第2話 まかないで、生きている
バイト先は、深夜まで営業している定食屋だった。
駅前の路地にひっそりとあって、客はだいたい常連か、酔っ払い。
高校生の頃、バイトしていた店とよく似た匂いがする。
油と、出汁と、焦げた時間の匂い。
「祈町くん、悪いけど冷蔵庫の在庫、明日発注してくれる?」
店長の声に、「はい」と返事をしながら、祐介は袖をまくった。
この場所に立っている自分を、演技だと思いたくなる瞬間がある。
誰かの人生を演じている、名もなき役のひとり――そんな妄想。
まかないが出た。
今日は鯖の味噌煮と、小鉢にひじきと豆腐。
あたたかい味噌汁が胃に沁みる。
うまい、と思った。
でも、それは“生きている”というより、“延命している”感覚に近かった。
「芝居、最近どう?」
同僚の佐伯がふと聞いてきた。
彼は以前、役者をやっていたらしい。
いまは店の社員で、舞台の話をすることはほとんどない。
「……まあ、ぼちぼちです」
とりあえずそう答える。
それ以上、踏み込まれたくなかった。
祐介の“ぼちぼち”の裏には、誰にも見せられない痛みが詰まっていた。
「いいじゃん、芝居できるだけで。俺なんか、もう台詞も忘れたよ」
佐伯は笑っていた。
でも、祐介は笑えなかった。
“芝居できるだけで幸せ”――そう思えていた時期が、自分にもあったはずなのに。
自分は、どこで何を間違えたんだろう。
ただ演じるのが好きだったはずなのに。
目立ちたいからでも、売れたいからでもなかった。
――はずなのに、いつからだろう。
結果を求めてばかりで、芝居そのものが苦しくなっていた。
店の隅でテレビが流れていた。
若手俳優の特集。
「この春、ブレイク間違いなしの注目株!」
楽しそうに笑うその顔が、まぶしすぎて直視できなかった。
「俺、なんで東京に来たんだっけな……」
誰にも聞こえないように、心の中でつぶやいた。
その問いの答えが、最近は、どんどん曖昧になってきていた。
まかないの茶碗を片付けながら、祐介はふと、
「このまま、ここで働き続ける人生でも、いいのかもしれない」
そんな考えが頭をよぎった。
でも同時に、それが“逃げ”であることもわかっていた。
店の空気はやさしい。
でも、やさしさに甘えたら、戻れなくなる気がした。
静かで、暖かくて、そして――怖い。
人生のどこかで、“あきらめる”という選択肢を持つ人間と、
“あきらめられない”という呪いにかかっている人間がいる。
祐介は、間違いなく後者だった。
それが、幸せかどうかは、まだわからなかった。