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こけ

 見慣れた場所に戻ってくると、不意にお腹がぐぅっと鳴った。精神的に安心したというか、空腹に今ようやく気が付いたというか。私は改めて、草の香りの漂う空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


 竹林を抜け、ごぶくろ池公園に出たところで香島先生は元の姿に戻った。「ありがとうございます」と頭を下げると、いつも通りのくたびれた白衣姿の香島先生は、少し疲れた表情をして私に笑いかける。


「咲穂ちゃん、重くなったねえ」


 感心してそんな風に言われたけれど、それは年頃の女性には禁句だと思う。ついついむすっとしてしまった私を見て、先生は慌てて両手を振る。


「子供の頃と比べて、だよ! そんな顔しないで!」


 その慌てっぷりがおかしくて、ぷっとふき出してしまった私に香島先生は目尻を下げた。


「今日は疲れたねぇ。清彦くんも、お疲れ様」


 私たちの後ろを大きな荷物を抱えて歩いていた清彦は、声をかけられて顔を上げる。


「……てない」

「……えっ? 何?」

 ぼそっと何かを呟いた清彦に向って聞き返すと、清彦は溜息を吐いてもう一度口を開いた。


「いなり寿司、食えてない!」


 今度ははっきりとした口調でそう言われ、何を言いたかったのか分かったものの、まさかの「いなり寿司」に拍子抜けしてしまう。同時にぐるるっと盛大な腹の虫が聞こえて、私は目をぱちくりさせた。確かに、お弁当を食べる暇もなかったものね。私だってお腹ぺこぺこだ。空いた手でお腹をさする清彦は、やっぱりいつもと同じ幼馴染の清彦だった。


「お土産もらったし、今夜は天ぷらにするね! 皆でご飯にしましょ」


 天ぷら、という言葉を聞いて、先生は「野菜天丼にして!」と強請り、清彦は「俺はとりあえずいなりを食う」と低く呟く。


 “いつも通り”というのがこんなに嬉しいなんて。ああ、白妙はどうしてるだろう。


 いろいろな事実を知ったけれど、白妙は白妙だ。そして、きっとお腹を空かせて待っている。私は私ができることをするんだ。そう決意すると、少しだけ心が軽くなった。



***



 夕暮れの空は、水色と桃色の水彩が混じり合い輝いている。筋状の雲を見上げ、温度の下がってきた空気を頬で感じながら、私は「ただいま!」と元気よくお店の引き戸を開けた。


 店内に父の姿はなく、藤色の着物を着た白妙がたたっと駆け寄ってきて「お帰りなさい!」と出迎えてくれた。私はそれが嬉しくて相好を崩す。


「ただいま!」

「遅かったね。それにすごく疲れてる?」

 心配そうに首を傾ける白妙に、私は「大丈夫よ」と微笑んだ。強がっているのではなくて、白妙を見たら本当に元気になったのだ。


「お腹空いたでしょ。すぐに支度するね」

 私が言うと、白妙は「あ、ご飯はおじさんが作ってるの」と返してくる。

「あれっ? 今日は私の当番だったけど」

「疲れて帰ってくるだろうからって。テンプラ、ってどんなご飯?」

 うきうきと興味津々な様子の白妙をびっくりしながら見下ろすと、綺麗な瞳とぶつかった。

「夕飯が天ぷら! すごいシンクロだわ」

 まさか自分が考えていた献立と一緒だとは思いもせず、私は店の奥へと目を向ける。奥の方から微かに油が跳ねる音が聞こえてきた。


「じゃあ、私も作るの手伝おうかな。お土産に筍とタラの芽を頂いたから、それも揚げちゃおう。白妙、明日の朝は筍ご飯だよ」

「タケノコごはん?」

「うん、絶対気に入ると思う」

「楽しみ」


 白妙は、すっかり私と父が作るご飯やお菓子が大好きになっていた。苦手なものは今のところ生魚と蕗味噌くらい。特に好きなのは、私が握った塩むすびだった。手の込んだものより、そういうシンプルな作り方の食べ物の方が好きみたいだ。塩むすびは料理と言えるのかな。でも塩むすびなら、白妙もそのうち上手く作れるようになるかもしれない。


