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第7話 数人のための、確かな拍手

団長に連れられた先は、駅から徒歩10分ほどの古びた雑居ビルだった。

看板も出ていない。2階へ続く階段の途中で少し匂うカビと埃。


「すまんね、うち、ほんとに小さいからさ」


団長は気にした様子もなく、ドアを押し開けた。


中には4人の男女がいた。

若い子もいれば、祐介より年上に見える人もいた。

「こんばんは」「あ、団長ー」

あたたかく迎える声のなかに、祐介はそっと足を踏み入れた。


壁に貼られた稽古表。チラシの束。

狭いが、芝居に必要なものはすべて揃っていた。

それより何より、この空間に漂う空気に、祐介は心を突かれた。


誰も、焦っていなかった。

誰かと比べるでもなく、勝とうとするでもなく。

ただ、自分たちの芝居に集中していた。

そう――楽しんでいた。


「じゃあ、いつものやつ、軽く合わせようか」


団長の声で稽古が始まる。

台本を持った男女がステージの真ん中へ進み出る。

言葉が交わされ、笑いが生まれ、空気が動く。

そのやり取りは、プロの洗練とは少し違う。

けれど、確かに“届いてくるもの”があった。


観客はいない。

拍手も起きない。

けれどその場には、

「誰かに届けようとする意志」があった。


祐介は、ずっと何かを勘違いしていたのかもしれない。

大きな舞台、注目される役、オーディションでの合格。

そういったものばかりを、夢と呼んでいた。

けれど今目の前にあるのは、誰の目にも映らないかもしれない芝居。

でも、演じる本人たちの心が、揺れている。

そしてその揺れが、確かに祐介の胸にも届いていた。


「あの……楽しかったです」


思わず、声が漏れた。

稽古が終わったあと、空気がゆるむ中で、祐介は小さく言った。


「久しぶりに、芝居ってこういうもんだったなって思い出した気がします」


「そうでしょ?」


団長は、いたずらっぽく笑った。


「昔はね、大きいところに出たいとか、有名になりたいとか、もちろん思ってたよ。

でもさ、気づいたんだ。大きな拍手って、案外軽いこともあるなって。

本当に重たくて心に残る拍手って、10人にひとり、いや、ひとりでもいい。

その人のために、全力で演じること。そこにこそ、芝居の原点があると思うんだ」


団長の言葉は、響いた。

そして、どこか悔しかった。

自分はいつから“いかに大勢に届くか”ばかりを気にするようになったのか。


「もしよかったらさ、次の舞台、ちょっと手伝ってみない?

裏方でもいいし、小さい役でも。……どう?」


祐介は少し考えて、うなずいた。


「やります。やらせてください」


即答ではなかった。けれど、その言葉は、心から出たものだった。


その帰り道。

ビルを出て、夜風に吹かれながら祐介は思った。

拍手はいつも遠くにあった。

でも今日、すぐ近くにあった気がする。

ほんの数人でも、誰かに届く芝居がある。

そんなことを、本気で信じていた自分が、たしかに昔“そこ”にいたのだと、ようやく思い出せた。

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