最終話 それでも夢を選んだ日々。減りゆく人生の選択肢の中で
終演から数日後、祐介はまた定食屋の厨房に立っていた。
フライパンの油がはじける音。
味噌汁の湯気。
変わらない日常のなかに、確かに何かが変わった実感があった。
「あの……この前の芝居、よかったです」
まかないの時間、ひとりの新人バイトが声をかけてきた。
劇団のチラシを店に貼っていたのを見て、観に行ったらしい。
「え? 来てくれてたの?」
驚く祐介に、彼は少し照れくさそうに笑った。
「ちょっとだけ役者に興味あって。でも踏み出せなくて……。
あの芝居見て、なんていうか……やってもいいのかもって、思えたんです」
祐介は黙って頷いた。
何かを返すより先に、胸がいっぱいになっていた。
誰かに希望を与えられるほど、立派な芝居だったとは思っていない。
でも、自分が苦しんで、もがいて、それでも降りなかった舞台が――
誰かの“これから”の一歩になったのなら、その日々に意味はあったんだと思えた。
ふと、スマホを開く。
カメラロールの奥には、初めて東京に来た日に撮った駅の写真があった。
雑踏の向こうに見えた空。
そのときの自分は、何も知らなかった。
でも、それでも夢を選んだ。
選択肢は、年々減っていく。
10代の頃は“無限に広がっていたように見えた世界”が、
今では手の届く範囲にしか選べないような感覚になる。
でも、それでも――
減っていく選択肢の中に、今だから選べるものがある。
傷ついたからこそ届く言葉。
諦めかけたからこそ、見える光。
踏みとどまったからこそ、出会える人。
夢は叶うかどうかじゃない。
誰かに認められるかどうかでもない。
夢を「今もなお、選べているかどうか」――それだけなのかもしれない。
もう、若くはない。
でも、今の自分が好きだ。
少なくとも、選んだ道に誇りはある。
祐介は立ち上がり、厨房に戻った。
今日も、変わらない一日が始まる。
けれどその足取りは、昨日よりも少しだけ軽かった。
“夢を選ぶこと”は、
きっと、そういうことなんだ。
もし、あの日の自分に声をかけられるとしたら、何と言うだろうか。
「やめておけ」かもしれないし、「ありがとう」かもしれない。
それでも祐介は、こう答える気がしていた。
「それでも、やってよかったよ」と。
たくさんの痛みがあった。
恥も、敗北も、見栄も、悔しさもあった。
でも、それを通り抜けたあとにだけ、
出会えた言葉や人が、たしかにあった。
この物語に、正解はない。
祐介の選んだ道が、間違いだったのか、正しかったのか。
それは誰にもわからない。
でもきっと、“それでも夢を選び続けた日々”だけは、誰にとっても無駄じゃなかったはずだ。
願わくば、この物語が、今、選択肢の前に立ち尽くしている“誰か”の心に、そっと寄り添えていますように。