 私は清彦からお土産を受け取ると、その重さに辟易(へきえき)しつつ店の厨房の奥の扉へと向かった。



***



 筍の下処理は大きな鍋さえあれば大丈夫。

 まずは穂先を切り落とし、残りの身がすっぽり入る大きさの鍋に筍を入れる。筍がかぶるくらいの水を入れたら、一握りのぬかと赤唐辛子を一本加え強火にかけ、じっくり一時間ほど茹でる。茹で上がれば、灰汁が抜け柔らかく風味豊かになって、保存もきく。

 ぬかがなければ重曹で代用してもオッケー。

 バター醤油で焼く筍ステーキは贅沢でとっても美味しい。でも一番はやっぱり筍ご飯。この季節にしか食べられない旬の味だ。


「よし、終わった」


 最後のかき揚げを揚げ終えた父が、油の火を止めてうーん、と伸びをした。天ぷらって、結構疲れるんだよね。調理台の上には揚げたての天ぷらが彩りよく並んでいる。父に頼んでタラの芽も揚げてもらった。とても美味しそう。粗熱が取れた天ぷらを敷き紙が引かれた大皿に移していく父は、本物の料理人みたいだ。まあ、和菓子職人だから近いと思うけれど。


 片付けを始めた父の横顔を盗み見ていたら、視線に気づいたのか「なんだ?」とこちらに目を向けて来る。

「うん、揚げ物お疲れ様」

 そう労いつつも、心中では違うことを考えていた。


――父さん、私今日凄くおかしな体験をしたんだよ。闇の世界に紛れ込んだり、メグリガミの住んでいる場所へ連れて行かれたり。それに、香島先生と清彦がね……。


 次から次へと言いたいことが溢れていくけれど、その量があまりにも多すぎて言葉にはならない。聞きたいことが多すぎて……、でもそれはどう考えたって突拍子過ぎるから。父ならきっと受け入れてくれるだろうけれど、それでも気軽には問いかけられなかった。


 微妙な表情をしている私の傍に近づいてくると、父は大きくて分厚い手のひらを私の頭の上にぽんっとのせる。私が迷ったり悩んだりしているといつもこうやって頭に手をのせられた。じんわりとあたたかい父の手が、私は大好きだ。

「分かってる。お前が考えていることくらいな」

 父は私を見下ろして、見透かしたようにそう言った。そんなことを言われると思わなかった私は面食らってしまう。

「これまであやふやにしてたことを、ちゃんと話す日が来たんだな。お前ももうすぐ二十歳(はたち)だし。もう一人前だからな」

 しみじみとそう言い、父は生えてきた無精髭に触れる。


「でも、とりあえずは腹ごしらえだ」

 父の言うことは最もだった。小さく頷いたその後すぐに、背後で筍の鍋が噴き零れる音がした。



***



 白妙が混じるようになったいつもの食卓に香島先生と清彦が加わると、さらに騒々しく窮屈になる。

 でもこうやってわいわいと賑やかにご飯を食べることができるって、すごく貴重だし嬉しいものなんだと、私は最近ようやく実感している。


 大き目のちゃぶ台には、豪華な天ぷらが鎮座していた。白妙はサツマイモの天ぷらが気に入ったみたいで、そればかりずっと食べていたし、香島先生は、先ほどの注文どおり用意した野菜天丼に夢中だ。そして清彦は、私がお弁当用に作っておいたおいなりさんをガツガツ口に放り込みつつ、片っ端から天ぷらを制覇している。


