優しいのですね。やはりあなたを訪ねて正解でした。これからも、どうぞよろしくお願い致しますね」


 とても意味深な言葉だったけれど、俺はその笑顔の綺麗さに目を奪われてしまっていた。


 きっと、この女性は“人”ではないんだろう。話をして接すると何となく分かってしまう。それに、何故か自分はそういうものを引き寄せる体質らしかった。


 そういう巡り合わせの出会いがこれまであまりにも多かったから。


 でも“人”と“人でないもの”の違いというのは、案外曖昧なもので。人の世界に“人ならざるもの”は多く紛れ込んで生きているのを知っていた。

 だから、俺はこの女性のことも、そのまま受け入れようと思っていた。


 俺はその女性を和室のひとつに案内した。襖を閉める直前その女性が今にも消えてしまいそうなほど儚く見えて、俺はつい声をかけた。

「何の助けも、本当に必要ないのか?」と最後まで心配する俺に、その人はいつまでも優しく微笑み、そして最後は自分から襖を閉めた。


 その夜、女性はその和室で静かに一夜を明かした。

 翌朝、いつまでも開かない襖の前で腕を組んでいた俺は、突然けたたましく泣き始めた赤子の泣き声に腰を抜かしてしまった。

 慌てて部屋の中に入ると、一組の布団の上で、愛らしい小さな命が必死に泣き喚いていたんだ。



 ***



「それがお前なんだ、咲穂」


 長い話が終わり、父――父と呼んでいいのか、もう分からない――が私をじっと見てきた。

 その視線はゆるぎなく真っ直ぐで、淀みなかった。私は衝撃が大きすぎて、この事実をどう受け止めていいのか分からなくて、父の……父の視線から目を外した。


 なんで、私なんだろう。


 そして、なんで今なんだろう。


 私が私であること。それが足元からがらがらと音を立てて崩れていくような感覚だった。


「私……、私は……」


 言葉を交わそうとしたけれど、その言葉さえ紡げない。

 頭の中が真っ白で、何も考えたくなかった。


 私は無言で立ち上がる。それを見て、白妙が「さほ?」と心配そうな声を上げた。服の裾をつんと引っ張られたけれど、無意識にその手を振り払うように避けてしまう。


「ごめん……」


 その場にいるのが耐え切れなくて、私は足早に部屋を後にした。

 無我夢中で部屋から部屋へと移り、いつの間にか外へと飛び出した私を包んだのは、妙にひやりとした冷たい空気だった。ぶるりと体を震わせて空を見上げる。

 闇に包まれた空には、小さな金平糖のような輝きが散りばめられていた。大きく息を吸い込み、吐き出す。


――私は、誰? 人なの? 何なの?


 声なき声で空に問いかける。何の答えも返ってくるわけなんてない。分かっているのに、そう思わざるを得なかった。

 音のない世界で、静寂だけが私を包んでいた。

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