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第6話 君、いい顔してるね

その日、祐介はバイト帰りに公園のベンチに座っていた。

終電まで少し時間があったが、帰る気になれなかった。

スマホを見る気にもなれず、ただうつむいたまま、缶コーヒーのぬるさを指先に感じていた。


春なのに寒い。

人の気配は少なく、広場の向こうではカップルが何かを話していた。

声は届かない。ただ、笑っているのがわかった。


祐介は、自分が何をしているのか、わからなくなっていた。

夢を追っているのか、ただ逃げ場を探しているだけなのか。

自分を慰めるために芝居をしているのか。

他人の目を借りて、自分の存在を肯定してほしいだけなのか。


「――君、いい顔してるね」


その声に、祐介はわずかに顔を上げた。

見知らぬ中年の男が、ベンチの端に立っていた。

少しよれたジャケット、くたびれたトートバッグ、髪はぼさついている。

でも、その目だけは、妙に澄んでいた。


「ごめんね、驚かせたなら。……君、役者かい?」


祐介は返事に迷った。


「……いちおう」


そう答えると、男はふっと笑った。


「やっぱり。僕もね、ちょっとした劇団をやっててさ。

この公園、うちの稽古場のすぐ近くなんだ。いつも、誰か面白そうな顔してるやついないかなって、見てるんだよ」


正直、最初は怪しいと思った。

祐介は愛想笑いのようにうなずき、早く立ち去ろうとした。

でも――そのとき男が言った一言が、足を止めさせた。


「君、今日、限界まで落ちてきた顔してるね。

それでも、まだ何かが残ってる。

そういう人間にしかできない芝居って、あるんだよ」


何かを見透かされたようで、息が止まった。

誰にも言っていない感情が、言葉にされた気がした。


「君、名前は?」


「あ……祈町です。祈町祐介。」


「名前、祐介くんっていうのか。

祈る町って、いい名字だな。祐介くん。今日の君の顔、なかなかの名演だったよ。……あのさ、もしよかったら、見にこない? うちの稽古。

金にはならない。でも、楽しいよ。夢を見られるというより、夢を思い出せる場所なんだ」


団長は、くしゃっと笑った。

それは売り込みの笑顔ではなかった。

何かを守り続けてきた人間の、照れくさい本音に近い表情だった。


数年前の自分なら、きっと断っていた。

無名の劇団なんて、効率が悪い。

知名度もギャラもない。

“キャリアにならない場所”に、時間を割く理由がなかった。


でも、今は違った。

肩に何も乗っていなかった。

見返すべき誰かも、焦がれる舞台も、もう見えなかった。

だからこそ、祐介の心に、その笑顔はまっすぐに届いた。


「……わかりました。一度、見に行ってみます」


自分の声が、少し震えていた。

それが寒さのせいか、違う何かのせいかは、わからなかった。


「よし、決まり! 稽古場、すぐそこ。今日も稽古してるよ。

ほんの少しだけでも、時間があるなら寄ってって。きっと、何か感じられると思う」


団長は歩き出し、祐介も少し遅れて立ち上がった。

見慣れた公園の出口が、ほんの少しだけ、違う景色に見えた。

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