 私もみんなの食欲につられて、まずは旬の味覚であるタラの芽の天ぷらを皿によそった。


「いただきます」


 皆から少し遅れて手を合わせ、私は早速タラの芽に少しのお塩をかけて口にする。棘があっても、天ぷらにしてしまえば全然問題ない。今食べたタラの芽は芽を出したばかりの柔らかな部分で、優しい甘みが口いっぱいに広がった。今度は大根おろしの入っためんつゆで食べてみる。これはこれで大好きな食べ方だ。


「抹茶塩もあるぞ。前にお客さんから頂いたものなんだが、天ぷらによく合うんだ」


 父の一声にすぐさま反応した香島先生と清彦は、父の手から奪うように抹茶塩の入った瓶を取る。少しだけ早かった香島先生が先に抹茶塩でかき揚げを一口食べた。するとすぐさま、「これは良いね!」と目を輝かせた。

「確かに、美味いなぁ」

 海老天に抹茶塩を付けて食べた清彦も感心して呟く。「これ考えたやつ、天才だろ!」と言いながら、いなり寿司をもう一個口に放り込んだ。


「まっちゃ、じお? なんだか苦そう……」


 私たちが緑色の粉で天ぷらを食べる様子を見て、白妙は眉根を寄せた。「これは大人の味かなぁ。白妙もそのうち美味しく食べられる日が来ると思うよ」と微笑むと、白妙はにっこり笑って再びサツマイモの天ぷらにかぷっと噛り付いた。


 だいぶお腹が落ち着いてきたところで、私は急須にお茶を用意してみんなの湯飲みに淹れて回る。「ありがとな」「ありがとう」「さんきゅー」「あ、ありがと?」とそれぞれからお礼を言われ、小さく笑いながら私も自分の湯飲みに出がらしのお茶を淹れた。


 薄まってほとんど色のないお湯みたいなお茶を飲んでから、よし、と決意して私は声を発する。


「あの、さ。そろそろ、説明してほしいの」


 勇気を出して口にした言葉に、皆が反応して顔を向けてきた。そう、教えてほしいことが沢山ある。


 でも、何から?

 とりあえず、私は今自分の中で一番のモヤモヤの原因である清彦に視線を送った。目を逸らされてしまうかなと思っていたけれど、意外にもしっかりと私の視線を受け止めて、はっきりと頷いてくれた。


「まずは俺のこと、だよなぁ……」


 清彦もまたお茶を一口すすり、茶色の髪を撫で付ける。何かを考えている時の仕草だった。


「俺は……さっきお前が見たとおり、妖狐だよ。あ、でも香島先生とは違ってちゃんと人間だ。“ちゃんと人間”っていう言い方もヘンだけど。俺はずっと、お前の持つ魂のそばにいると決めたんだ。すげえ昔に決めたことだけどな」


 突っ込みたいところが多すぎて、一瞬言葉に詰まってしまう。私は自分の心臓の辺りに手をおいた。「私の持つ魂」? それって一体何なんだろう。メグリガミが言った“佐保姫”と何か関係があるんだろうか。頭を悩ませていると、清彦は頭をぽりぽりと掻きつつ説明してくれた。

「お前が考えてることは大体分かるぜ。そうだ。あのカミサマが言ってた“佐保姫”だ。お前の持つ魂は、佐保姫が何度も転生を繰り返してきた魂なんだ。俺がまだ、本当の妖だった頃、“佐保姫”の魂を持つお前と出会ったんだ」


 私が、妖だった清彦とずっと昔に出会っていた……? 私の中に“佐保姫”の魂があるだなんて言われても、到底理解できなかったし、なぜだか心がずきりと痛んだ。だって、清彦は「私の幼馴染」だったわけじゃなくて、私の中にその“佐保姫”があったからそばにいてくれたんだってことでしょう。


――それじゃ、“私”って何なの……。


 俯いて膝の上のこぶしをぐっと握り締める。そんな私の様子を見て、清彦は苦しげに言葉を吐き出した。


「だから、言いたくなかったんだよ……」


 清彦の表情を、今は見たくなかった。

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